独楽ログ〜こまログ〜

50代、女性、日本人、がひとりで毎日楽しくすごす方法を検証、実践、そして記録。

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NYのごはんはファーストフードがいい①〜それでも楽しむニューヨーク

 

それでも、まだ、ニューヨークは楽しいのだろうか?

 

↑最初の宿、ウォール街にて。なんというか、とてもNYな街角。

 

 バーニーズニューヨークが倒産しディーン&デルーカが閉店して、店舗も住宅も家賃が高騰し、いまのニューヨークはミドルクラスが住める場所ではなくなったらしい。「セックスアンドザシティ」を繰り返し観ながら必死に通い、高級ホテルだのレストランだの洋服だのと散財してアドレナリンを出し尽くすような90年代のニューヨーク旅行。あれから世界は911を、ITバブルを、リーマン・ショックを、そして東日本震災を経て、個人的には仕事を辞めたり田舎に引っ込んだり、また東京に戻ってきて、しかし決してバリバリとは働いていない、友人はほぼ消滅…という今では、もうそんな旅はありえない。

 そもそもホームレスの数は倍増しているし、人気の店はほとんど東京に支店を出しているし、なによりも30年間デフレが続く国の人間にとっては、あの街の物価は高すぎる。だいいち、洋服にも高級ホテルにもレストランにも興味がなくなったし、映画は日本で観ればいい。ヒップホップのFMラジオ「HOT97」もiPhoneで聴ける。英語がしゃべりたければオンライン英会話がある。ブロードウェイにはもとから興味がない。

 …というわけで、かつてバブル時代を過ごした、今はつつましい40代後半女性にとってはかなり魅力が薄れてしまったニューヨーク。2018年、11回めの訪米で、「もう、いいいかも」と一度は見限ったのだが、なぜか思い出すと行きたくなる、とはどういうことなのだろう。

 旅雑誌『TRANSIT』2018年、41号ニューヨーク特集で、とあるニューヨーカーはこの街を「愛と憎しみ」の対象だ、と言っていた。「20代の頃は別れたほうがいいとわかっているのに離れられないモラハラ彼氏みたいに思ってたんだけど(笑)」。

 私の場合もたぶん同じなのだろう。もういいや、とうそぶきつつも、JFKからのタクシーで橋を渡りマンハッタンに入るときの興奮は、記憶のなかでまだまだ健在だ。ちなみにこの彼女は現在(年齢不明。三十代なかば?)、どうにかこうにかこの場所で居心地の良い場所を作ることに成功しているという。「ものすごく精神的に疲れる街だし、稼がないと暮らしていけないから、休むことが贅沢そのものになってしまうけれど」。

 私の場合はただの旅行者なので、話はもっと全然簡単だ。それでも行きたいなら、行って後悔したくないなら、できるだけお金を使わず、ここでしかできないことを見つければいい。

「お金を使わない」とは、$1でも安いものを、という意味ではなく、日本の感覚で妥当だと思う価格で食べたり遊んだりすることである。もしそれが価格としては安くなくても、「まあこれならこれくらいかかるよね」と自分で納得できるものであるなら、喜んで払おうと思う。ただ、「こんなものがこんなにするのか…」という溜息はなるべくつきたくない。だって、ニューヨークはもはや自分の初めての場所ではないのだ。たびたび来ている街で、たびたび不条理(と思える)な支出を重ねていると、なんでまた、こんな遠くにまできてこんなに虚しい散財をしているのだろうと気分が落ちてしょうがない。

 …というわけで、これまでの旅を振り帰って反省や検討を重ねし、万が一、次行くことがあったらこれをしよう、これなら次もまたやりたい。そういう超個人的厳選情報をまとめてみた。

 なので、タイトルは「それでも楽しむニューヨーク」。

 こんな特殊な旅行案内が自分以外の誰かの役に立つとも思えないのだが、もし役に立ったらうれしいなと思います。

 

  ちなみに、2年ぶりくらいにブログを書いてます。ごぶさたしております。

 

NYではファーストフード一択でいい、という結論

まずは物価高と戦わなければ

 そういうわけで、お金の話ばかりで申し訳ないのだが、やはりこの街の物価とどうつきあうか、がリピーターにとって最大の難問である。この十年、行けば行くほど物価があがってて、毎回驚かなければいけなかった。日本では約三十年、モノの値段がほとんどあがっていないのに、あの街ではインフレざんまいなのだから、当然といえば当然なのだが。

 この町ではちょっとしたカフェで食べるちょっとしたパスタが24ドルくらいする。庶民的なレストランで軽く昼食を、というのがチップなどをいれると70ドル、80ドルになる。朝ごはんはグリニッジ・ヴィレッジの「ブヴェッテ」で食べて50ドル、高すぎると夫が怒って喧嘩になった。これが2014年の話。

 10日以上滞在して外食をしていると、お金に羽が生えたように飛んでいくので、本当にげんなりする。低圧のスムージーが$12とか。勘弁してほしい。日頃から「私はこれにこの値段を払っていいのだろうか」と厳しく見極めつつ生活している身としては、食事をするたびにものすごく疲弊する。「海外旅行というものは、自国より物価の安い国に行って思う存分お金を使うことである」とか書いていた人がいたけれど、ここで食事をするたびにその言葉を思い出す。そうなのかもしれない。

 

 

 2015年に行ったブヴェッテの朝食。こういうオープンサンド2皿、搾りたてオレンジジュース1杯、コーヒーとカフェオレ、で約$50。ちなみに載っているお皿のサイズはコーヒーカップのソーサーとほぼ同じ…。確かに、すごーくおいしかったのだが…。

 

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 こちらは2018年に行ったコーシャー料理で有名なラス&ドーターズ(Russ and Daughters)のYUM KIPPERED(焼きサーモン)プレートとMATZO BALL(マッツォボール)というスープ。薬局をイメージした店内は妙に落ち着くし、たっぷりした身のサーモンは充実感がある。しかしこれで$18+$10…。ドリンクつけるなら、プラスコーヒー$3(これは安いけど),紅茶は$5。とても良い食事だったけど、日本感覚だと、どう考えても質と価格が見合ってなくてつらい…。

サンフランシスコに次いで飯がうまい街、と言われているけれど

 そして、NYのごはんはだいたいあまりおいしくない。普通〜やや高いくらいの気軽なレストランで“大当たり”に出会えることはほぼない。「塩をあんまり使わないからパンチがないのだ」と聞いたことがあるけど、そんな感じ。味がキマっていない。ふだんエスニック料理ばかり食べているから、こちらの舌がばかになっているのかもしれないが、スパイシーさもない。なので、なんとか少しでも当たり飯に出会うべく、事前に毎回トリップアドバイザーやYelpを穴が開くほど読みこむのだが、これも今ひとつである。

 食べログなら、複数のレビューをじっくり吟味するとだいたいどんな店でどんな味なのか察しがつく。食べログの点数そのものはあまり信用していないのだが、レビューを読み込めば、いろんなことがわかる。「おいしい」「まずい」という主観だけでなく、具体的に「味の傾向」がわかる。日本人のレストランレビューには、「どんな店なのか、どんな味なのか。僕がきっちり伝えなければ」という、現場レポートへの真摯な責任感を感じる。できるだけ客観的に、読んだ人がまざまざと味が想像できるように書かれている。甘いのかしょっぱいのか酸っぱいのか辛いのか。濃いのか薄いのか。有名店の同メニューとの比較や、「自分は●●のカレーでも辛く感じるたちなので」「ふだんからあっさり好みなので」等、レビュアー自身の味覚も書く。とにかく具体的だ。だからレビュー数本読めば、ほぼ正確に店の味を把握できる。

 そういう情報を、外国のレビューでは得られないのだ。日本の食べレポのように自己表現を兼ねていないし、だから「より詳しい、有意義なレビューを」という志もない。そもそも英語だと微妙なニュアンスが伝わりにくいということもある。

 だいたいは頼んだ皿、それがおいしかったかまずかったか、あとはスタッフがこんなことをしてくれた、という体験で終わる。「超おいしい」「雰囲気最高♡」「マッシュルームピザは絶対!」…等々。さらに、外国人(と一括りにしてしまうのも乱暴ですが)は、総じて日本人より優しく、甘い。日本人のように重箱の隅をつつかずおおらかなので、ホテルでもレストランでも、実に簡単に「満点」をあげる。そもそも味覚だってきっとだいぶ違う。

 日本人は厳しくアラを探し、指摘する。……だからこんなに卑屈で暗い国になってんじゃんか…という重大なマイナス面もあるのだが、こと信頼できる食レビューに関していうと、やはりあてになるのは日本人のもの、となってしまうのだ。

 

旅の後半、思い切って方向転換した

 そういわけで旅の後半、方向転換した。どうせたいしておいしくないならすっごく安い店にしよう。店を探すときはトリップアドバイザーで“ファーストフード・廉価”で、アジア料理とアラブ料理に絞って検索する。イタリアンアメリカンフレンチの類に飽きていたのと、旅の前半で大当たりだったのが屋台の上海クレープやハラル料理の店だったから、あっち系のほうが当たりが多そう、という理由で。

 Yelpをやめてトリップアドバイザーにしたのは、レビュアーの年齢層が高く、信頼性が高いから。

 

 そして結果、正解だった。「これは当たりだ」と膝を打った食べ物は、すべて屋台かファーストフードだった。こういうことが起きるのが、この街の懐の深さだ。

 ちなみにここではファーストフードとは、セルフサービスの店、と定義している。自分でトレイを持ってショーケースの前であれこれ注文し、自分で席に運ぶ、という提供スタイルのこと。それぞれ食材や調理法にこだわりを持っている店も多く、ファーストフード=粗悪、では全然ない。

 

 大江千里の『ブルックリンでジャズを耕す』に、“こっちの人はサンドイッチをどれだけ自分好みにカスタマイズするかをすごく大事にしている”というようなことが書いてあったけど、中になにを挟むか、トッピングは何にするのかを、お仕着せでなく自分で決めるスタイルが多い。よって、より自分の食べたいものを食べたいように、食べられる。

 

 もちろんプラスチックトレー、プラスチックカトラリー(これは店による)、テーブルはあんまりきれいじゃないことが多いから自分でふかなきゃいけないときだってある。だが、1.3~1.5人前で我々日本人中年夫婦の腹は十分に満たされるので、レストランのように無理して二人前頼まなくてもいいし、チップも不要だし(カウンターにチップ入れがあるところもある。任意)、通し営業だし、オーダーのときに量も加減できるので残さずにすみ(もっと、というとどんどん追加してくれる。料金は同じ)、野菜はたっぷり食べられるし…と、わりに…いや、ものすごくいいことずくめなのである。

「これからはファーストフードでしか食べない。ファーストフードか、もしくは超高級レストランかのエクストリーム方式でいく」と決意した。

 次回から、おいしかったお店を紹介します。

飴色玉葱はおいしすぎるし便利すぎる 活用篇

夏は革命の季節?

“毎日雑巾がけ”キャンペーン、意外と続いています! やる前はとてつもなく面倒くさいことだと思っていたことも、習慣にしてしまえばなんでもない、という、手垢のついた格言(?)を、“ほんとだなあ~”と実感しながら、連続記録を更新中。そう、このブログおよび私の毎日は、「そりゃそうでしょ」と多くの人々が当たり前に思っていること、知っていること、をいちいち腹の底で実感して噛みしめなおす、ことを目的とした中高年の成長記録なのである。

 

 めきめき成長しているゴーヤを眺め、切られてしまった大銀杏の木のあった空間をせつなく眺め、暑さと闘っている2017年の夏。

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 浮気の謝罪をするというとほほなテーマで傑作アルバムを作ったJAY-Zの新譜を、いろんな意味ですごいよなあ、と感心しながら聴き込んでいる夏。

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 どうもここ数年、夏は自分改革の季節らしくて、今年も自分が、そして自分の見えている世界が大きく変わりそうな感じがしている。ついこの間まで、調子悪いしろくなことないし、「うわあ、つらいな今年」と、音を上げかけていたのだが、そんなことも吹き飛ぶ意識改革がやってきそうな予感があるのだ。

 

 なので、はっきりいって何もしていない夏なのだが、目にはいるものすべて、やることなすことすべて、を慈しんでいる。熱い風に吹かれている洗濯物とか、オリーブの葉とか、それらに水をやるとか、扇風機の音とか、大相撲が始まったというニュースだとか、炊き上がったとうもろこしとチキンのバターご飯とか、湯船に入れたはっか油とか、生活のすみずみまで、なんというか満たされている感じ。なにもない、ただの日常なのだが。

 生まれたときからずーっとすべてを覆っていた透明なシート、“なにもかもどうでもいいし、だいたい無意味だし”という虚無のシートが、もしかしてはがれかけているのかもしれない。だから生活のすみずみに今始めて色がついてきたような、そういう感覚がある。

 ⇧すっかり葉が落ちたウンベラータ! もちろん、ここから新緑が出るのよね…?

 

JAY-Zの話を続けると

 浮気して、激怒する奥さん(ビヨンセ)に土下座する様をアルバムにする、吐露ついでにお母さんがレズビアンだとも告白し(母本人も登場)、そしてそれを素晴らしいアルバムに仕立てるっていうのは…この人って、根っからのエンターテイナー、芸能人なのだ。

 人にはそれぞれ役割があるよなあ、とここ数年思うのだけど、今回のJAY-Zとか、あと市川海老蔵にもつくづくそれを感じる。彼らは根っから“表に出る人”なのだ。自分の身に起こることはすべて躊躇なく世間と共有し、芸の肥やしにしてしまう。売名行為とかそういうのを超えて、共有することが当たり前だ、という自然体な風情がある。ふたりとも自分の役割をわかっていて、それを存分に演じきっている。

 

 

人にはそれぞれ役割が説

 「人には役割がある」という物言い、人の可能性を限定しているようで昔はすごく嫌だったけど、最近は肯定的に感じる。これも年のせい? どんなに否定しても、ちょっと社会を見渡すと実例があふれている。あの人はここで笑われる役だよね…あの人はここでびしっと怒鳴って場を締める…あの人はそう、いつのまにか帰っちゃうし…あの人はそれで笑われた彼を慰めて…云々。そういう多種多様な役割が絡み合って、社会はまわっていく。だからドラマが生まれる。そして、自分の役割をある程度把握していると、自分のすべきこともわかるし、他人も見えるし、そうすると全体像ってのも見えてくるだろうし、いろんなことがスムーズにいく。

 

 だがしかし。

 おもしろいのは、その役割は別に絶対的なものではなくて、突然めちゃくちゃに破壊してもいいってことだ。人には役割があってそれが絶対で、と思うと息苦しくてたまらないけど、たまにはそれをひっくり返したっていいんだよね。別にがちがちに守らなきゃいけないなんてことはないんだ…と、ある日気づいた。例えば、「私はいつもここで面倒な役を買って出る役」なんて自覚して、それをそつなくこなしていたとしても、ときには「勘弁してっての!」と吐き捨てて帰っちゃったっていい。自分の役割を自覚することと、それを忠実に守ることはまた別問題なのだ。そう気づいたら「人間役割説」がおもしろく思えてきた。

 最近、自分の身に起こる“衝撃的なこと”は、具体的な事件とかではなく、“…と突然気づいた”系のことばっかりだな、ということにも今、気づいた。事件は自分の内部で起きてるってことなのかな。

 

 で、ようやく本題。

 いつかに飴色玉葱の作り方を書いたので、その活用法を書きます。

 

夏トースト

  まず、写真にうつらないけど、ピザトースト。トマトソースのかわりに玉葱ペーストを塗って、いつもの具…チーズ、トマト等…を載せて焼いて、夏トースト。トマトソースに劣らないパンチが出る。青唐辛子酢(タバスコでも可)を上にふるとますますメキシカンな感じで気分出ます。

 

飴玉パン

 

 小さなパンにチーズと飴色玉葱を入れて。パン生地全体に混ぜるかどうか散々悩んだのだが、今回は中心にぐっと塊を入れて。すっごくうまい。

 

飴色玉葱のキッシュ

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 人にあげて異様に喜ばれるのがこのキッシュ。ベースのレシピは小嶋ルミさんのものなのだが、独自にホアジャオ、クミン、ナツメグの3種のスパイスを加えている。家にあるものを適当に入れたら人にあげたらめっちゃウケたので、定番になってもう何年も作り続けている。今回はアパレイユの材料の生クリームを牛乳に替えてみた。

 

 アパレイユは飴色玉葱、生クリーム、全卵&卵黄、塩、小麦粉、スパイス

なのだけど、この生クリームがネックで、「キッシュつくろっかな……あ、生クリームないや」というので断念することがすごく多い。生クリームを入れるのはたぶんこのレシピの肝で、こここそが大事。変えるなんて考えたこともなかったのだが、今回、私のなかで自分革命が起きてる最中なので、こういう不変の掟も変えてしまう。生クリームが牛乳でいいなら、今の3倍くらい作る機会ができそうだ。

 

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 結果、OKでした。そもそも基本的にくどいものがやや苦手の私には、牛乳でちょうどいいのかも、とすら。そのぶん、濃厚さを求める方には、物足りないかも? いつも食べてもらっている数人に食べさせて判断を仰がなくてはならいが。

 

 というわけでだいぶ替えてしまったので、アパレイユのレシピだけ書いておきます。お好きなキッシュ台に入れて焼いてください。食パンをくり抜いて入れて焼いてもおいしいと思います。

 

15cm丸型1台分

[材料]

飴色玉葱55g

薄力粉 8g

牛乳100g

全卵 30g

卵黄 10g

塩 小さじ1/3

ナツメグ、ホワジャオ、クミン…各少々(入れすぎ注意!)

 

[作り方]

飴色玉葱に薄力粉を奮って入れ、よくまぜる。牛乳を2回にわけて入れ、よく混ぜ、全卵と卵黄も加え混ぜる。仕上げにスパイスと塩を入れる。キッシュ台に流し入れ、180℃のオーブンで30分焼く。

 

酵母スコーン

 酵母スコーンにも入れてみた。パンがうまいならスコーンだってうまいだろう。生地全体に入れるはずが忘れて、焼く直前に横に3分割してはさんでぎゅっとプレスした。てっぺんにも載せて焼いたら、これがいい具合に焼き色ついて成功だった。生地に混ぜ込むよりも玉葱の塊が存在して、これがうまみの元に。酵母スコーンは種を作って3日めくらいがいちばんおいしいかも。日を追うごとに発酵がすすんで、軽く、ふわっと焼きあがる。

 

レシピは高橋雅子さんの「ゆっくり発酵スコーンとざっくりビスコッティ」より。本ではイーストを使うが、私はホップ酵母で作る。

これもだいぶ変えたので、レシピ書いてみる。

 

[材料]

準強力粉 60g

薄力粉  60g

全粒粉  30g

ラニュー糖 10g

塩3g

バター 70g(角切りにして、凍らせておく)

水切りヨーグルト(大さじ1) コーヒーペーパーで一晩水切りする。

ホップ酵母 20g

サフラン 少量(水切りしたヨーグルトをレンジで20秒温め、そこにサフランを入れてラップをし、香りと色を抽出する)

クミンパウダー、コリアンダーパウダー 各少々

 

[作り方]

1フードプロセッサーに粉類、砂糖、塩と凍らせたバターを入れてそぼろ状になるまで回す。

2ヨーグルトとホップ酵母を入れてまた回し、生地をまとめる。

3一塊にして(長方形)ラップでくるみ、室温に1時間~1時間半おく。冷蔵庫に入れて8時間以上熟成させる。

4好きな形に切って、170~180℃のオーブンで20分焼く。

 

 ヨーグルトはまあ、水切りしなくてもいいと思います。実は私は今回、忘れてました。でもおいしくできたから、しなくてもまあ大丈夫です。

 

ディップもつくれる

チーズと合うのだからクリームチーズもいいだろう、と思って混ぜてみた。玉葱はごくごく少量でよいみたい。さらにほんの一滴、しょうゆをたらし、黒胡椒をふる。

ローストしたピーカンナッツも加えた。

まさに「おつまみ系」の味になる。パンや野菜につけてどうぞ。ちなみに、飴色玉葱ではなく、おろしたまねぎ少量でも、さらに大人な味になっておすすめ。飴色玉葱だとパンチがあってジャンク感というか、子供も大人も好きそうな味になるが、おろし玉葱だと大人ウケしそうな感じの味にある。

 

ケークサレの隠し味も

ケークサレの場合は、隠し味、コク出しの意味合いが強いです。この日はあまっていたライスサラダ(ブロッコリー、キノコ類、トマト、ドライトマト、焼き鮭、押し麦、ムングダール)を具にした。なにを入れてもいいのかなあと思って…。同じくコク出しの意味で、白味噌をほんのすこし。小さじ1/2くらい。ほーんの少しいれるだけで、焼いてるときの香りが素晴らしくよくなる。

 

関係ないけど、ケークサレって、飽きませんか? 私はけっこう飽きてしまうので、1本焼いたら、後半はトマトソース添えたり、チーズ乗せて焼いたり、味変にいそしみます。

もちろんカレーも

 当たり前すぎて書かなかったけれど、カレーは飴色玉葱を最も大量に使うメニュー。飴色玉葱を大量に入れたカレーを食べて、「あ、カレーというものはスパイス風味の玉葱を味わうものなのだな」と改めて痛感した。あれは玉葱の料理なのだ(異論は受け付けません)。だからほかのときは隠し味的に使っても、カレーのときは大量に使わなければいけない。

⇧野菜入りチキンカレー。たっぷりの飴色玉ねぎに、おろしにんにく&しょうが、生姜の黒糖煮を入れて香りを立たせて、ガラムマサラとチリペッパーを入れて、鶏肉→野菜を投入。火が通ったらバルサミコ酢を好みの量入れて出来上がり。

 

生姜の黒糖煮はこちら。 

camecon.hatenablog.com

 

たくさん活用法を作ったら、あっというまに冷凍してあるぶんがなくなってしまった!

 

 

ガスパチョの研究

どうして私のガスパチョはまずいのか?

 

 というのがここ数年の悩みのひとつだった。

ご存知、南欧の夏の冷たいスープ。

⇧真夏にスコーンのような粉っぽいものを食べるとき、ガスパチョ必須。ベランダのバジルが活躍してうれしい。ちなみにスコーンはホップ酵母で作った、サフラン風味のスコーン。

 

トマト、トマトジュース、きゅうり、たまねぎ、にんにく、オリーブオイル、塩。

 を、ミキサーで混ぜて寝かせるだけ、というきわめて単純なレシピなのだけど、うちで作ると、なんというか、きつい味になる。きつい味になるから、おかわりをする気になれない。作ってもあまる。ネットで調べてあれこれと挑戦したのだが、結局、おいしくならないまま数年すぎた。

 

 ガスパチョってものがそもそも好きではないのかも?と思い、しばらく飲んでいなかったのだが、ジョエル・ロブションのカフェで「これだ!」という味に出会って、ガスパチョが嫌いなのではない、私が作るガスパチョが間違っているだけなのだ、という結論になった。ロブション、たって、レストランではない。丸の内ブリックスクエアにある、プラスティックトレイに皿を載せるような、ほぼファーストフードのガスパチョである。500円。でもものすごくおいしい。去年食べに出かけたら「昨日終了しました」などと言われて、かなりショックだった。

 

 そんなわけで、やっぱり自分で作れるようにならないと、食べたいときに、食べたいだけ食べれないので、やはり自分で作ってもおいしくなるようにならなければいけないのだ、と痛感。

みんなはガスパチョにいろいろいれてるらしい 

 それで、もう一度前回とは別の方法で探求してみることにした。

前回は、「(基本の材料プラス)なにを入れればものすごくおいしくなるのか」ということを探していた。ネットには、かなりの量の「提案」があった。覚えているだけでも、昆布、桃、パイン、茄子、しょうゆ、砂糖、はちみつ、梅、キムチetc。で、何種類か試したのだが、「まあ、おいしいけど……」という微妙な味だった。なにより、家で作るガスパチョの「青臭さ」がとれない。

 

 もしかして、私好みのガスパチョ“きゅうりを入れない”のではないか? この青臭さはきゅうりのせいだよね?

 

 と、閃いたものの、閃いただけで実験もせず1年放置していた。生のきゅうりではなく、ピクルスとか入れてみようかなあ、とか。塩もみきゅうりはどう? とか。でも放置。

 で、その後、ロブションのガスパチョを飲んで衝撃を受けたのである。本やネットでレシピを調べたら、簡単に出てきた。そしたら、全然きゅうり、使っていた。


材料:4人分
・トマト 500g
・赤いパプリカ(種を取る) 60g
・きゅうり(皮をむく)  35g
・玉ねぎ(皮をむく)  25g
・にんにく(皮をむき、芽を取る) 1/2片
・食パンor イギリスパン (耳を除く) 10g
・トマトペースト 大さじ1
・トマトジュース 250g
・バジル 1束、シェリーヴィネガー 大さじ1、オリーブオイル大さじ2
・塩、こしょう

 

ガスパチョは前日に仕込む
1)大きなボウルにトマト、赤いパプリカ、きゅうり、タマネギをすべて小さく切ったもの、
  芽を取ったにんにく、キューブ状に切ったパンを入れる。
  オリーブオイル、トマトペースト、トマトジュース、シェリーヴィネガーを注ぎ、
  バジルの葉を数枚加え、塩(精製縁)をして、こしょうを挽く。
  ゴムベラで全体を混ぜ、ラップをする。
2)冷蔵庫に入れ、一晩寝かせる。
3)フードプロセッサーにサラダボウルの中身をあけ、全体に均一になるようにする。
4)さらに冷蔵庫で1時間ねかせる。
5)盛りつけ:深皿にガスパチョを盛り、オリーブオイルを全体にひとふりして、
  バジルの葉とクルトンを散らす。

日本テレビ世界一受けたい授業」のサイトより)

  というか、なんの変哲もない材料だった。もちろんこれと完全に同じではないだろうけど、基本は同じだろうし、あのファーストフード的店舗で出すスープが、この基本以上にあれこれ入れているとも思えない。

 

 きゅうり、入れてるのかあ。

 …と不安に思いつつ、いや一度、レシピどおりにきっちり作ってみようではないか。それでも気に入らなかったらもう諦めよう、ということで再挑戦。

 

ロブションのガスパチョは 

 じっと材料表をにらんでいたら、発見が2つあった。

 きゅうりは入れている。入れているが、ものっすごく少量だった。トマト500gにトマトジュース250g、ほかにオイルだのビネガーだのパプリカだのも入って、だいたい800gの総量のなかで、きゅうりの重量はたった35gだった! なるほど……私は量を入れすぎていたのか。いつもかなーり適当に作ってたからなあ。で、さらに“皮をむく”とある! そうだった! きゅうりの青臭さは皮にあるのだった! そうかそうか、これが失敗の原因だったのかも!

 

 なるほどね~と思いつつ、珍しくお菓子のようにきちんと計量して作っていると、なんて繊細なレシピなんだ、と感心してしまった。きゅうりも玉葱も食パンも、ものすごい少量なのだ。「それなら入れなくてもいいのでは?」というくらい、少ない。おいしくなる分量、というものを見極めて作っている感じ。さすがだなあ、と思いつつ、手に入れたばかりのクラッシュミルサーにかけて液状に。

 

しかしひとつよけいな手間をかけた

 ちなみにひとつだけレシピ外のことをしていて、それはパプリカを生ではなく、ローストして使ったということ。理由は、パプリカはローストすると3倍くらいおいしくなるから。面倒なのだけど、焼いたパプリカのおいしさを思い出すと、ついつい手間をかけてしまう。でもこれもほーんのちょっとしか使わないんだよね…。

 

 ガスグリルで真っ黒に焼いて、ふたつきの容器に入れてしばらく放置して、蒸らす。そして皮をむく。

 

 

 そしてできあがった味は!

 うん、おいしい! なるほど、やっぱりきゅうり入れすぎだったのか…。

 

 うーん、うまし、と思いつつ、もう少し実験してみようと思い、アレンジを考えた。

 

  1. ●ローストパプリカをレシピの4倍入れる。
  2. ●昆布(真昆布)を入れる
  3. ●パイナップルを入れる

 ⇧左に真昆布、右にローストパプリカ。

⇧パイナップル。

 

 で、それぞれ作ってまたしばらく寝かしたが、だんとつでおいしかったのは昆布を入れたものだった! うましと言いつつも、基本のレシピではほーんのわずかに青臭さ、きつさを感じないでもなかったのだが、実は。が、昆布を半日入れたら、完全に消去されていた。何味が足された、というわけでもないのだが、全体的にまろやかになって、めっちゃくちゃおいしい。そう感じるのは私が日本人だから? いつでもストックしておける昆布がうまみだしの決め手になるとは、ありがたい。

 

 パプリカもおいしかった。うっすらと甘みがついて、ごくわずかな青臭さも99.9%消去された。…つまり、昆布に比べると消去はされていない、ということでもあるのだけど…。パプリカのうまみでめくらましされているような感じである。

 

 では、パイナップルはどうか。甘みのほか、たしかなにやら酵素が入っているはず。

こちらも甘い。フルーツジュースにより近い甘み。そして青臭さ、消えていた。酵素のおかげ? これも悪くない。

 

 あともうひとつ、焼き茄子を入れてもたぶんおいしいんだよなあ、と思いつつ、実践できず。しかし以前、ほとんどガスパチョの材料で、焼きナスを加えているパスタソースのレシピ、というのがあって、それがかなりおいしかったので、間違いないと思う。

 

 そんなわけで夏の自由研究は終わり。まだ夏は始まったばかりだけど…。そろそろロブションでもガスパチョが始まってるはず(いや、まだとうもろこしかな?)なので、行って食べて、もう一度確認してみなければ。夏のおでかけの予定ができた。

梅雨なので、ゲランドの塩で梅干しを漬けよう

夏が来る…。

 いつのまにか7月になってしまった。人を一気に年取らせる季節、夏。なにかを試すかのように容赦なく太陽が照る夏。なのに多くの人が愛する夏。私は愛していない。夏は毎年私を弱らせる。今年もさっそく、ここ数日の猛暑ですっかりぐったりしてしまって、どうやって、少しでも快適に過ごそうかと考える暇もなかった。いつも考えているわけではないのだが…。夏にはなにもできない。ただ生きてるだけでもう精一杯である。

 

しかしまだ梅雨でもある 

 しかし、正確に言うといまはまだ梅雨なわけで、梅雨に主婦がすることといえば梅仕事。私は大の梅干し好きで、誰も食べる人がいないというのに(夫の唯一の嫌いな食べ物、それが梅干し…)毎年5kg頼んで、しそ漬け、白梅漬け、甘酢漬け…と、いろいろ漬けている。そしてひとりで食べている。なんというかなかなか贅沢な趣味である。ていうか、実際書いてみると哀しい。

 とくに変わった漬け方をしているわけではないのだが、その梅仕事をいちおう書いてみようと思う。

 ※前回書いた飴色玉葱の活用方は、次回…。

 

 

 うちの梅干しの、唯一の特徴らしい特徴、それはゲランドの塩で漬けることである。最初は日本のおいしいと言われている塩で漬けていたのだけど、ある年、切り替えたら、かなりはっきりと味が変わった。塩みがまるくなり、あきらかにおいしい。家庭の梅干しなので塩分を減らすのも怖く、うちはいまのところ14%で漬けているのだが、それゆえに塩の味がかなり影響してくるのか? とにかく全然味が違ったので、それ以来、梅干しは必ずゲランドの塩で漬けることにしている。

⇧ゲランドの塩は粗塩と顆粒があるけれど、ちゃんと梅にまぶるように顆粒を使う。楽天などでまとめて買うと1kg700円くらいで買える。いまのところ、これが底値。

 

 梅干しも、最初の数年はいろいろなところで買ってみて失敗したり成功したりなどして、結局ここの梅がいちばん立派で美しく、そしておいしい、ということで紀州小阪農園さんで定着した。しかし、今年はかなりの不作だとかで、5kg7000円した……痛い。これは痛い価格だ。いつもは5千円台くらいで、それでも高いなあ…と思いながら買っているのだが。でも、こちらの梅はいつも期待を裏切らない。

 ⇧梅はきれいだなあ

www.kosakanoume.com

 

 

 作り始めの頃は、このサイト、四畳半の住人、をめっちゃ参考にさせてもらっていた。よくわからないのだが、四畳半で、独自の生活を送る男性のサイト、である。無駄(だと思う)な費用を極限までおさえ、しかし同時に豊かに暮らす、を実践している、なんか仙人のような方なのだ。四畳半で暮らし、銭湯に通い、梅干しを漬け、わかさぎを釣り、自転車に乗り、ガス台を掃除し、寒い冬の四畳半でいかに温まるかを考える。その他生活のすみずみまで自分の納得したやり方をみつけて実践している。ブログなんてものが現れる前からみっちりとしたサイトを作っていて、インスタ映えなんて1ミリも考えず、しかし多くの人の生活を豊かにしてきた(と思う)。私も梅干し作りを始めたときから、長年にわたって愛読させていただいている。ここに来ると、そのびしっとした生活哲学に、なんだか身がひきしまる。ご興味ある方はぜひ。

homepage45.net

 それで私も梅干しの漬け方を身につけた

 で、そんなこんなで試行錯誤しながら10年くらい梅干しを漬けて、どうにか自分のやり方ができてきたのでここに最低限守るべきことを書いて見る。

 大事なことは、とにかくカビさせない。カビさせないための梅酢をさっさとあげる、の二点だ。

 なので、注意点は

●梅酢がすぐ出るよう、完熟梅を使う

●梅干しを洗ったあと、ようく、ようく水気をとる。

●焼酎も使うし、パストリーゼ(さとうきびから作ったアルコール食品殺菌スプレー)もばんばん使う。できた梅干しにお酒の匂いとか、しません。

●道具はきっちりパストリーゼで消毒。手も消毒。

●重しは梅酢をすばやく出すため、最初はきっかり、梅の2倍。

●塩がまんべんなく行き渡るようにする

 

というところだろうか。

具体的な手順は

 

1届いた梅を数日放置して完熟させる。うっすら黄緑が残っているようなものがまじっているなら、ぐっとこらえて真っ黄色~オレンジになるまで待つ。待っている間、家中があまい梅の匂いでいっぱいになる。これは素晴らしい数日である。

 

2傷のあるものとないものに選別する。傷はカビのもと。きれいなものだけを梅干しにする。はじかれたものは甘酢漬けかジャムになる。

 …が、しかし、正直言って、この傷ものの選別はかなり難しい。ごく小さなシミがある梅干しも多く、これ、傷? 傷じゃない?と判断に苦しむのだ。本に載っている「こんなのはNG」という梅は明らかに傷ついてるものが多いので、ごくごく軽いシミや傷はどうなの?という疑問が残ったままである。しかしここ数年は、勇気を出して「これはきれいだから大丈夫!」と採用する傾向にある。もったいないし。実験しないと永遠に答え出ないし。今のところ、カビてないので少々の難(傷のすきまから果肉がのぞいている傷はたとえわずかでもだめですよ!)はOKのようだ。

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⇧こんな感じの、傷というか線、のようなものは許容範囲にした。

 

 選別後、水に1時間漬けてあくぬきをする。(完熟していれば漬けなくていい、という説もあり)。水に漬けた完熟梅がまた、美しい!

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 3サラシやペーパータオルでしっかりと水気をふきとり、なりくちを竹串で取り除く。なりくちにたまっている水をちゃんととりのぞく。ここがカビやすい場所だとのこと。

 

4消毒した容器に焼酎を適当にまく。梅の14%の塩を用意し、底面にひとつかみまく。ごくわずかでよい。

 

5小さなボウルに焼酎を入れ、梅干しをひとつずつ、洗う→塩をまぶす→容器に並べる。なりくちにしっかり塩を詰める。隙間なく詰めたいので、きっちりきれいに並べていく。

 

⇧焼酎で洗って

⇧塩をまぶす。

 6一段並べたら塩を表面にまぶす。一段目などは、塩が上の段から降りてくるので少なめでよい。

 

75を繰り返す。最後に焼酎を適当に入れ、残りの塩を、ふたをするようにまぶす。パストリーゼもしっかり噴射。

8梅の重量の約2倍の重さの重しをのせる。私はガラス皿をふたがわりにのせ、ラップ→ホウロウやガラスボウ

 

ルのような酸に強い素材の皿かボウルをのせ、そこにジップロックに入れた砂糖や小麦粉の袋(重量が簡単にわかるから)を乗せる。

 

⇧ふたは閉まらないので、数日はこんなタワーが。左がパストリーゼ。

9一晩で梅の8割、まる二日で梅がすっぽり隠れるくらいまで梅酢があがるのが理想。梅酢があがれば、殺菌してくれるのでカビの心配はほとんどなくなる。

 

⇧1日後。ここまできたらもう重しは梅と同量でよい。梅が全部浸かれば、それより軽くてもよい。

 ちなみにゲランドの塩で漬けると、梅酢が完全な透明でなく、少々濁ります。最初はカビたのかと思って冷や汗が出たけれど、その後無事に梅干しになり、以後何年も繰り返しているので、これはゲランドの塩の特徴というだけでカビではないようです。海藻なんかが混じってる塩だからかな、と私は考えているのだけど…。

 

 10しそ梅干しにするなら、赤しそを買ってきて塩もみし、(じくや茎をのぞいた赤紫蘇の葉を洗って水気をのぞき、少量の塩をまぶしてもみこむ×2回、でアクを抜いたもの)加える。赤しそを加えるとカビやすくなるのでしっかり梅酢にすべてが使っているかを確認し、こまめに様子を見る。

 白梅干しも作りたいなら、しそを入れる前にとりわけておく。

 

カビたら? 

………実はまだカビたことがないので、なにも言えません……。しかし対処法はいろいろあるようです。四畳半さんなどを参考にしてください。

 

11ある晴れた夏の日(秋でもいいけど)に、三日三晩干す。途中で天気が悪くなるなどしたら、連続した三日でなくてもよい。そのたびに梅酢に戻さなければいけないけれど。

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⇧何年か前の写真。まだあと2日くらい干さなければ、という感じです。でもすぐ食べるなら、半干しの梅もまたよし、です。 

 

↑左が2016年作、右が2015年作(紫蘇が多いのでかなり赤い)、手前の小さな瓶は…いつかな2013年くらいかな? 3年もたつと、色も形状も明らかにかわり、そしてぐーん!とおいしくなる。なので古いのもとっておきたいのだが、実はなんだかんだと食べ切ってしまいがちで、古漬けが楽しめない…。

 で、傷ものはさしす梅干しと

↑傷ものは甘酢漬けに。横山タカ子さんの「さしす梅干し」。去年作ったら、かなりおいしかったので、今年も。さ→砂糖、し→塩 す→酢に漬けるから、少々傷のある梅でも大丈夫。本当は、しばらく漬けたら干すのだけど、私は干さないで食べてます。干さなくてもジューシーでおいしい。漬け汁でドレッシングを作ると、これまたとてもおいしい。たぶん、はちみつをたしてペリエで割ったらおいしいサワードリンクになると思う。

www.kyounoryouri.jp

 はちみつ梅ジャムになる

↑完熟梅の美しさを長いこと堪能できる、ジャム。いろんなやり方があるけれど、今は梅の20%の砂糖をまぶして水分を出し、その水分で煮たら、種をとりのぞいて30~50%のはちみつを混ぜる、というやり方で落ち着いている。うーん、なんて美しいオレンジ色。種をとりのぞくのが結構一苦労なのだが、友人の母は「種をとらないという選択」をした、という! 自家用なら全然ありかも。今回もさんざん悩んだあげく、魔が差してとってみた。まあ、見た目はきれいですよね、とったほうが。

 

 2月の厳寒のときにかわいらしい花を咲かせて、その後青々とさわやかな葉を繁らせ、五月になったらいい匂いをふりまきながら、美しい青い実をつけて、しばらくするとそれがオレンジになって、こんなおいしいものになる。梅って……なんて有能なんだ、としみじみ感服するのだけど、それを梅干しを憎んでいる夫に言ってもいまひとつ伝わらず、またここでも孤独を感じる雨の夕方であった……。

 ランニングコースにある梅の木。なぜかいまだに青梅。

飴色玉ねぎはおいしすぎるし便利すぎる 作り方篇

まずは報告

 憧れの「毎日床を雑巾がけ」を、とりあえず実践している梅雨のさなか、です。現在5日め。もちろん家のすべてを雑巾がけできるわけはなく、居間と台所だけだが…。こんなこと、毎日続くはずない、と思いつつ、やると足元が気持ちいいのでやっている。5日続いている自分に少し感動。

 毎日やる雑巾がけなら、手袋だの何枚もの雑巾だの、と用意周到に準備するのではなく、一枚の雑巾で、ささっとやって、ささっと洗う、がいいようです。

 

 今日は私の大好きな飴色玉葱について書いてみようと思う

 冷凍庫に必ず入っていて欲しいもの、それが飴色玉葱である。作るのには多少の手間がかかるけれど、冷凍しておけるし、なにしろ用途が広い。あるといつも「よかった!」と思うもののひとつである。

 

 飴色玉葱の利点を簡潔にあげると、

 

●本格的なカレーがすぐにできる。

●あらゆる料理の隠し味になる

●スープもすぐできる

●お菓子やパンにも使える

 

 ということになる。なにより、これを加えるとその皿の味レベルがぐーんとあがる、という隠し味芸の威力がすごい。「悪くはないけど、とびきり美味しくもない」という煮え切らない料理ができそうなとき、このひとがいると、本当に助かる。いきなりおいしくなるのだ。

 フランス料理の「これを入れるとなんでもおいしくなる」ガストリックも、要はカラメルに酢を加えたものだし、コカコーラの大素はカラメルだっていうし(ほんと?)、つまり砂糖が焦げたものを、人はおいしいと感じるものらしい。で、飴色玉葱は玉葱の糖分を焦がしたものだ。さらに玉葱じたいの旨味も加わるから、おいしくないわけがない。

hamsonic.net

 

漫然と炒めるだけではいつまでも飴色にはならない

 

 以前はなんとなく作っていたけれど、何度か調べたり作ったりしているうちにコツが見えたので、書いておこうと思う。

 

 まずソースが曖昧で、しかも理由も忘れてしまったので説得力に欠けるのだが、使う玉葱はひねよりも新たまねぎがよく(どこかのシェフが言っていた…)、切り方はみじん切りよりも薄切りのほうがいいdancyuのいつぞやのカレー特集だったと思うのだが…)らしい。てっきり水分の少ないひねのほうが作りやすいし、無精してスライスですませずみじん切りにすべし、なのかと思っていたので、逆のことを断言されてちょっと驚いた。しかし、なぜ、どのようにいいのか、という理屈は忘れてしまった…。すみません。

 

 で、そろそろもう新玉葱もなくなる時期なので、大玉を発見したついでにこれを全部飴色にしてしまおうと思う。

 

 

⇧比較対象がないのでわかりづらいが、1個直径15cmくらいありそうな、巨大な新たまねぎ。玉ねぎは大きいほどいい、という畑をやってた頃学んだことを信じて、買った。

 

時短の工夫はすべきか? 

 とにかく時間と手間がかかるから、ググるといろんな時短の方法が載っている。私も、「まずレンジで20分くらい加熱してから炒める」などの方法を行った。でもやりかたがまずかったのか、時短されてるかどうかよくわからなかった。そして「いったんスライスした玉葱を冷凍してから炒める」というのも、実践しようと思いつつ、それをするということは作業が二段階になるわけで、例えば夜に玉葱を切って、ジップロック等に入れて冷凍し、翌日それを炒める、ということになる。それなら一度に行ったほうが楽なのでは? ということで、結局普通に作っている。

 

 個人的に思うのは、これはどっちにしろ、めんどくさくて手間のかかる仕事なのである。だから、もう諦めて手間と時間をかけると腹をくくるのが、結局近道なのではないかと思う。そして、ジャム作りの記事にも書いたけれど、これは私のセラピーのような作業でもあるので、手間はかかってもいいのだ。というか、癒しの時間として、たっぷろとってあげるのがいいのではないか。調理の後半は、強火の鍋の前で、がしがしと木ベラを動かし続けるため、集中力と体力の両方がいる。結果、作り終わったあと、ある種の爽快感が味わえる。リフレッシュとして、本当におすすめです。

camecon.hatenablog.com

 

 

作り方

1薄切りにした玉葱を、油をしいた鍋に入れる。このとき鍋の大きさは結構大事だ。早く炒めたいばかりにひらべったいフライパン的なものを使うと、火通りと焦げの加減がうまくいかないし、焦げを落とす、という作業がやりにくい。おおよそ、生のスライス状態で、6~7割程度うまる大きさの鍋、がよい。これくらいだと、火が通って小さくなったペースト状の玉葱が鍋の底に満遍なくいきわたる。多すぎてあまり重なりが厚くなると、焦げる部分と焦げない部分の差ができすぎてしまう。

⇧これはちょっと多い。もう気持ち、少ないほうが作りやすい。

 

 道具は木べらがベスト。基本の作業は“鍋底に焦げて張り付きかけた玉葱をこそげ落とす″ものなので、ぐいぐいと力を入れられる木べらが理想なのだ。ゴムベラだとへたってしまって、うまくこそげ落とせない。で、こそげ落とす作業なので、おそらくテフロン鍋は避けたほうがいいだろう。

 

 2油を入れて玉葱を入れ、水分を出すために塩を少々ふって、まずは蓋をして全体に火を通す。水分も一気に出してしまう。火加減は強火。

焦げを作りたいので、しばらくほっておく

 

3しばらくして底がうっすら茶色くなってきたら、それをこそげ落とす。←これを繰り返す。大事なのは焦げができるまでいじらずほっておくこと。しじゅうまぜっかえしていると、ただのくたくたの玉葱ソテーができるだけである。

⇧焦げができてきて…。

 

⇧きゅっきゅっ、とこすっておとす。

 

 最初の15分は、ほっておく時間をしっかりとるべきだが、そのうちかさが半分くらいになってくると、水分が完全に抜け、粘りが出てきて、だんだんほんの数十秒ほっておくだけで焦げてくるようになる。ここまできたら、他のことはしないで鍋とつきっきりになる。黒焦げにさせてしまいそうなら、火を少し弱めて、自分のこそげ落とすスピードと、鍋に焦げ付いていくスピードを合わせるようにする。焦げ付いた部分に玉葱をのせて、それを洗剤(?)がわりに上から木べらでこすると、よく落ちる。なぜか。

 

4カラメリゼと“ただの焦げ”の違いはほとんどない。けれど、確実にある。口に入れると香ばしさではなく、ただ「炭化した」苦味だけが残る。某カレー評論家が、飴色玉葱は焦げていいんです、と断言していたけれど、でもやっぱり両者の差は確実にあり、黒焦げはただの失敗だと思う…。だからほっとかなきゃいけないけど、ほっときすぎは禁物です。

 私なりの区別の仕方は単純に色だ。どんなに濃くても、あくまで茶色であればそれはカラメリゼされたといえるし、黒ければ、“焦げ”。基本的に焦げたものが好きな私だが、それでも「失敗の焦げ」は存在すると思う。

 

53の行程を、「いい感じの飴色」になるまでえんえんと行う。けれど、火を止めててから十分くらいすると、一段色が濃くなるので、「あと少し濃くしたいけど…」というところで止めてよい。冷めた頃に鍋を見ると、結構しっかり色が濃くなっているのでいつも驚く。

 だいたいこの色で、生の玉葱の46%の重さになっている。

⇧火を止めた直後。

 ⇧30分後。ダークになっている。

6保存は、ジップロックで。あれば下にステンレスかアルミのトレイを敷いて(冷凍庫にスムースに移動するためと、急冷するため)、玉葱を入れて薄く伸ばしたジップロックをのせて冷凍庫へ。使うときにちぎりやすいよう、できるだけ薄くのばし、スケッパーでキリトリセンのあとをつけておく。使うときはキッチンバサミで切り取るか、手でちぎって使う。粘度があるので、ぱりん、と割れたりはしないです。

 

⇧冒頭と同じ写真だけど…。

 で、この玉葱をどう使っているか、は次回。とりあえず今日は、ゴーヤチャンプルー的な炒め物に入れました。甘い味付けと相性のよいゴーヤは飴色玉葱とも相性よし、と思う。ほんのちょっと入れると、入れたことはわからないけど、すごく味が深くなって感激。

 

仕事と人生は、そんなにつらいものなのか?

昨日まであったもの

 毎日窓から眺めていた大木が切られてしまって味気ない風景になり、毎日ブログを読んでいた小林麻央さんが亡くなってしまい、喪失感に押しつぶされそうな最近です。とくに先週は、まる一週間かけてこの木を切るチェーンソーの騒音を聞かされ続けていて、「これはまずい」と危機感を覚えるほど滅入ってしまった。

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 “昨日まであったもの、ひと”が消えてしまうということは、思った以上にしんどいものです。麻央さんなんて、知り合いでもなんでもないのだが。しかしあの人のタフでクールな闘病ブログが好きでした。どんなときも自分を茶化す余裕のある文章を読むのが好きでした。

 

ご冥福をお祈りします。

 

 一生懸命やるほど不毛

 ここ最近の不調が、久々にした仕事によるものだとは薄々気づいていたのだけど、気づかないようにしていた。だがついに気づいてしまった。簡単にいうと、「不本意な仕事を一生懸命して、しかし土台が不本意だから一生懸命やればやるほど不毛感に襲われる」という仕事で、わかりやすく言うと…“有罪だと知っている人間の弁護をして、勝訴する”みたいな感じでしょうか。もちろんこれは大げさなたとえで、違法なことはしてない。ただ不本意なだけ、なのですが。

 できることは全部やって、かなり心体尽くして作ったけど、そもそも「こんなもの作るのはおかしい」などと思っているものだったので、出来上がって世に出ているのを見ると、情けなくて打ちのめされてしまった。それが心にどーんとのしかかっていて立ち直れず、掃除をしたりお出かけしたりいろいろしてみたけど、なかなか割り切れずに時間がだらだらとたち、季節も移動しようとしている。

 そんな鬱々とした日々を過ごしていたら、ダメ押しのようにいろいろなものがなくなってしまったわけである。銀杏は刈られ、麻央さんは天国に行ってしまった。

 物事は常に動いていて、生まれたり消えたりしているのだと、当たり前に割り切れるようになると、こういうことも普通に受け止められるのだろうな。

 

 木を切り倒すチェーンソーを聞きながら、「作業員たちも、こんなに立派な木を切るなんて、つらいなあ」と思っているのではないだろうか、と考えていた。きっと近所の人たちなんかが、恨みがましい顔で作業を眺めたり、“なんてことするんだ”なんて怒ってきたりする人もいただろう。しかし、彼らが切ることを決めたわけではないことはみんな知っている。彼らは、それが仕事だからやっているだけだ。

 麻央さんを亡くした海老蔵さんを24時間追い回しているマスコミも、全員特ダネに血湧き肉躍らせて奔走しているわけでもないだろう。最愛の人を亡くした人に聞くべきこと、撮るべき写真なんてそうそうあるはずもなく、「ほんとはこんなことしたくないんだけどなあ」と気が塞ぐ思いで張り込んでいる人たちも多いのではないだろうか(そうでもないのかな?)。

 仕事って、理不尽で当然なのだろうか? 仕事を懸命にやる、ということは正しくて美しい。でもその仕事そのものが不毛で無意味で有害なものだとしたら? 

 このテーマ、まったく答え出てないのに、吐き出しモードで書いてしまっているので、ただ問いかけてるだけ、の記事になってしまってすみません。

 

「嫌なことしんどいことも多いけど、でも最終的に好きなんですよね」といえるようならよいけど、「そこに仕事があるからがむしゃらにやってるけど、ふと冷静になって考えると、この仕事、かなり無意味だし、なんなら有害では?と思う」とか「なんかやればやるほどなにかが削られていく気がする」という類の仕事だと、人生がきつい。だって、仕事ってその人生の大半を使ってするものだから。

 人々がどれくらいの割合で「なんだかんだいって好きな仕事」をしているのか「やるほどに心がやさぐれていく仕事」をしているのかは、わからないが、もしかして後者の割合が結構高いのかなあ、と思う。

 

みんな怒鳴れる人を探している 

 なぜならば、最近「怒ってる人」がすごく多いなあ、と日々実感するからである。カフェに通勤していたときは、朝夕の通気電車で、「ものすごくイライラしている人」をたくさん見た。イライラのあまり体当たりされたこともあって、泣きそうになったこともある。舌打ちする人、わざと進路をふさぐ人、露骨に嫌な顔をする人、がたくさんいて、みんなそんなにおもしろくない毎日を送っているのか?と思った。

 夫の体験だが、ついこないだも、マンションの管理人さんと掃除のおじさんが、うっかり停めてはいけない場所に駐車したリフォーム業者を、鬼のような形相で怒鳴りつけていて驚いたという。その管理人さんも掃除のおじさんも、日頃穏やかでいい人でよく働く、なにも問題ない感じの人たちだっただけに、その豹変ぶりに唖然。「そうか、ほんとはすごく怒ってたのか」と衝撃だったとか。

 

 と、そんな話をしていたら、ニュースでは秘書を罵倒して話題の豊田議員の事件。たとえ東大でてハーバード出て国会議員になっても、怒鳴りつけられる人がいればとことん怒鳴ってやろうと、噴火寸前で待機している人もたくさんいるのだ。もちろん、私もしょっちゅう腹を立てているから、普段なんとか正常な大人のふりをして生きたいと思えば思うほど、内側にいろいろたまっていくという状況はとてもよくわかる。

 

 で、結局、

 

「仕事って、そんなにつらいのか?」

「人生って、怒らないではいられないほどしんどいのか?」

 

 というところにいきつく。夫は

「みんな、いろいろ求めすぎなんじゃないの?」と言う。

 うちの夫はわりと特殊な人で、人生にいっさいなにも期待せず、なにも欲しがらず、いますぐ死んでもOK!と言える人なので、「こんなはずじゃない」「なんで毎日こんななんだ」と怒りを抱えて通勤している人たちの気持ちがわからないのだろう。私は凡人なのでよくわかる。怒っている人、イライラしている人は、「欲しいものが手に入らない」からイライラしているんだろうなあ、と共感をこめて推測する。

 

 これは1950年~1980年の終わりまで、右肩上がりの数十年を送ってきた世代が今、中高年だからというのも大きいのではないだろうか。世の中の景気は毎年よくなって、お父さんの給料は毎年上がって、生活を快適にする家電が次々に出て、気がつけば自分の国は世界第二位の経済大国…というあの時代。思春期には「大人になったらいい会社入ってばんばん稼ごう!」と、バラ色の人生計画を立てていた世代だ。その人たちが今、四十代五十代六十代になっている。いろいろと夢破れて自分の人生の先が見えてきて、体力も落ちて鬱っぽいというのに、世間のほうまで下落傾向ときて、もう日本に明るい未来はない。まさかこんな時代がくるなんて。夢のリッチな年金生活は? 自動的に部長になれるはずだよね? etc. …だから、みんなイライラして不安なのではないか。

 今の十代二十代が中高年になったら、また違うのではないだろうか。

 

 先に書いたように結論はない。今、私がはっきり答えを出せることは、人々が最高にイライラしている場所はとことん避けよう、つまり朝のラッシュ時には電車に乗らないということである。朝早く乗らなければいけないなら、始発に乗ってラッシュを避ける。もしくは、乗るべき時間の3本前の電車に乗って、“走らないですむ”状況を作る。あとは、お金が入っても「根本的に納得いかない仕事」は、あとで大きくしっぺ返しがくる、と認識すること。なんとか「最終的には好きなんだよね、仕事」といえるものを、今からでも探そうではないか、ということである。

 

 

 

 

 

日本人が磨くもの

書くことがなくなった

 痛めていた腰もほとんど治り、パワーヨガもランニングも毎日できるようになった。夜も、そこそこ眠れるようになった。

 だが、気が滅入る。

 なんだろう? ブログも、ある日突然、「なにも書くことがないなあ」と思ってしまい、毎日「書くこと」を頭で探してはいるのだが、なにも見つからず日々が過ぎている。

 

 景気づけに、と散歩に出かけたり甘いものを食べたり、神社で写真を撮ったりしつつも、「書くこと」までに至らない。最近は、「なぜあんなに書くことがあったのだろう?」というところにまでいってしまっている。「そんなにおもしろおかしい生活してたっけか?」と考えてみると、別段今とたいして変わっているわけでもない。

 

 あー、まいったな、家にいても外にいても、何も変わらない、なら外に出るとお金使うから家にいたほうがいいや、となり、あげく、うちの景観のなかで大事な位置をしめていた大銀杏の大木(借景)がなんと切られ初めていて、毎日チェーンソーの音を聞かされて、それが銀杏の悲鳴のようにも自分の悲鳴のようにも聞こえて、いよいよたまらなくなってきた。

 

 それで、気晴らしの原点に帰ることにした。

 掃除。

 決して好きではないが、物理的にはもちろん、精神的にもある種の効果は実感している掃除、とくに拭き掃除。雑巾がけ。これでもやるか、と心を決めた。いつも自己流でなんとなくやっていたのだが、今回は調べてみた。

 

 すると、

●雑巾がけの前に掃除機をかけてはいけない。ホコリが舞い上げられて、拭き掃除をし終えたあとくらいに降りてくる。

 

●ホウロウバケツとぬれ雑巾5枚、乾いた雑巾5枚を用意して、どんどん拭いてはバケツにほうりこむ。そのまま水を入れてガス火にかけて煮沸する、のが簡単でおすすめ

 

●雑巾がけの姿勢は筋肉トレーニングとして素晴らしいものである

 

 などの知識を得た。まず形から入るので、さっそく野田琺瑯でホウロウたらいを見つけて、かわいいので買おうとするが、よく考えたらうちの掃除用に使っているボウルはステンレス製で、火にかけられるなあ…全然、買う必要ないなあ…と思い、泣く泣く諦めた。あのたらいを買ったら、毎日でも雑巾がけする気になれそうな気がするのだが…。

 

 そう、掃除の達人ブログを読みあさっていたら、「知り合いは毎朝起きたらまず、家中の雑巾がけをするという。慣れたら面倒でないし、なにしろ素足でフローリングを歩くときの気持ちよさといったら」云々と書いてあって、「毎日雑巾がけ! 起きたらすぐに!」と結構なショックを受けたのだ。これができたらさぞ気持ちいいだろうなあ…しかし…毎日…無理…だよなあ。

 

 とにかく、今日はやろう、ということで準備。

 バケツがわりのボウル、乾いた雑巾、濡れ雑巾。それから激落ちくん(これを使うのは間違ってるのかもしれないが……)。汚い雑巾も平気で触れるように、あと手を洗いすぎて荒れるので、綿手袋とゴム手袋を二重でする。

 綿手袋は、かのアトピーの名医、美馬皮膚科で、「ゴム手袋ぉ? そんなんしたって荒れるに決まってるでしょ。綿の手袋して、綿!」と怒られて。確かに手荒れは減ったような気がする。密着系のゴム手袋は、このメーカーはすぐに切れるので全然おすすめしないです。

 

 濡らした激落ちくんで汚れを取り、濡れ雑巾でふき、さらに乾いた雑巾で水気を取る、という順番。洗剤も用意したけど、使わなかった。「雑巾がけで洗剤を使うのは邪道」というようなことを昨日のネット情報で得たのと、なんとなく使わないほうが気持ちがいいと私も思うからである。

 『ガイアの夜明け』のバター不足の闇を見ながら!

 お供は、録画しておいた「ガイアの夜明け」。バター不足問題の闇に迫る第二弾で、前回、「バターが不足すればするほど儲かるわけですわ」的なことを発言して世間を驚かせたホクレンに続き、今回も「たとえ農協に生乳を卸さなくても、農協にお金を収めていただきます」というわけのわからない新制度を発表して、酪農家をびっくりさせていた。ここに出てきていた酪農家さんは、年に120万円くらい収める計算になるそうで、もちろんみんな怒っていたが、本当に……どうなってるんだろう、世間っていうか、社会っていうか、政府っていうか、こんなことが通用するなんて?? 世の中の制度を丸呑みしちゃいけないんだな、としみじみ思った。言ったもん勝ち、の理不尽な制度がきっと山ほどある。ちなみに、この不思議な制度を発表した大会、「ガイア」だけは取材お断り、と会場に入れてもらえていなかった。これも、参加者の酪農家さんが「そんなのおかしいだろう、報道の自由ってもんがあるじゃないの。こんなのトランプと同じじゃないか」と憤っていた。

 

 …と、これを見ながら掃除していたので、怒ったり、手を止めて画面に食い入っていたために時間がかかったが、ガイアが終わるのと同時に終わった。いつもそうなのだ、なぜか。ガイアの放送時間がちょうどうちのフローリング部分の雑巾がけとほぼ同じなのである。正確に言うと、もうひとつ板張りの部屋があるのだが、そこまで一度にやる気力がなく…。

 ⇧きれいになったのかなってないのか、よくわからない写真なのだけれど…。

 

 今日はヨガはやめて雑巾がけにしよう、と決めただけあって、ものすごい発汗量だった。ヨガの1・5倍くらい運動している気がする。運動だと思ってヨガのかわりにすれば、毎日の雑巾がけも夢じゃないのかもしれない。シャワーを浴びて自分も掃除し、きれいになった床を素足で歩く。快感!

 

雑巾がけって、他国の人はしなくない?

 しかし床にはいつくばって雑巾がけをする、って、日本人以外でするのかな?というのが、以前から思っていたことであった。雑巾がけ=お寺の小僧が修行がわりにする、というイメージがあるから、中国人はするのだろうか。

 でも雑巾がけをするとつくづく思うのは、やっぱり床に顔近づけて、手でこするというのが、一番きれいになる方法なんだよね、ということである。多くの国ではモップを使うけれど、最強はやっぱり雑巾がけなんだと思う。

 

 それについて考えるといつも思い浮かぶのは、パンの巨匠、志賀勝栄さんの言葉だ。

 著書「パンの世界」で、海外へパン修行に出かけたときのことを書いている。

 

「(海外のパン作りで大きな驚きはなく)むしろ技術以外の部分で驚かされた。階級社会のイギリスでは、パン職人たちがまったく掃除をしないのです。だから厨房が汚い。それは掃除をする職業の人の仕事であって、パン職人の仕事はパンを作ることなのだと。フランスでも似たようなことを感じました。こうした感覚は日本のパン職人にはまったくない。ギャップに驚きました」

 

 ああ、そんな話聞いたことあるなあ、と思いつつ読み進めると、次に出てきたのは、

 

 掃除は自分を磨くためにやるものだ、と日本人は考えます。

 

 という言葉だった。私はものすごくびっくりした。えっ、そうなんだ!? 知りませんでした! 掃除は「必ずしなければけないもの」という認識はあったのだけど、「自分を磨くためにやるもの」だとは思ったことがなかった。しかし、そうか、日本人は掃除を修行の一環としてやるものなあ…。いろいろ思いながら、しみじみとこの言葉について考えた。床を磨けば自分も磨かれる、と思いながらやれば、このつらい掃除が少し楽しくなるような気がした。これは激しく、大きく価値観を変える言葉だ。

 

 掃除は好きではないし、かなり苦痛なのだが、「自分のした後始末は自分でする」という考え方は好きなので、掃除は必ず自分でしなければいけないと思っている。それは日本人だからなのだろうか? あるとき、ものすごく几帳面な友人が「メイドって…いいよね…」としみじみ言っていて、「え? なんで? 他人が家に入ってくるのも嫌だし、自分の汚したものは自分で片付けたいから、別にいらないな」と答えてすごく不思議がられたけれど、彼女も日本人なのだから、私固有の考え方なのだろうか。

 しかし、志賀さんも「掃除を全力でやる若者でないと、教えても育たない。パンを作るバックボーンができないので、パン職人としても大きくならないのだと思う」と言っていたし、そもそも掃除をしないと作業が完了しないような感じがある。

 

誕生日にはお掃除を

 そういえば、さみしい誕生日を過ごしていたある年、ひとりぼっちであまりにもさみしくて、やることないあまり、洗面所の、ふだんあまりしないところの掃除をした。それで、「これからは誕生日は、誰に祝ってもらったとか、何をもらったとかで喜ぶのではなく、やりたくない場所の掃除をする日にしよう」と決めた。これは新しい年が小さな達成感とともに始まるので、なかなかいいアイディアだった。「祝ってもらえない。惨めだ」としくしく泣いているよりは、「うわーきれいになった! あたしだってやればできる!」などと思っているほうが百倍建設的な気がする。

 

 雑巾がけには、なにか単なる作業以上のものがあるのでは?と思ってググってみたら、「人生に悩んだら日本史に聞こう」(ひすいこうたろう、白駒妃登美著)の引用をされているブログをみつけた。

blog.goo.ne.jp

  欧米では仕事は労働や罰のようなものとしてとらえているが、日本人はまるきり違う、という話から、次につづく。

 

日本人にとって、古来、労働とは“神事”であり、感謝と喜びを表すものでした。もう一歩踏み込んで考えてみると、日本人にとって、生活そのものが神事だったのではないかと思うのです。

 古くから日本人は歳神様、お盆には祖先の御霊を家にお迎えする伝統を大切にしてきました。生活の場である“家”は、日本人にとって、単なる建造物ではなく、神様をお迎えする特別な場所でもあったわけです。だから、日本人は、家では靴をぬぎます。そして、床に這いつくばって雑巾がけをしていました。欧米では、床をモップで拭くだけです。掃除の仕方ひとつみても、日本人にとって生活そのものが神事であったということが、端的にあらわれています。

(中略) 日本人は、働くことや生活を通して、常に神様と一体になろうとしていたのではないか。だから、日常生活のひとつひとつを雑にせず、心をこめていた。

 これこそが、日本人がずっとずっとずっと、大事にしてきた生き方であり、人生の楽しみ方だと思います。

 

  なるほどねえ…。神については、いまだはっきりとわからないため、なるほど…以外に感想が出てこないのだが、でも「掃除は掃除人がするもの」と思っている社会よりはいい気がする。欧米だけでなく、カースト制度のあるインドなんかもそうらしい。掃除は掃除人がすればいい。だからみんな平気で町にゴミを捨てる。結果めっちゃ汚い風景が現れる…。どう考えても日本人のほうがいいよねえ…?

 しかし、日本人のこの考え方に反対する人も多いようだ。海外でもよく「日本の学校では、なぜ生徒たちに掃除をさせるのか。学校は勉強をするための場所で、掃除をする場所じゃない」と言われたりするという。

 

 片付けコンサルタント近藤麻理恵さんが 2015年にアメリカの「TIME」誌が選ぶ「最も影響力のある100人」に選ばれて世間を驚かせたけれど、「片付けや掃除が単なる厭わしい労働ではなく、健やかなメンタルを育てるものである」という考え方は、あちらの人々には相当ショッキングだったのではないだろうか。こんな考え方があるのだ、としっかり伝われば、子供に掃除をさせる意味がわかってもらえると思うのだが。

 

床を磨いて一皮むけた 

 汗だくになって床をきれいにしたあと、郵便局に出かけた。歩きながらふと、考え方が間違っていたのでは?と気づいた。最近「書きたいようなおもしろいこと」が起きていない、のではなく、単に「出来事をおもしろがる力」が減退しているだけではないのか、と。だって、こまめにブログ書いてたときとたいして変わらない毎日送っているのだもの…。起きていることにワクワクする力が減ってるだけなのか、と気づいたら、よし、帰ってブログ書こう、と思った。

 

おまけ

 

お気に入りの掃除用具

プラスマイナスゼロ のコードレスクリーナー。

www.plusminuszero.jp

 

結局、吸引力だとかなんだとかの前に、「ホウキのように使えるかどうか」こそが、私にとっての掃除機の最大ポイントなのだと気づき、さんざん検討を重ねて選んだのがこれだった。

●さっと取り出せてさっと使えるコードレス&スティックタイプ。

●見た目がかわいい。

●他のコードレスに比べて吸引力あり(と多くの人がレビューしていた)。

●パーツを取り外すとハンディタイプにもなる。

●ブラシも付属している。

●実勢価格2万円以下

 

 というのがメリット。1年半使っているが、かなり満足している。使っている途中でパワー切れしたこともないし、ゴミ捨ても簡単。

ただ、オプションのブラシは便利だけど毛が軟弱で、すぐに使い古しの歯ブラシのように広がってしまい、これはとても残念。

 そして持ち手のところ(電源スイッチのすぐ下)がついこないだ、割れてしまった。掃除中だけでなく、スタンドにセットするときや、パーツの取り外し時など、あらゆるときにこの一点に力をかけていたからだと思われる。接着剤で直したら、意外に元通りになったので驚き。

 ちなみにこの分野でのトップランナー、マキタは、夫が会社で使っていて、本体が重すぎて取り回しが不愉快、だとかで大反対されてやめました。

 

網戸掃除グッズ

 

網戸はずさず洗える!お掃除ローラー。こんなもの、落ちるのかな?と半信半疑で買ったのだけど、落ちました。

網戸をひとこすりする→真っ黒になる→洗剤を溶かした水に浸し、付属のスティックでなぞる→瞬時にきれいになる→また網戸をひとこすりする

を、何度か繰り返していると、そのうちスティックが汚れなくなるので、それが掃除終了の合図、というわけです。

この白い妙な道具が、汚れ落とし&余分な水分切り、としてものすごく便利。よくまあ、こんなもの考えるなあ、と感心しながらいつも掃除している。

⇧きれいになった! …って、わからないよね…。

 

でも、ここで紹介しようと改めてアマゾンを見たら、これ、2800円もしてた。高すぎる。なのでとくにおすすめではないです。網戸掃除に深く悩んでいたら、一度使ってみてもいいかもね、というくらいです。