独楽ログ〜こまログ〜

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パン種なんて二の次よ、というひとによる、パン作りの本 その1

著者は我道をいく発酵食生活者

“若い頃はいろいろなものをぷくぷくと発酵させてはパン種にして、理科室での実験のようにパン作りを試みていました。どんなものでも、発酵させさえすれば、焼くとそれなりにパンになるものです”

 というワイルドなパン焼き人が、「ドイツには小麦粉と水だけでパン種を起こす人だっている」とたった一言の情報だけを頼りに、目分量で小麦粉と水を合わせては放置(発酵)、合わせては放置、を繰り返して1か月後、小麦発酵種を完成させてしまった。それで作ったパンは“ポンポコリン″にふくらんだので、「ものの試しで(そのパンから)ひと握りとりわけてパン生地材料に放り込み、パンを作って」みると、真っ白でふわふわの香りのよい、酸味も硬さもないパンができたのでした…。

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 林弘子さんのこのワイルドな、料理人とかブランジェリとかいうよりも科学者、いや科学者というよりは生活者、とでもいうパン作りの姿勢は衝撃でした。この本を読んで、もう2年くらいパンを作っているのに、たぶん自分はなにもわかっていない…という五里霧中な世界の霧がはれたのです。

 

 それまでの自分は、とにかくレシピにある通りに作っているだけで、たとえばなぜパンチを入れるのか、なぜ一次のあとはベンチタイムをとらなければいけないのか、食パンはよーくこねるのにバゲットはこねないのはなぜか、そういうパン生地の仕組みのすべてが、文字としては知っていても、体感的にあまりよくわかっていませんでした。

 だから失敗すると、なぜ失敗したのかわからないし、レシピのアレンジもできない。いちおうパンは焼いてるけど、パンという菌を増殖させて小麦粉をふくらます食べ物の根本がわかっていない、という感じでした。

 

 そんなときに読んだのが、この「小さな酵母パン教室へようこそ」。

 発行は自然食通信社というところだし、表紙の雰囲気などからも、まさにベジタリアンとか自然食の人向けの本で、自分には関係ないかも?と思ったのですが、とにかくパン作りに謎が多すぎて、なんでもいいから知識と情報が欲しい!と藁をもすがる気持ちで手に取ってみました。そしたら、これはいつも読んでいるパンレシピ本とはまるっきり違う次元の話なのかもしれない!と雷に打たれたのです。

 

パンの作り方というか、生き方の問題らしい

 そもそもこの方は18歳の頃からお母さんから教わって、漬物や梅干し、味噌や麹などを作る発酵職人だったようです。パン作りはその延長。「どんなものでも発酵させさえすれば、パンになる」っていう、この感覚、レシピ通りに1gの狂いないよう計量し、レシピ通りに作ることばかりに命をかけていた私のような人間には、本当に目からうろこでした。

 そうか、りんご酵母なのかレーズン酵母なのか、と悶々と悩んでたけど、食べ物って、なんでも発酵するんだ。で、それを水と粉に入れれば、膨らんで、それはすなわちパンなんだ。

 という具合に、パンの基本に目覚めさせられました。

 

 林さんはかなり率直な方です。几帳面に粉と水を継ぎ、でもうまく発酵させられず、それでも規定の時間通りに次の粉と水を継ぎ、永遠に発酵種が作れない人。そんな人に彼女は「てきとうに、いい加減に、気分次第で」あとは「ほったらかし」で、とアドバイスします。「そんな几帳面に種継ぎしていたら、生地も発酵する時間がもてないでしょうに」という意味です。でも、そういう人たちは、それでは腐ってしまいそうで恐い、と、かたくなに従わない。

 これを、林さんは「発酵食生活者」と「そうでない人」の違いだとばっさり言い切ります。パン作りの本のなかで、「パン種作りに無我夢中で没頭するより、日常の食作りに役立つ味噌や漬物を季節折々に仕込むほうが、はるかに生活に役立つし、パン種も起こしやすくなると思うのですが」などと言うのです!

 

 あまのじゃくの自分は、パン種作りに苦しんで買った本でこんな文章を読まされて、うわー、こんな人初めて。めっちゃくちゃおもしろい!と感動したのを覚えています。

ちなみに、上記の言葉は、味噌や漬物などを日々起こしていると、家のなかに様々な菌がすみつくので、パン種も簡単に起きるようになる、という意味です。 

 林先生はさらに続けます。「お味噌汁と漬物がある普段の食卓が、一番心安らぐのではないかしら。一番大事なものを作りましょうよ。パン種なんか、二の次よ…」。これを自ら主宰するパン教室で毎回つぶやくらしく、私のように、「どーーーーーしてもふくらまない」と青筋立てて教室にやってきた生徒たちは、がっかりして去っていくそうな。まあ、そりゃそうですね。その落胆ぶりが目に浮かぶ。

 

 でもおもしろい。だって、こんなことつぶやくこの方の教室はこの当時ですでに10年以上続いていたのです。著者いわく「物好き」な生徒さんたちがいれかわりたちかわり、通い続けたのです。

  林さんによると、なんでも自分で手作りする人は、だいたい同じようにパン種も自力で作り方を発見するそうです。そしてだいたいみんな、「ほっておいたらできちゃった」と笑うらしい。冷蔵庫に入れたことも忘れて、ある日、これなんだっけ?と袋のなかをのぞいてみたら、「プクーッと膨れていたのよ。ハハハハ!」。

こういう姿勢が発酵食品生活には必要なのだという。

発酵は「思うに任せない生命現象」だからです。

「発酵は、肩ひじ張らずがんばりすぎない時間の流れのなかで、静かに着実に進むものなのです」。

 

 がんばってもがんばっても、うまくいかないときはうまくいかない。そういうときは、他のもっと大きなものに目をむけて、息をふうっと楽にする。すると、

 

「今までの頑張りは頑張りではなく、独りよがりな思い上がりだったのだなあと、自分の思考の上滑りや、行動の空回りに気づくことってあるでしょう」

 

いわゆる、エッジのたったクープとか、ボコボコ&膜厚の気泡だとか、今、美しいとされているパンの姿とはちょっと違うかもしれない。でも、二の次にされたパン種の真実が、ここにある、と思いました。 

その2につづく!