独楽ログ〜こまログ〜

50代、女性、日本人、がひとりで毎日楽しくすごす方法を検証、実践、そして記録。

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スペイン旅行記 その0〜メンタル弱めの人間による、あまり役立たない海外旅行の前ふり

最初はレジャーなのに、だんだん修行とか試練にすりかわっていく…

 ブログをさぼっている間にスペイン旅行をしてきました。どうしてもマドリッドプラド美術館で見たい絵があり、でもスペインに行くのに、ガウディ見ないの?という思いももたげてきて、バルセロナマドリッドの行程です。さらに、この2つの間のちょうど中間にあるサラゴサという古都(なのかな?)にも立ち寄りました。

 

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↑空がとびきり美しかったサグラダファミリア訪問日。そのかわり、激寒の最高気温7℃…。

 

 10月に予約して、1月に決行。その間にどこに、どうやって、なにしにいくのかを、ひたすらネットや本をにらみながら検討、実行、キャンセル、そしてまた実行…を繰り返してスケジューリング。

 いつもそうなのですが、この準備段階が大変すぎて行く前にへとへとになり、PCの前にいるのもいいかげんうんざりして、あげく持ち前の不安症も出てきて、なんかもう行かなくてよくなってきた…とまでなり、しかし、そこを行かない訳にはいかないのでふんばり、がんばって(?)行ってきました。

 

閉所恐怖症の人間には、あらゆる乗り物が試練です

 そもそもへたれでびびり、かつ飛行機(というか、閉所恐怖なのでエレベータを含むあらゆる乗り物すべて)恐怖症の私には、言葉のわからない外国に、自分で一から計画して行く(夫も同行してるけど)というのは、最初はレジャーなのだけど、だいたい途中から試練というか修行にすり替わります。行ってる途中は、レジャーと試練のミックスになります。どの程度試練なのかというと、今回の旅は、スペインだったからなのか、運がよかったからなのか、食べ物系がことごとく大当たりで、カロリーいっさい気にせず好きに食べていましたが、帰国したら2kg痩せていました。…驚き。

 

 じゃあ添乗員つきのツアーにすれば?という感じですが、小さい頃から団体行動がなにより苦手なので、「集合」とか「解散」とか、もう絶対だめです。だいたい、行きたいとこしか行きたくないし、食べたいものが食べたいので、誰かにその選択をお願いすることはちょっと考えられない。

 

 そんなわけで、ここ数年、ほぼ年に1回、どこかへ旅行していますが、今までのところ、楽しい経験ができて、がんばって行ってよかったなあ!と思います。思い残すことも必ず出てきます。で、じゃあ次はこうしよう、となんか妙なやる気が出てきます。

そんなわけで、数ヶ月して旅の疲れが取れると、また行きたくなる…というサイクル。よし、もっと行ってもっとタフになろう、なんて思ったりするのです。次はもっとうまくできそうな気がする、とか思うのです。

 まあ、宇宙飛行士にでもなれそうなほどメンタル強い夫からすると、「は? 修行? なんの話?」とあしらわれるほど、私の挑戦及び冒険は、あまりにも私限定のささやかなもので、それを痛感するたび寂しい気持ちになるのですが、まあ、人はみんな違うよね、個人差っつうものが、と基本事項を唱えて乗り切ります。

 

ほとんど最後の欲望、「知らないとこが見たい」

 洋服、高級レストラン、リゾートホテルに、車、家具、食器、家電…等々、ほとんどあらゆるものへの激しい欲望が(ほぼ)消滅した40代なかばの今、強烈にあるのは、「見てない場所が見たい」というものです。「もう先がないから、今のうちに見ておかないと」と痛感します。誰かがエッセイで、年をとってくると、「ものが欲しいのではなく、体験が欲しくなる」と書いていたのですが、これは通常(?)の変移なのでしょうか。

 若いときは好奇心もろくにないだめ人間だったので、「知らない場所を知ったときの興奮」をほとんど経験していなかったのですが、ここ十年くらいは、その興奮がなにより楽しい。近所を散歩していても、新しいルートを発見すると、うわ!と思う。たぶん、2年前に鬱がなおったのも関係していると思う。「世界っていろいろとおもしろいんだ」と、最近本当につくづく思うからです。そして、世界の見え方は、こっちの気持ちひとつで全然違うんだ、と。

 日常が倦んでくると、外国旅行のサイトなど見て、うわー、行きたい行きたい、と思いをつのらせます。とくに最近は美術評論家の中野京子さんのエッセイ(すごーくおもしろい!)を片っ端から読んだせいで、「ヨーロッパの美術館は一通り回らなければ」という気持ちも強く、ああ、次はどこへ? いつ? と年がら年中思っているような状態。

 

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↑たぶん地元のお客さん用の、おつなバルセロナのカフェにて。おっさんたちの渋いこと、フロアのタイルが美しいこと! スペインでは愛らしいおっさんを山ほど見ました。

1回の旅行で10か月はいける

 そして、いざ旅行を決めてから、当日まではだいたい数ヶ月。その間にあれこれ----行くべき場所、食べるべき場所はもちろん、機内快適グッズとか、最良のガイドブックはどれなのかとか----調べて、手配して、キャンセルして(絶対、なんかしらキャンセルする…)、資料集めて読み込んで、想像して…へとへとになりながらも、充実した日々を送ります。

 で、旅行して、終えてからは、「なにもかも忘れちゃうから、なにもかも撮っておく」というモットーのもとに撮りまくった1000枚近くの写真を、何度も眺めて、反芻する。さらにかの国について勉強したり、見たことのある、でも以前とは全然違う目で見れるかの国を舞台にした映画を見直して、あ、これ、あそこだったのかー、なんて驚いたりする。

 …と、そんな具合で、一度旅行するとだいたい半年は楽しめるのですね。旅行先を決める前からも含めると、10か月くらいいけるかも。

 そして、行くと、自分のなかに新しい物語が生まれる。今回は、プラド美術館の絵をより面白く見るため、かなり真剣にスペインの歴史も学んだので、あれこれ読んだ知識+現地の体験が合わさって、長ーい長ーい大河小説を読み終わったかのような充実感。そして、かつての、「スペイン=ペドロ・アルモドバルと美食の国」程度だった頃の自分とは、もうなにもかも見え方が違う、ということを、日常のいたるところでひしひし感じて…なんともおもしろい。

 この記憶がいったいなんの役に立つのか、と聞かれると正直困るのだけど、なんというか自分の内部が新しいなにかで満たされた、すごくいい気分になります。

 うん、そうです。すごく自分の内部が瑞々しいような感じなのです。

 

 

過発酵のとき

食パンの一次が4倍に膨れてしまったとき

 

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 親戚にあげようと思ってキタノカオリ食パンを仕込んだ。すっごく寒い日だったので、いつも起きたときに3倍に膨らんでいるはずが、2倍にしかなっていない。ちょっと急いでいたので、オーブンの発酵モードに入れて1時間半。それからすっかり忘れていて、3時間後にはっ!と気付いたときは、4倍以上に膨らんでしまっていた。

あちゃー。過発酵。手を入れると風船みたいにしぼむ。ああーっ。やってしまった。

よりによって人にあげるものを作ってるときにこういういことが。

 で、いつもならこういうとき、くらーい気持ちで、でも二次発酵させて焼いて、いやーな気泡たっぷりの過発酵パンを作ってさらに暗くなる、のだが、なんか電気代使ってそれも嫌だな。もう捨てちまおうか。まずいものはどうやったってまずいしな。

 …と、考えたのだけど、うちの夫は、食べ物を無駄にすることを異様に嫌うので、ゴミ箱を開けたら彼の顔が浮かんできて、捨てるのはやめた。

 それで、ほとんど二次発酵のいらないチャバタにすることにした。なんかすっかりべちゃべちゃになって扱いづらくなっている生地に打ち粉をばんばんして、できるだけさわらないように、10分割。なぜそんなに小さくしたのか? よくわからない。そのまま濡れふきんをかけて、すぐにオーブン余熱。うちのオーブンは220°までだいたい15分なので、それが二次発酵時間。温度があがったら即入れる。

 やけくそで焼いたけど、案外まともなものができて、安堵…。おいしかった…。コンテチーズとコルニッションピクルスと食べたらおいしくて感激した。

安堵。そして発見。

あのまま無理やり2時間二次発酵させて食パン焼かなくて正解だった。過発酵のとき二次ほぼ不要のパンにすればいいのね。そういえば過発酵生地はピザにしてください、とか、どこかに書いてあったっけ。製パン基礎知識なのかもしれない。

 まあでも、ほんとに捨てなくて、無理やりまずい食パンにしなくて、よかったなあ。

 

映画「トランボ」

50年代アメリカで共産主義を貫く社会派映画…ではなくて

 

 信念を貫いた売れっ子脚本家の、見事な生き様----という言い方が、この映画を端的に表すのにふさわしいのだろうが、「トランボ」はそういう「清く正しく」「立派な」物語とは少し違う。実際、前半15分間、すでにハリウッドの売れっ子脚本家であり、共産主義を自認するトランボが、周囲の監督、俳優、配給会社のお偉方なんかに疎まれ、文句を言われつつ、活動している様なんかは、「あれー、私、ちょっと映画の選択間違えたかなあ」と正直…思ってしまった。立派な人が、体を張って立派な主義を貫き通すっていう社会派映画なのか、と。でも、途中から変わった。

 いや、これはそういう映画であることは間違いない。別に突然話ががらりと変わるわけではなく、最後まで彼は屈することなく、周囲と戦い続ける。そこに誤りはない。だけど、この作品は、“正しさ”を追求すること以上に、べらぼうにおもしろいのだった。本当に、これは目が覚めるほど、おもしろい映画だ。

 

 前半は、50年代アメリカを吹き荒れたレッドパージ赤狩り)のど真ん中で闘っていたトランボの厳しい日々が描かれる。心が折れそうな友を言葉たくみに----さすが名脚本家、本当に言葉たくみでまるで詐欺師のようだ----励まして運動にとどまらせたり、迫害してくるおばさんコラムニストと丁々発止やりあったり。ジョン・ウェインだって、まんまとやりこめてしまう。公聴会ではまた言葉たくみに、聴衆を煙に巻く。トランボが、ただ正しいだけでなく、めっちゃ頭が回る人なのだということを知りつつ……だが、結局、刑務所収監。なにも悪いことをしていない人が、集団の圧力によってさんざん酷い目に遭う、王道でストレスフルな展開。いかにトランボが頭よくても、結局権力には勝てないのか、とつらい気持ちになる。

 

結局権力と集団には勝てなかった。で?

 が、しかし、このあとがすごかった。勝負はここからだったのだ。

 ようやく刑務所からは出れたものの、社会の敵扱いされ、もちろんハリウッドからも干されている。妻ひとり子供3人をどうやって養えばいいのか? トランボはB級映画専門の製作会社に、仕事が欲しいと頼みにいく。「あんたは高すぎて雇えないよ」という社長(ジョン・グッドマンが怪演!)に、「あの映画の脚本にはいくら払ったんだ? あれと同じでいい」と、自らダンピングして仕事を得る。3日で書く、と言い切って帰り、実際書き上げてきて、それが傑作だった。社長が脚本を叩きつけて「ちくしょう、こいについ金を払え! なんだこいつは! 天才だ! よし、書け!どんどん書け! 全部買う!」

 いやもう、トランボも身をひくこの激賞の爽快なことといったら! 芸は身を助く。才能があるって、なんてかっこいいんだろう。これは勝手な想像だけど、長い間刑務所にいて、彼のなかの創作魂がもうぱんぱんに膨れていたのだろう。すごい勢いでタイプしてたもんな。で、以降、彼はB級作品を書いて書いて書きまくる。注文が追いつかないし、同じく赤仲間で仕事にあぶれた脚本家たちもたくさんいたから、彼らも巻き込んで、書きまくる。もちろん、名前は偽名。トランボが書いているということは絶対にばれてはいけないから、発送だの電話受付だの等マネジメント業務は家族がやる。妻も娘も息子も総動員、フル稼働だ。風呂で書くのが好きだったらしいトランボは、浴槽に台を渡してテーブルにして、タイプライターと酒、タバコを装備して、昼も夜も書きまくる。眠たくなったらアンフェタミンを酒でぶちこむ。「くだらない作品を生活のために書くなんて冗談じゃない」という病気持ちの仲間も説得して、書きまくる。その脚本の手直しだってばんばんする。

 

 そうなのだ、ここがすごいのだ。志を曲げたくない。それを貫いたからこそ、彼は超一流の座から引きずり降ろされ、刑務所に行った。だが、その後、彼は志は変えずに、戦い方を変えたのだ。共産主義者の最大の変節は、保身のために仲間の名を非米活動委員会に売る(証言する)ことだ。実際、エドワード・G・ロビンソンなんかも最後の最後までがんばってたのに、結局仕事を干されるのが怖くて、仲間を売ってしまう。その罪悪感があまりにつらくて、逆ギレして「俺は悪くない」とヒステリックに言い募るしかない。……つらい。「あんたは名前を変えれば仕事ができる。でも俺は顔で仕事してるんだ。隠れることはできないんだ」と必死に言い訳というか逆ギレしている姿は本当に痛々しかった。まあ確かにそうかもな、と少し思ったりもして…。

 

勝ち方にはいろいろあるらしい

 閑話休題

 とにかく、トランボは、志は曲げず、ただ、新しい戦い方を作り上げた。「こんなくだらない映画のための脚本は書きたくない」という、そんな類の志は簡単に捨てた。もともと持ってなかったのかも。でも、仲間を売ったり、自分が間違っていたと認めたり、かつての敵に頭を下げたりはしなかった。ただ、めちゃくちゃおもしろい脚本を書いて、自動的にハリウッドが自分を欲せざるを得ないような状況を、作り上げたのだ。

 最初からそこまで考えていたわけではないだろう。最初はただ、一家を露頭に迷わせないために、がむしゃらにある仕事をやっただけだろう。でも、どんなに予算がなくても、社長の要求がくだらなくても、おそらく彼は最大限楽しんで物語を書いたのだろう。だから、よくある展開のように、腐ったりしなかった。生活のためにやりたくないことをやりすぎて魂をすり減らしたりしなかった。だからこそ、そんな暴力的なスケジュールでの脚本書きのなかでも、ときどきとびきりの傑作ができてしまい、「おまえの名前で持ち込んでくれ」と友人に渡したりすることができたのだろう。ちなみにこの脚本は「ローマの休日」。

 

集まってくる人たちだって、どうしたって魅力的

 トランボの強靭な体力(酒とタバコとアンフェタミンをあんなにがんがんやって、心身ともに元気で働き続けてるって………)と精神力で生み出された脚本は、だんだんハリウッドの心ある----いい映画が作りたいという心----人々を、引き寄せていく。周囲の圧力も意に介さず、すべてひとりで決めてトランボに仕事を依頼しに来たカーク・ダグラスの男前なこと! 別のトランボ自身が出るドキュメンタリー映画で、おじいちゃんになった彼は「自分がしたことで誇れる数少ないことは、トランボに脚本を頼んだことだね」と言っていた。「この脚本を映画にしたいんだ。300ページある。だが1行もおもしろくない。なんとかしてくれ」と、ばさっと投げる。しびれたなあ。

 同じく突然家にあらわれて脚本を依頼し、出来上るまでここで待つ、という、明らかにおかしな人、オットー・プレミンジャー監督。激しいオーストリア訛りの英語で「まだかね? まだできないのかね? ここはおもしろくないから書き直しなさい、さあ」などと言い続けて、さすがのトランボもたじたじだったが、この映画はポール・ニューマンの「栄光への脱出」だった。これも結局名作だった。オットー・プレミンジャーは、革新的なことをしたことで有名な人らしく、だからこそ、異端者扱いだったトランボに脚本を依頼できたのだろう。しかし、この押しかけ居候シーンは何度見ても笑える。

 あの爽快なB級映画会社の社長だって、トランボを離さなかった。非米活動委員会が「トランボを使うな」と圧力をかけにきたのを、なんとバット1本で追い返してしまう。それがあんまり怖かったから、もう二度と脅されなかった。この凄まじい社長の暴れっぷりも、もう一度見たいシーンのひとつだ。彼には志もくそもない。あんなにおもしろい脚本を超絶スピードで書いてくるトランボを使わないなんて、考えられないというだけだった。たぶん。そこが爽快。

 そうやってだんだんハリウッド全体がどうしてもトランボが欲しい!という状況になっていく。この過程のエキサイティングなことといったら。結局、体力、気力、そして才能と、「持てる人」による「すごい話」なのねえ、ということになってもおかしくないのだが、そうはならず、観てる人だれもが一緒に達成感や爽快感を味わえるのがこの作品のすごいところではないだろうか。それで見終わって、みんなが思うのだ。「そうか、戦い方はひとつじゃないんだ」と。「よし、新しい攻め方を考えてみるか」と。

 

志をどこに持つのか?という問題

 ちなみに私は、やっつけ仕事のなかでの「心から書きたいと思って温めていた」作品「黒い牡牛」について話し合っているシーンも好きです。B級映画会社の副社長に「まあ、どうせたいした作品じゃない」などとさらりと言われたとき。「あ、失礼」と横目で付け加えられて、トランボは「いやいいんだ、たいした作品じゃない」とひょうひょうと同意。このすっとぼけた雰囲気は、トランボというか、俳優のブライアン・クランストン自身の持ち味だと思うのだが、どうなんでしょうかね? トランボもそんな人だったのかしら。でもこの生き方を見てると、そうなのかもな、とも思うが。

 ともあれ、こんなふうに俳優の魅力と役の魅力が渾然一体となっているのも、この映画の素晴らしいところ。この人だから、ここまで演じられたのだろうなあと思う。そして、「たいした作品」であることよりも「くそおもしろい作品」がいいだろ? というエンターテイナー魂が、この映画には充満していて、それがこの爽快感の理由なのだとも思う。

自家製ジンジャーエールを飲んでばかりいると、生姜煮ができすぎる その2

その1を書いてからずいぶん時がたってしまったのですが…。

さて、この生姜煮をどうするか、です。

 

そりゃまずはカレーで。

 生姜煮の大量消費、まず思い付くのは、カレーに入れることです。これを入れるとカレーの味が数段あがります。5,6人分のカレーなら、大さじ1,2の世界ではなく、にぎりこぶし1,くらい入れても大丈夫です。でも一度、あまりに処理を急ぐあまり、にぎりこぶし2くらい入れたら、甘くなりすぎて取り返しがつかないことがありました。なので、くれぐれも入れ過ぎには注意です。

 

押上のカレーの名店「すぱいすかふぇ」のチキンマリネのレシピを基本に、レシピにはないこの生姜煮をどかっと入れて作るのが好きです。

 

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 ⇧カレーライスのソースというよりも、おかずの素のような感じ。ごはんはもちろん、茹で野菜にかけて、パンにのせて。なんでも使えます。

 

【おおざっぱな材料と作り方】

1油にマスタードシードを入れて温め、はじけてきたらみじんぎりにしたたまねぎを入れ、アメ色~もしくはややアメ色まで炒め、

2おろしたしょうがとにんにくを入れ(このしょうがは生です)、みじん切りにした生姜煮も入れ、ターメリックとカイエンペッパーを入れて香りを立たせ、

31cm角程度に細かく切った鶏肉(ももか胸)を入れ、炒め、

4大さじ1~3のシャンパンビネガー(もしくは、好みの酢)も加えて肉に火が通るまで炒める。

 

初めて作ったとき、あまりにもおいしくて驚いた一品です。

 

 その他のカレーでも、味がぼんやりして困ってるとき、この生姜煮をみじん切り(もしくはミキサーでペーストにしたもの)を大さじ2くらい入れると、途端にびしっと決まります。

 

とにかく大量に使いたいときは生姜味噌

 カレーに入れすぎて失敗した反省から、より確実に、大量に、消費できる生姜味噌を考えました。これは「夫壁」も超えた逸品です。“夫壁を超える”とは、生姜煮をはやく消費したいあまり、あらゆるものに入れすぎて、すっかり生姜煮嫌いになってしまった彼をもすんなり「おいしい!」と通過させた、という意味です。味噌と豆板醤で生姜のきつさを覆い隠し、生姜のうまみだけを残した感じです。

 

【おおざっぱな材料と作り方】

味噌(自家製)…生姜煮の半分

白味噌…味噌の1/3

P県豆板醤…小さじ1~大さじ1

酒…全体にまわる程度

酢…全体にまわる程度

メープルシロップ(または砂糖)…小さじ1~大さじ1

 

その他お好みで、隠し味的に。

醤油、塩など。

上の材料を全部入れて、ひたひたより少ない程度の酒を回し入れて、消毒する気持ちでことこと煮ます。アルコールも水分も完全に飛んだなあ、というくらいで完成。

 分量は全部適当です。そのときどきで味を見ながら調整していけばいいと思います。なので、最初は少なめから入れてってください。メープルシロップは甘みづけのほかに、うまみづけの意味もあります。なので、砂糖にする場合は入れなくてもいいかもしれません。なにせ生姜煮が甘いので。

 

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↑で、これが出来上がり。味のイメージとしては、田楽味噌の大人版といった感じでしょうか。揚げた茄子やゆでたこんにゃく、ふかした大根にのせたらおいしいだろうな、という濃い味系。冷蔵庫で軽く3週間はもちます。たぶん、もっともちますが…。

 

いくらでもおいしくなる生姜味噌アレンジ

 とはいえ、原型のままだと少々味がきついのも事実。これをやわらげ、もっとおいしくするために、いろいろ加えてみました。

 

+いろいろきのこ

数種類のきのことひとかけらのにんにくをフードプロセッサーで細かくして、塩をふって水分を出し切るまで炒めます。このままパスタにからめても激うま(ほんとに。肉もチーズもいらない)なのですが、今回は生姜味噌を加えます。まんま肉味噌のようなごはんのお供のできあがり。これは………本当においしいです。

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そのほか、+れんこん、もちろん、+肉もいけます。全部いっしょに入れてもまた複雑な味わいになっておいしい。ごはんにも合いますが、茹でたキャベツやもやし、冷奴に合わせても、「とまらないおかず」ができます。

 

+ナッツもいける

これもまた、こりこりした食感が生まれてよし。私はいちばん好きなナッツ、ピーカンナッツを使います。もちろんくるみでもおいしいはず。

 

 

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花巻を作ったので、はさんでみた。自家製肉まん。自分ちで肉まんを作ったことがうれしくて、実際以上においしく感じました。ちなみにこれは、+きのこ、肉、れんこん、の豪華バージョン。

 

 

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⇧ちなみに使った調味料はこちら。この味噌が大成功したのは、おいしい調味料をおしげもなく使ったからかも、という気もします。とくにP県豆板醤(ぴーしぇんとうばんじゃん)。中国のP県でだけ作られているのだそうな。その昔、料理家の先生が絶賛していて、毎年大晦日、横浜中華街に瓶(かめ)で買いに行くのだと行ってました。普通の豆板醤とは比べ物にならないほどおいしいから、と。

 で、私も中華街で見つけてひと瓶(びん)で買ってみたところ、たしかにめちゃくちゃおいしかったので、以来10年くらい愛用しています。これ使うと、もう普通の豆板醤に戻れない。すっごく辛くて、でもやわらかいうまみがある。中華街か、通販で買っています。

 そしてこの白みそも隠し味として超優秀。塩みと甘み、そしてうまみの3つを加えてくれるので、なにか物足りない、というときにはこれをほんのすこし加えると俄然、味がさえるのです。なかでもこの石野の懐石白味噌はかなりおいしいと思います。味噌汁にも、必ずほんのすこし白味噌を。さらに、ケークサレやパウンドケーキにもちょっと入れます。

 考えてみればどちらも発酵食品。菌のちからの偉大さを感じます。

 

 

生姜煮×豆鼓×にんにくもすごい。とくにゴーヤと相性よし。

 

 生姜煮、豆鼓、にんにくを細かく刻んで、ごま油で香りが出るまで火を通す。この3つ揃えも汎用性高いです。麻婆豆腐や野菜炒めにも強力に作用します。スープの土台にもよし。これとひき肉を炒めて酸辣湯にしたりします。

 でも、なかでもゴーヤとの相性が抜群です。透き通って、苦みが抜けるまでしっかり火を通したゴーヤが、この甘辛くうまみ濃い三者とよく反応するのです。豚肉も加えておいしそうな焼き色つけて炒め、最後、しっかり水切りした木綿豆腐を大きく割っていれ、かつおぶしをふって、ゴーヤチャンプルー風。もちろん、卵もいれたいですね!

 写真は…ゴーヤの季節になったらアップします…

 

【おおざっぱな材料と作り方】2人ぶん

 

1 生姜煮大さじ1、にんにくひとかけ、トウチ大さじ1をすべてみじん切りにしてごま油で炒め、香りをたてる。

2 薄切りにしたゴーヤ1本を入れ、ごく軽く塩をふり、弱火でじっくり、ゴーヤが透けるまで炒める。1の野菜が焦げないよう、火加減注意。ゴーヤの苦さが好き、という方はもっと浅い火通りでOK。

3 酒と醤油で下味をつけた豚肉(薄切りか切り落とし)100~180gを2に加えて、炒める。

4 水切りした木綿豆腐をちぎって入れ、軽く火を通し、溶き卵を回しいれる。醤油も加えて調味する。皿に盛り、かつをぶしをかけて完成。

 

そしてマサラティーもつくれる

 生姜煮で作るドリンクはジンジャーエールだけじゃありません。出がらしでもおいしい飲み物ができます。生姜煮を紅茶とミルクとスパイスで煮出して、濃厚で刺激的なマサラティーのできあがり。生姜煮の甘味があるので、砂糖は不要。吹きこぼれ防止&おいしさを絞り出すために、とろ火でのーんびり煮出すのがこつです。

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【大ざっぱな材料と作り方】 2人ぶん

1鍋に大さじ2~3くらいの生姜煮、大さじ1の紅茶葉、牛乳400~500mlを入れて弱火にかける。そのままごく弱火で20分煮出す。

 

ショートブレッドに入れても美味

粉とたっぷりの上質なバター、砂糖、そして生姜煮でおいしいおやつも。いつも作るショートブレッドの生地に、細かく刻んだ生姜煮を加えました。これもうまいです。甘い生姜煮を加えるのだから、とプレーンのレシピの砂糖を減らしたらいまいちでした。砂糖は減らさないほうがよいみたいです。

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まだまだあるので、なにか発見したら追記します。

注意するのは一点だけ、なんにでも合うから、といれすぎると嫌われます!

ホップ酵母が酸っぱくなったとき

ホップ、酸っぱくなる!

 手間のかからない、いつも膨らむ優秀なホップ種だがいちど、猛烈にすっぱくなったことがある。これは大変だった。どんだけ検索しても原因も解決法もわからなくて。何度やっても酸っぱい。一から起こし直しても、酸っぱい。今まで2年間、なんともなかったのになぜ突然?

 でもあるとき作業工程を見直して、思い当たった。

 酵母は作ってからヨーグルトメーカーの保温器でくるみ、(27度保温)48時間保温、と本には書いてある。だが、実際酵母は、保温開始後数時間でぶくぶくわいてくる。夏場、はやいと4時間くらいで1.5倍くらいにまでなる。その後、膨らみはおさまるが、きゅうきゅう鳴き続ける。これってつまり、4時間程度で酵母は生れてるということだよね? でも本にある指定時間の通り保温していた。

 これが、もしかして長すぎるのかも?

 試しに18時間でやめてみた。4時間で酵母できてるんだから、発酵&熟成(?)時間入れてもこれくらいとれば充分でしょ、という仮定のもとに。そしたら、酸っぱくなかった。おおおっ。パンを焼いてみたらちゃんと焼けた。うわお! 酸味ゼロ。イエス! イエス!!  私は拳をあげた。これだった。時間だった。長すぎたのだ!

 PH計の数字も無事、志賀先生のいう3.8~4.2の間におさまった(そう、こんなものまで買ったのですよ…酸っぱいのが恐くて。本気で焼く方にはおすすめです)。

酸っぱいのは勘弁だが、必要最低限の酸味がなければ雑菌を倒してくれない。なので、この数字はきちんと守らなければいけないのです。

 

材料と便利な道具

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乾燥ホップ

 一回に少量しか使わないので、できればもっと小さいサイズが欲しいのですが…。でもオーガニックだし、まあいいか。

 保存方法は、買ったら当面使うぶんを瓶に入れて冷凍庫で保存し、残りは真空パックして冷蔵庫に。

 余談ですが、ホップ種を煮出すと、とんでもなく臭くて周囲の人に嫌がられます。しかし、買いたてで開けたてのその1回目だけは、とてもいい香りがします。つまり、あの匂いは劣化してるということか!?と思って、冷凍したり真空にしたりして保存するようにしたのですが、どれだけがんばっても、二回目からはもうあの臭い匂いしかかげませんでした。初回開封時から1週間しかたってなかったのに…。なぜだろう……。

 

 イワキ お酢ボトル 600ml

この容器、スーパー便利でぜひ紹介したかった。冷蔵庫のドアポケットに入る、目盛りがついているから別に計量しなくていい、注ぎ口がついているからできた種をそそぐときにスプーン等の道具不要。ガラス製で(割れる危険はあるけど)見た目が安っぽくなくて気分よし。…が、推薦理由。これを使うとすごく作業がスムーズです。

 

グローバル骨抜き

そう、本来は魚の骨抜きなのですが、私は茹でた芋の皮むきによく使います。その昔、料理家の有元葉子さんが、これでローストしたパプリカや茄子の皮をむくのが便利、と紹介していた。確かにめちゃ便利です。蒸したての芋は熱くて触れないので、左手の箸やトングで芋をおさえ、右手でこれを使って皮むきします。簡単にはがれます!

 

ゴムベラ

100均のゴムベラ。使えます! ヨーグルトやジャムをかきだしたり、バゲットなど、こねないパンのパン生地を混ぜ合わせたり、そして酵母をまぜたり。芋入りのホップ酵母は粘度のある液体なので、瓶のまわりにかなりはりつく。なので、かき混ぜるときにはこんなゴムベラだと、掃除しながら混ぜられておすすめです。この細さが抜群に使いやすくて、毎日大活躍してくれるので、うちには6本くらいあります。劣化したときのために(あんまりしないけど)3本買い置きもある。もちろん耐熱。優秀すぎ。

 

PH(ペーハー計)

液体の酸度を計るもので、本来は熱帯魚飼育で使うものです。瞬時に計測できず、しばらく液体にさしておかないといけないのが難ですが、それ以外は便利に使っています。ホップ種の理想の酸度はPHは3.8~4.2。いつも味見して、よい状態の種がどんな味なのか、把握しておくことも大事です。

 

くるみちゃん

 

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カスピ海ヨーグルトメーカー用で、保温したいものを巻いて温めます。温度設定はなく、27度オンリー。しかし酵母とパンの発酵に大活躍してくれます。酵母の容器や、パン生地を入れたボウルやタッパー(1~2斤)を包むのにちょうどいいサイズなのです。幅がたりなくてついているマジックテープがとまらなかったら、太い輪ゴムを使えばだいたいまとまります。くるくるたたんでしまえるところ、買いやすい価格もありがたい。

にんじんは…

青天の霹靂はないけれど

あけましておめでとうございます。

数年ぶりに、年始年末、家でごろごろ。騒がしすぎるテレビとか、からっとした冬晴れとか、枝ばかりになってしまった木々、曜日の感覚が消えて、時間がだらだらとすぎていく感じとか、正月っていつでも同じなのだな、とうれしいです。

今年はなにが起きるかなあ⁉︎と無意味にわくわくしていた時代は過ぎ、

もうすぐやってくる誕生日、そしてその後の人生を思うと、けっこう暗い気持ちになりますが、それはそれとして、でもできることをやろうではないか、とごく普通に考えたりもします。奇跡とか青天の霹靂とか、まさかの展開などは期待できない。できそうもないことは、たぶんもうできない。

 でもまあ、そっからが勝負です。

これしか持ってないけど、それでなにを、どうつくっていこうか。

それを考えて、あれやこれやと試行錯誤することは、きっと楽しいし、希望にもなる。

徒労になることも多いだろう。でも、日々の積み重ねが実って小さな達成感を得られることだって、たまにはあるだろう。

 そんなことに一喜一憂せずに、よっしゃよっしゃ、と自分を眺め、肩たたきながら暮らしていこうと思います。

 そして、もう10年くらい連絡をとっていなかった友人に手紙を書こうと思います。

なんだかふとそんな気になりました。

以上、2017年元旦のことば。

 

がっつり火入れで青臭さを消す、と思っていたけれど

次から、ブログ。

正月だからといって、取り立ててスペシャルなねたがあるわけでもなく、昨日、大晦日に何十年ぶりかに聴いた松田聖子について、いろいろ思ったり書きたいと思ったのだが、倉庫にあるか捨ててしまったか不明の(ひどい。愛聴盤だったのに)数々のLPが発掘できず、写真が撮れないので、またいつか。とくにすごいねたでもないのですが。

 ところで、にんじんですが。

「にんじんは殺さなければいけない」というのが、この年始年末に痛感したこと。

ポタージュにするにしてもソテーにするにしても、にんじん、美味しいけれど、どうしても青臭さが消えないときがあって、なんとかならないかなあと思っていた。

とことん煮るとか、じっくりじっくりソテー、とか、要するにがっつりと火を入れるしかない、あとはハーブだのスパイスだのあとは牛乳、にんにく等で青臭さを覆い隠すしかないと思っていた。それでも、隠しきれないことも多かった。

 でも最近、要は、火入れがたりなかった、らしいと気づいた。「殺しきれて」いなかったらしいのです。

 ポタージュの記事でも書いた「ル・マンジュ・トゥー」の谷昇シェフいわく。

「かぼちゃは煮崩れてペースト状になるくらいまで、しっかりとソテーすることで自然の甘みとこくが充分に引き出されてくる。ぼくはこの充分な炒めのことを“炒め殺す”と言っています」とおっしゃっているのだが、これはにんじんにも言えるのではないだろうか、と思ったのだ。(→よく読んだら、にんじんスープもこれで作ります、と文末に書いてあった…)

 というのは、まず今月の「料理通信」2016年10月号に載っていたにんじんのソテー。和歌山の「イ・ボローニャ」という店のメニュー。最初にまるごと20分以上茹でて、それから輪切りにして、じっくりじっくり揚げ炒め。「もういいかなと思った、さらにその先の火入れ」で劇的においしくなる、という。

そうか、今までじっくり煮たつもりでいたけど、私は全然足りなかったんだ。だから青臭かったのだ。

実際、レシピ通りに作ったら、とろりと甘くて青臭さは微塵もなかった。

 

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⇧クリスマス&結婚記念日ディナーにて、「“その先の”にんじんソテー」にトライ。イタリアンパセリはなかったので、香菜を散らしたら、妙にあって美味しかった。

 

そして、ジュース用無農薬にんじんを、まちがってだぶって2か月分注文してしまったため、消費もかねてにんじんケーキを作ることにしたのだが。

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⇧レシピにはないけど、にんじんケーキには、クリームチーズにメープルシロップをまぜたクリームを必ず。

 

いつも作るのとは違うレシピも試してみようと、徳永久美子さん「パンとお菓子の本」(最近こればっか…)から。このレシピの特徴は、アーモンドパウダーがかなり多いこと、粉は全て全粒粉であること、そしてにんじんを蒸してから使うこと!

キャロットケーキやマフィンの類では、ほぼだいたいにんじんはスライサーですりおろして使う。あんな青臭いもの、生でいいのだろうかといぶかりつつ、蒸すのはめんどくさいのですりおろして作っていた。ケーキにすると青臭くはなく、生でもいいんだなあ、などと思っていたのだが、せっかくだからここは言われる通り、火を通してみた。オーブンを使っていたので、ついでということで、アルミホイルでつつんで放り込み、石焼風にロースト。

 完全無欠に殺した。3回は死んでると思う。…と言えるほど、とことんオーブンに入れて、ほくほくとろとろになったにんじんで作った。フォークで押すとあっというまにペースト状になる。全粒粉はパン用の強力粉タイプが大量に賞味期限寸前で、これを使うために、2/3は全粒粉、1/3は限りなくグルテンの少ない薄力粉「特宝笠」にしてみた。全部強力全粒粉にしたらとんでもなく重いケーキになりそうで…。さらに書いてなかったけど、ピーカンナッツを入れ、アーモンドパウダーの1/3はパウダーでなくスライスをローストしたものを。ざっくざっくナッツの風味のするものにしたかったので。

 けっこうおっかなびっくり作ったのだが、これがあまりにおいしくて、「うわ!」と声が出た。今までのにんじんケーキとは段違いにおいしい。殺したにんじんのせいなのか、大量のアーモンドのせいなのか、全粒粉のせいなのかは正確にはわからないのだが、とにかくものすごくうまい。でもたぶん、にんじんのおいしさ。

 キャロットケーキは私にとって、おいしいけど、ごくたまに食べる程度で、騒ぐほどのものでもないと思っていた。正直今の今まで、なんでにんじんをケーキにしなきゃいけないのだろう?と、疑問だった。もっと言うと、貧乏くささすら感じていた。でもこれを作ってはっきりと、「おいしいから作ったのだ」とわかった。決して収穫しすぎたものを消費するためとか、安上がりに手近な野菜でお菓子を作るためとかではないのだ。

 そして、にんじんは殺してはじめて生きるのだ、とも強く強く確信し、新年を迎えたのです。

「やっているつもり」で実際は「やれてない」。そんなことが、自分の周りにどれだけあるのだろう。いろんなこと、見逃したりやり逃したりしるんだろうなあ。

でも、もう違うぞ。

2017年はいままでと違う景色が見えると思う。きっと。

 

 …朝のジュースに使うにんじんは生ですけどね。まあ、そこは臨機応変に。

 

 

ポタージュ、本日の正解

玉ねぎは基本で、コンソメは入れたくないけど云々。

ポタージュに作り方についていつも悩んできた。

玉ねぎをみじん切りにして蒸らし炒めして甘みを出し、メイン食材を加えてさっと炒め、ひたひたより少なめの水でとろとろになるまで煮て、ミキサーにかけてペースト状にして、牛乳を加えて温め、調味。

 これがいちばんシンプルな作り方で、でも、やっぱりもっとパンチが欲しいなあ、と思うと顆粒コンソメを加えたりする。加えると、パンチが出るけど、やっぱりちょっと俗っぽい味になって、うーん、やっぱりこうゆうものに頼ったらあかんのか…と後悔したり。

 にんじんやかぼちゃの甘い素材がメインのときは、玉ねぎじゃなくて長ネギにしたり、というアレンジはありつつも、基本はこれだと思っていた。

 …ンがっ!(鉄腕DASH風…)

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 昨日、クリスマスだからとはりきって本を見て料理をしたら、そこに正解が載っていた。谷昇さんの「ビストロ仕立てのスープと煮込み」という本。たくさんのポタージュレシピが載っているのだが、この日はかぶにした。そしたらここでは、水とバターを薄切りにしたかぶをしっかり煮込んで、ペーストにして、(できれば濾して)、あとは牛乳とヨーグルトを加えて、調味するだけ。ただただ、かぶだけ!のレシピであった。

皮もむかず、煮る前のソテーすらしていない。鍋に水とバターとかぶを入れて煮込むだけ! 簡単すぎる。いいのか?

 

 この日はメインのブイヤベース作りで疲れはて、かぶペーストに牛乳とヨーグルトを加える元気がなく、今日はこのままでいいや、と食してみたら、あれ?おいしい。物足りなさなんて皆無。ややえぐみがなくはないけど、でもいつもの半分以下の手間で、同じくらい美味しい! なあんだ。

 …と思って翌日、レシピ通り牛乳とヨーグルトを加えた。ヨーグルトねえ…と思いながら。谷さんは「牛乳とヨーグルトでかぶのくせをやわらげます」と言っている。

 で、食べた。

 !!

 うっまい! 

 本当に、昨日のかぶだけのスープから癖やえぐみがぬけて、見事に垢抜けたおいしさに昇華されている!

 感動。これはすごい。長年、コンソメは入れるべきか否か、玉ねぎなのか長ネギなのか、やはりポロネギなのか?などと悩んでいたのは、完全に無駄だったのだ。

なにもしなくてこんなにおいしいなんて。そして、おいしいオリーブオイルと胡椒をふると、美味しさが倍増する。昔のやりかたで作っていたときは、オイルなんて見た目だけのものだよね?となんのありがたみも感じていなかったのだけど、このかぶスープにたらすと、しみじみとおいしくて、その必要性がくっきりと。もちろん胡椒も、大事な引きたて役だ。どれもちゃんと意味がある。

 

その後、本を熟読してみると、「野菜の繊細なおいしさを水とバターで煮出して、ピュレにして、そのままポタージュに仕立て」るのが、谷さんが作るポタージュの定番なのだとか。「生クリームや牛乳、ブイヨンの風味は抑え気味にして、野菜それぞれのおいしさをストレートに発揮させるようにしてい」と書いてある。

 だから、かぼちゃも+牛乳のみ。カリフラワーは+牛乳+臭みとりのためにコリアンダーを2粒! ブロッコリーにいたっては牛乳すら加えず。逆にコーンには玉ねぎを加え、きのこは+ブイヨン+牛乳…。と、素材によって臨機応変に材料を変えている。なるほど……。なによりも簡単だけど、同時に、なによりも繊細に考えらえたレシピなんである。

 

 谷さんといえば、ご自身のレストランの屋根裏で寝起きしていたシェフだ、たしか。家もあるし家族もいるけれど、仕事に集中するために店のすぐ上で寝ているんだったかと思う。お弟子さんもたくさんいるけど、毎日店のトイレを自らぴかぴかにしていた。便器を抱えるようにして、はいつくばって磨いていた姿、料理チャンネルの「フーディーズTV」のドキュメンタリー番組で拝見したのが忘れられない。そして、油で汚れたダスターかなにかを、ハイターにつけていたお弟子さんを怒鳴りつけていた。「油汚れは塩素じゃ落ちないんだよ!」。何年も前に観た番組だけど、これ、よく覚えている。あー、そうかも、なるほど…と思ったのと、あと、とにかくすごく怖かったので。

きょうの料理」に登場すると、とってもダンディで、にこにこしていて、でもすっごく繊細に、きちんと指導する。教えられることは全部教えますよ、でも必ずこの通りに作ってくださいね、なぜならば、そうしなければいけない理由があるからです。ルールを守ればとびきりの味になりますから。…と、そんな感じ。優しさと厳しさを見事に両立されていて、とにかく独特の存在感。

 この本も、そんなお人柄がそのまま現れていると思う。どんな作業がどんな効果を及ぼして、どんな味になるのか。谷さんは、どういうものをおいしいと感じているのか。そして、どうしたら素人でも極上の味にたどりつけるのか。それらが静かな情熱でひとつひとつ語られる。だから全ての皿が特別に思えて、ようし、ひとつひとつじっくり作ってってやろう、とやる気がわいてくる。きっと一皿作るたびに、今日みたいな発見に出会えるはず。

 

 たかがポタージュなんだが、なんだかすごい発見をした気分だ。大げさなのか? これも年のせい?

 まあいいや。うれしいことは多いほうがいい。発見だって、年とったらそうそうできるものではない。ここはひとつあえて、おおげさに喜んでさわいでみよう。