独楽ログ〜こまログ〜

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スペイン旅行記 その9〜資料を集めよう 後編

遠い時代の、遠い国々の物語が蘇る

 中野京子さんの美術エッセイ「怖い絵」シリーズは、いわゆる“名画”の知られざるエピソードを紹介してベストセラーになった。創作過程や、時代背景、作者の事情、画題の理由…謎解きではない(そういうものもときにはあるが)。知られざる、というのは隠されていたわけではなくて、あまりにも時代と場所が隔たってしまった人間には知りようのないという意味だ。実際のところは、書いてあることのほとんどは「当時の常識」。彼女の説明により、私たちは当時の人たちと近い感覚で、絵を観ることができるのだ。教科書で見る「名画」ではなくて、世間や宮廷を騒がせている「風物詩」のひとつとして。

 

↑のちのちのお楽しみのため、数冊未読のものも残してます。もちろん、本当は文庫じゃなくてハードカバーで読むことをお勧めします。絵がちっちゃくてしょうがない…。

 

 しかも中野さんの視点は、その博識さと、現代に生まれたという利点も合わさって、より広く、高いところにある。だから当時の一般人よりもさらにおもしろく絵を観ることができる、とも言える。私たちはそのおこぼれにあずかっている。

 例えば、同じ天才でも、人格、財産、友人、家族、名声、あげくに長寿…と持てるものすべてをさらりと持てたルーベンスと、人生の後半になって突然、ひたすらに不運に見舞われ続けたレンブラントとの比較。例えば、ラファエロの、「尖ったところのない、万人向けのわかりやすい美しさ」を生んだ、その人生----「人柄もよく人気があり、出世を望んで出世をし、人生を愉しんだ」。そして、死後、かつての名声が「円満で中庸で深みがない」と酷評になるその変遷と、「果たしてそうなのか?」と提示される疑念。

 美貌、健康、安定した権力と財産と、全てに恵まれたフランス王、ルイ15世がどのように人生に退屈し、そしていかにして「こよなく愛される王」から、ただ色惚けした「こよなく若い女を愛する王」に成り果てていったのか。人の不幸はいろいろあるが、どれだけたくさんのものを持っていても、それを使う場がない、優れた能力を発揮する必要がない不幸などというものもあるのだ。彼女が描くと、ルイ15世の人生は、その怠惰さよりも、悲哀に焦点が当てられる。

 

 いつの時代も、いろいろな人間が、いろいろに生きていて、それはとても不公平で、しかし誰もが----王様でも貧民でも----そこでただ必死にあがくしかないのだなあ、ということが、しみじみと感じられる。素人には一見退屈な、王侯貴族の肖像画からだって、中野氏は人間と、その人間が暮らす世界の物語を引き出すことができる。例えば、名匠ベラスケスの順風満帆な出世ぶりと、過労死と言われたその多忙さ、様々な人生の断片から、果たして彼は画家としてどれほど自分の人生に満足していたのか?と探ってみたり。

 

 まあ、とにかくこの人の本は、どれもこれも滅法おもしろいのだ。膨大な西欧史の知識と深い愛情、そして主観的だと言われることを全く恐れない、爽快な断定。これらが熱いエネルギーになってぐつぐつと溢れている。

 実は、ベストセラーになった当時、数章読んで「うわあ、すごいおもしろい」と思いつつも、その先へは至らなかったのだけど(好奇心不足…)、2015年にパリに行く前、なにか予習を…と思って手に取ったのが、彼女の「はじめてのルーブル」だった。

 

プラド美術館熱も、この人のせいであった

 ここにあったヒエロニムス・ボスの章がやたら印象的で、その彼の絵が山ほどあるのはルーブルではなく、マドリードプラド美術館であるということで、いつかプラド美術館、行きたい!となったのだった。

 プラド美術館訪問の予習として、一番ふさわしいのは「ハプスブルク家12の物語」だと、個人的に思っている。プラド美術館の基礎を作ったのは、ハプスブルク家出身のフェリペ2世と4世だからだ。ハプスブルク家誕生~隆盛~終焉が名画とともに語られているのだが、なんといってもティツィアーノの描いたフェリペ2世の肖像画「軍服姿のフェリペ皇太子」の章が、いい。彼女は堀田善衞の文をひいて、

 

 「スペインの人間たちの発散する、えもいわれぬある種の暗さ、陰気さ、しかもこの暗さと陰気さが、男たちにあって一種異様な性的魅力となってあらわれる」

 

 と、この絵の魅力をずばり言い当てている。実際はスペイン人の血は1/8しか入ってないらしいのだが、誰よりもスペイン人だった、と氏は書く。

 現代の目から見ても、この人は相当に魅力的だ。残忍極まりない異端審問をしまくり、他国を制圧しまくってスペインを一大帝国にのしあげ、同時に類まれな審美眼持ち主でもあり、スペインにお宝を集めた。ヒエロニムス・ボスとティツィアーノという、まるで作風の違うふたりの巨匠の作品をこよなく愛した。自らを「カトリックの守護神」と名乗りつつ、「異端では?」と疑われていたボスの絵は、思いっきり愛した。さらに、本人はこの自分の肖像画を嫌って、画家として彼を評価しつつも、二度とティツィアーノに自分を描かせなかったという。なぜ? こんなにいい男に描いてもらってるのに…。 まあとにかく、エピソードのひとつひとつが、猛烈におもしろい。中野氏の彼への愛情もびしびしと感じる。

 さらに、ベラスケスのあの名画「ラス・メニーナス」にも迫り、薄い本なのに驚くほど濃い内容だ。

 この本に加えて、「怖い絵 死と乙女篇」のゴヤマドリッド、 一八〇八年年五月三日」と、「名画の謎~ギリシャ神話篇」の「運命の女神たち」も読みのがせない。ゴヤの人生を知ってから観る彼の絵は、あまりにも激烈。

「名画の謎~旧約・新約聖書篇」の、ベラスケスの「キリスト磔刑」、ボス「七つの大罪と四終」ぜひ。この「名画の謎~旧約・新約聖書篇」も、一冊まるごと相当おもしろいです。キリスト教にどっぷり浸からずに生きてきた人間には、退屈にしか見えない宗教画が、俄然おもしろくなること必至。

 

 事前知識はいっさいなく、ただ作品と向き合い、そのときに受ける感情を大切にする…というのも、絵を観るのに大切なことだとは思うのだが、彼女の本を読んでから観る楽しさがあまりに強すぎて、もうこの「まっさらに観る」楽しみは完全に諦めた。仕方がない。なにかを選んだらなにかを捨てなければ。

 

かなりの経済効果と、希望効果あり

 それにしても、うわあ、行きたいなあ、でも、とてもじゃないが行ける気がしない。夢のまた夢か…と思ったのがパリ旅行直前の、2015年秋。結局2017年初めに実現したのだから、物事はやる気でなんとかなるものなのかもなあ、なんて思ったりする。

 その2015年秋から1年以上かけて、仕事中の昼休みに彼女の本をしらみつぶしに読んだ。なにを読んでもおもしろいから、昼休みが楽しみだった。読めば読むほど、これらの絵を観るために、ヨーロッパを一通り回らなければいけない、という気になる。なんというか、いてもたってもいられない気持ち。大した経済効果である。次はイタリアか? ロンドンか? いや、ロシアのエルミタージュ美術館かなあ…。単純な未来の旅の予想図が、毎日を楽しくしてくれる。ほんと、ありがとうございます。

スペイン旅行記その9 資料を集めよう 中編

 

「昨日の旅~ラテン・アメリカからスペインへ」清水幾太郎

 

清水幾太郎という人の名は、ある世代より上の人たちには避けて通れない名前」

 と、どこかで読んだ。…と、こんな書き方をしているのだから私は“ある世代より上”ではない。大学時代(25年前!)、書店で見かけて「スペインかあ。おもしろそうだなあ」と思って買い、そのまま彼についてなーんにも知らずに読みすすめ、しかし「なんかすごくおもしろい!」とちょっと興奮して読み終えた。…という記憶だけが、25年間残っていた。内容はほとんどなにも覚えていないのだが…。清水幾太郎が何者なのか、当時はネットもなかったし、好奇心も薄い若者だった私は、文庫本カバーにあるプロフィールを読んで知った気になり、ろくに調べもしなかったのでした…。

 

↑すっかりよれよれになってしまった…。表紙絵はエル・グレコ。私はちょっと苦手…。

 

 その25年後、ふと本棚のこの本が目についたのだ。「あ、そうか。これもスペインの本だった。なにひとつ覚えてないからもう一回読んでみよう」。で、読む前に、著者について調べた。

 そしたら、彼は学生運動の闘士だった。「ある年齢以上の人なら、その名を知らない人はいない」ほどの人だった。一般的な説明によると、清水幾太郎という人は、「60年代安保の先頭に立ったスター的存在であり、その戦いに破れたあとは“右旋回”して「日本よ、国家たれ~核の選択」を著して“軍事力を備えよ”、と説いた、社会学者」と説明される。

 ネットで彼を説明する言葉も「すでに忘れられた人」とか「変節者」「思想に一貫性のない目立ちたがり屋」とか、なかなかひどい言葉が並んでいる。そして、ときどき、「あながちそれだけでもない」と擁護する人がちらほらいたり、いなかったり…。著作のAmazonレビューの数はごくわずか。

 

 穏やかでない人だったのだな、と改めて思いつつ読み返したら、でもやっぱりこの本はおもしろかった。かなり、おもしろかった。

 

ささいな旅の出来事が、膨大な記憶と知識の海へ結びつく

 アメリカ各地を回ったあと、南米~中米に入り、さらにまた飛んで、スペインへ。その旅の様子が肩ひじはらず生き生きと描かれていて、まずそれがとても魅力的だ。数ページ読んだだけで、もう自分もブラジルのホテルにいるような気持ちになる。

 

 出発前に「ラテンアメリカでは決して生水を飲まないように」と勧告されたことを守って、どこの国のどこのホテルのボーイが「purificado!」と主張しても(消毒済ですよ!と解釈していた)、かたくなに断ってボトルウォーターを頼み、それがなかなか来なくてイライラし、やっと来たら勘定を払い、チップも払って…というくだりがとにかく鬱陶しく、ついに部屋に冷蔵庫完備のホテルに着いたときの喜び。

  飛行機内で、隣の席の巨体の外国人に圧倒され、搭乗中、「チリの土建屋」と勝手に名付けて一人悶々と、邪推したり遠慮したり、はたまたときに強く出たり…を繰り返してどっと疲れたり。そんなささいな旅の出来事がまず楽しい。このような旅の「よくある、ささいなエピソード」は、本来はよほど本人に興味がない限り退屈なものだ。この人のように妙におもしろく書けるのは、なにが違うからなのだろう?

 そして、そんなエピソードのひとつとして、英語ばかりに囲まれていたアメリカから、英語とスペイン語が併記されたラテンアメリカ(および国境近くのアメリカ南部)に来て、なにか勝利のようなものを感じたことから、なぜ自分が英語よりスペイン語のほうが馴染みがあるのかというと…と、つながっていくのは、安保闘争中にスペイン内乱に猛烈に興味を感じて、スペイン語を特訓したからである、と、スペイン内乱へと話がつながっていく。そして彼の言葉による、内乱の再考。身近な旅の出来事が過去の思い出へつながり、いつのまにか氏の膨大な記憶と知識の海に連れていかれる、これが楽しいのだ。

 

 変節だろうが、目立ちたがり屋だろうが、とにかく懸命に生きて、学んで、だから思うことも思い出すことも、言いたいことも、聞きたいこともたくさんある。そんな人間の目を通して、様々な国が語られる。そういうことが、おもしろいのだと思う。

 そして、それらを実に生々しく、鮮やかに描く文章力。街の喧騒や湿度、風景、そして氏の記憶と感情がまざまざと文字の隙間から浮かび上がる。

 

南米編は、ミステリー仕立て

 前半のブラジル篇は、ここにミステリーの要素も加わる。リオデジャネイロへの主な訪問目的は、オーギュスト・コント(1798~1857)が創設した「人類教」の信者たちに会うこと。オーギュスト・コントとは、“社会学”という言葉の生みの親であり、後半生には「人類教(独自の暦を作ったりなど、これまた興味深い…)」という宗教を立ち上げた人であり、清水幾太郎は彼の研究者でもあるのだ。

 なぜフランス人のコントの思想が、なぜブラジルの一角でだけ(本国フランスでは信者はほぼいないと思われる)生き残っているのか? という命題を抱えつつ、彼は太平洋戦争中の昭和十七年、読売新聞社論説委員として徴用されたときの思い出を語る。軍の命令で広島へ向かう途中の大阪で、偶然入った喫茶店。そこにブラジルの国旗らしきものが掲げてあり、よく見るとコントの有名なモットー、「秩序と進歩」が記してあった。なぜブラジル国旗にコントの言葉が? これは単なる「よくある理想の言葉」なのか? それともコントと関係しているのか? 国旗制定はいったいいつなのだ? …その疑問は説かれぬまま、戦争のさなかに掻き消えてしまった。彼の頭のなかからもすっかり消えてしまったという。そしてだいぶ月日が立った後----この旅行は昭和五十年----彼は突然この喫茶店の光景と疑問を思い出すのである。

 コントの名前など、ついこの間まで知らなかった人間にも、この謎はかなり興奮をかきたてられる。じわじわと解決に迫るさまなど、本当に見事。

 

 ペルー、チリ、アルゼンチン、ブラジル…半分くらいはひどい風邪をひいて夢うつつのような状態で氏の旅は続く。アステカの歴史、インディオの死生観から「生きた宗教」を感じ取り、そこから振り返って現在の日本の宗教のあり方に怒り、病院でお尻に大きな注射をされ、医師にすすめられて「世界三大桃源郷のひとつ」…ほかのふたつは誰も知らない…クエルナバカに療養に行く。毎朝ホテルでアメリカ式の型通りの朝食を食べることを楽しみにし、しかしメキシコ料理はアメリカ料理よりも数倍高級で繊細だとも感じ、ラテンアメリカにおける「アミーゴ(友人)」という言葉の意味の深いところまで実感する…小さなエピソードひとつひとつが楽しくて、そしてためになる。施錠したことのなかったスーツケースの鍵が、なにかの拍子に突然かかってしまい、真夜中に格闘した話もかなり手に汗握った。ようやく開いたときは、氏は泣いていた。

 

そして時代の転換点にあるスペインへ

 氏がいよいよスペインに上陸しようというとき、スペインは揺れていた。独裁者、フランコ総統が死の間際にいたからである。毎日「瀕死らしい」「やや回復の兆し」などのニュースが、中南米にいる氏のもとに届く。そのニュースを読み、フランコ総統がしたこと…スペイン内乱と独裁体制…について、考えていく。そして空港での検閲を考えて、ひっかかりそうなすべての文献----例えば「フランコ後の世界」というトップ記事の新聞なんかも----をひとまとめにして日本に送ってしまう。そういう時代だったのだ。

 氏が「なんとかフランコの生きているうちにスペインへ」と願いつつも、一歩手前のパリにいるときに亡くなってしまった。---が、マドリードの空港に着くと、詳細な荷物検査などなにもなく、あっさりと入国許可が降りる。各国の新聞も堂々と売られている。拍子抜けして、スペイン旅行が始まる。着いた翌日、カルロス1世の即位の日、異様な雰囲気の漂うマドリードをさまよう氏。さまよいながら、スペイン内乱時代への考察はさらに奥深くもぐっていく。

 フランコと、もうひとりの重要人物、ホセ・アントニオ(ファシスト組織、ファランへ党の創立者)という人物の生き様と死に様をマドリッドでたどり、最初は「正義」のはずだった人民戦線の変容をバルセロナでなぞる。どのようにして内乱が始まり、激化し、そして終わっていったのか。かつて太平洋戦争を経験し、安保闘争を闘った人間が、昭和五十年に再考する、スペイン内乱。人々の、そして自分の気持ちはどんなふうに変わってきたのか。明るい話ではないが、引き込まれて読むのがやめられない。

「私たちより若い人には意外であろうが、一九三〇年代の或る時期まで、大恐慌の波にもまれる多くの国において、ヒトラースターリンとはあまり区別されていなかった。恐慌、失業、貧困、飢餓から救い出してくれるのなら、誰でもよかった日本ばかりではなく、イギリスその他諸国でも、それは同じであった」

 ときどき、こんな記述も出てきて、今の世界情勢とまるきり同じではないか。平成29年に生きる私ははっとさせられる。そしてこの当時、ヒトラースターリンは違ったのだ、ということにも。

 

 そして、四十年前の価値観を持ってスペインにやってきて、それがあっさりと覆されて、持っていた価値観はとっくに蒸発していることにショックを受ける。さらに四十年後にそれを読んでいる私は、当時との違いよりも、当時と驚くほど重なることが多いことにショックを受ける。歴史はめぐるというやつなのか。その歴史と一緒に、ただただ自分たちも回転するしかないのか。そんなふうにして、戦いのあとをたどりながら、さらにアンダルシア、セビリヤ、マラガと、スペイン各地を訪ね歩くのだ。

 

イグナシオ・ロヨラの壮絶な人生

 最後は、カトリック信者にとっての聖地、イエズス会の創始者、イグナシオ・ロヨラが生まれたサン・セバスティアンに向かう。氏はカトリック信者ではないが、かつて出会ったドイツ人のイエズス会士との縁が忘れられず、どうしてもここに来てみたかったのだと言う。このドイツ人とふたりで「カトリック大辞典」を日本語に訳した思い出が綴られ、もちろんこれもおもしろい。クラウスが熱心に氏にカトリック信者になれ、と誘い、日々お互いの距離を縮めようと努力し、氏は頑なに拒否し、距離を開ける。しかし仕事もあるので、つきあいは続く。

 さらに、イグナシオが著した世界三大奇書のひとつ----しかし、ほかの2冊のことは知らない、とか----「心霊修行」のことも詳しく書き、カトリック信者の信仰の有り様も、体感させられる。なにせこの本、心を鍛えて見えないものを見る、大雑把に言うとそういうものなのだが、まず最初の修行というのが、想像力の限りを使って地獄を見る(思い描くのではなく!)というものなのだ。氏は最後までカトリック信者にはならなかったが、しかしこのイエズス会の信仰の念力というか凄まじさには惹かれていて----クラウスのなんともいえない実直な人柄のせいもあるのだろう----、これを熱心に探っていく。決して山里奥深くに隠遁して修行したりするのではなく、現実の世界に身を置いて、そこで神の世界を見ようという姿勢にも好感を持っていたようだ。

 

 イグナシオの生まれ故郷、ロヨラ村を訪ねながら、イグナシオの人生も語ってくれる。これがまた、ページを繰る手が止まるほど驚きの内容で、この分厚い本がもうすぐ終わろうというときに、こんな爆弾を…と思わず苦笑が漏れたほど。常人には想像もできない彼の「忍耐につぐ忍耐」の人生を読みすすむにつれ、宗教家が見る世界が、なんとなく体感できもする。ああ、人はこうしてもうひとつの世界を信じて、そこに没入して、確信と幸福を得るのか…と。そして、スペイン各地をめぐる氏の旅にイグナシオのスペイン行脚も重なり、読んでいるこちらの頭のなかも、まだ見ぬスペインの風景でいっぱいになるという仕組みだ。

 

 鮮やかな風景、生々しい心情、そして出来事。よくもこんなに詳細に書けるものだなあ、と読んでいる間、ずっと感じていたのだが、あとがきを読むと、「ただ骨休みのつもりで旅に出ただけで」「旅行記を書く気などまったくなく」、なのに帰国そうそう、「文藝春秋」の編集長が訪ねてきて時差に苦しむ氏に向かって「旅行記を書け、今すぐ書け、と言う」ので、仕方なく記憶を探りながら書いたものだという。ふーむ。人は目を見開いて生きていれば、ここまでちゃんと記憶に残しておけるものなのか? いや、やはりそういう問題ではなく単なる個体差なのか? 日々すべてを忘却していく自分を振り返らざるを得ない……。

 そして、読み終わってつくづく思うことは、内部にたくさんのものをためた人間が旅すると、こんなに充実したものになるのだということ。これまでに見てきたもの、聞いてきたこと、考えてきたこと、それらが新しい土地の新しい風景と混じり合い、また新しい記憶が生まれる。忘れていたことを思い出す。昔に感じたことは新しく塗り替えられる。そして新しい好奇心が生まれる。

 

 ちなみに、本書で最も実用的だったくだりは

 

「ラテン・アメリカに入って、私が最初に覚えたスペイン語は「有難う」と「便所は何処ですか」であった。新しい国へ入った場合、何を措いても、この言葉だけは先ずは覚えておかねばならぬ。他の事柄と違って、手真似や身振りで聞くわけにはいかないから」

 

  である。あっ、その通り!と思って私は出発前に一生懸命このフレーズを覚えた。

 

Donde esta servicio? ドンデスタ、セルビシオ?

スペイン旅行記 その8〜資料を集めよう 前編

スペイン旅行の予習は歴史と美術にしぼってみた

 

 ネットがあるからもうガイドブックはいらないな…ということには決してならないのは、活字中毒で、すべての情報と知識は本に書いてある、と信じ続けてきた40代だからなのだろうか。

 

「casa BRUTUS 井上雄彦 ガウディ巡礼」

 そもそもプラド美術館のあるマドリード(最近はマドリッドじゃなくてマドリードというんですか?)だけでなく、バルセロナでガウディをおなかいっぱい観たい、と思ったのは、図書館で「Casa BRUTUS 井上雄彦とガウディ巡礼」を読んだから。

 

 サグラダ・ファミリアがすごいのはなんとなく知っていたけれど、そのほかのカサ・ミラだのカサ・バトリョだのグエル邸だのグエル公園だの、こんな摩訶不思議な建物が街なかにあふれてるのか!とびっくりして、誌面で見ただけですでに胸がいっぱい、しかしだけど、生で観たらいったいどんな感じがするのだろう…と思ったのです。だからまずこの本は必須。

 内容は美しい写真と井上雄彦の美しいイラストのほか、サグラダ・ファミリアの構造や工法の詳細な解説、ガウディの生涯など。あとおまけ程度にバルセロナのレストラン案内などもある。

⇧「Casa BRUTUS」より。なかなか読みこむのに根気がいるが…しかし、ありがたいサグラダファミリア構造解説。

 

「TRANSIT 22号 美しきスペイン」

 さらに、いつも気になっていた講談社の旅雑誌「TRANSIT」もチェック。スペイン特集号は2冊あったが、全国津々浦々網羅している22号、もちろん出たのはずいぶん前なので図書館で(カーリルでどこに所蔵されているか探した)中身をチェック。そしたらこちらも、発行年月の古さをものともしない、ぶっとぶほど濃い内容だったので、すぐにヤフオクで落札して手に入れた。

 ぶあつーい、重い(いい紙使ってる)本だ。もはや雑誌ではなく、展覧会の図録とかそんな感じのヘビーさ。高城剛のスペイン人気質入門とかペネロペ・クルスはいい女だ座談会などの軽いノリの記事から、スペイン巡礼の旅、カミーノ・デ・サンティアゴの体験記、島々探訪、バルセロナっ子ルポ、闘牛士ライフを送る若者の話、イスラムに乗っ取られた718年から1492年までの約700年間のレコンキスタ(国土回復運動)~コロンブスが大陸発見して大航海時代等からフランコ独裁時代などの詳細な国の歴史、ピカソやダリの話からスペイン現代絵画の代表的アーティスト、アントニオ・ロペスのインタビュー、もちろん各地方の食事に各地方(スペインはいろんな国の集合体)の歴史&民族解説から最近の経済事情まで、もう本当に、何人で、どれだけの期間で作ったんですか?と聞かずにおれない凄まじい充実度。

⇧「TRANSIT」のスペイン歴史すごろく。ためになることを、どこまでも楽しく雑誌らしく見せようとする編集魂が素敵。

 

 写真も素敵だし、デザインは粋。文章は読みやすく、サグラダ・ファミリアのいかしたイラストポスターまでついて、まさにイタツクだ(←至れり尽くせり)。難点は重すぎるので持参したくはない、だから機内で読むという選択肢はない、なので必ず出発前に読み尽くし、大事なとこは暗記しなければいけないということ。しかしこれ………全部読めるのかいな……。

 

「Pen  2008年10/15号 ピカソをめぐる旅へ。」

 

 そしてこちらは世界各地にあるピカソ美術館を見て歩こうという特集。なんと出たのは2008年…。買ったときは、こんな贅沢な旅、実現したらすごいなあ。ありえないなあ、と思いつつ、もしかしたら実現するかもしれない…と藁にもすがるような(?)思いだったことを覚えている。…なのに、あまりに時間がたちすぎて、2015年にパリに行ったときは、このなかにあるパリのピカソ美術館の記事を読むことをすっかり忘れていた…。無念。

 が、今回は思い出した。「Pen」という雑誌はほとんど広告で、記事も特集はちょろっと、あとはほとんどいまいち中身の薄いレギュラーページ…なので、ぴん、とくる特集があってもなにも期待せずにページを開くのだが、今回はそれなりに充実していた。なんといっても特集のサブタイトルは「世界16都市・26美術館・92作品を現地取材!」した「完全保存版」である。マドリードバルセロナのページは合わせて10ページ、巻頭の総論と合わせても12ページ程度しかないのだが、読まないよりは読んだほうがいい。とくにバルセロナピカソ美術館についての記事は、ためになった。…わざわざ今、古本を買う意味があるかと言われると…ちょっとわからないけれど。

 

 

ララチッタ スペイン2015〜2016

 そして1冊フツーのガイドブックも必要です。交通や言葉やマナー、地図の基本的な事柄がぎゅーっと詰め込んであって、やはり実際に街歩きするときに便利なのです。レストランやショップの案内は当てにしないと決めつつも、どんなジャンルにせよ、「観光のスタンダードと言われているもの」がなんなのかわかって、これも便利です。スタンダードを知らないとオルタナティブもわからない。

 数あるガイドブックのなかでララチッタにした理由は、書店で立ち読みして読みやすそうだと思ったことと、Amazonレビューでチェックして、怒ってる人がいなかったこと。すっごくきれいな中古本がヤフオクで落札できてとてもラッキーでした。しかしすっごくきれいなガイドブック中古本、ってどういうことなんだろう? 持っていくの、忘れたのかな…。

⇧限界まで情報を詰め込んで、圧巻。日本の旅行ガイドは日本人のサービス精神を120%体現している、と見るたび思う。

〜後編に続く。

 

スペイン旅行記 その7〜AVE の切符を買ってみる

スペインの新幹線、AVE は快適らしい

 バルセロナマドリード間はどうやって行くのか。ぐぐってみると、ほとんど人はAVE を使っている。AVE とはスペインの新幹線。アヴェと読む。AVE だと2時間40時間くらい、飛行機だと1時間くらい、しかし空港への往復を考えるとたいして変わらないし、AVE は快適だから、こっちにした、というのがその理由。

 ではおもしろそうだし、AVE にしてみよう、そしてせっかく600kmもあるのだから、途中で降りて観光してみよう、ということで、朝早くバルセロナを出て、ちょうど真ん中のサラゴサで降りて街歩き、そして夕方にマドリード着、という予定を立てた。

 

 まず切符は事前に買うべきか、調べる。YES。2か月前から買えて、早いほど安いという。旅行代理店のHPで検索してみると、値段がみなまちまちだ。なかには1等(PREFERENTE)より2等(TOURISTA)のほうが高かったりしている。どういうこと? 問い合わせると、「AVEの座席は残り少なくなると値段があがります。なので、残席数によって、こういうことも起こりえます」とのこと。そして、当たり前だが途中下車はできないので、バルセロナサラゴササラゴサマドリードの切符をそれぞれ買う必要がある。

 

 座席は3種類。1等PREFERENTE、1等半?TOURISTA PLUS(ない列車もある) 2等TOURISTA。昔は1等の上にCLUBという特等(?)があったらしいが、廃止になったそう。1等は1列3席、そしてなんと食事がつく。新聞やイヤホン(車内にモニターがある)も配られる。1等半だと、席は1等と同じで、食事等のサービスはない。2等は1列4席。

 しかしこれが結構複雑で、ここからがいろいろ面倒になる…。同じ1等でも、食事が出る列車と出ない列車があるのだ。そしてそれはRENFE(スペイン国鉄)のオフィシャルサイトではわからない。列車によって値段がかなり違う(48ユーロ〜74ユーロ)のは、どうも残席数だけのせいではないよう。

しかも、格安チケットとフレキシーがあり、格安はキャンセル、変更、座席指定不可。フレキシーはすべて可。

 RENFEのホームページは英語を選択しても、途中からスペイン語のページオンリーになってしまったりして、かなりあせる。TODOS…全部、ね、などと辞書をひきつつ調べるが、またもだんだん疲れてくる。

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 ↑RENFEのオフィシャルサイト。

 

 途中でRAILEUROPE(レイルヨーロッパ)というヨーロッパ鉄道のチケットサイトのほうに行ってみる。日本語版があるので、調べるのも買うのも楽そうだから。確かにページも俄然見やすく、各列車の車内写真までついている! そう、同じ1等でも、列車によって機材(?)が違うので、車内も変わるのだ。古いほうだと華奢なグリーンの椅子で、新しいと黒の革張り(たぶん)、暖色照明と、見るからに居心地よさそうな内装。で、食事の有り無しもすぐわかる。

 

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↑RAIL EUROのサイト。とてもわかりやすい。各列車の車内写真と設備も書いてあって親切。動画では食事の様子まで見ることができる。クロスをしいて、陶器の食器がサーブされ…。これだけ見てるとおいしそうなんだよね…。

 

安いチケットは簡単には買えないのであった

 食事ねえ………とまた悩む。バルセロナを出発するのは7時前。朝が遅く、朝食文化もあまりないあの国ではきっと腹をすかして電車に乗るのであろう。では、食事が出てちょうどいいのかもしれない。しかし、電車で出て来る食事がうまいのか? 値段は結構する。20~30ユーロ違うのだ。サラゴサまで我慢して、おいしい店で食べるべきでは? でも新幹線でどんな食べ物が出て来るのか、たとえまずくても知りたくないか?…等々。そこで、個人ブログをあちこち訪ね歩いて、AVEで食事をした人を探す。何人か出てきたが、このなかで「おいしい」と言っている人は誰もいなかったので、断腸の思いで食事を切ることにした。でも座席はよいほうがいいし、「1等と2等であまり値段は変わらないからぜひ1等を」と言う人が断然多いので、1等にしてみる。サラゴサマドリード間は、最新機材の1等半があったので、こちらにしてみる。

 いざ購入、と思ったら手数料が1,500円とのこと。…そりゃそうか。ここで買えばずいぶん楽だもんなあ。しかしなあ…手間を惜しまなければ安くあげられるのだ…あれ? そもそもチケット代だって違うのでは?と思って、再びRENFEのサイトへ戻って、同じ列車の値段をじっくり比較する。すると、5~10ユーロ高かった。

    たとえ5ユーロでも、ふたり分買えば10ユーロ。10ユーロなら20ユーロ。さらに手数料1500円。……これはないな。これはないでしょう。ということで、RENFEに戻る。またも辞書と格闘し、親切なRENFE購入ガイドサイトもいくつか読みつつ、購入をがんばる。がんばるが、なかなか買えない。というのも、「日本のクレジットカードの多くははねられる」らしいのだ。誰もが言っていたので、事前に知っていた情報なのだが、私のカードは大丈夫では?と意味不明の確信を持って突き進んだ。だがだめだった。「3枚目のカードでようやく完了」という人もいたので、何枚か試すが、だめ。「VISA認証を受けたカードならよいらしい」という人もいたので、今度はVISA認証を受けて、トライし、そしてだめ。

 ああ~、誰か助けて。と半泣きでサイトを睨んでいたら、支払いオプションがクレジットカードのほか、ペイパルとなっている。そうか、ペイパルだっていいのだ…。今度はペイパルの会員登録をして(もう、こういうの、本当にめんどい)、どうにかこうにか支払い完了。ものすごい達成感でした。

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どうにかこうにか買えたチケット。バルセロナサラゴサ1等食事なし、34.15 ユーロ。

サラゴサマドリード1等半、45.85ユーロ。 

あーあ、疲れたよ。

 

 

 

スペイン旅行記 その6 仕込み篇2 旅のルート作成

行きたいところとQ&Aを書き出してみる 

バルセロナはそれほど広くない空間のなかに見どころがつまっているので、2日もあれば観光には十分です」という、旅行計画初期段階で見かけた某ブログの発言を鵜呑みにし、実質2日間にしたのだけれど、調べて見たら、行きたいところが予想以上にあり、なぜもう1泊増やさなかったのか…と後悔した。「予定をぎちぎちに詰め込むと、心身ともにぼろぼろになる」というこれまでの旅行の教訓が、またも生かせなかった。

 とはいえ、ブッキングしてしまったのだから、この2日でなんとか対応しなくては。

 

 まず、行きたいところをリストアップ。

 

サグラダ・ファミリア

カサ・ミラ(ガウディ設計の賃貸マンション)

カサ・バトリョ(ガウディ設計のバトリョさんのお屋敷)

グエル邸(ガウディ設計のグエルさんのお屋敷)

グエル公園(ガウディ設計の公園)

ピカソ美術館

ジョアン・ミロ美術館

casa gispert(ナッツ屋さん)

市場

 

以上が必須で、できれば

カタルーニャ美術館

カタルーニャ音楽堂

サンパウ病院

 なども観れたらみたい。どう考えても多すぎる。最短ルートを今から考えておかなければ。

カサ・バトリョ。真ん中の建物。両脇の建物と美しさ、派手さ、ゴージャスさなどを競っているのです。なんだかしっちゃかめっちゃかだけど、でも美しい…というのがすごい。

 

まずは、一番大事なサグラダ・ファミリアから考えよう、ということで、ここを起点に調べる。

 

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サグラダ・ファミリアのなか。すさまじいアナザーワールド感。誰かに“ある確かな世界の存在”を信じさせるのに十分な天井だ…。

 

おもな質疑応答。

サグラダ・ファミリアの一番すいてる時間は?→朝イチ、9時。

 

●チケット予約はしたほうがいいのか?→いい。3ユーロ安くなるし、人数制限があるので、満杯になったら入れない。

 

オフィシャルサイトで予約するべき?→するべき。他は手数料をとられる可能性あり。

 

●チケットはどの種類を購入すべき?→TOP VIEW 入場券+塔へのエレベーター乗車券(?)+オーディオガイドつき、29ユーロ(高!)。

サグラダ・ファミリアに来て塔に昇らないはもったいなさすぎる、という理由。オーディオガイドは必ずつく。入場料はしょっちゅう値上がりしている。前は受難の塔から降りるときはエレベーター、生誕の塔から降りるときは螺旋階段、と決まっていたが、いまはどちらも螺旋階段…など、変更もたびたび。

 

●塔は2種類のうち、どっちを昇るべき?→もちろん好みだが、生誕の塔が人気。「バルセロナウォーカー」で詳細に徹底比較している。

 

 

 とまあ、サグラダ・ファミリアだけで事前情報がこれだけ。知らなければいけないことの多さに疲れながら、情報の海に溺れていく自分をしみじみ感じつつ、その時点で最良と思われたやり方で予約&計画していく。

同様に、

 

カサ・ミラカサ・バトリョサグラダ・ファミリアから近いのか?→街歩きを兼ねる程度には近い。30分程度。モデルニスモ建築の多いグラシア通りを歩きつつ、サグラダ・ファミリアカサ・バトリョカサ・ミラの順に行く。

 

●ガウディ関連の施設の入場料はどこも20ユーロ以上して、とても高い。

 

●近くでおいしいランチを食べれるか?→「バルセロナウォーカー」で絶賛している「Embat」や、星つきレストランのランチが45ユーロで食べれるという「Roca Moo」がある。

 

●行きたいところのラインナップのうち、場所が近いのは? 離れているのは?→

わりとかたまってるところ…サグラダ・ファミリアカサ・ミラカサ・バトリョピカソ美術館、casa zispert。

 

中途半端なところ…グエル邸。

 

遠いところ…グエル公園ジョアン・ミロ美術館とカタルーニャ美術館(このふたつは近い)。

 

グエル公園は、最近有料(8ユーロ)になったが、朝8時半までに入場すれば無料。8時半すぎたからといって追い出されない。だが、この時期のバルセロナの日の出は8時15分…。

 

…などの情報も得て、頭のなかではもう大雑把なバルセロナ地図ができていた。

⇧こんな感じ…だいたい…。

で、ルートも作ってみた 

1日め

 

7時45分、グエル公園→タクシーで9時にサグラダ・ファミリアカサ・ミラ→ランチ(時間によっては、カサ・バトリョの後にまわす)→カサ・バトリョ→夕方、ゴシック地区、ボルン地区散策&casa gispertとピカソ美術館

 

2日め

ジョアン・ミロ美術館→カタルーニャ美術館→(行けたら)カタルーニャ音楽堂 どこか、合間に市場、グエル邸。1日めに行くはずが行けなかった場所。

 

 ということになった。問題はグエル公園に8時前に行って、真っ暗ではないのか? 危ないし、なにも見えないのでは? そして9時に予約したサグラダファミリアに、10~15分程度でタクシーでつけるのか?(通常はつけるが、この時間はちょうどラッシュ)ということ。9時のチケットを買ってしまったので、時間がずらせないのだ。でも早く行き過ぎても真っ暗だろう。追い立てられるように公園をばたばたするのは嫌…。

 しかし、かといって、ただでさえ街外れにあるグエル公園は、翌日行くモンジュイックの丘にあるジョアン・ミロ美術館やカタルーニャ美術館とはものすごく離れていて、2日めに組み込むのもなんだか効率悪いし…。グエル公園どうする問題については、結局旅の当日まで悩み続ける。

 

そしてこの後、VELTRAでカサ・ミラカサ・バトリョは、オフィシャルサイトとほぼ同じ金額でチケットが予約でき、しかもファストレーンを使用できるから並ぶ必要もない、と知り、なぜ手数料がかからないのか…?といぶかりつつ、予約。

 

が、その後、「バルセロナカード」なるものを買えば、カサ・ミラは2割引とカサ・バトリョは3ユーロ引きになることも発覚。ファストレーンは使えないが、「バルセロナウォーカー」の「冬のオフシーズンならたいして並ばず、予約不要」との1行を信じて、VELTRAの予約をキャンセルする。そもそもこの予約が、日時指定方式なので、ここで確定してしまうと行動がかなり制限されるのだ。

バルセロナカード。2日間券と3〜4日間券は違う!

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↑右上のオレンジがバルセロナエクスプレスカードの電車&バス乗り放題パス。左の小冊子が、各施設割引ブック。両方持ち歩くことが肝心です。カサ・ミラでオレンジのカードを提示したら、これじゃあかん、と言われてしまい、あせりました。

 

バルセロナカード」とは、地下鉄、バス、フニクラ等が乗り放題+様々な施設の入場券が割引もしくは無料になるというもの。2日券は「バルセロナカードエクスプレス」と名前が変わり(これが曲者だった………)、正式版(?)は3日間券(45ユーロ)、4日間券(55ユーロ)、5日間券(60ユーロ)がある。

 これを買うことに決めた一番の決定打は、ジョアン・ミロ美術館とカタルーニャ美術館が無料になること。どちらもたしか10ユーロ以上したはずで、これに地下鉄バスが乗り放題で、カサ・ミラ&バトリョが割引なら、断然お得、と思ったのだ。……が、これが曲者だった………。

 私達は実質滞在2日なので、バルセロナカードではなく、バルセロナカードエクスプレスになる。これは20ユーロで、しかもオフィシャルサイトで事前購入すれば18ユーロになる(他の券も割引になる)。3日間券に比べたらかなり割安だ。だからそのぶん、サービスも割り引かれるのだが、私は3日間券〜のサービス項目を熟読していたのだった。しかしその過ちが発覚するのはバルセロナ当地にて。まあ、たいした過ちではなく、結局バスと地下鉄にかなり乗ったので、いちおう過ちではないことにしているのだが。

 何を誤ったのかというと、エクスプレスカードでは、ジョアン・ミロ美術館とカタルーニャ美術館は無料ではなく、20%引きなのでした…。ミロ美術館の入り口で、最初は「どうぞ」と通されたのに、次の入り口で「待って。これは駄目よ」と追い返されてあーだこーだモメて、お金を支払わされる…。この2つが無料というから買ったのに!

 とくに、カタルーニャ美術館は、「あまりにも広大だし、宗教がばかりでわりと退屈」だが「建物がとにかくすごい。建物だけでも一見の価値あり」ということで、じっくり見なくてもいいが、でもちょっと見てみたい、という感じだったので、無料ならぜひ!と張り切っていたのになあ。

 ガウディ関係の施設がどこも高いので、財布のひも、締め気味モードだったのです…。まあしょうがない。とにかく、2日間券は、他の券とは違う、ということは覚えていないといけないことです。しかし、3日〜間券はかなり高い。各施設の割引率と行きたい度をじっくりと検討して、「どう考えてもお得」と判断できなければ、やめたほうがよいです。というか、お得になるためにはかなり色々回る必要がある。

 ちなみに、サグラダ・ファミリアは1ユーロ(!)引きで、事前購入なら3ユーロ引きなので、なんと割高に。グエル公園は割引なし………。

 とはいえ、バス、地下鉄にいつでもふらりと乗り放題、というのは、街歩きをするにおいてかなりありがたいのもまた事実。ここはかなり悩むところでしょう。

 

  そんなこんなで、毎日毎日、調べては悩み、調べては予約し、さらに調べてはキャンセルし…の繰り返し。

 おかげで、各地区の特色、それらの位置関係、各施設の特徴、外観、内観、街の風景、もちろんバル&レストラン…などなど、熟知といっていいほど知り尽くしてしまった。なんというか、私はあまりにも知りすぎてしまった。これでは、街に初めて降りたときの「うわあ、こんな場所なのかあ」という感慨はまず訪れないであろう。なんかもう行かなくてもいい感じ…という気持ちすら、ときおりよぎってくる。タフな人の、気ままな旅行とはどんどんかけ離れていく。もともと目指していないけど…。

 

 だが最終的には、調べ尽くしてよかったなと思っている。運も手伝って、食べたものはどれも驚くほど大当たりだったし(行き当たりばっかりの店も多かったが)、観たいものほぼ全部、ちゃんと観ることができ、「大きな後悔」をほとんど味わずにすんだからだ。なによりスペインの歴史もがっつり学んだので、「これがあの…」と、なにを観てもなにかしら思うところがあり、とてもおもしろかった。

 フレッシュな衝撃と人間的な成長は見込めないけれど、まあ、今回はこっちの「準備万端」をとったわけです。準備万端のもうひとつのいいことは、準備してる段階からもうほぼ旅行してるようなものなので、旅行期間が8日から2か月へと、一気に伸びること。ながーく楽しめるのです。

スペイン旅行記〜その5 仕込み篇1 旅の激しい予習、そして激しすぎるバルセロナサイト

旅行の準備。予習をする人としない人

 

 エアと宿泊先がようやく確定したので、あとは仕込みをしながら出発日を待つだけになりました。約2か月後。この間にどれだけスペインに関して予習ができるか、が勝負です。

 

 旅行の予習は、はたしてどこまでするべきなのか。これが今日の議題です。

 

 私のタフな友人(数少ない友人…)は、最低限の資金で、どこへでも出かけてしまいます。アイルランドでひとりヒッチハイクし、中国新幹線がクラッシュした大事故のちょうどそのさなかにも、その新幹線に乗って上海~北京旅行をしていたし、その数ヶ月後にはチベット、モンゴルに現れていた。ライブイベントのためにロンドン~オランダなんてツアーもやってたし、ニューヨークに行ったときはあの宿代の高い町で、3千円のドミトリーに泊まっていたっけ…。

 要するにタフで、状況や他人にほとんど文句をつけない(いや、口は悪いので文句はつけるけど、それに左右されない)人。憧れるけど、ちょっとすごすぎて憧れようもない、という感じ。

 

 私がパリ旅行をしたとき。インストールしていたフランス語無料辞書がまったく使えずメニューがさっぱりわからず、wifiもなく、下調べもいまいち浅かったので、料理に結構後悔がありました。「あれ、豚のことだったのか…あっちにすればよかった」的な。

市場の、いかにもおいしそうなパエリアも、食べてみたらいまいちだった。あとで調べたら、その市場は、パリにいくつもある市場のなかでも、もっとも特徴のない、あまりいけてない市場だった。

「次はちゃんとした辞書をインストールして、もっとフランス語を勉強して行かないと。メニューも面倒がらずいちいち調べよう。適当に店のおすすめをオーダーするのではなく」と後悔を語る私に、その友人は言いました。

「えー? あたしなんて英語の通じない外国のレストランなんて、目つぶってメニューを指さして、“これで”だよ。当たったらよかったな、はずしたら“ま、こんなもんか”って感じ」

 私は、そうかあ、と深く感心しました。こういう感覚で旅行すると、ストレスのない旅になるのだわ、と。

「もう二度と来ないかもしれないから、絶対おいしいもの食べたい」とか「せっかく街歩きしても、言葉がわからないからなにも(例えば素敵なポスターとかも、なにを告知してるのかわからない)わからなくて、なんかいろいろ取りこぼしている気がする」「フランス人はフランス語のできない観光客に全く優しくないので、いちいち店などで悲しい思いをする」…といったことは、彼女のようなメンタリティだと経験しないのでしょう。

「行った先で最大限のものを得たい」という強欲さと、「どれ、知らない町を歩いてみるか」という無欲さの違いなのだろうなあとも思う。「旅行ってひどいめに遭うのも楽しい」というキョンキョンと同じ感覚。こういう感覚…言葉がわからなくて、周囲がわからなくて当たり前、まずいものに当たるのも当たり前、だって初めて来た場所なんだから…で旅すると、「なにか起きても、起きなくてもどちらもいとおかし」と、すべてがおもしろく感じるのだろう。期待が裏切られてがっかり、ということもあまりないのだろう。

 

 それで、「予習はどこまでするべきか」という問題が出て来るわけです。店や場所など、調べれば調べるほど、いろいろなことがスムーズに行く。「なーんだ、あの美術館とこのレストランってすぐ近くだったんだ。ここに来てれば時間がずいぶん節約できたのに…」とか「そうだ、途中下車して観光するなら、スーツケース預ける場所いるよね? この駅、特大コインロッカーあるの? それはどこ? ていうか荷物って、スペイン語でなんて言うの?」とか「このツアー会社でカサミラの入場券買うと、手数料なし&ファストレーン使用可、だったんだ…えー、なぜ? あっちのツアー会社だと手数料いるよね?」とか「うわ、マテ貝って、この店では絶対頼んじゃいけないメニューだったんだ。どうりで砂だらけだったはずだ」…等々の後悔に遭う確率が低くなります。

でも、そこまでぎちぎちに管理、準備された旅行って、疲れない?と……せめぎあいが出てくるのですが。

 ↑街のいたるところにガウディの作ったベンチ&街灯が。ベンチと街灯って、こんなに美しくなれるのだなあ、としみじみ。(…と、どこかで読んで書いたのですが、どうも違うらしいです。これはペラ・ファルケスという建築家の作、だそうです。失礼しました!)

 

でも私は、徹底的に予習した

  ガイドブックとインターネットには、一個人では扱いきれないほど情報が載っています。そしてそれは玉石混交で、そのネタがどれだけ信頼できるのか、も判断しなければいけない。「バルセロナでのランチは何を食べよう」というテーマで探すのにも、本当に膨大な量の記事を熟読しなければいけないのだ。

 私は今回は時間もあったので、かなり念入りに下調べした。友人のように鷹揚に構えなければ楽しく旅できない、とわかってはいたけど、「失敗(とくにレストランで)したくない」という気持ちに抗えなかった。

 例によってtrip adviserと4travelと個人のブログと、さらにバルセロナに関しては、日本人旅行者のための在バルセロナ邦人による、強力なサイト「バルセロナウォーカー」があったので、読んで読んで読み込んだ。このサイトの管理人・カミムラさんの文章(レストランと他のページが別々の人なのか、それとも別人を装っているけど実は同一人物なのかは不明)は、芯があっておためごかしを言わず、なおかつ食い道楽&サービス精神旺盛。それが力強く明確な文章で表現されていて、「この人はすごい」と全幅の信頼をおかずにおれないような稀有な人だったのだ。

「これだけはおさえたいパエリア10か条」

「スタッフ厳選土産」

「これで安心!日曜日のレストラン」

バルセロナ地元ビール特集」

「日本人がよく失敗する店」

バルセロナを楽しみきる! 最終日の過ごし方」

……等々、微に入り細に渡る記事が、これでもかと詰め込まれています。読み始めると、ほんとに止まらない。なにせ、レストラン記事だけでも761軒! レストランだけでなく、空港から市内への交通手段からスリの典型的な仕事パターン、主な観光施設のスムースなチケットの取り方&見学案内……等々。バルセロナのほとんどすべてを網羅している。午後の時間ほとんど、このサイトを読んで終わってしまった、などという日も多かった。

 

 さらに、いつかのスペイン旅行のために、ととっておいた雑誌「TRANSIT 22号 美しきスペイン」と「Pen 2008年10/15 号 ピカソをめぐる旅へ」、「CASA BRUTUS 2014年8月号 井上雄彦とガウディ巡礼」も夜のお茶時間に読み進める。さらに並行して、大学時代に買って内容は忘れたのだが、「めっちゃくちゃおもしろかった」という感想だけ覚えていた、清水幾太郎の「昨日への旅~ラテンアメリカからスペインへ~」という本も引っ張り出してみた。分厚い文庫の前半は中南米旅行記なのだけど、どうもそれが後半のスペイン旅行につながっているらしく、妙におもしろそうだったため。(これらの資料の話は別ページで紹介)。もちろん、中野京子さんの著書は再読しなければ。

 

 …というわけで、そんなことをしていたら、行く前からもうバルセロナが旧知の街になってしまった。(マドリードについてはそれほど調べていない。とにかくプラド美術館に行ければよかったし、やはりあの強力サイト「バルセロナウォーカー」の存在が大きいのだろう)。実質2日間で、観たいものを全部、疲れずにスムーズに観たいと思うあまり、地図や旅行者の感想も熟読し、詳細な予定表も作ったからだ。

その内容は次回。

スペイン旅行記その4〜宿は決めたけれど、そして、エクスペディアは大企業

やはりしていた、痛恨のミス

嫌な予感はあたりました。私はやはり予約時にミスを犯していました。

バルセロナは3泊のはずなのに、全旅行日程ぶん、予約していた…。つまり6泊分。言い訳をすると、私は何度も確認したのだ。3泊だけ、と。でもページを更新したのだろう、たぶん。航空券と同じ日程をブッキングされてしまった。数時間後にその過ちが発覚、予約完了画面には、太字で「キャンセル不可」。あああー私は何をーと嘆いたあとがわりと大変だった。

 過ちに気づいたのは土曜の朝。すぐさまエクスペディアに電話。なんとここの問い合わせ電話は24時間応答可なのだ。すごいな、エクスペディア。

ちなみに通常のサイトページだと問い合わせはメールオンリーで電話番号などは書いてありませんが、航空券を買ったりホテルを予約すると、チケットに問い合わせ先が書いてあります。

 でもこれが、なんというか変な電話です。すごく変わったつなぎ方で、「これ、普通の電話じゃないなあ」という信号音やガイダンスがが鳴り、いろいろボタンを押したあと、ようやく片言の日本語の人が出る。たぶん、外国につながってるのだろう。日本語ネイティブじゃないという以上に、受け答えが全く社会人ぽくなく、なんだか姪っ子の家に電話したような気にさせる女の子が応対。さらに不安になりながら事情を説明し、日程を減らしたいと伝える。「えーと……ではホテルに電話してみます」と言って、かなーり長いあいだ、待たされる。ようやく戻ってくると、「今日は週末でホテルの、決定権がある人が出勤しないから月曜にまた電話をかけてくれ、とのことです」。えーん。そして「また電話してください」。

 失望しつつ電話を切る。なんて頼りにならない子なのだろう。自分の過ちへの怒りも一緒に、オペレーターに向かう。ああ、この宙ぶらりんの状態で数日待つのかあ。格安だから融通はきかないのだろうか。せっかく安い宿を見つけたのに、倍払わなければいけないのだろうか。

 じりじりとしながら、エクスペディア ホテル キャンセルなどでググり、本当にキャンセル不可なのか調べてみる。見つけた情報は、「たとえキャンセル不可でも、予約して1日以内ならキャンセルできる」という情報と、「以前のエクスペディアは仲介的なことは一切せず、予約変更などの連絡は各自でしてください、というシステムだった。今は変わったらしい」というもの。

 1日以内………。月曜になったら3日め。ここで私は、あの頼りない女の名前すら聞かなかったことに気づき、また後悔の嵐。通話は録音されている、とか言ってたから、「土曜の朝6時に電話した者です」と日交渉するしかないのだろうか。ああ、自分のばかばかばか。なんて無駄な仕事をしているのだ。

 

ようやく週があけてまた電話

 月曜、さっそく電話。早朝だからあんなに仕事のできなさそうな女が電話に出るのだ、と、なんとなく解釈して、10時頃かける。そしたら、また私は誤っていたらしい。コンピュータガインダンスの声で、「コノデンワヲ オツナギデキルノハ

キュウジュップンゴ デス」(大意)と応答。そうかー! 世界中からとんでもない数の人間がエクスペディアに問い合わせているのだー。ああ、朝5時にかけとくんだった。また後悔。そして、自分の携帯番号を入力させられ、自分の名前を発音し、それも録音される。なんだろう、すごいシステムだな、と思いつつ。電話を切る。なんでも90分後に向こうからかかってくるのだそうだ。ありがたいんだけど、ややこしい…と思いつつ、イライラしながら待つ。

 

 で、ほぼ時間通りにかかってくる。電話の向こうは生身の人間ではなく、またもコンピュータボイス。「アナタハ ●●●●(←録音した私の声による、自分の名前)デスカ?」と確認があり、「正しければ●番を、別の方なら●番を押してください」「今、お話できますか? できるなら○番を、あとでかけなおしてほしい場合は○番を押してください」とか、様々な難しい作業をあれこれさせられ、言われるままでに押していたあげく、電話は勝手に切れた……………。あー、まじで!?

 そして、留守電が入っている。エクスペディアからだが、伝言はない。それを聞いていると、電話着信のSMS。もちろん、エクスペディアから。これもキャッチしそこねる。あー。なんてこと。このときお昼くらいの時間で、再度エクスペディアに電話をかけると、今度は待ち時間3時間になっている…………。そしてようやくかかってきた電話に応対していると、必ず切れてしまう。地獄のような堂々巡り。なんとこれを、合計3回やったのだ。

 

 エクスペディアの電話受付システムは、たぶんすごく新しいのだろうけど、事態を余計ややこしくしているような気がする。その日の夕方近く、ようやく生身のオペレーターにつながると、今度はおそらく中国人だが、めっちゃよく教育された、そして日本語堪能な男の子だった。土曜の朝とはまったく違う応対をされ、気持ちよくホテルにも電話してくれる。が、やはりまだホテルの責任者は出勤していない…………が、「あとで私が電話して、ご連絡差し上げます」

 うわ、すごい。ありがたい! お願いしますー、と言ってようやく電話を切った。それから待つこと2日。かなりいらいらしながら、待つこと2日。翌々日の水曜、「キャンセルできました!」との電話をもらって、「変更した詳細をメールでお送りしました」。

 これにて第一のトラブル、一件落着。ほんと、手に汗握る数日でした…。

つまり、ここで得た教訓は、「キャンセル不可の格安ホテルでも、ある程度の融通はきかせてくれる」というものでありました。そして「エクスペディアは巨大すぎてなんだか怖い会社」。

 さらにこの数日後、ダメ押しメールも来る。「お問い合わせはいかがでしたか」というもの。

「あなたは何月何日の何時頃、問い合わせ電話をしましたね? その対応はいかがでしたか? なにかあったら教えてください」という内容。

 …うーん、なんかすごい。ネットでのサービス業はカスタマーの気持ちを知るためにここまでしないといけないんだなあ。トリップアドバイザーのきめ細かさも同じものを感じるけど、とにかく大企業のやる気を見せつけられました。

 もちろん、今も、ほぼ毎日のようにDMは来ます。