独楽ログ〜こまログ〜

50代、女性、日本人、がひとりで毎日楽しくすごす方法を検証、実践、そして記録。

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スペイン旅行記 その19 〜バルセロナ3日め、グエル公園とニノ市場

バルセロナ3日め

 

 バルセロナ最後の日(正確には出発は明日早朝だけれど)。グエル公園、ニノ市場、グエル邸、ジョアン・ミロ美術館、カタルーニャ美術館カタルーニャ音楽堂と、観てないものがまだまだあるのだが、捻挫した連れ合いがいては、とても無理。しかも「少し仕事がしたい」などとも言う。

 思い切って少数に絞り込む。とにもかくにもグエル公園ジョアン・ミロ美術館、ニノ市場だけは行きたい。あとは時間があれば…で諦めよう。うーん。くやしい。はがゆい。なぜもう1日増やさなかったのか…。もう二度と来ない可能性が高いだけに、簡単には諦めきれない。次こそ、旅行の日程は「多すぎない?」くらいで組もう、と固く誓う。

 

 バルセロナの観光施設の入場料はやたら高いので、朝8時半までに入場すれば無料というグエル公園はぜひこの時間に行きたい。タクシーで20~30分かけて夜明けのほのぐらい街を、8時到着目指して向かう。日の出は8時15分だから、まあ8時ならそれなりには明るいだろう、という計算。

 グエル公園→ニノ市場(mecado del Ninot)で朝ごはん→一旦ホテルへ戻る→夫は仕事→午後、ジョアン・ミロ美術館→カタルーニャ美術館(ミロのすぐ近くなので時間あれば)という行程を組む。朝ごはんは、市場まで我慢。夫が近くの乙なカフェで搾りたてのオレンジジュースとバナナ、コーヒーを買ってきたので、あとは荷物にまぎれていたスナックなどでしのぐ。ホテルのビュッフェ以外、手近な朝ごはんスポットというものがないんだよねえ、ほんとに…。そもそもほとんど店が開いてないし。

 

 しかし唯一開いていたこの地元民専用的なカフェはしぶかった。たむろが目的で、味は二の次的な雰囲気なのに、ジュースはその場で絞るというのがさすがスペイン、なのだろうか。タイルの美しさ、おっさんたちがかもす魅力もさすがスペイン。

 

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まずは早朝グエル公園

 夜明けのグエル公園。この日も気温2℃とかで猛烈に寒かったけれど、やはり天気はよくて、実に美しい! アジア人観光客がけっこういたのは、どういうことなのか。アジア人は無料にとびつくということか。アジア人は早起きなのか。それとも単にアジア人観光客の数が多いのか。

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 バルセロナを一望する高台で美しい眺めを堪能して、やみくもに山の上のほうにあがって散策。あとでこれが大きな失敗だったと気づくけれど、これはこれで楽しかったので、まあいいか。

 失敗というのはつまり、グエル公園の目玉、トカゲのベンチなどはすべて有料ゾーンにあって、無料で入った我々はまずここを観て、そこからゾーンを出て山を散策するべきだったのに、なんとなく足が赴くままに山へ行ってしまったのだ。気づいたら八時半をすぎていて、有料ゾーンにはもう戻れなくなっていた。まあ遠くから眺めたけど…。しかし、さしてくやしくもならなかったのは、この場所がなかなかよかったからである。街の眺め、美しい日の出、山歩き。ガウディの作ったダリいわく「砂糖菓子のような」建物たちもある程度は見れたし、まあ、いいでしょう。とするしかないでしょう。

 

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⇧素晴らしいミモザも見れたし。

 

 よくなかったのは、「じゃあバスを乗り継いで市場へ行ってご飯を食べよう」というときになって、私がバス乗り放題パスを忘れたこと。それでなくても空腹なので、夫は怒った。そして私が、毎回旅行で「乗り物パス」とか切符をなくすことまで思い出して、私を責める。えーん。そう、毎回、便利だから財布ではなくて服のポケットに入れて、そのまま翌日別の服を着てしまうんだよね…。

 しかも、厳しい寒空の下。もうしかたない、タクシーで行こうぜ、となったはいいものの、肝心のタクシーが全く見当たらない。グエル公園は町外れの山の入り口のようなところにあるので、こういうことが起きるのだ。かなりの時間、大通りとタクシーを求めて、気まずい雰囲気で歩き続けるふたり。寒いしおなかすいたし、ホテルにもパスがなかったらどうしよう、という不安もあり、なかなかきつかった。

 

 しかしようやく1~2km歩いてタクシーをつかまえてニノ市場へ着いたら、運がまわってきた。

 バルセロナでどこか市場に行きたい。でも有名どころは賛否両論で「観光客目当ての適当な食べ物を高く売る」「人がすごくて疲れる」的な意見も多く、まあ、それはそれでいいか、期待もせずに…と思いつつ、ではどこに行けばいいのかと迷い続けていたのだが、出発2日前、最後にもう一度情報を洗おう、と書店で立ち読みしたガイドブックで、ニノ市場のことを知ったのだ。

「新しくて、地元民ばかりがいて、すいていて、穴場」ということで、ここだ、ここしかない! トリップアドバイザーで調べても、酷評している人は0だったし!

 

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⇧すみません、この写真はここからお借りしました…。

 

 着いてみたら、めっちゃきれいで、すいていて、素晴らしい市場でありました。

 

 何度かぐるぐる歩き回って、どこで食べればいいのか考える。どこもおいしそうで、まったく決められない。最終的にただ直観で選んだのは、タラ(バカリャウ)が売りの店「Penello 1898」。お姉ちゃんがかわいいし、親切。英語もしゃべれる。ここでまず1~2品食べてみて、だめなら次行こう、となったのだが、むちゃくちゃおいしかったので、本腰入れて食べることにする。

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 この店のサイト、動画つきで素敵です。俺たちがどれだけ鱈を愛しているか、を思う存分見させられて、すごくいい。

 

下戸の私は、紅茶を飲む。なにしろ寒くて寒くて、お姉ちゃんに「あのー、なんかあったかいもの飲みたいんだけど…紅茶とか…。ないか。ないよね」と尋ねると、「OK」と言って、どこかへ消えて、しばらくしたら⇧の紅茶を持って帰ってきた。どうやら別の店に買いに行ってくれたらしい…。やさしいなあ。おかわりまで買いに行ってくれたものなあ。おまけにすごくかわいかったし…。イレギュラーなサービスをしてくれるのは、外国ならではだと思う。日本だと「上に聞いてから」が絶対だから。

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 お通し?的なタラの皮の揚げ物が勝手に出てきた。

 

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特製ペーパーマットも鱈。 

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⇧サンドイッチはもちろん、このポテトチップスはお手製?だよね。この厚さ。うまい〜。

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タラのコロッケ(添えられたアイオリソースがうまいのなんの)

サーディンのサンドイッチ

ピンチョスあれこれ

  どれもこれも、予想を超えるおいしさ。おいしそうで、実際すごくおいしい、というのもなかなかないものだ。

 

 そのうち、いつのまにかお姉ちゃんといれかわっていたお兄さんが、

「今日、すごくおいしいタコが入ってるけど、食べる? グリルするんだよ」と

 いうので、うんうんうん、とオーダー。

 出てきたのが、これ。

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 「うおおおお…」ふたりして地鳴りのような声をあげてしまうほど、激うまだった。まるでいつも食べてるように馴染みのある味。それでいて、食べたことない味。そういうものにこんなに遠いスペインで出会えるとは。これはもっともっと食べなくては、と食べ終わるとすぐ惣菜皿の前まで行って、あれもこれもと注文し、満足するまで食べる。

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グエル公園での冷えた関係も即修復。素晴らしいブランチでありました。

 

 

 それにしても、お姉ちゃんもお兄ちゃんも、まあ親切だった。職業として訓練されたホスピタリティとかではなくて、ごく普通の、親切。まさに「気がいい」という言葉がふさわしい。スペインではみんなこんな感じだった。だからこの旅は楽しかった。

 タクシーでもレストランでもカフェでも、決して向こうから話しかけてくるわけではなく、やたらに笑顔をふりまくこともない。けれど、なにかのきっかけで話すようになると、すごく一生懸命教え、案内してくれる。スペイン語、わからない、と言っても、無視してなおいっそう一生懸命話す。このタラの店ではふたりとも英語が上手だったのでそんなことはなかったけど、「ノーイスパニョール…」とつぶやいて首を振る私たちに、よりいっそう激しく、前のめりになって喋り続ける人たち。しかたないから最終的には、すべての問いかけにうなずくしかない私たち。おもしろかったな…。フランスではこんなこと、なかったものな…。

 

 昼前にホテルに戻り、夫は仕事すると言ってどこぞへ消えたので、私はひとりで電車に乗って、グエル邸へ。

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途中、バルセロナ一の名物通り、ランブラス通りにも立ち寄り、ここで革命のあれこれが…と本で得た知識とてらしあわせようとしてみるけど、いまいちうまくいかない。観光客でごった返した、普通の大通りだった。そりゃそうか。

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 途中、リセウ劇場などを眺めつつ、

 

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 グエル邸に辿りついたら、なんと工事中………。先に来ていた中国人の女の子が「ああああーあああー」と、半泣きで落胆。その嘆きがあまりにも激しくて、遅れた私は悲しみそびれ、「あらあ…」とだけ言った。素敵な門構えだっただけに、くやしいが、仕方ない。今歩いて来たランブラス通りを、来たのとは反対方向に散策し、カタルーニャ広場駅→ホテルへ。

 

 

スペイン旅行記 その18

今回は捻挫だった

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 ⇧旧市街、ゴシック地区。

 

「俺、足くじいたみたい」

 と夫が言い出したのは夕方近く。17時に予約したピカソ美術館を目指しつつ、その周辺の旧市街をぶらつこうというとき、ぽつりと夫が爆弾発言。

「…………」

 またか……絶望する私。これまでの経験から、なにが起きてもすぐ対処できるよう、バンドエイド、腰痛コルセット、湿布、痛み止め、下痢止めは持参してきている。が、どうも彼は毎回旅行のたびにどこか故障するだけでなく、“新しい故障”を起こすらしくて、捻挫ではコルセットもバンドエイドも役に立たない。せいぜい夜、湿布を張るくらいか。

 それにしても、バンドエイドだの湿布だのの類は、やはり日本製が使い勝手もわかるし、よくできてるしで、持参していくのがよい気がする。現地の薬局に飛び込んで、片言言葉で訴えつつ、あれこれ探すのも楽しいのだけど、だいたいこういう故障は重篤ではないけど、いますぐ手当したいものが多くて、例えば夜中に痛みが出たりすると楽しんでる余裕もなくなる。最低限の量だけ持っていってそれで応急処置しつつ、足りなくなったら現地であれこれ見ながら探すのがいい、のかな?

 

 こんなに故障ばかり起こすのは、私が歩かせすぎだからなのだ、という結論になりかけていて、たしかにそうなのかもしれないが、要は普段から体を動かしていないからこうなるのだよな、と、普段から体を動かしすぎている私は思う。彼は私と違ってまっとうな、よく働く勤め人なので、常日頃なにも運動していなくて、かつ軽い腰痛持ち。そしていざ休みをとると、まずバスなども含め二十時間近く乗り物に乗って外国にやってきて、その翌日から17km歩いたら、故障出て当然なのかもしれない。

 この日の終わり、足に私のあげた湿布を貼りながら、夫はiPhoneの万歩計を見て私に文句を言った。

「あれだけ、詰め込まない旅行を、といったのに、俺たち今日17km歩いてるぞ! なんでだ!」

 ということで、普段全く運動しない人は、旅行での突然の歩きすぎにはくれぐれも御注意されたし。

 

旧市街、ゴシック地区でヨーロッパ気分満喫

 それにしても旅の2日めから捻挫かあ…。かわいそうに。しょうがないので、いつものように彼の体をいたわりつつ、ごまかしごまかし、旅を続けるしかない。

 

 しかし美術館のあるゴシック地区あたりにやってくると、景色はまさに旧市街。靴音も快い石畳、重厚な石造りの壁、細い路地、そのなかに押し込められた店々…いわゆるヨーロッパな風景で、こここそ、歩きまわってなんぼ、な地区である。相変わらず寒いし、夕暮れも近づいてどんより暗くなってきているが、それが逆にこういうヨーロッパの町並みにはぴったりだ。ハモンの店や雑貨店、カフェ、教会…

観光客だらけだなあ、とは思いつつも、まあ自分も観光客だからしゃあないと納得し、できるだけのんびり、てくてく歩く。

 

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 なぜかオーナーが日本語ぺらぺらのナッツ屋さん、CASA GISPERTで今回ほぼ唯一の買い物らしい買い物をし、

 

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⇧日本人観光客には超有名なお店のようです。ナッツ&ドライフルーツ好きにはたまらない。高価なマルコナ種アーモンドをここぞとばかりに買う。

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ピカソ美術館ピカソの「ラス・メニーナス」への異様な執着に感動を通り越して笑ってしまったり、

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「ラスメニーナス」の模写、58点(!)の一部。

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 ⇧wikipediaより。

本物と見比べ、「ああ、あの黒い男が今度はここに」「犬はいつもでかいな」などと言いながら58点それぞれ詳細に見ていくと、ものすごくおもしろい。「あと2日後にはプラド美術館で本物の「ラス メニーナス」が観れるのだ、と思うとさらに興奮が高まる。

 なにしろピカソは本物のほうが写真などより圧倒的に見応えがあるので(なぜ? ポストカードとかになるととたんに色褪せるような…)、かなり充実した時間が過ごせます。

 

ピカソバルセロナで十代を過ごしたそうで、若き時代の作品がここではたっぷり鑑賞できる。さる13世紀あたりに作られたお金持ちの邸宅を5軒ぶん、改装したそうな。撮影禁止なので写真はろくに撮れなかったけれど、1時間半くらいで回れるちょうどいいサイズの館内に、作品がほどよくぎっしり、で見やすく気持ちのいい美術館。カフェがなくなっちゃったらしいのが残念でした。

 

ショッピングモールで鬱っぽくなる人はいますか?

 最後はホテルの近くの元闘牛場、現ショッピングモールというなんだかちょっと哀しい感じ(たぶんみんなはそう思っていない)の巨大モールをぶらついて疲れてしまい、夕食もろくにとらずに寝てしまった。そもそも普段から夜はほとんど食べないので、別にふつうのことなのだが、ただ、スープが飲みたかった。

 なぜならばスペインではスープというものにほとんどお目にかかれないのだ。日本やアメリカなどだと、カフェやデリ的なところに必ずスープはあって、小腹がすいたとき、さっと食べてあったまるということができるけど、なぜかスペインではこの「街角で簡単なスープ」をまったく見つけられない。ピンチョスはいっぱいあるのだけど…。ショッピングモールの地下フードコートには、もちろん多少あった。けれど、見つけたときにはもう疲れきっていて、そしてはやくこのショッピングモールという、得体の知れない、妙に力を吸い取られる場所(きっとみんなは違うのだろう…)から逃げたくて、素通りしてしまったのだ。

 タワーマンション、ショッピングモール、地方都市の国道沿いのチェーン店、などが私を暗くするものたちなのですが、これらに共通しているのはなんだろう? そしてこんな気持ちになる人、ほかにもいるのでしょうか?

 

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⇧ホテル近くの巨大モール。昼間撮影。最上階はシネコン、地下はフードコート、その間には無数の洋服と雑貨、というお決まりの構造。左はじにあるのはなんというか、アミューズメントエレベーター? 透けてるエレベーターに乗って上まで行って、屋上のレストラン街へ…。いくらか知らないが、有料ということに驚く

 

勝負に勝って眠りにつく

 そういうわけで、なんか疲れてなにも買わずホテルに帰る。昼にたくさん食べたからそんなにおなかはすいていない。でもなんか物足りない。仕方ないから寝てしまい、明日たくさん食べようか…そんなふうに思いながら風呂に入ったあと、思い出した。

「わかめスープがある!」

 私が大きな声で言うと、

「わかめスープか。飲もう!」

 と夫も湿布を張っていた手を止めて呼応する。

 ふたりで飛びついて湯を沸かして飲んだら、これがえらいおいしかった。抜群においしかった。なんなんのだろう。5袋149円、ゴミのような乾燥わかめしか入っていないのだが、うまかった。「これこそがいま、自分が心底飲みたかったものなのだ」としみじみ思いながら飲んだ。わかめスープ。持ってきてよかった。いつも文句ばかり言う夫も、湯気のたつなかふうふう言って飲み続け、「うん。うまい。すごくうまい」と言っている。

 なんだか勝負に勝ったような気分で眠りについた。

 

 

 

スペイン旅行記 その17〜ガウディの人生と建物、そして社交好きな「肘ゾーン」の人々

ガウディを訪ねてバルセロナ散策

 カタルーニャ広場まで歩いてバルセロナカードを受取り、カサ・バトリョへ。そこそこ並んでいる…。うーん。15分だか20分だか…いやもっとか? という程度なのだけど、寒いから結構つらい。数ユーロ値引きのためにVELTRAで買ったファストパスつきのチケットをキャンセルしたことをやや後悔しつつ、じーっと待つ。ちなみにこれはカサ・ミラも同様。オフシーズンでも、それなりに混むのだね…。

 

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⇧カサバトリョ。人が並んでいる…。

 

 ランチは1時すぎに。しかし。

 ランチはレストラン「Embat」で。1時くらいだったけど、店はがらがらで誰もいない。でもバルセロナ強力サイト「バルセロナウォーカー」の管理人が、18回も通ってる安心の店らしいので、飛び込む。

 

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 ラビオリ、たら、スパニッシュライス(ていうかリゾット)。どれも抜群においしい。お姉さんも英語全くできないけど、一生懸命説明してくれる。

  

  2時すぎると、ぞくぞくとお客さんがやってくる。両隣の人たちが、アーティチョークのスープだの、ステーキだの頼んでいて、ああ、あんなだったのか…あれでもよかったなあ、としてもしょうがない後悔が。店もとたんに活気づき、地元の人たちが次々とやってくるこの店が、とても愛されていることを知る。デザイン会社勤務風のトラッドでおしゃれなおじさん。秘書と部長?風の上品な初老のおじさんと、やや若いおばさんふたりの3人組…などなど、みんないかにも近所から来た感じ。さっきの不安になるほどの閑古鳥ムードは完全に消えた。

 

 そう、スペインのランチタイムは2時から。お楽しみはこれから、なのだ。この決定的な時間のずれが、哀しい。食べ物や人々や景色、スペイン語の響きにデザイン感覚など、どれもとても気に入ったスペインだが、朝はほとんど食べない、10時に軽食、2時からランチ、ディナーは8時から…という生活サイクルが、4時半に起きて9時前に寝る、朝ごはんこそがっつり食べたいという私のリズムと、どうにもまったく噛み合わない! そもそも朝っぱらからやってる店、というのがすごく少ない。哀しい。まあ、日本でだって噛み合ってないでしょ?と言われそうだけど…。起床消灯時間を言うと、半分の人は呆れたように感心し、半分の人はひく。

 

夜こそが楽しい、のか?

 でもこんな私も、生来、ものすごい低血圧で血圧が三桁いったことはなく、子供の頃は1分でも寝ていたくて、布団にしがみついていた。大人になってからもフリーランス稼業のせいもあって、平気で午前中寝ていました。早起きできる人ってすごい…と尊敬していたものです。せめて10時には起きたい、とか。しかし、変わったのです。私は本当に、よく変わる人間なのだ。「変節」と罵られてもおかしくないほど、20代の自分と今の自分は違う。それがいいことなのかどうかはわからない。でも友達は減ります。確実に。話が合わなくなっちゃうから………。

 

 早起きは楽しいので気に入っているのだけど、旅行すると不利な点を痛感します。「こんな時間に寝て起きていたら、なにも楽しめない」。

 だいたい朝は全然夜明けが来ないし、みんな夜に命かけてる。

 ニューヨークもパリもバルセロナも(ま、これくらいですけど…世界中まわってるわけではないので…)、どこでもすべて感じたのは、夜明けの遅さと、人々の社交好きっぷり。夜のレストランやバーの盛り上がりは、本当に楽しそうでうらやましい。夕暮れになると、薄暗い店内にキャンドルやらなんやらがほんのり灯りが灯り(あっちのレストランって、闇鍋!?というほどの暗さ。それがすごくいい)、夜になるとそれらの店はほぼすべてぎゅうぎゅうに満席になり、ものすごい喧騒におおわれる。笑い声がさざめき、しゃべり声がうずまき、グラスの音、食器の音、BGM(とも思えないほど音量大の店も多い)…まあそれはにぎやかで、それは楽しそうなのだ。

 

ここで鹿島先生登場

「ヨーロッパ人でも地中海系の人たちはパーソナルスペースが近い」というのはどこに書いてあったのかな? 鹿島茂さんの著書かな?

 

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↑そうだった。「パリ五段活用」鹿島茂 中公文庫 パリを熱狂的に愛する鹿島さんの愛と知識が怒涛のようになだれこんでくる、快感の一冊。

 

 ヨーロッパと一口にいっても、フランス、スペイン、イタリア、ギリシャといった地中海沿岸のカトリック・ラテンの国々と、イギリス、ドイツ、オランダなどのプロテスタント・ゲルマンの国々では、さまざまな面で、その行動様式がまったくといっていいほど異なっていることは、ピーター・コレットが「ヨーロッパ人の奇妙なしぐさ」(草思社)で指摘したとおりだが、酒を飲むということについても、この二つのグループは際立った対照を示している。

 まず、前者がワイン文化圏であるのに対して、後者はビール文化圏である。

 また、前者がレストランないしは家庭で料理と一緒にワインを飲むのに対して、後者は、ビヤホールやパブといったビール専門の酒場で、軽いおつまみだけを助けにビールを飲む。

 さらに、だれとどうやって飲むかというと、前者はごく親しい人(あるいは親しくなりたい人)と一緒にテーブルを囲んで同じビンのワインをみんなで飲むが、後者はあくまで個人の資格で、バーテンダーにビールを一杯ずつ注文し、それから、常連の不特定多数の人たちと雑談を交わしながら飲むのが普通である。

 

 これにはあくまで例外もあるし、ひとりの人間が、2つの飲み方をすることもある、と断った上で、話をすすめ、ピーター・コレットならプロクセミクス・ゾーン(対人関係の距離の取り方)の違いから、これを説明するだろう、と仮定する。

 

 プロクセミス・ゾーンの南北的な相違とは、たとえば次のようなものである。

 人と人が立ったり座ったりして話をするとき、地中海沿岸の人々は肘と肘で触れ合えるほどの距離すなわち「肘ゾーン」で相手に接するのを好み、視線も相手の目をまともに凝視する「多視ゾーン」に属する。身振り手振りもおおげさで、おしゃべり好きである。いっぽう、北ヨーロッパ人は腕をいっぱいに伸ばしたとき、指先でかろうじて触れ合える程の「少視ゾーン」の文化圏に入る。身振り手振りは少なく、儀礼的な無関心を装う。ワインの飲み方とビールの飲み方のちがいもここからある程度は演繹できる。

 すなわち、「肘ゾーン」で相手に接し、相手の目をまともに凝視して、身振り手振りを交えて何時間もおしゃべりしなければ気が済まない地中海沿岸の人たちが、一緒に酒を飲むとしたら、それは必然的に「一つ」のテーブルを四、五人で囲んで「一本」のビンの酒をわかちあって飲む形態を取らざるをえないが、この場合、ビールはいかにもふさわしくない。なぜかといえば、十九世の後半にビン・ビールが登場する以前には、ビールはすべて樽詰めであり、樽をテーブルの真ん中に置くわけにはいかなかったからだ。第一、ビールでは消化が早すぎて、何時間ものおしゃべりにはむかない。

 これに対し、コルク栓の発見によってビン詰めが早くから可能になったワインは、パンやチーズ、肉との相性の良さから食中酒としての地位を確保したことで、「一つ」のテーブルの真ん中に置かれる「一本」のビンという主役を演ずることができるようになった。パンはキリストの肉であり、ワインはその血であるとしたカトリックの教養も味方した。

 だが、他人とは「指先ゾーン」でしか接しようとせず、寡黙を好む北ヨーロッパの人たちにとって、樽からジョッキにわけたビールというのは、相手との距離を保つにはなかなかピッタリとした飲み物だった。というのは、ビールジョッキは、レストランのテーブルで人と肘を突き合わせて飲むには、そのサイズからしていかにも不向きなものだが、パブのカウンターや立ち飲みテーブルで、当たりさわりのない日常会話を交わすためのバリアーとしてはちょうどよい大きさである。また、ビールの消化に要する時間も短くて、濃密な人間関係を生むには至らない。それにジョッキを持っていれば、おおげさな身振り手振りも必然的にできなくなる。視線の直接の交錯も、ジョッキのビールを眺めていれば避けられる。要するに、ジョッキのビールは、彼らの望む淡い人間関係に最適な飲み物だったのである。(ところどころ中略あり)

 

  いや、長い引用ですね。これでもあちこち省略したのです。ブログに、いわゆる「本」の文章を引用しようとすると、そのまだるっこしさに驚く。コンパクトに書けば、この本1/3になるのでは?と思いながら引用していた。しかし、私は決して「本」の文章が嫌いではない、というか好きなので、あえて引用した。そして今後も時勢に逆らって、まだるっこしく、美しく楽しい文章をどんどん読み続けたいと思う。ちなみにこの「パリ五段活用」では、「ヨーロッパ人の飲み方」論が、さらに深く掘り下げられています。おもしろいです。

 

  えーとなんだっけ。それで、とにかくパリやニューヨーク(あれ?これアメリカだけど…)やバルセロナでの社交好きっぷりと夜の賑わいは、孤独な日本人女性の胸をうつほどのインパクトを持っているのです。 

 とにかくどこのビストロ、レストランも本当にテーブルが小さい。「こんなにいいものを出して結構な値段をとるのに、どうしてこんなゲーム盤のようなテーブルなのか? ひどい」と、とあるNYのフレンチビストロでぷりぷりしたこともあったけれど、その後パリに行ったら、どこもそんな店ばかりで、そうか、あの店がごうつくばりだったのではなく、そういうものなのだ、と知った。高い店(もちろん超高級レストランはのぞく)でも安い店でも、ぎっしりテーブルを入れて、ぎっしり人を入れて、わいわいやるものなのだ。

 そんな小さなテーブルを囲んで、人々は猛烈にしゃべりまくっている。身振り手振りも大きく、声も大きい。とにかく喋り続けている。なにをそんなに話すことがあるのだろう…?と思うほど、熱く語り続けている。しかも、これが夜に限ったことではなく、朝もそうだった。朝は寝ているスペイン人はおいといても、たとえば早起きのニューヨークでは朝食の場所が充実していて、カフェだのデリだので平日の朝7時とかに熱く語っている人々、というのもよく見た。社交が好きなんだなあ~というのを、本当に実感する。人付き合いしない、しかも酒飲めないって、彼らには人生を捨てているも同然なのかもしれない、と、賑わう夜のレストランを外から眺めながら思う。

 人付き合いがあんまりおもしろくないから、そしてお金もないから、自分のなかから楽しいことを生み出して回転させなければいけない、とここ数年強く思っている私ですが、こんな風景をみるとやっぱり寂しい。「社交が楽しい! 人間大好き! おしゃべりしてこそエネルギーがわく」という人になれるならばなりたかったなあ。

 

 が、ここで友人の「フランス人の20代なかばの知り合い」、の話を思い出す(ちっとも旅行に話が戻らない!)。

「彼女の日常は、平日は絶対残業せず、6時すぎに帰宅してシャワーを浴びて着替えて化粧して、3軒、ときには4軒のバーをはしごすること、だったよ。どの店も1時間くらいいて、知り合いに声かけて、飲んで、すぐ次の店に行くの。それを毎日やってるの。20代とはいえ、すごいエネルギーよね」

 こんな話を聞くと、まあ、そんなにいいもんではないのかなあ、蚊帳の外から眺めるからよく見えるだけなのかなあ、とも思ったりしますが。

 

午後も散策は続く

 そんなことを考えながらランチを終え、カサ・ミラも見学し、バスに乗ってみたりもしながら、夕方に予約したピカソ美術館を目指して旧市街に向かいます。

 

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↑「カサ・バトリョ」はランチ前。

 

というか、写真を選んでいたら、どちらがカサバトリョでどちらがカサミラなのか、わからなくなってしまいました…。居間や寝室などすべて当時のままにしつらえてあり、一昔まえのバルセロナのお金持ちの生活がまざまざと想像できてとても楽しい、のはたぶんカサミラ。

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↑この居間で家族で夕食とか…いいなあ、と妄想。

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⇧でもこの暖炉はカサバトリョだったような…。

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⇧これはどっちかなあ。 

 

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⇧なにをみてもおもしろい…。

 

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↑ランチ後、カサ・ミラへ。人の並び具合はこんな感じです。

 

ここに住んでたら気持ちや性格にもなにかしら影響するんだろうなあ。オーディオガイドで「ガウディの家に住むことは深海に住む感覚に似ています」と言ってたような、ないような。本当にそんな感じ。

 

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↑日本で雑誌の写真を見ていたときは、「どうしても本物が観たい。でも数々の建物を見てまわったら、たぶんおなかいっぱいになりそう」とも思っていたけれど、実物は写真よりもアクがすくなかった。胃もたれしなかった。「簡素」とはかけ離れた装飾の数々だったのに、トゥーマッチには決してならない。

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 ⇧バスにも乗り…。おじいちゃん、かわいい。

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↑お茶飲んだり。

「ガウディって市電にはねられて死んだんだね」などと話し合いながら散策は続く。「サグラダ・ファミリアが資金調達できなくなってきて、途中から私財を投げ打って建築を続けたって。だからはねられたときは当初、ホームレスだと思われるほどみすぼらしい身なりだったんだって」。

「うーむ」

スペイン旅行 その16〜サグラダ・ファミリアの苦難

 出発、さっそく試練

 ともかく、まだ開けたばかりの薄暗い8時半、ホテルの目の前からタクシーに乗る。陽気なお兄さんが「サグラダ・ファミリアいいね、きれいネ」的なことを(たぶん)言いながら、連れてってくれる。ここでもやはり狭い空間に押し込められ、「このドア、どうやって開けるんだろう? もしかして運転手がロックしてるのか?ラッシュだから道は混んでいるのか?」などとざわざわと不安が始まり、「タクシーひとつ乗るにもこんなんだから、私の旅は試練なわけだわ」と改めて痛感。乗り物に乗らない旅なんて、徒歩旅行以外ないのだから。しかし誰もわかってくれないので、口には出せない。初めて見るバルセロナの街に一生懸命意識を集中させる。

 道は運よく空いていて、15分もしないうちに到着した。バルセロナのタクシーはボラれることもなく、安いしよいらしい。ただ、運ちゃんはほぼ全員、スペイン語しか話してくれない。10ユーロ払う。

 

なにはともあれサグラダ・ファミリア

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⇧すっごく寒かったが、天気はよかった。空が驚くほど美しい。朝の光のなかで見るのが最も美しいと言われてるらしい。

 

 タクシーの窓から初めて見たサグラダ・ファミリアは、やはり「おおお!」と思うものがあった。これを観にあんなにたくさん準備をしてたくさん飛行機を乗り継いでやってきたのだ、という感慨も合わさって、「ついに」感がすごかった。

 9時になったらすぐ入れる。ハイシーズンだと朝いちの9時でも行列がすごいらしいので、よかった…。

 

 外から観ても、中から観ても、人間が宇宙を作ろうとした気持ち(?)がひしひしと伝わってくる。確かな、ひとつの世界を提示してあげなければ、多くの人の心は路頭に迷う。こここそが、あなたが目指すべき場所なのです、と言われている気がした。有機的なガウディのデザインは、動き出しそうななまめかしさ。

 

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 聖堂内は宇宙なのだから広大な空間で、そのスペーシーな美しさに圧倒されるが、それにしても寒かった。最高気温5℃とか7℃という予報だから、朝のこの時間はたぶん3℃とかだろう。聖堂内はさらに3℃くらい低い気がする。なぜ? でも人もけっこういるのに、寒くて寒くてたまらないのだ。歩いても寒い。止まったらもっと寒い。これがオフシーズン観光の醍醐味だね…と思いつつ、地下のミュージアムを発見。なんと、実際作業をしている工房なんかがあったりする。ここは寒くない。あったかいわけではないが、寒くない。建設当初の絵なんかも見れて、かなりおもしろい。

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⇧地下工房。模型がいっぱい。

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 ⇧どんな物事にも始まりがある…ということを教える写真。1904年の建築当初。なんというか、衝撃。

小さな小さなエレベーターで生誕の塔を昇る

  9時半になると、エレベーター(これも苦手…超狭い5人乗っていっぱい)を使って、生誕の塔へ(受難の塔でもよいけれど、ガウディが生きてるときにできたということで、こちらが人気)。地上メートルの戸外に出る。わかってはいたのだが、実は私は高いところも苦手。下半身がびりびりしびれてくるのを感じながら、なんとか写真を撮り、写真におさまる。たるんだ顔を残さないため、ひたすら口角をあげて笑う。

 でもたしかに、ここから眺めるバルセロナは素晴らしい。高いところが苦手でも、やはり来るべきだろう。

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 ⇧ほら! 

 

 高いところも大好きな夫は、自殺行為(と、私には思える)のような場所にまで降りていって、自撮りをしている。私からすると、そこはもうほぼ空、だった。おまけのような手すりのある、外に張り出した小さなスペース。ミニミニバルコニーといった風情で、人ひとり入れるかどうか、という空間だ。その手すりは低く、足元ががらんどうに透けて、真下が見える。

 

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「ここからの眺めはすごいから、ぜひ来てみなよ」と散々誘われるが、どうしても足が動かなかった。というか、今立っている場所だって、なかなか限界なのだ。

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⇧こんなものも観れる。果物、かなあ。

 

 塔から塔へ、絶景を眺めながら渡り廊下的な細い通路を渡る。

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⇧もうひとつの塔へ向かっている。 

降りるのも美しくて、苦痛

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 もうひとつの塔につくと、そこから帰りは螺旋階段を使って降りる。この螺旋階段もほれぼれするほど美しいのだが、踊り場は一切なく…ないよね、螺旋階段だもの…自分がどのあたりを降りているのか、この階段はいつになったら地上に着くのか、まったくわからないまま、ひたすら円を描いて降り続けなければならない。しかも、途中で何度も枝分かれ(螺旋階段が枝分かれ? でも実際そうだったのだ)して、道がひとつではなく、本当にここでいいのか、激しく不安になる。そのうち目が周り、気持ち悪くなってくる。しかし止まれない。止まるところがないから。ひたすらに回転していなければいけない。下をのぞいても、カタツムリのような美しい形状があるだけで、ゴールの気配すらない。

 たぶん、これも異世界へのトリップ等に必要な修行の一環なのだろう。螺旋階段はすみからすみまで美しかったけれど、でも苦痛! 名所旧跡っていうのは本当に苦痛だ!

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 ⇧完成予想図。なんと、真ん中の一番太く大きな塔がまだ手付かずなのだ!ということを知る。完成予定は2026年。観たいけれど、どれだけ混むのかと思うと…。

 

 

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⇧現代美術風、古典風、地獄風、天国風…いろんなテイストといろんな世界が面ごとに存在している。世界そのもの、ということなのかしら?

ミュージアムショップで旅の命題をみつける 

 見れば見るほど発見があるので、どれだけいてもたりないようなサグラダ・ファミリアだが、塔を降りたあと、周囲を何周かしてようやく一区切り、ミュージアムショップをのぞいて去ることにする。

 ミュージアムショップというのはたいていどこもおもしろいが、買おうと思うものには出会えない、というが定説(私のなかの)だ。ここも同じ。「私がデザイン担当だったら何を作るだろう?」と想像しながら、デザイン担当者の苦悩や喜びなどもイメージしつつ、名作にからめた日常グッズを丹念に見る。でも苦悩というか、名作にあぐらをかいて適当に作っただろう?というものが多いのも事実。ただ写真をプリントしただけの、元値は安そうなマグカップとか……ひどいなあ。そろそろ新しいマグカップが欲しいので、一生懸命見るけど、どれもひどい。この旅では、「ミュージアムショップで素敵なマグは見つかるのか?」を裏テーマにしよう、と決めた。そしてここにはなかった

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⇧各国語のガイドも。中国語だとアントニオ・ガウディとはこう書くのか…。

散策。いちばん好きなもの。

 地図を見ながら(いやこの⇧の地図では歩けないけど…)、散歩して街を眺めながらカサ・バトリョカサ・ミラへ。やっと落ち着く。太陽はぐんぐん昇り、寒いけど青空はますますきれい。これだよ。知らない街をきょろきょろしながら歩く。これが一番楽しいよ! ようやく、心からリラックスしてきた。気になるところは写真を撮る。気が向いたらカフェにも入る。

 

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⇧スペインの街はタイルがきれい! とか。

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⇧天気がよくてよかったねえ、とか。

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⇧スペインの愛らしいおじいさんたちだよ!とか。

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⇧中国からの団体客の記念撮影も微笑ましく…などと言い合う。ここは教会のすぐ隣の公園。松が多くて、どことなく日本風。

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⇧ガウディ作、ベンチつき街頭。すごいよね…。こんなに美しくて2つの用途がある。

散策は続く。

スペイン旅行記 その15〜バルセロナ2日め そして、旅行って、なんだっけ?

まずは早々に予定変更

 たいして寝てないわりにはわりと元気に支度をして(←いつもはすぐに疲れてしまうので、そんな自分に驚く。やはりこの1年、毎日パワーヨガをして毎日走ってた成果なのだろうか)、さあ、出発。8時前にグエル公園に無料で入って、8時半に出てタクシーで9時までにサグラダ・ファミリアへ、という計画はやめにする。遠回りでもグエル公園は明日にしよう。

  確かにグエル公園サグラダファミリアはわりと近くにあり、ひとつぽつんと郊外にあるグエル公園に行くのは、サグラダの前に行くのが最も効率がよいのだけど、サグラダの予約時間9時に追い立てられるのもつらいし、8時15分日の出と言われていて、8時前に公園について、いったいどんな状況なのかもわからない、真っ暗だったらどうするの?ということで。

 

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⇧ホテルの部屋から。8時半くらいでまだこんな。天気が悪いわけではなく、夜が明けていないのです。

「今度こそ歩きすぎない、詰め込みすぎない旅行を」

 とは、夫にさんざん言われてきたこと。どういうわけか、私は旅行に出ると1日20kmくらい歩いてしまう。乗り物が好きではないというのも大きいのだけど、ひたすら歩いて、そして歩く速度で街を眺めていると、なんだか街がわかったような気になる。気になるだけなのだろうけど…。そして、観れるものは全部観たい、という欲深な性格も災いして、それら各場所に歩いて行って、文字通り脚が棒になってしまう。

 それにつきあう夫は、必ず旅のはじめに身体に故障が出る。靴ずれ。捻挫。筋肉痛。そしてギックリ腰。日本にいて数年前にかかったきりのぎっくり腰に、よりによってパリでなるとは。もちろん、その後の予定にたくさん支障が出た。あそこも行けない、ここにいれるのは少しだけ、そもそも今日は俺、もう部屋にいるわ…etc。しかたなく私はひとりでまた延々と歩いたのだが。

 

 ひとりで歩き回るのは全く苦ではないので、構わないといえば構わないけれど、それにしても、毎朝「今日はどう? 何点?(どのくらい痛いのか点数で聞いていた) どのくらいだったら動けそう?」と聞き、出かけてからもずっと気遣いっぱなしで、本当は行きたかった場所も数々諦める…というのはなかなかつらいものがあります。

 あげく、パリの「とらや」前で待ち合わせしたら、ずぼらな私は15分遅刻して、腰の痛い彼を街なかに立たせっぱなしにして、「ひどすぎる」とえらい怒られたこともつらい思い出です。怒られながら視界に入ってきた夜の凱旋門が、ナポレオンの哀しい物語なんかと合わさって、すごいやりきれなく見えた。

 

ホテルで漫画読む日があってもいい?のか?

「注意が足りないからじゃない?」。

 やっときたハレの日の旅行で毎回故障が起きるなんて、なにか行いがいけないのだと思い、ことあるごとに嫌味を言って自制猛省を促していた私に、あるとき突然、夫が反論してきた。「違うと思う。だいたい旅行初日からあんだけ歩かされていたら、そりゃ身体もおかしくなるに決まってる」

 あ、そうなの?

 私のせいなのか…と、びっくり。言われてみれば、そうかもしれない。いつぞやのニューヨークでは、毎日20km歩いて、夕方にはもう疲労困憊でバタンキュー、ナイトライフというものが完全になかった。ニューヨークなのに。素敵なディナーも、ジャズやソウルを聴きにいくこともなかった。いくら日本で9時に寝て4時半に起きる生活をしているからといって、これはないだろう。

「中日とか、作らないの? 俺、仕事もしたいよ、たまってるから。そもそも旅行はくつろぐためのものなんだから、部屋にいてiPadで漫画読んでたっていいんだ。夜だけちょこっと外に出て美味しいもの食べる、とかいう日だってあってもいいだろう」

 

 そうか、旅にでたからといって、フルに活動しまくらなければいけないわけでもないのか…。旅行ってなんだろう?という基本的な疑問がわく。数日しかない。もう二度と来ないだろう。だから1分1秒でも惜しんで、外に出て動かねば。「観たことないもの、観てみたいものは全部観なければ」という強迫観念に終われるばかりが旅ではないということなのか。

 タフな友人の旅行スタイルもまた思い出す。言葉のわからない国のレストランでは、目をつぶってメニューを指して注文、おいしければよかったな、まずかったら、ま、こんなもんか。終わり。できるかぎりおいしいものが食べれるように念入りに下調べ、なんてしない。

 つまりはこれは、どれだけ欲深いか、という、ただ単にそれだけの話なのだが…。欲望こそが人間を突き動かす、大事なエンジン。でもエンジンが回転しすぎて煙吹いてて、あげく壊れるんでは、元も子もないわけで。これは旅行にかぎらずすべてに言えることなのだが…。

 

いいかげんに生きてきたくせに、がん宣告されたら急変するな、だって!

 この間、元ソニー・ミュージックの社長(であり、あの丸山ワクチンの開発者のご子息!)、丸山茂雄さんのがんエッセイ「往生際~“いいかげんな人生”との折り合いのつけ方」をネット上で数ページ読む機会があって、そこに書かれていた言葉を思い出す。

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「生き方も、折り合いのつけ方も、まあ適当、でいいんじゃないかな。しかも、そんなにまじめに生きてきたようにも見えないのに、最後になってまじめな顔して人生に折り合いをつけようとしたり、がんと闘ったりする人が周りにいるから、おれとしても納得できないんだよ」

 

  なかなか目からウロコの発言で、すぐに探して本を買ってしまった(じっくり読んだらまたいろいろ新たな発見があったのだが、それはまた次回…)。もちろん、この人は「生来の能天気」であり、「どこでもすぐ眠れる」たちであり、入院先ではたとえステージ4の末期がんでも、必ず「一番元気な患者さん」賞をもらうような、つまりうちの夫と同じで、へたれな人間とは別世界に住む人でとうてい真似なぞはできないのだが、それでも、この人の言葉は、耳を傾ける価値があると思う(いろんな人の話に耳を傾けすぎなのでは、という意見もあるのだが、それは来週考える)。

 ここで大事なのは「生きることに欲をかきすぎない」こと。自分の旅行っぷりを振り返ると、この言葉がいたくしみる。育てなければいけない子供がいるとかなら生への強い執着もいたしかたないだろうが、誰にもあてにされていない46 歳(←歳をとりました)なら、「いい意味で諦めた気楽な人生」を送るべきなのだ、本当は…。

 ああ、それにしてもあがくところと諦めるところのバランスが本当に難しい。

 

 

 …とまあ、そんな思考過程を経て、今度の旅は「やりすぎない」がテーマになったのだった。

 グエル公園、今朝は諦めよう。明日遠回りして行けばいい。

 

理想的な日程の組み方

 …が、やりすぎないためには、日程に余裕がなければいけない。与えられた日程のなかでやりすぎないのが肝心では?との声もあり、それはその通りなのだけど、もし日程も選べるなら、「ちょうどいいと思える日数プラス1日」が、本当にちょうどいい、というのも数回の旅行で痛感したことだ。「そんなにいなくてもいいかもな?」くらいが、滞在中に全くあせることなくのんびりできて、なおかつ部屋で漫画を読む(!! 私はしないけど…)ことすらできていい。

 バルセロナ3泊、夜に着いて早朝出るから実質まるまる2日、というのは、ちょっとタイトだった。それというのも「バルセロナは観るべきものがコンパクトにまとまってるから1日あればじゅうぶん」というネットの言葉を鵜呑みにしてしまったからなのだが…。日程を組んだあと、いざ観たいところを挙げてみたら、しまったと思ったが後の祭りであった…。

 

 おまけ。

 丸山さんの話、おもしろいのでもう少し引用。あちこち省略してます。 

がんに関していうと、いちばん大事なのは「人生との折り合いのつけ方」っていうところだと思うね。たとえば、男の子だと「東大に行って官僚になって、日本のために働きましょう」とか「物理学者になって。科学の進歩に貢献しましょう」とか「プロ野球選手になって、やがてはメジャーリーガーに」なんていう夢を持って、なんとなく人生をスタートするわけじゃない、ふつうは。で、だんだん「そうはいかないよな」っていうのに気づくわけだよね。ほとんどの人は「自分のできることは限られてるよな」ってんで、どんどん目標値を下げているわけで。やがて「そんなこと考えてなくてもいいんだ」っていうのがわかってくる。そしてそれが人としての成長だという、すごく不思議な関係でしょ。みんなわりと口に出さないで、生き方のハードル下げてるよね。

 で、その下げたところで納得してきてるわけだからね。「おれの能力もこんなもんかあ。もっと努力したほうがよかったかもしんないけど、遊びたくて勉強もしなかったし、酒ものみたかったし」とかね(笑)。そうすると「まあ、だからこそ楽しかったし、こんなとこかな」ってのでいいじゃない。

 まあほとんどの人はそんなふうに、なんとなく目標値下げては納得しながら、そこそこいいかげんに生きてきたのに、死ぬ間際になると急に、ものすごく真剣に生き続けようとするじゃない。なにも最後になって急に満点の人生にもっていく必要はないでしょ。

 最後になって急に、「病気を克服して長生きする」なんて理想を掲げて、あらゆる医療方法を試そうとするよね、みんな。入試直前に急に家庭教師を呼んで、それもふたりも3人も呼んで、無理に詰め込んでいい点取って合格しようっていうのに近いだろ。

 だから「そんな無理しなさんな」ってことだよね。

 

スペイン旅行記 その14 〜バルセロナのBホテル

バルセロナの夜

 

 バルセロナ・プラット空港に着いたのは夜の10時前。ぴかぴかで明るい空港内を抜けて、入国審査を受け、バス乗り場へ。市内へは10km程度でわりと近く、しかもバスは10分おきに出ている、値段は5ユーロ。バスの目の前の券売機で、クレジットカードで買う。バルセロナはタクシーもわりと安全でおすすめだけれど、空港からはバスでいいよ、という人が下調べ中に結構いたので、我々もバスにする。

 行きの成田へのバスほどあれこれ惑わず乗れたのは、なにしろ10km、20分程度と聞いていたし、夜も遅く道も車内も空いていそうだったから。しかしこんな時間に着くと、車窓からはほとんど何も見えず、「初めての国!」という感動もないものですね。

 

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 スペイン広場目の前のBホテルに到着。スペインはどこの街にも広場があるのだそうな。その中央にあるでっかいモニュメント(?)を見上げて、日本にはないヨーロッパのモノの巨大さを確認、ようやく外国に来たなあと思う。

 

ちなみに後ろにあるのは元闘牛場、現ショッピングモール。

 ホテルには、激しいスペイン語訛のおじさんが、フロントにいる。この半年、毎日1時間オンライン英会話で特訓を行ってきたので、スムースにチェックインが進むことにこっそり感動したのだが、最後のほう、おじさんが「アニタ・クレカ…アニタ・クレカ…云々」と言い出して、え? 女の名前? 誰? 何の話? と、上達が幻だったことにショックを受けながら、何度か聞き返す。すると彼は、「I need your credit card」と言っていたのだった。あまりにも激しいスペイン語訛のため、わからなかったのだ…。この聞き間違いに、夫婦揃って妙に感心しながら、部屋へ。

 

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 下調べ通り、快適そうな部屋だった。25㎡以上、バスタブつき、ティーポットつき。私に必要なものはすべて揃っていて、水やお湯の流れも悪くない。よしよし。でもバスタブには1本の髪の毛があったが…。昔だったらすぐ電話してきれいにしてもらってたなあ、と狭量だった過去の自分を思い出す。日本に住んでいると、「ちゃんとしてくれていない」というのが「すごい悪徳」のように思えるから…。そのぶん自分もちゃんとしないと罪悪感に襲われるし…。

 まあ確かに気持ちのいいものではないけれど、まあいいや、高級ホテルじゃないのだから、とバスタブをシャワーの水圧でぐいぐい洗って解決することにする。

 しかしこのお風呂、シャワーがハンドシャワーだった。感動。外国のホテルのシャワーって、ほぼ固定式で、これがけっこう使い勝手悪いのだ。だからこそ洗面器なぞ持ってきたわけだけど…。ハンドシャワーはありがたいのだが、形がモダンすぎて、短い試験管のようになってしまっている。つまり細い筒状で、そこに穴があいていてシャワーが出て来るのだが…。もちろん普通の円のものより出て来るお湯の量は少ない。浴びててもいまひとつ浴びてる気がしない。水圧はわりと強いので欲求不満というほどではないのだけれど。

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 さらに、モダンすぎてこのお風呂にはシャワーカーテンというものがない。ドアもない。たしかにシャワーカーテンって、おしゃれでもないし、むしろ「なんとなく不快なもの」だから、つけたくない気持ちはわかるのだが、バスタブと外の敷居は幅50cm程度のガラス壁がついたて風にあるきりで、普通にシャワーを浴びていると、洗面所を含む浴室全体がびっしゃびしゃになる。これはどのレビューでも言及されていなかった。あれこれ浴びる位置を工夫してみるが、どうしても床がびっしゃびしゃ。みんなどうしてるんだろうなあ?

 

 部屋は快適だったけれど、唯一、空調の調節ができなかったのがつらかった。けっこう暑かったのだ。多分、普通の人には快適なくらい。けれど日本でもわりと寒い部屋で、たくさん着込んでごまかし、暖房はぎりぎりまでつけないという生活をしている私には、若干つらかった。空調パネルはあるのだが、温度調節をしてもなにも変わらない。結局3日間、我慢した。フロントに言ってもよかったのだが、直る気がせず…。

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⇧奥の明るい場所がバスルーム。右上、シャンプー類の左横に筒状のシャワーヘッドが見えます。お風呂は透けるので、ブラインドを下ろして入りましょう。 下ろさないで入ると、バスルームがやたらと明るいせいもあって、むやみやたらとセクシュアルになって、はっきり言って気持ち悪いです。

 その夜はくたくただったが、マイスリーを飲んで寝た。やはりきっかり3時間でかーっと目が覚める。しかたない。ベッドのなかで読書して夜が明けるのを待つ。

 

ホテルの朝食なんて…と思っていたけれど

 

 1日めの朝食はホテルで。朝食こそ街でいろいろ食べたい、というのが基本姿勢なのだが、スペインの朝は遅く、そして朝食はチュロスとコーヒーなどのほんとに軽いものしか食べないらしい。いくらビュッフェとはいえ1泊60ユーロくらいのホテルで、朝食に15ユーロも払うのは嫌なのだが、ホテルのレビューを見てると、ほぼ全員が「朝食は種類も多く、おいしく、大満足」みたいなことを書いているので、1回行ってもいいか!ということになった。だいたいおなかすいたし。

 スペインのこの時期の夜明けはなんと8時15分。したがって、朝食の始まる7時でも、外はほぼ真っ暗。なんだか変な感じ…と思いつつ、バーのように薄暗くてよい雰囲気の朝食ルームへ。うーん。この薄暗さのなかの奥に浮かび上がる数々のハム、ソーセージ、卵、ジュース、ヨーグルト、パン、グラノーラ、フルーツ…なんか素晴らしい。サラダの葉っぱがひどいこと以外は(本当にひどかった。スペイン人はサラダに重きをおかない、とどこかで読んだが、本当だと思った。3日前にちぎったんだじゃないだろうか)、なにを食べてもかなりおいしい。種類も豊富で目移りする。ビュッフェの料理もふだんはあてにしないものだけど、この朝食は(葉っぱ以外は)とてもおいしかった。ハム・ソーセージサラミ類、そしてオリーブがたくさんあるのを見て、また「スペインに来たのだなあ」と実感する。

 

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ホテルのサイトより。だいぶ陽が昇ってから撮ってるから明るい。私たちが行ったときはほぼバーだった。そして写真の倍くらい食べ物があった。

 

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本当は3日間すべてここで朝ごはん食べたかった…。

 スペイン旅行記 その13〜アエロフロートビジネスクラス搭乗記

 

 

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さて、夫と分かれてひとりビジネスクラスへ。まず成田〜モスクワ、それからトランジットしてモスクワ〜バルセロナ。全17時間。

 スタッガードではないし、チケットを購入したとき「残り2席」だったので、ビジネスといえどもそこまで快適を求めてはいけないと覚悟していた。しかしやはり、空間は広い。自分の席周辺の空間が広々としているのはもちろんだけど、なんていうか、全体的に広い。ほっとする。

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 そののち、隣席の男性が現れる。お互い、ほとんど動きのない会釈で目も合わせず挨拶。ああ、この人も人嫌いなのね。私もだよ。決して「ここで会ったのもなにかの縁。すこしおしゃべりでもしましょう。あなたはどちらへ?」などという会話は起こり得ない。起こっても困るのだが…。この人と10時間一緒かあ…とちょっと暗澹とした気持ちになる。

 …が、その5分後。CAさんが現れて彼になにかを囁くと、彼は荷物をまとめて真ん中の席へ移動! そう、「空席がありますからこちらへどうぞ」と言われたのだ! つまり私の隣は誰もいない! わーん、うれしいよー、と声が出そうになるのを必死でこらえる。不安要素だらけの今回の旅に、光がさした。いや、彼は別にいい人だったとは思います。すみません。

さらにその15分後、彼は真ん中席からも引っ越して、奥の窓際席に移動していた! つまり、この日のビジネスクラスはガラッガラだったのだ。全員、2席をひとりで使っていた。なおかつ、2席あいている席もあった。

 あー、ありがたい…と感謝しつつ、こんなにがらがらで、しかもチケット自体、あんなに安い値段で、近頃めっきりサービスグレードがあがったというアエロフロートの経営は大丈夫なのだろうかと心配になる。国からお金が出ているのだろうか。私は、突然アエロフロートが素晴らしいエアラインになったのは、間違いなくプーチンの肝いりなのだろうと信じている者なのだが…。オリンピックのドーピング騒動なんか見てもわかるとおり、彼は見栄っ張り。我が国のエアラインが他国民に笑われるほどよれよれだということに、耐えられなかったのではないかと…。ただの想像ですが。

 

 これぞロシア美人、といった美しいCAさん(と、感じのいいおじさんCAさん

がアメニティやウェルカムドリンクを配ってくれる。下戸の私はオレンジジュース。生絞りの味ではないが、果肉入りでおいしい。なにより、グラスで出てくるというだけでこんなにおいしく感じるのはなぜなのだろう。私を担当してくれるCAさんが挨拶に来る。名前………忘れました……。

  アメニティはフェラガモ。フェラガモの化粧品ねえ…?と思いつつも、ポーチがとてもしっかりした作りで、これは家でも使えるなあとうれしくなる。リップクリームがついているのも、乾燥する機内ではありがたい。アイマスクも便利。

 

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↑足元が不安になるくらい広くてうれしい。

 

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↑枕、布団(ブランケットではなく、布団だ!)、そして一番上にあるのは、タオルらしきもの。またタオルを持ち込み忘れて「しまった!」と思っていた私は感動する。

一見晒しのような、不思議な綿素材。間違いなく使い捨てだよね?と思い、持ち帰ってみた。もしかしてすごく好きな布かも…と思い。帰国後、一度水を通してからタオルとして顔をふいてみたが、かなりごわごわしていて、残念、はずれ。雑巾になりました。

 機内では結局、トイレに備えられていた小さなタオルハンカチで顔をふいた。紙タオルじゃなくて、うれしかった。まあでも、タオルは持参したほうがいいよね。

 

  ともかく飛行機は飛び立った。持参した耳栓をして耳痛も見事に避ける。乗り込んですぐ飲んだソラナックスが効いてるのか、離陸時の不安も起きず。それにしても、機内ってこんなに轟音なんだっけ? さっそく同じく持ち込んだBOSEノイズキャンセリングヘッドホンを装着。機内にあるヘッドホンはやはりノイズキャンセリングではなかったから…。驚くほど静かになってうれしいが、そのぶん、はずしたときの轟音がなんだかつらい。これまで機内はうるさくてつらい」と思ったこと、あまりないので、これも一段上の快楽を知ってしまったゆえの弊害なのかもしれない。ANAは静かでアエロフロートはうるさい、なんてことはないよね? とにかく、ヘッドホンをはずしていられなくなる。

 

 安定飛行にはいると、すぐに顔を洗に行き、席でシートマスクをして保湿につとめる。くつろぎ体勢が整いつつある。

  エンターテインメントはうまく使いこなせず、もとから期待もしていなかったので、ほとんど見ず。しかし夫によると「日本語対応の映画、結構あったよ」とのこと。

 

 離陸後1時間半後? ようやく食事が始まる。メニューには「お好きな時間にお出しします」と書いてあるけど、ほんとかな? 私はいつも、離陸時の不安や興奮がおさまって、安定飛行に入ると同時にようやくトロトロと眠気がやってきて、ああこのままいい感じで眠れそう…というときに食事が始まって起こされ、それを食べたあとはもう眠れない、という悪循環にはまるので、食事時間を好きに調節できる、というのは(カタール航空はそうだと聞く)結構憧れなのだが…。

 でもこの日は眠気はやってこなかったので、…というか、とにかく空腹だったので食事にする。

 

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↑まずクロスをしいてくれる!

 

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アミューズ。妙においしい。これから食事が始まる期待感も味に上乗せされているのかな。

 

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↑前菜。不思議な前菜…。とにかく日本人に合わせてた、懐石風のものが皿に並んでいる。しかしここで海苔巻き…。前菜で米食べたらあとは入らないではないか。これはおいしいものと、そうでもないものが混在。海苔巻きは食べず。パンは…なんというか不思議な味。これ、パンなのかな?と思う味と食感だった。

 

「食事の量がものすごい」というのは下調べでわかっていたので、食べなかったものは持参したジップロックコンテナーにこっそり詰めた。そう、出発直前、「あっ、コンテナもってこ!」と思いついたのだ。ご丁寧に携帯フォークまで持参した。トランジットのとき、夫が食べたがる気がして。うちの夫はなんでも食べたがる。うーん、貧乏くさいなあと思いつつ、あれこれ残して申し訳ない思いをするよりいいよね、と開きなおる。しかしこんな行為も、隣に人がいないからこそできること。ありがたい。

 

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↑サラダ。シンプルだが、葉はぱりっとしているし、ドレッシングは素直な味ですごくおいしい。機内でおいしいサラダが食べられるのかあ、と感心。

 

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↑お茶のスープ。アエロフロートは機内で暖かいスープが出る、珍しいエアラインなのだそうだ。しかし今後を見越して、「半分にして」と頼んでおいた。味は…残念ながらいまひとつ。

 

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↑メインのアクアパッツァ。これは……これは全然おいしくない!がっかり! おいしくなさそうだし、おいしくなかった。魚には味がなく、つけ合わせの野菜はもはやなんの野菜なのか不明なほど味も食感もなかった。サラダがおいしいということはレベルは高いはず、と期待していただけに残念感が強い。日本発の機内食は、海外発の機内食より断然おいしい(というか口にあう)と固く信じている自分には、なかなかショック。行きがこれでは、帰りは……。

 

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↑が、デザートはかなりおいしかった。マンゴーアイスにチョコレートソース。これのおかげで「おいしくないのも楽しい経験」とまで思えた。

 

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↑食後のお茶には、チョコレート。なかのレリーフまで凝っていて、軽く感動。かなりおいしいし。パッケージもいろいろある。

 

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↑水もかわいい…。ロシアって、“かわいい”国なのか? あちこちで感心してしまう。

 

 さて、食事も終わり、寝ます。寝れますかね? ここからが勝負です。どんな勝負かというと、「機内で快適に過ごせたと思えるかどうか」の勝負。とはいえ、そもそも今は日本時間の16時くらい。寝れるほうがおかしいのだが…。持参した中野京子さんの本を読み、機内が暗くなったらマイスリーを飲んで、ベッドをフラットにして(たしかフルフラットではない)、iPad町山智浩さんのポッドキャストを聞きながら寝る体勢をつくる。布団が適度に重みがあって気持ちいい。あんまり軽いと安心感が得られない。

 

 しかし、なかなか眠れない。こんな時間に眠れるわけがない、という思い込みがよけい頭をぎらつかせる。目を閉じていると、機内の轟音がものすごく気になる。たとえBOSEをしていても。この轟音からはいかにしても逃れられない、と思い始めると、胸が苦しくなってくる。しかも、耳が痛くないようにとイヤホンでなくヘッドホンにしたのだが、考えてみればヘッドホンをして眠ろうとすると、かなり体勢が限られるのですね。ちょっとうごくとすぐ耳からずれて…。うーん。安定姿勢が探しきれない。轟音が耳につく。心がざわざわする。あー。始まってしまった。こうなるとちょっと危険。パニックの入り口なのだ…。

 

 それでも町山ポッドキャストがかなり面白かったこともあり、うとうと→ポッドキャスト巻き戻す→またうとうとで、なんとか心を平静に保つ。たぶんいくらかは眠れたはず。町山さんのポッドキャストは中身が濃いので、何度も巻き戻して同じところを聞き返す、くらいでちょうどいい。「へーえ!」と思った瞬間にもう忘れてしまう老化した脳だから、同じことを聞くのが苦痛でないのだ。何度も前に戻って、何度も「へーえ!」と思う。ちなみに行きの飛行機で聞いていたのは、「映画の脚本について考える」三部作。1本1時間弱。キャンベルの神話論、映画「アダプテーション」にみる脚本作り…等々、どの話もすごくおもしろい。もっとDLしておくべきだった…と後悔する。

 

 暗いなか、おじさんCAさんがスナックを持って巡回していて、ひとつもらう。

 

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↑チーズ味。あとでスペイン産らしいと知った。ジャンクな味で、すっごくおいしい。食事が不完全燃焼だったから? 機内で食べたから? よけいおいしく感じたのだろう。ハッピーターンに似ている。

 

 なんとかかんとか浅い眠りを得て、到着2時間前に朝食。オープンサンドやデザートはお決まりだが、牛肉のドリアか茶碗蒸し、どちらかを選ぶという、不可解な選択を迫られる。何度読んでもそうかいてある。??

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↑で、朝ごはんきた。ドリアと茶碗蒸しの理由判明。どちらも小さなボウルカップに入ってるということなのね。このドリア、そこそこおいしかったけど、茶碗蒸しにすればよかったかなあ。オープンサンドはかなりおいしかった。ケーキはよくわからない味。

 

 CAさんたちはみなとても感じがよかった。日本語は通じないが、ほぼANAに負けないサービスぶり。なぜか今、一番思い出すのは、おじさんCAだ。なんだかすごくいい人そうだったからだろうか。

 

 約10時間後、モスクワ到着。モスクワかあ~! まさか自分がこの地に来ようとは。ただのトランジットだが、それでも感慨深い。

 

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↑機内から見たモスクワの夜景に感動。

 

 高校大学とさんざん読んだドストエフスキートルストイ。ロシアの歴史、なんて分厚い本も買って読んだことあったな。だからすごく馴染みがある。なのに、でも絶対行かないだろうな…という国だった。でも来たなあ。街にでないのにここまでしみじみするとは。やはりストップオーバーして1日くらい見物するべきだったなあ。

 

 シェレメチェボ空港。夫と再会。空港内はちょっと暗い感じ…。でもかわいいカフェ発見。やはりロシアはかわいいのか。入りたかったけど、搭乗口からかなり離れていたので、断念。

 

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↑シェレメチェボ空港のカフェ。奥にいるロシア人の眼が…。

 

 2時間くらい別のカフェで待つ。トランジットってほとんどしたことがないので、なかなかしんどい。だって10時間飛行機に乗って、降りて、待って、さらにまた乗るって……どういうことなんだろうか。近距離だから小さな飛行機で、座席もさぞ狭かろう…などと思って、どんより。夫は私の持ってきた機内食をばくばく食べている。

 

 モスクワではトランジットは戸外に出る。とも、下調べ済み。気温はマイナス7℃。ボーディングチェックを受けたあと、階段を降りると、そこは外だった…。離れたところに大きなバスが待機している。バスには座席はなく、ドア開けっ放し。うへー、さむ…とおもいながら待つ。外は真っ暗。20分くらい待ったあと、ようやく出発。

 

 モスクワ→バルセロナ間の機材はやはり小さかった。ビジネスなのに、新幹線より座席空間は狭い気がする。CAさんも氷のように冷たい表情(に見えた…)。隣に人がいなかったのだけが救いで、この旅行のなかで一番しんどかったのが、この二番目の飛行機だった。

 滑走を始めて、ぐいーんと走ってたかと思うと、のろのろになって、あげく止まってしまったのだ。誰もなにも言わず、真っ暗な機内でただ止まっている。よくあることなのだろう、と言い聞かせるが、この密閉空間でしーんとして、ただ止まっている、というのがもうたまらなく怖い。うわー、つれえ……。なにを考えよう? なにを思えばいいのか? 耐えること15分くらい? 30分? 時間は全然わからないのだが、かなり待たされたあと、ようやく出発した。

 あとで夫に「飛行機、全然出発しなかったよね?」と尋ねると、「え、そうなん?

寝てたから全然気づかんかった」。搭乗した瞬間に寝るのか…眠れるのか……すごい…どれだけ適応してるんだよ…。それならエコノミーで全然いいよなあ。

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↑食事。前菜とメイン。味はまあ普通。ていうか、心労でへとへとで、味もくそもないというか、とにかくはやく降ろしてほしい、地面の安定した広い空間へ…とそれだけを思っていたので、食事の印象がほとんどない。でもこのアスパラ、ないよね。

 

 CAさんはやはり、丁寧だけど冷たい感じだった。よけいなサービスはいっさいしませんからね!という感じだった。それがこの時間をつらくさせた一因かもしれない。離陸時に窓を開けていた私のところへ、小走りにやってきて、「閉めて! 閉めて!」ときつく指図されたし。

 ANAのときはいつも、機内でパニクったとき、彼女たちを見て平静を取り戻していた。「こんなにきちんとしたお姉さんたちが、日常的に飛行機に乗って、しかも立ちっぱなしで人のお世話をしているのだ!」という事実が、私を安堵させるのである。飛行機に乗ることは、ごく普通のことなのだ、なんなら人のお世話だって笑顔でできるほど…と。

「あの…」と首をちょっと前に出すだけで、「はいっ」と笑顔でやってきてくれるCAさん。きっと「恐ろしいんです」と言ったら、手を握り背中をさすって「大丈夫ですよ」と笑ってくれるだろう。まだ言ったことないけど。そんなお姉さんたちは、いまどこにもいない。意味不明の言語を喋る異国の女たちばかり。

 

 それでも飛行機はちゃんと私(と夫)をバルセロナに運んでくれた。7時間だと思っていたが(これがまたつらかった)、それはトランジットを含めての時間で、フライト時間は3時間半~4時間くらいだった。なので最後は、「え、もう着くんだ!?」といううれしい誤算で着陸。

 

 ああようやく。ついに、ついにスペインに到着しました!

おまけ。

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 ↑エコノミーの夫の機内食

「海苔巻き、寿司、ご飯、パン、ケーキ…。見ろよ、この炭水化物の量。すごくない?」。

でも彼は機内食大好きなので、ばくばく食べたそうです。味はへんてこだったそうです。