独楽ログ〜こまログ〜

50代、女性、日本人、がひとりで毎日楽しくすごす方法を検証、実践、そして記録。

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スペイン旅行記 その29 Airbnbの限界を見た!

風呂は一日の禊

 …マドリードはつめこまない。と、決意したわりには、最後のソフィア芸術センターではすべてを素通りしてしまったほど疲れてしまった。自己コントロールというのは本当に難しい。

 しかしまあ、それもすべて終えて、意外にもおいしかったアメリカ料理を食べ、さあ、暖かいお風呂に入って寝ましょう、という段階に、それは起きた。

 

 我々の部屋には小さなプライベートバスがついていて、念願のバスタブはもちろん、ジェットバスまでついているというすごいバスルームだった。

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⇧なんかうまいことバスルームの全景を撮った写真がみつからず…。

 

 私はくじいた足を日々悪化させている夫のために、たまには先に入りなさいよ、と思いやりを見せて、バスタブに湯をためてあげた。そろそろいいかも、と声をかけて、彼が、ありがとうと言ってバスルームに消えて2分後。

「うわっ、なんだこりゃ!」

 バスタブにたまっていたのは、湯ではなく水だった。全裸になって思いっきり足を突っ込んだら真水だったので、思わず声をあげたらしい。う、かわいそう。そして、ここからまた、ひと騒動。

 

 どういうわけか、お湯が出ないのであった………。

 たしかにこのお風呂は、温度調節が難しいなと感じてはいた。突然ぬるくなったり熱くなったり、お湯がちょろちょろでたり、その逆だったりしたからだ。しかし、ある程度お湯が出て、よしオッケー、ということで浴槽にためたのだが、どうもその後すぐに水になってしまったらしい。

 カランではなくシャワーで出せばいいのではないか、カランを思い切りひねればいいのではないか、いや半分くらいがいいのではないか、等、様々に試したが、水のまま。台所にある給湯器(なんかあちこち扉をあけて探し出した)を夫が見に行き、「どうも作動してないらしい。この赤いランプがつくはずだけど、ついてないから。たぶん、もともと調子があんまりよくないのだろう」という。私は、「こういうときって、しばらくストップするべきだと思う」と言うと、夫は「いや、俺はずっと出しっぱなしにしておけば、なおると思う」とまるで反対のことを言う。いつもはすぐ言い負かされるのだけど、このときは、納得できなかった。私の野生の勘が、「しばらく休ませるべきだ」と警報を送っていたのである。しかし夫も譲らず、水を止めない。

 結局、諦めて私たちは顔と歯だけ洗って寝た。

 夫は疲れていると、平気で風呂に入らず寝てしまう人間だが、私にとってどうも風呂というものは禊のようなものらしく、風呂に入らずにベッドに入る、ということがまず考えられないし、実際そうやって寝ると、不快でたまらず、体が硬直して眠れない。まあ、メンタルが弱いってことなのだが。しかもこのときは真冬。さあ、あの素敵なお風呂で温まろう!と意気込んでいただけに、水しかでないというこの事態は相当ショックだった。裸になって真水につかった夫もつらかったろう。

 しかし、湯が出るのを待っている間、顔も洗い歯も磨きおえていたので、「もうだめだ。湯は出ない」と見切りをつけたあと、パジャマに着替えた。そして、心を鬼にして、「私は汚くない」と唱えて、布団に入った。

「まあ、湯船につかってる途中で水にならなかったのは不幸中の幸いだった」とつぶやいて布団をかぶると、夫が「おっ、前向きだね!」とちょっと驚いて笑った。

 そう、いつもだったらこのような状況で、私はただ泣いたりわめいたり落胆するのみ、の人間だったのである。「わあああー。こんなに疲れて寒いのに、お風呂に入れないー。わああああー。なんでー。どうしてー」と朝までわめきかねない、そんな未熟な人間であった…。しかし、いつのまにやら成長していたらしい(?)! 頭を切り替える、という新しい作戦を思いついたのである。「私は汚くない」「明日になったら湯は出る可能性もある」と唱えて寝てしまうのが、今、最も自分を楽に、幸せにする道なのだと、気づいたのである。そして実際、眠れた。自分でも驚いた。これは…なかなか成長である!

民泊、ここが限界点か

 自分の成長をかいま見た、という喜ばしいことがあったものの、疲れ切った一日の終わりに風呂に入れないというのは、つらいことにはかわりない。この事件で、私はつくづくと「ああー。これがAirbnbの限界かあ」と感じたのである。つまり、あの状況----夜遅く、風呂が壊れたとき----で、簡単に文句が言えないのである…。

いや、もちろん、言おうと思えば言える。言う権利はある。言うのが普通だし、大方の人は言うかもしれない。でも、私は、「ここでマリアを起こせない(寝てたかどうかもわからないが)」と思った。ついさっき、あの大量の洗濯をしてもらったということもあるし、そもそもマリアに言ったところで、あの給湯器がすぐに直るとも思えなかったのだ。「これがホテルなら……これがホテルだったら即、部屋を替えてもらうのに……」と思った。何度も思った。しかし、ここは普通の人の家。お金を払ってるとはいえ、できるだけつらい思いはしたくないし、させたくない。すると、クレームはよほどのことがないかぎり引っ込めてしまうのだ。「Airbnbだとこういうことがあるのだなあ。ホストがいい人であればあるほど、“悪くて言い出せない”ということが…」。

 なにもかもホテルより素晴らしい、と心底信じていたAirbnb。その限界を、この日見たのである…。

 そんな大げさな話でもないのですが。

 ただこういうとき思うのは、クレーム天国&お客様は神様ですの国、日本で暮らしていると、「多少の不便は我慢すれば?」という、ごく常識的なことを忘れてしまいがちなのだ、ということである。それがたとえ商売上のことであったとしても。

 まあ、ホテルに止まっててお湯が出なかったら、たぶん100%部屋を替えてもらおうとは思うけど、そうでもない、我慢しようと思えば我慢できることを、「なってない」とか「仕事はちゃんとしてもらわないと」的な感覚で、あれこれ追求するのは考えものだなあ、などと思ったりする。日本人は重箱のすみをつついて完璧を追求するからこそ、誰もが驚くおもてなしをできるのだし、敗戦後、猛スピードで経済成長できたのだとも思うけれど、自分にも他人にも完璧を求めすぎて、だからみんなすっかりぎすぎすしてしまった、という側面もあると思う。

 だからなにが言いたいのかというと、たしかにこれがAirbnbの、民泊の限界点ではあるのだけれど、だからといってホテルに舞い戻るのではなく、これもまたよし、旅の思い出にはいいネタでしょ、という心構えでいきたいものですね、というお話です。

 ちなみに、朝起きたら、がんばった私にご褒美をくれるかのように湯が出た。すっごくありがたかったです。

スペイン旅行記 その28 スペインのイタリア風アメリカンレストラン

中年女性は批判に弱い

「こうして読むと、マリア、気持ち悪いね」

 と、前回の記事を読んだ夫が言った。

「俺はマリアに会ってるから、いい人だってわかるけど、ああして文章になって読んでみると、ただの気持ち悪くて怖い人にも思えなくもないね」。

 ………。

「それはつまり、私の文章力がマリアを表現しきれていない、ということですか?」 と丁寧語で聞いてみると、「まあ、そういうことかなあ」。

 それで批判に弱い中年女性は無性に頭に来て、昨日は終日、書こうと思っていた旅行記の続きも書かずにドラマ「LOST」(今更!)と「ハウス・オブ・カード」をだら見して終わってました…。

 

 しかし今日は、そんなことではいかん、と思って立ち直りました。というわけでもう夕方だけれど書いている次第。前回の記事も読み直して、もっとマリアのいい人ぶりが伝わるよう、書き直さなければ。……そのうち…。

 

記憶からあふれたソフィア王妃芸術センター

 とりあえずは、マドリード2日め、洗濯事件の続きの夜から。

 

 ソフィア王妃芸術センターは平日19時~21時は無料入場できるので(日曜は13時~)、夜でかけることにした。ここも宿からは10分かそこら。おもしろかったのですが、昼の衝撃が強すぎたせいか、マリア洗濯事件で動揺してたのか、あまり記憶にありません…。もちろん、行くべき場所ではありますが。たしか、面白い絵もたくさん見たのですが、プラド(とくにゴヤ)→腰痛でマドリードをさまよう→洗濯してあった…のたくさんの事件が短時間に起きて、私の容量はもういっぱいだったのかもしれない。とにかくあんまり覚えていない。

 

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 帰り道、夜のマドリードをふらふらしながら、まだまだがらすきの、開店したてのレストランをのぞき、なにか食べようかと相談するが、おいしそうな店がありすぎて、決めきれない。しかし、夜にがっつり食べる習慣がないため私はなんなら食べなくてもいい。というか、夜9時におなかふくらませたくない。そこで、「俺は食べたいんだ」という夫の好きに決めさせることに。

 

 バルにするかフレンチにするか…などと悩んでいたはずなのに、なぜか連れて行かれたのはハンバーガー=アメリカン料理店。え? スペインでハンバーガー? なぜ?

「なんか肉が食いたい。評価も悪くないし」

 ふうん……いいのかなあ…と半信半疑で入店。店内はがらすき。土曜の夜9時すぎなのに、すいている。大丈夫なのだろうか。あの店もこの店も混んでたけど。

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 しかも、なんとも不思議な店だ。椅子やテーブルはウッディなアメリカンカントリー風なのに、店内のいたるところに古代ローマ風円柱がある。しかしその合間の壁には、メニューをラフに書いた黒板。いわば東京のカジュアルダイニング的な…。メニューを見ると値段は結構する。カトラリー類は重厚でグラス類もいろいろおいてあって、ファミレスとは一線を画してる風でもある。なんだろう…よくわからない…。なにを目指してこの店になったのだろうか…。戸惑いながら夫は当初の目的のハンバーガーを、私は野菜のグリルを注文。

 

 そしたら、またも美食の女神が現れたのであった。マドリードのアメリカン料理店にまで。

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 まず、お通し的な、必ずついてくる小さなソーセージ類をひとくち適当に口に入れたら、「あら!おいし!」と驚く。「やっぱり肉の国だからかなあ?こんなおまけのような肉がやたらおいしいなあ」と、何も食べないつもりだったのに、1本2本と口に入れてしまう。続いてきた野菜のグリルも、大ぶりに切った野菜たちが炭火で焼かれて、どーん、と大皿に載っていて、実においしそう。

 

実際、しっかり火が通っていて、香ばしくておいしい。夫のハンバーガーも予想外に立派なのが来て、テンションがあがる。食べたら食べたで、「うわ、これうまい」と声を荒げる。「肉が……肉が…」と言いながら、むしゃむしゃ食べる夫。

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 ひとくちもらってみると、たしかに肉がうまい。今挽いた、というような塊肉の残り香(?)をたっぷりふくんだ、ジューシーなパテで、あー、これは確かに、と、ひとくちのはずがふたくちみくち、ととまらない。しかも挟んであるのはレタスではなくルッコラ、とかいうのも気が利いてる。パンはチャバタだし、なんだろう、ここはマドリードにある、イタリア風アメリカンレストラン、なのか?

 こんなへんてこりんな、しかも週末の夜にがらすきの店なのに…つくづくおいしい店の判断は難しい。

 

 しかし本当に何を食べてもおいしい。なにか不思議なものに守られてる感すら出てきたなあ、などと言い合いながら帰りました。

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夜のマドリード

…で、このあとは風呂に入って寝るだけ、なのだが、このあともかるーく事件が起きるのであった…。つづく…。

 

スペイン旅行記 その27 昼食の幸運とマリア事件

振り返ると(?)5月だった…

 いつのまにかGWになってしまった。とくにだらけた記憶もないのに、1月の旅行記を書いててほぼ5月になって、しかもまだ終わっていないというのはどういうことなのだろうか…。

 ともあれ、1年のうちで一番美しい季節がやってきた。桜もいいけど、そのあとの新緑はもっといい。新緑って、どれだけ見ていても飽きないから不思議。毎年、大型連休は家の周辺以外はどこもいかず(どこも混んでるから)、気持ちいいなあ~と5月の風に吹かれながら、みんなが一生懸命出歩いているさまを眺めているのが好きです。だからニュースで高速渋滞情報を見たり、新幹線の駅での街頭インタビューを見たりとか。「孫が遊びに来てくれたんですが、もう帰っちゃいます」とかいうおじいさんの話。「明日から仕事です」と子供を抱きかかえるお父さんの話。代々木公園ではこんなイベントが行われました、とか。「すごい人だねえ~大変だねえ~」と言いながらこういうニュースを見るの、かなり楽しい。

 自分では充実した連休のつもりなのだけど、誰かに「連休どうしてました?」と聞かれて(みんなこれ聞くよね。まあ便利な話題なんだろうが)これを答えると、「へえ……」と、返事のしようがねえなあ…みたいな顔をされることが多い。そんなに連休ってどこかに行かなければいけないのかしら? 逆に緑がきれいだから、近所を散歩するだけでもかなり充実するのだけれど…。今は新緑と、モッコウバラが猛烈に咲いてますね。ジャスミンは今、蕾を膨らませ中。

 

大事なランチを忘れていた 

 しかし心はまた1月に戻らなければ。

 あまりに昔すぎて、マドリード2日めのランチを書くのを忘れました。大事なランチでした。

 プラド美術館を出て、では近所でごはんを、ということになった。おいしそうなレストランがたくさんあって、Googleのレビューもみんな高評価で、かなり迷う。なかでも飛び抜けて高評価な店があってまずそこへ行くが、「3週間先まで予約いっぱい」などと東京みたいなことを言われてしまう。では、あそこかここか…と迷ったが、なぜか夫が「俺、ここがいいと思うんだけど」と言い出した店、「Restaurante Bistronomika」は、新しい店なのか、まるきりレビューが出てこない。

 


This photo of Restaurante Bistronomika is courtesy of TripAdvisor

 

 ものすごい賭けだけど、ネットの評価って実はそこまであてにならないし(高評価だとハードルあげちゃうからか?)、メニュー自体はおいしそうなので、よし、賭けてみよう、と入店。でも誰もいない…。

 

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なぜならばこの日も12時半とか1時とかいう、スペインではまだ誰も昼を食べない時間だったから。もちろん店も開けたばかり。時間外だから誰もいないなのか、あまりおいしくないから誰もいないのか、それはわからない……。

 


Deze foto van Restaurante Bistronomika is beschikbaar gesteld door TripAdvisor

⇧私たちが座った席。

 

「とりあえず1,2品頼んでみよう」と、いつもの作戦。

 まずはこのカニとポテトのサラダを…。

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 しかしここもサラゴサ同様、びっくりするほど大当たりだった。「あれ? なんかこれ…すっごくおいしくない?」とおどおどと夫の顔色を伺う私。まるでおいしいといけないかのようだ。だが、一緒にきたシード類たっぷりついた雑穀パンも、パンは普通のスペインにあって、噛めば噛むほど味が濃くておいしくなる、かなりのレベル。

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夫も、もぐもぐと口を動かして黙ったあと、「うん、これはかなり、おいしい」とうなずいた。だよね、おいしいよね!?と同意しあって、よし突撃だ、とがんがん頼む。相変わらずお客はちっとも入ってこないけど、やってくる皿はどれもこれもおいしいので、なにここも、大当たりなの? レビューもない店なのに? すごい、幸運すぎる!などとあれこれ言いながらどんどん食べる。

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⇧イカ。炭火焼き。めっちゃ香ばしくておいしい。

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レッドカレー。カレー、なのですね、これ。したにはじゃがいものピュレ。上にはシャンツァイ。

 

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⇧トリッパ。ホルモン好きの夫が、「なんでおいしいんだ」と最後の一滴まで飲み干した。

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⇧レモンタルト。楕円形にくり抜いたサブレ生地にレモンカード、ライム(かな?)ソルベのせ! 素晴らしいコンビネーション、抜群においしい。しかも普通のタルトより作るの簡単そうだ…。

 

 店内や食器類はモダンでおしゃれ、でも正直、高級感はあまりない…つまり、東京にあったら絶対あんまり美味しくない、「子供だまし」的なインテリアと言えなくもない(いや、素敵な店なんですけどね)。けれど味は間違いなかった。味もおいしいし、“え、これカレーなの?”“なるほど、これがタルトなのかあ”とか、皿にいちいち驚きがある。楽しいし、おいしい。なので、あれこれ興奮しているうちにあっというまに時間がすぎていく。

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⇧最後のお茶。あちこちで鉄瓶でお茶を出す店に遭遇した。流行ってるのかしら。

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⇧外に貼ってあったメニュー。夫に、なぜここに賭けてみたいのかと思ったのか、あとで聞いたら、「メニューの最後にシェフの名前が書いてあって、なんだかいけそうな気がした」とのことでした。

 

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⇧お会計のレシートは蒸篭に入ってでてきた!

 

 うーん、すごかったねえ~と言いながら食事を終え、我々は自由行動に散ったのでした。

 

 ちなみにググっても出てこなかったのは、夫が単に店名の入力ミスしていたから、でした。調べなおしたら高評価でした。ちゃんちゃん。

 

マリア洗濯事件

 このランチのあと、私はひとりでマドリードをさまよい、腰を痛め、祭りにもまれて夕方、ようやくマリアの家に帰るのですが、帰る10分くらい前、なんとか命を保っていたiPhoneで「家帰ってる? 帰ってたらマリアに頼んで洗濯機を貸してもらって。そして洗濯して」とメッセージを送ると、「なんか洗濯してあるよ?」と不思議な返事が。 なにを言ってるんだろう、この男は…と思いながら、帰宅すると、本当に洗濯がしてあった。

 

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↑こんなふうに!!

 

 ロープにぶら下がっているのは、間違いなく我々の衣類である…。激しく動揺する私。しかしバスルームの、洗面器につけおいた下着も、スーパーの袋にぎっしり詰め込んだ洗濯待ちの衣類も、全部消えている。えー!? あの汚れ物を全部マリアが洗ってくれたってこと!? えー? そんなことあるの!?

 しかも、部屋も完璧にきれいになっている。部屋に入ってはこないのだろうと油断して結構好き放題にしていたのだが、部屋のすみに放置しておいたスーツケースは奥のクローゼットにしまわれているし、テーブルセッティングも昨日の到着時と同じようにまた全てがきれいに元通りになっている………。棚に適当に突っ込んだ化粧道具類、きれいな下着靴下類も並びなおされている。うわー、恥ずかしい! とてつもなく恥ずかしい! こんなことならもっときれいにしておくんだった! ていうか洗面器から汚れ物を出してまで洗うとはどういうことだろう!? あのビニール袋の中身が汚れ物だとなぜきっぱり判断できたのだろう!? しばらくうろたえ続ける私。

 うろたえているとマリアがどこかから帰ってきたので、とにかく強烈に謝ってお礼を言う。恐縮している、ということを全面的にアピールする。しかしマリアはにこにこして「いいのよー」と笑っている。「いやでもこんなにまでしてもらって…申し訳なさすぎるんですけど…」的なことをいつまでも言い続けていると、マリアは「That's the way of my life」とまたにっこりした。

 英文はうろ覚えなのだが、とにかく「いいの。これが私の生き方なのよ」と私の頭には入ってきた。それを聞いた瞬間に、「あ、いいのか」と、すーっと納得してしまった。こんなにしてもらうのは申し訳ないとか、ここまでするのはプライバシーの侵害ではないだろうか、とか、とにかく様々な感情が入り乱れていたのだが、この一言と笑顔ですべてが消滅してしまい、「これでいいのだ」と思ってしまった。すごい威力のある言葉だった。

 ここはマリアの家だし、マリアはうれしそうだから、これでいいのだ。そしたら、すっかり気が楽になってしまった。  

 私がお土産の日本手ぬぐいを渡すと、ものすごく感激してくれ、すぐさま首に巻いて(スカーフにもなる素敵な柄だったのだ)、しかも「ぜひ写真を撮りましょう、ね?」と言ってカメラを持ってきた。そしてそのスカーフをしたまま妹さんとの食事にでかけていった。とにかくまあ、本当に心底かわいらしい人だと昨日に続き、今日もつくづく思った。

 居間の大きな絵は両親から受け継いだもので、お母さんはファッションジャーナリストで、お兄さんは有名な造園家で、ほかにふたり妹がいて…等々、彼らのことをたくさん話してくれた。家族のことをこんなふうにうれしそうに話す人って、日本ではあまり会えないなあ、と話ながら私はしみじみ考える。

 この素敵なアパートを見回しても、彼女が裕福で幸福な人生を歩んできたのだということは想像つく。恵まれた環境で、愛されて育って、そこから愛することを学んだ人なのだろう。家族から友人から、数日間だけつきあう東洋人まで、「関わった人をしっかり愛する」ということが、彼女の「the way of life」なのだ。

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⇧ご両親から受け継いだ絵。

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⇧造園家のお兄さん(作風はZENの影響を受けている!)の作品。 

素敵な人に出会えてよかったなあ、とほのぼのした気持ちで眠りについた。

スペイン旅行記 その26 プラド美術館と土曜のグランビア通り

まずはプラドへ!

 

 マリアの家はプラド美術館から徒歩10分という絶好の場所にある。石畳、古い建物、路地、とやはりここもヨーロッパらしい町並みで、ぶらぶらするのが楽しい。

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早く寝たので早く起きてしまったが、例によって店はあまりやっていない。週末だからなおさらのようだ。しかしわずかにやっていたカフェが楽しく、全然期待していなかったクロワッサンサンドもおいしくて、得した気分。いまさらだけれど、スペインというのは、なにを食べても間違いのない、本当に本当に美食の国、なのかしら? と今更思い始める。

 

 部屋のバスルームで、持参した洗面器で洗濯しかけるが、途中でいいかげん面倒くさくなってきて、マリアの洗濯機を借りることにする。しかし私たちが出かけたときには会えなかったので、美術館から帰ったら借りることにする。洗いかけた靴下などの下着は洗面器に洗剤を溶かしてつけおいておく。すぐ洗濯できるよう、バスルームには汚れ物をひとつにまとめておく。

 

 さて、とにもかくにもプラド美術館に行かなければ。調べてみたが、美術館パス的なものもなさそうで、オフシーズンは普通に行って普通に入場券を買えばいいみたいよ?ということで、そのまま行く。15分かそこら並んだだけで買えた。入場券は、普通のものと、2日間入場可能券と、分厚いガイド本つき、がある。値段的にはかなりお得。日本語版もあるので、かなりひかれたけどやめた。今思うとなぜ? なぜ買わなかったのだろう?? 夫は1日券、私は明日も来たいかも、と思い悩んだ末2日間券。これは正しい選択だった。

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 ⇧ああ、ついに…。

 

願いが叶う

 この旅の二大目的は、バルセロナでガウディを観る、マドリードプラド美術館のベラスケスとヒエロニムス・ボスを観る、である。はるばるこれだけの労苦をかけてここまでやってきて、ベラスケスたちがどこぞの美術館に貸し出されるなどしてなかったらどうしよう、というのが最大の悩みだった。美術館にメールで問い合わせたけどもちろん返事なし。あれこれ試したけどなにもわからず、最後は面倒になって、えーい、きっとある、と信じて行ってみよう!と結局なんの確信も得られぬまま旅行をブッキングしてしまったのだ。

 ここまで来てなかったら哀しいなあ…いや前回、パリのルーブルやオルセーで、「これを観たい」というものが、どういうわけ見つけられなくて、かなりがっかりしたのである。「また来ればいいや」というレベルの距離ではない。

 

 プラド美術館は撮影不可なので撮れなかったのだが、結果的に言うと、全部見れた。あっさりと、見れた。(実は1点だけないものがあったのだが、まあよしとしよう)。この美術館はなんだか非常に見やすい。とんでもない量のお宝があるわりにはコンパクトで、NYのメトロポリタンのように“あまりにも広大で、自分がどこにいるのかわからなくて閉所恐怖のような広場恐怖にかかって具合が悪くなる”こともなく、ルーブルのように“とにかく大きすぎて、なんだかすべてどうでもよくなってくる”ということがない。そしてフロアガイドの裏には、絵の写真入りで「観るべきもの」がどこにあるのか、ひと目でわかるよう解説が載っている。ものすごーく便利だ!

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 「ラス・メニーナス」も「キリストの磔刑」も「フェリペ四世の肖像」も「バッカスの勝利」も「ウルカヌスの鍛冶場」も観れた。妖しい色気むんむんのティツィアーノの「軍服姿のフェリペ皇太子」も観れた。ボスのめくるめく異形ワールドも堪能した。こんなに一度に観ていいのだろうか、となんだか罪悪感を覚えるほど、次から次へとすごい絵を観た。

 感無量。願いが完全に叶うっていうのは、中高年になると珍しいから、こんなにパーフェクトに叶えられると、本当に胸がすく。爽快である。

 どの絵も充実感たっぷりで「観た!」感に満ちていたけれど、しかしそれらとは別に、強烈だったのは実はゴヤだった。

 

プラド美術館ね。いいよね。でも行ったらゴヤも観なくちゃいけないよ…」と友達が言っていた。苦しそうな顔をして。その意味がわかった。

マドリード、1808年5月3日」を観た瞬間、頭を強打されたような衝撃。絵を観てこういうたぐいの感覚に襲われたのは初めてだ。この夜にソフィア芸術センターの「ゲルニカ」を観たけど、この感覚は訪れなかった。

 あの絵のなかにいる人たちの顔があまりにもリアルで、本当にすぐ目の前に、今から銃殺される人間がいるように思えたのだ。自動的に涙がだーっと溢れて、これを夫や周囲の人から隠すのに苦労した。ああ、アイメイクが流れる…。いやでも、本当にびっくりした。まぶたが硬直して瞬きができないような気がした。

 

マドリードの繁華街でパニック

 昼過ぎに美術館を出て、午後は自由行動。夫はアパートや近くのスタバで仕事をするというので、私は散歩がてら遠くのデパート、「エル・コルテ・イングレス」まで歩くことにする。

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⇧最初はかわいい店など眺めて楽しんでいた。

 

 実は私も旅行前から持病の腰痛が少しでていて、念のためコルセットをしていたのだけど、この日は疲れがピークだったらしく、ちょっと歩いただけでもう腰が痺れてきて、嫌な予感がした。しかし「まあ、いざとなったらタクシーに乗って帰ればいい」と思い、無謀にてくてくと歩いた。もちろん道は間違えていて、有名なグランビア通りに出れたのはうれしかったが、ここを目指していなかったのであせった。なぜならば、私のiPhoneはすごい勢いでバッテリーを消費していて、帰るまでに息絶えてしまいそうだったからである。とにかくiPhoneには生きていてほしいので、もうこれで地図を見るのはやめにする。しかし、持っていたガイドの地図では、どうにもこうにも現在地がわからない。地図でわかるのはエル・コルテ・イングレスのみ。現在地もマリアの家も不明。今自分がどこにいるのか、そしてどこへ行けばいいのか、皆目見当がつかないという事態に陥っていた。いつのまにか。

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⇧グランビア通りの、この有名な地点にいたころは、まだわかっていたのだが。

 

 そのうちどんどん腰がしびれてきて、5分おきにそこいら(カフェのオープンの席とか、ベンチとか、花壇とか)に座らないと歩けなくなってきてしまった。

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⇧こういうところとか。

 

 初めて観るマドリードの街を堪能しつつ、次第に追い詰められる私。追い詰められると「タクシーに乗ればいいじゃない」という最終手段すら、なんだか意味なく叶わないことのように思えてくる。そう、これは明らかにパニックの予兆…。

 しかもこのとき、土曜の午後。東京と同じで、すごい勢いで人があちこちに溢れ出してきた。うわー。週末の都心なんて絶対出歩かない、と東京では決めてる私が今、スペインの繁華街を、人に洗われて歩いてるよー…と誰に言うでもなく言いながら、ひたすら歩く。腰をおさえて、歩く。ここを歩いてもエル・コルテ・イングレスにはたぶん着かない、とわかってはいたのだが…。

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⇧スペインは難民歓迎なのだ! でもこの建物はなんだろう…。

 

 

  かなり歩いたあと(5,6kmかな?)、通りかかった歴史博物館という建物名を地図上に発見してようやく現在地発見。東に行くべきところを、えんえんと北上していたのだと知る。くー。ここからエル・コルテ・イングレスまでどんだけ歩かなければならないのか…。しかも、そんなにしてまでここに行きたいわけでもない。なにか楽しいお土産があればいいなあという程度なのだ…。しかし半分パニックになりかけている私は、気持ちの融通が全くきかない状態なので、目的変更もできない。買い物客と観光客でごった返すグランビア通りをひたすらに歩く。扇情的な音楽が雑貨屋だのファストファッション店などから流れてきて、心底げんなりし、僻地に行く勇気もないのだが、都会ってどこも同じでつらいわ…と、楽しい旅行に来てるはずなのに考え出したりもする。

 

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 歩けば歩くほど人が増えてくるような気がするのは、私の心が病んでいるからだろうと思っていたのだが、ようやく目的地、エル・コルテ・イングレスに着いたときに、それは間違いじゃなかったのだと気づいた。そう、この日はお祭りだったのだ! しかもどうやらスペインにとって超大事な日、レコンキスタに関するお祭りだったらしい。エル・コルテの前は大きな広場になっていて、ここに様々な仮装をしたグループが行進を待っているのか、待機している。広場から伸びるいくつかの通りは、その様々なグループがパレードしてふさいでいる。彼らも相当な数だったけれど、さらにそれを取り囲む一般人たちもすごい数だ。しかもどんどんどんどん流入してくる。

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⇧本当は写真なんかどうでもいい、という精神状態だったのだけど、のちのちのために!と唱えてなんとか撮る。

 

 最終的に、完全に前も後ろも塞がれて身動き不能になってしまった。うそ。動けない。誰も通してくれない。えー! 嘘、嘘、嘘でしょう!? だめ、だめです! 私、閉所恐怖症なんです! このしびれた腰で! 言葉が一言もわからない外国で! どうしよう、助けてくれ! 

「うわー」と、たぶん声が出てたのではないかと思う。なんとかわずかな隙間を見つけて、それは今歩いてきた道を引き返す=マリアの家からどんどん離れる、ことになるのだが、背に腹は変えられず、とにかく空間を求めて突進、体当たりで道を作る。そのうちどこを歩いてるのかわからなくなったが、それでも少しでも隙間のある方へと向かう。

 あまり明るくない通りへなんとか出て、ホテルがあったので飛び込んでカフェに倒れ込んだ。ホテルなら地図に乗ってるだろうしソファも大きくて柔らかいだろう。

 

 どうにか一息ついて、人心地。お茶を飲み、地図を見て現在地を確認。マリアの家もここらへんのはず、と見当をつける。パニックも通りすぎた。ああ、よかった。本当、危険だった。

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⇧居心地よくて救われたホテル(なのに名前忘れた)のカフェ。やはりおっさんたちが楽しそう。

 

 息を吹き返した私は、また恐ろしい広場に戻り、エル・コルテもちゃんと行って、(でも買い物する元気はなかった。夫の会社用のばらまき菓子だけ買う)、最短距離で帰宅した。それでも結構歩いたけど。

 

 いやほんと、無事帰れてよかった…。

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⇧エルコルテの店内。スペインでは生ハムがラケットのように売られている。

 

スペイン旅行記 その25 マドリード到着と2つの教訓

マドリード到着!

 極寒のサラゴサから快適なAVEに乗ってマドリードへ。車内のモニターで明らかにソープオペラ風のドラマをやっていた。男女が薄暗い部屋でいちゃいちゃしたり、痴話喧嘩をしたりするドラマを、乗客みんなで共同モニターで眺めるのってなんだか不思議…。

 

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 マドリードの駅はすごく東京や名古屋の新幹線駅と似ていた。異国情緒はゼロ。これからAir bnbのホスト、初対面の人に会うので緊張してなんというかそれどころじゃなかったというか。人の波に乗ってタクシー乗り場へ行き、ずらりと並んでいた一台に乗る。まずここで過ちを犯す。

 

宿まではわずか1km

 乗り込んでから行き先を告げる。距離にして1kmしかないので、ごめんね、と言いながら(というか表現しながら)住所を告げる。すでに車を出し、同時に住所をナビで検索している運ちゃん。到着地がここから1kmであることに気づいて、叫び出す。「☓☓★☆△○♡~ウンキロメーター!」ウンキロメーター=1kmだけ聞き取れた。そう、彼は怒っているのだ。あちゃー。私たちはにまにましながら、「だよねー。やだよねー、1kmなんてねー。ごめんなさいー」と謝ったり笑ったりしてごまかす。そんななか、プラド美術館やその隣の公園などを目に入れつつ…。

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怒りは何語でも伝わる

 夫は乗車したときから自分の携帯のグーグルマップを見つめている。そしてしばらく走ったあと、「ん? こいつ、なんか違うとこ走ってるぞ」と言い出した。え? ええ? だって間違えのようのない簡単な1本道だったじゃない? 「違う。全然違うとこ行きだした」…なるほど、近すぎるから遠回りして乗車賃稼ぐのか! ひどい! なんてことだ! でもこんなときなんて抗議すれば? おろおろする私。そしてため息をついて「ああー。ついてないー。なんて車に乗ってしまったんだ」と愚痴る。

 夫は携帯をにらみながらぐい、と前に身を乗り出して前方を指さし、「おい! 道違うぞ! ちゃんと走れ!」と怒鳴りだした。ひえー。この人が怒鳴ってる! いつも頼んでもモノをしゃべらない無口な男なので、私のほうが驚く。しかも日本語で怒鳴ってる。運転手もすごく驚く。さっきまでにやにやしていた東洋人がいきなり怒り出したんだから、そりゃ驚くか。「あわわわ……」と私と同様、うろたえだす運転手。

「こら! わざと間違えるな! 近いからって遠回りなんかするな! ちゃんと行け! ほら!」さらに怒鳴る夫。運転手は「チャントイケ△○□~ハポネス!♡☆□☓☓!」と動揺の反応で何か言ってる。たぶん「チャントイケって、日本語だろ!?そんなのわかるかっつうの!」と言ったのだと思う。私は、こういうときは日本語で怒鳴ればいいのか、としみじみと感心してしまった。激しい感情ってのは、何語でも通じるのねえ…。

 もしこの運転手が、恐ろしい男で、開き直って怒鳴り返したり、どんどん違うとこ走り出したりしたらどうするのだろう!? …と私はなお怯えながら状況を見守っていたのだが、運良く運転手は、気の小さな男で完全に気合い負けしてしまったようだ。いじいじした様子で方向転換して無事私達を指定の住所まで送り届けてくれた。しかも、カッカした様子でトランクから荷物を出そうとする旦那を制して、「僕がやるよ…」とばかりにスーツケースを降ろしてくれたので、まあ気はいいのだろう。

 夫も値引かずにメーター通りの料金を払ってあげていた。そしてあとでぷんぷんしていた。これは思いやりなのかなんなのかわからない。いつも値引けるときはとことん値引く関西人なので。

 

 ここでの教訓は、タクシーに乗る前に、「短い距離だけでいい? いいね?」ときっちり確認したほうがいいということと、非常時は日本語で堂々と大きな声で言えばいいのだ、ということ、でありました。

 

ホストのマリアと対面!

 そしていよいよホストのマリアと対面。部屋の素敵な感じと写真の痩せた面立ち、事前のメールもかなり素っ気ない様子からして、「隙のない知的な女性」と思いこんでいて、「怖いひとかもなあ」と怯えていたのだけど、ドアを開けた瞬間、まるっきり思い違いだったとわかる。めちゃくちゃ人懐っこい笑顔と消え入りそうなかわいらしい声で「hello~!」と迎え入れてくれたのだ。

 かぼそくて、はかなくて、少女がそのまま大人になったような。初対面の東洋人を心底うれしそうに迎え入れる。この笑顔で、「あー、よかったー! この人は大丈夫!」といきなり安堵してしまう私も単純すぎるのだが、そのくらい威力のある笑顔だった。

 

 写真で見る以上に素敵なアパートメントを、丁寧に案内してくれる。本当に下手なホテルの数倍素敵で驚いてしまう。これはすごい。どんな状況でも対応できるよう、ハードルは上げないよう上げないようしてきただけに、想像以上に素敵な部屋とマリアの対応に感動。

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⇧すべての場所が完璧に整えられている。

 

 リビングでかなり長い間話し込んだ記憶があるのだが(途中夫が、ふたりとも、そんなに話すなら座ったら?と言ったから)、なにを話したのか全然思い出せないのはなぜなのか…。

たぶん、「プラド美術館に行きたいの」とか、そんな内容だったと思うのだけど…。あ、あと「海に近いバルセロナに比べてマドリードは湿気がないのよ」とかそんな話したっけ。「ずっとマドリードで暮らしてるの」とか。

 まあともかく熱烈に歓迎されて、後半の旅が楽しく始まったことに深く感謝。

 この日はサラゴサで食べすぎたこともあり、近所をぶらっとしただけで(でもこういうことが楽しいのだが)、寝てしまった。

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⇧ちいさくてかわいらしい、私たちの部屋。写真で見た通り、やはりふたりではこのベッドは狭すぎるのでは…と思ったが、実際体を横たえてみると難なく寝れて、すごく不思議なベッドでした。プライベートバスもつき。

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⇧毎日、このようにテーブルセッティングされている!とあとで気づいて驚く。缶にはビスケットと紅茶。小皿には(いまはない)チョコレート。なにもかもかわいらしくて、しみじみ感激。

夫はまだタクシーの運ちゃんに怒っていて、「その怒りを撮っておいてくれ」というので、こぶしを握っている。

 

スペイン旅行記 その24 番外編 オンライン英会話の内容と効果を詳しく語る後編

英会話の話の前に身の上の話をしていいでしょうか?

 

 ぎっくり腰になってしまった。もともと腰痛もちで、10数年前に激しいヘルニアをやって寝込んだのを、鍼と整形外科のリハビリで奇跡的な復活(…と、鍼の先生が言った。なぜ治ったのか詳しく教えろ、と連絡が来た)を遂げて以来、年に数回痛くなるので、その都度自分で編み出した療法などでやりすごしてわりと仲良く腰痛とつきあっているのだけれど、今回は、「あ、やべ、痛いかも…」と思っていた1時間後に花粉症による大きなくしゃみをして、思いっきりギックリしてしまった。音が聞こえたような気がするほど、それはそれは大きなギックリだった。

 

 今回は寝てても痛いといういつかのヘルニアの再来かのような重症で、数日前に仕事が終わって幸いだけれど、同時に4月28日までの国立近代美術館「茶碗の中の宇宙」展覧会チケットを競り落としたばかりでもあり、これに行けるのか非常に心配だ…。ていうかその前に、日常生活すべてが困難だ。

 まあ、とにかくこんなときは読書と映画鑑賞しかないですよね。ちょうどエルロイのぶあっつい暗黒小説「ホワイト・ジャズ」を読み始めたばかりだったので、これにどっぷりつかってすさむのも悪くない…と思っていたのだが、よく考えたらそうもいかない。前の日から仕込んでいた大量のいちごジャム7パックぶん、が砂糖にまみれ大鍋に入って台所を占領しているし、さらに同じく前の日に仕込んだカレー風味ビスケットの生地も、はやく焼いてくれ、と冷蔵庫でスタンバイしているし、夫は出張中だから食事も自分で料理しなければ食べられず、なおかつこれまた前の日から冷蔵庫で解凍中の鶏肉を必ず今日使わなければならないし、なにか作ったら洗い物が待ってるし…と、ギックリ女には多すぎるタスク。

 くの字に固まった腰をひきずって、台所に立っては休み、立っては休み、を繰り返して、なんとかすべてをこなして、鶏肉で作ったカレーが病人とは思えない出来で、うれしかった。それにしてもこの腰で銅の大鍋(ジャム用。間違えて大きすぎるものを買った)とか、鋳鉄フライパン(うちのメインフライパンはこれ)をもつのって、すごい労苦。持った瞬間にぐわーんと腰に響いて、体ってつながってるんだなあ、としみじみ。

 

  寝てても痛いのだから、もうなすすべがない、と思っていたのだけど、机に座ってみると、これが以外に楽で、もちろん同じ姿勢を続けるとアウトなので長時間は無理だけれど、オンライン英会話やブログ書きはできなくはない。不幸中の幸い。

「あたしとっても腰が痛いです。だから途中で授業やめるかもしれない。そしたらごめんなさい」と言いながら、机に上半身を預けた変な姿勢でつたない英語をしゃべる自分。そんなに英語やりたいのか、と妙に感心してしまった。

 

私が最上だと思った英語学習法 

 えーとそれで、2か月後のスペイン旅行で宿のホストと楽しくおしゃべりするために、オンライン英会話を1日2レッスン(25分×2)受けることにした、のが前回までのあらすじ。カランメソッドで口がよくまわるように下地を作っておき、フリートークで「自分の言いたいことをすぐ英語にする」訓練をする、という目論見です。やっぱりこれは両方やったほうがいい、と、途中片方だけにして痛感した。あ、でも、カランは「日常的でない文」ばかり言わされるとみんな言うし私も言ったけれど、でも半分以上は日常的です。ここで覚えたフレーズもたくさん使えます、念のため。

 

 あ、それから、カランをやって、頬のたるみがやや解消しました! これはあまりにも想定外の効果。でもたしかに、確実に、すこしだけ、頬があがったのだ。これまでたくさんカランについての記事を読んできたけど、これを書いている人はいなかった。

 

 とはいえ、しかし最強の英語学習法はこれだけではたりないのであった…。残念ながら。

「仕事に比べたら英語の勉強なんて全然いいよ。だってやればやっただけ、絶対にななにかしら報われるんだもの」

 と、たしか以前、私は友人に言った。某大企業に努めている友達が、「社内で英語ができないのは私だけ。すでに業務に支障が出始めている。でもあたし勉強嫌いなのよ…。英語の基礎なんてないも同然だし…」と嘆いていたときに、励ましの言葉として言ったのだけど、言いながら、実は自分の言葉を疑ってもいた。なぜならば、どれだけ英語をやり続けても、旅行に行くたびに話せなくなってるし、たしかに単語も文法も以前より全然よくわかっているという実感はあるけれど----たとえば英語の映画やドラマを観ていると、以前より全然わかる----、肝心の、いざ英語をしゃべる段階になると、「私は退化している」という実感しか持てないからである。

 

 さんざん英語学習人のサイトを渡り歩いたり、様々なテキストを買ってはぼろぼろになるまでやりこんだり、無料のニュースヒアリングサイトを繰り返したり、今思うとかなりいろいろやってきた。だけど、どうしても「これじゃだめかもな…」という感触が拭えない。

 そんなときにオンライン英会話にたどりついて、「どれだけ泳法の本を読み込んでも、プールに入らなければ泳げるようにならない」という、極めて当たり前のことを実感して、「しゃべりたいなら、しゃべらなきゃだめでしょ」と結論した。当たり前か。

 で、このオンライン英会話に、さらにもうひとつ加えることで、「日々上達」をはっきりと実感できるようになったのである。

 

もう参考書は買わなくていい、と決めさせた「ENGLISH EX」

 それがこの「ENGLISH EX」。いわゆる文法書で、文法項目別に2000文くらいの例文が、詳細な解説つきでついている。CDの音声テキストつき。さらにエクセルの例文一覧表までついている。全540ページで、1800円しかしない。これは……すごい。これはすごい本です。(写真右)。

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 簡単に言うと、ここにある例文を毎日少しずつ暗唱しつつ、日々オンライン英会話をしていると、フリートークでめちゃくちゃ役に立つのだ。

 

授業中、言いたいことが頭に浮かぶ→あ、これあの例文にあったな、と思い出す→毎日暗唱しているからすっと口から出てくる

 

 という現象が、たびたび起こる。

 覚えたての単語を、ドラマや英語で聞くと、妙にうれしいものだけれど、この「言いたいことを思いつく→EX で覚えたフレーズを思い出す→言う」の喜びは、これの3倍くらいあると思う。

 

 まず、この例文の「使えっぷり」がすごい。

1

なんでまたそんなに急に考えが変わったのですか?

What has caused you to change your mind so suddenly?

 

2

「帰り道、少し雨に降られました」

On the way home ,I was caught in some rain.

 

3

「この問題に関して、なにか質問のある人はいますか?」

Dose anyone have any questions regarding this problem?

 

4

「残念ながら後者の要望は叶えられません」

Unfortunately,the latter requirement is impossible to satisfy.

 

5

「まだ雨が降っていたので、私たちはカードをして時間をつぶした」

It was still raining outside,we killed some time playing cards.

 

6

「彼女が見た、僕と一緒にいた女の子っていうのは、僕の妹だよ」

The girs that she saw me with was my sister.

 

7

「全体的にその翻訳はよく書かれているし、正確です」

On the whole,the translation reads well and is accurate.

 

8

「そのサラダは冷蔵庫で数日もちます」

The salada keeps for  several days in the refrigerator.

 

 などの、普通の、よく使うありがたいフレーズがずらりと並んでいる。「そういえばこれ、英語でなんていうんだろう?」というような表現であふれているのだ。

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ページ構成もわかりやすく、左に例文、右に解説、となっているのだが、この解説が詳細。ここで、なぜこんな言い方になるのかをしっかり理解するからこそ、文章そのものも頭に入る(もちろん、意味抜きで覚える慣用句もあるが)。この効果は絶大で、一覧表を見ただけで、解説を読まずに覚えた英文はすごい勢いで忘れてしまうが、「なぜこの文をこの項目(名詞節とか完了形とか…)で採用しているのか」という文法的な理由を理解していると、忘れないし、すぐ思い出す。

 例えば、7と8は自動詞がテーマ。read もkeepも自動詞としても機能するので、「この翻訳はよく読める(=読みやすい)」という使い方でthis transration reads wellと書けるし、「サラダは数日もつ」とも書ける、とか。4では、「be impossibel to+V(動詞)」で「Vするのは不可能」という意味になるが、逆の「be possibel+V」で「Vすることは可能」と表現することはない、とか。「そうなのか!」と印象に残ることが多いので、自然と文章も覚えるのだろう。

私のつかいかた 

 毎日7~10の例文を覚え、今やっている項目(A~Zまである)と、過去にやった項目を任意に選んで暗唱する。どれだけ覚えた、と思ってもしばらく暗唱しないとあやふやになっているので、これが欠かせない。逆にこれをやっていると、フリートークのとき、口をついてでてくる。

 耳で覚えるために音声を流し、一覧表の和文を見て、音声と合わせるようにして英文を言うのも大事だし、音声なしで和文を見て英文を言う、のも両方大事。音として覚えなくちゃいけないけれど、いつも音声だけで練習していると、その音にひきずられてうまく言えなくても流してしまうからだ。和文を見て0から自分の頭のなかから英文をひきずり出す訓練も必要だと思う。だから両方大事。

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⇧驚くほど便利な、付属の例文ファイル。

 

 ちなみにこの音声、男性と女性ひとりづついるのだけれど、この女性の声が秀逸です。すごく耳に残るので、意味以前に音を覚える、ということが、彼女の言う文章だととてもやりやすい。

 

 なにせ例文の数が膨大なので、はっきりいっていつ終わるのか全く見えない。年内でも無理だと思う。むしろライフワークとして終わりは見ないでやるほうがよいと思う。でも、この本にも書いてあったけれど、ここにある文章を全部覚えれば、日常会話ではまず不自由しないだろう。

 

 そんなわけで、私は私なりの英語勉強法を、ようやく確立したのであります。オンライン英会話のカラン、フリートーク、そしてこの文法書EXの暗唱をしていると、日々「私、すごい進化してる」と体感できる。「どんどん覚えるし、どんどん聞けるし、どんどんしゃべれてる!」と。この感覚は初めてです。爽快です。効果が出ると勉強が楽しくなる。ぎっくり腰でよろよろしていても、それでも勉強したい、そんなことまでおきる。

 まあでも、私がドラマ「ハウス・オブ・カード」と「HOMELAND」(ともに今観てるドラマ)を字幕なしで完全に理解できる日はたぶん来ないと思うけど……。

 

追記

QQ Englishにおける、私の講師の選び方などを詳しくかくつもりでこのタイトルにしたのだけど、書いてたらなんとなく暗い気持ちになったので、保留。よって、オンラインの内容というより、私の勉強法、になってしまいました。スミマセン。

スペイン旅行記 その23 番外編 オンライン英会話の内容と成果を細かく語る前編

そういえばオンライン英会話も準備のひとつだった

 

 もう桜も散ったというのに1月の旅行記をえんえんと書いていて、なんだかなあという感じなのだが、そんななか、「旅の激しい準備」のなかにオンライン英会話を入れるのを忘れていたと思い出して、さらに旅行記の終わりが見えなくなった。

 でも、この間違いなくこの旅行のための準備だったので、書いておかなければ。

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↑写真らしい写真がない記事なので、昨日部屋から見えてかるく感激した、女子高生と桜、の写真をどうぞ。我が家の桜はすっごく遅いので、まだこんなに咲いている。

写真が暗いとわかりにくいのですが、彼女たちは制服を着た女子高生なのです。何を話しているのでしょうか。一句詠んでしまいそう…

 

 で、話は英会話に戻る。

 正確に言うと、オンライン英会話を始めたのは昨年の9月で、この時点では旅行のためではなかった。長年英語の勉強をしているのに、ちっとも上達しない、それどころかたまに海外旅行行くと、年齢のせいなのか以前より全然言葉が出てこなくなっている自分に絶望していたときに、オンライン英会話というものがあった、とようやく気づいた。もう何年も前から巷で流行・定着していたのに、情報弱者なもので知らなかったのだ。いや、「オンライン英会話」という単語はなんとなく耳にしていたのだけれど、自分には関係ないのだと思っていたというか…。

 けれど、ある英語猛勉強人のサイトを見ていたら、「すでに1000回受けている」と書いてあって、あれ、そんな方法があるのか、とようやくたどりついた。それからかなり長いあいだリサーチというか、単なるうだうだが続き、昨年9月、ついに動いたわけである。

 

QQ Englishに決めたわけ

 いくつか無料レッスンを受けて、そして口コミなどを読んでQQ Englishに決めた。理由は、「高いけど講師の質が高い」とどこにでも書いてあって、その授業料は、キャンペーン中の毎日レッスンだと1レッスン400円だかそこらで受けられる。

1日2レッスンなら、189円。それからオンライン英会話界で(だけ?)有名なカランメソッドが受けられる。

 そして実際無料レッスンを受けてみると、全体的に「ちゃんとしてる」感があって、安心できたのが決め手だった。例えば他の学校だと、教師が自宅で、うつりの悪いカメラや聞き取りづらい音声で授業をしたりして、どうにもルーズな感じがして馴染めなかった。QQはちゃんとオフィスがあって、個別のブースでしてくれる。

 暇なこのときにがつんと勉強しよう、と思って「他のメソッドの4倍速で英語が習得できる」という触れ込みのカランメソッドを、毎日30分行うことにした。ちなみにレベルは6 Pre Intermedate 日常会話はできる、だったと思う。中級のはじめというか、しゃべれないことはないけど、流暢にはほど遠い、という感じだろうか。

 

カランメソッドとは

 カランメソッドとは、教師が早口で言う質問に、問答無用で答えまくるというメソッド。会話の筋トレなんだとか。咄嗟に聞かれて、咄嗟に答えなければならないから、日本語に訳しているひまがない、無理にでも英語をしゃべる、そのうち英語で考えて英語でしゃべれるようになる、という。他に比べて4倍話すから、4倍早く習得できるという理屈。どんなレベルの人でも行えるので、stage1などはWhat is this? It's a pen.とかいうやりとりを繰り返す。でもstage 6にもなると、

What are the two ways in which we can repeat what someone has said?

(誰かの言ったことを繰り返すための2つの方法とはなんですか)

とか聞かれて、

The two ways in which we can repeat what someone has said are by giving the exact words of the speaker or by reporting what the speaker said.

(誰かの言ったことを繰り返す2つの方法は、話者の言ったことそのままを言うものと、話者が言った内容を伝えるものがあります)

 とか答えなければならない。長ったらしい質問文を、省略せずにいちいち繰り返して答えることで、「話す量」を増やすのが目的だ。ちなみにこの例文は、間接話法と直接話法の話をしている。

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 ⇧メソッドの創始者、カラン氏。ベルリッツの先生だったという。イタリア人生徒に英語を教えるために考えたそうな。

授業の詳細

 授業の手順はまず、なにも予習しないで教師の説明を聞く。もちろん、英語。「report is a verb or a noun」などと単語や文法の説明をしてくれる。で、その言葉や文法を使った例文質問をして、こちらは答える。でも、私の場合は、この最初のレッスンで完全に聞き取れることは半分くらいしかないので、しどろもどろになることがほとんど。教師が答えを教えてくれるので、一生懸命繰り返す。で、その日にテキストを見て復習をして、覚えこむ。翌日は前日の復習から行うので、ここできっちり言えるようにするのが大事。

 最初の頃は学校の勉強のように、ひたすら丸暗記してのぞむのだが、そのうち英語が体にしみてくると、暗記していなくても普通の会話のように応答できる、という現象が起きてくる。今、教師に言われた質問文を頭のなかで一時記憶できさえすれば、あとは常識で答えられる。だいたい質問は「あなたの住んでいる場所の近くに美味しい料理を出す店はありますか?」とか、そんなややこしいこと聞いてこないので。

 でも、この一時記憶ーリテンションっていうんですかねーっていうのが大変なのだ。中高年には。英文を言われた瞬間に翻訳してしまうので、英語でusually と言ったのかgenellalyと言ったのか忘れてしまう。日本語で「たいていは」「通常は」と訳して記憶してしまい、usually なのかgenerally なのかわからなくなる。意味はとれても、英文そのものを覚えておけない。そうすると言い間違えて教師に訂正される。「in this country」と「in my country」もよくごっちゃにする。頭のなかで「日本で」と訳してしまっているから。「英語を英語として理解する」からほど遠いということだ。

 

私の耳は死んでいる

 さらに書かれているとアホみたいに簡単な文が、言われるとちんぷんかんぷん、そのちんぷんかんぷん具合に衝撃を受けた。「何言ってるかまるきり意味不明」と思っていた質問文が、授業後テキストを見て、本当にアホみたいにシンプルで簡単な文であることに驚くのだ。こんなのも聞き取れないのか…。

 なので、最初は復習のとき、しゃべって、書いて、読んで、と全方向で覚えていたけれど、耳と口だけ、に方向転換。音声テキストをダウンロードして(QQだと150円でダウンロードできる)、文字ではなく音だけで覚えこむ。しかしどっぷり受験英語漬けだった私には、これはなかなかつらい…。目で覚えるのは得意なのだが、耳はなんというか、機能してないのだ。すぐ集中力が消えて英語が音楽になって流れていってしまう。音楽ばっか聴いてきたからかな…。違うね。

 

果たして効果は?

 正直言って、最初の頃は「これで本当に上達するのだろうか?」と半信半疑だった。

When do we use the future perfect? 未来完了系はいつ使いますか?

We use the futer perfect when we are thinking about a time before and up to a spisific point in the future. 未来完了系は未来のある時点のことを、それ以前に考えているときに使います。

 

 なんてフレーズを流暢に言えたからといってなんなのか、と思うからだ。カランをやっている人はみんな思うと思う。「日常生活で使うフレーズをあまり教えてくれないから途中でやめました」という人も結構いるし。

 それでも教師が超スピードで投げてくる問に、しがみつくように答えを言う、というのがゲーム感覚で楽しいこと(うまく言えたときの達成感はなかなかだ)、覚え込んだ英文は流暢に言えるので、それを言ってると自分が英語が上達してる気がして気分がいいこと、そしてやっぱり何度も同じ文章を繰り返していると、たとえそれが単なる文法解説の文章でも体にしみついて、他の文章を言うときにも流暢に言えるようになること、などの理由で今まで続けている。

 

 というか、もうこれは、「どれだけ英語がしゃべりたいか」というその欲望の深さに関わる問題なのだろう。たとえば「あのスカートがはきたい」とか「スケートがしたくてたまらない」とかいう、むくむくと原因不明にわいてくるほとんど肉体的な欲望。「英語をしゃべりたい」という気持ちが、そういう「ただただ、流暢にしゃべりたくてたまらない」というフィジカルな欲望であれば、カランは楽しいし、役に立つと思う。

 でもたとえば「社内はみな英語ができるから自分も話せないと」とか「今、海外赴任中で、しゃべれないと困るから」という“欲望”よりも“必要”のほうが大きいと、カランはつらいかも。「間接話法なんて今どうでもいいから! それよりも“このサラダはいつまでもつの?”ってなんて言うのか知りたいんですけど!」とかいう人には、まどろこしくてたまらないだろう。

 そして私は、とくに必要ではないけれど、とにかく無性に「ちゃんと喋りたい。ちゃんと聞き取りたい」という欲望でうずうずしている側の人間なのだ。

 

 とはいえ、このレッスンは、毎日のしっかりした復習が欠かせないため、レッスン30分+復習30分~1時間で、かなりの量をしゃべらなければならない。こういう強制力は他の授業ではない気がする。しばらくカランをとらず、フリートークばかりやっていると、あれ? 最近英語しゃべってないな、と思う。だから遠回りに思えても、やっぱり口の訓練としては有効なのだと思う。ちなみに、カランはやはり毎日、最低でも週5日くらいやって初めて効果がでるものでは、とも思う。

 

 そしてこの半年のオンライン英会話でついに「これこそ役に立つ」と芯から思った勉強法があるのだが、あまりにも文字が多いので、それは次回に。