独楽ログ〜こまログ〜

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パン種作りなんで二の次よ、というひとによる、パン作りの本 その2

自分の体感とセンスで作られた価値観

 とまあ、そんなラフな調子で本は進むのですが、でもパンの作り方指導は決してラフではありません。生地の扱い方、様子の味方、判断の仕方、発酵のしくみ等、丁寧なところは限りなく丁寧に書いてくれています。これまでこんこんと、繊細に、パン作りを行ってきたんだなということが、言葉の端々から伝わります。

 

 私は林さんの、このバランス感覚がとても好きです。味噌から麹からパンまで、そして挙句の果てには七輪やかまどまで(!!)なんでも手作りしつつ、カンパーニュに一割ほど配合されたライ麦を「健康的」とありがたがる風潮を嗤う。甘い菓子パンを、「体に悪いから」と砂糖を減らした中途半端な配合で作りたがることにも疑問を呈する。手作りだからおいしい、という説にも「まずいものはまずいのです」と異を唱える。

 林さんの主義主張は、頭でっかちなものでも、借り物でもなく、自分の体感とそしてセンス(…としか言えないですよね、この好き嫌いの絶妙な感覚)に基づいている。

 

発酵が失敗した。そのとき!

 

 センスといえば、林さんの感覚に胸打たれた、すごいエピソードがあります。

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 これは別の著書「和 発酵食づくり」にある話。あるとき、例によってなにかを発酵させていました。そしてそれはなにかの加減で失敗したらしく、ちょっと妙な匂いを発しだしました。

で、どうしたか。

 そのまま観察のために放置したのです。変な匂いは強まり、そのうちとんでもない異臭になり、蛆虫がわき………それで、いったいどうなるの? 彼女は最後の最後まで観察し続けたのです。一体、最終的になにになるかは、読んでのお楽しみ。すごかったです。

 普通は、発酵食が変な匂いがした時点で、わあああ、と言って処分します。それ以外、考えられない。汚いもの、危険なものができてしまった!と顔をしかめながら消去するでしょう。私はします。

 このままいってなにがあるのか? なにができるのか? など考えたこともなかった。その発想に心底脱帽しました。

 こういうやり方…生き方があるのだ。

 そして、こうして生きるとたぶん、すごくおもしろい。

 

手作りは、自分をアピールするパフォーマンスではありません

 例えば彼女は、「手抜きの手作り」を否定します。一次発酵だけでパンを作れないことはない。時短で簡単にパン(的なもの)が焼ける。でもそれは明らかに味が劣る。そういうものを、「母の手作りよ」と家族に出すようなことを、とても嫌います。

 

「手作りとは自分をアピールするためのパフォーマンスではありません。慈しみ育みたいがために行うものです」。

 

 これもまた、目が覚めるような言葉です。

 そして、それはつまり「作りたくない気持ちのときや、都合のつかないときは、無理に作らなくていい」という姿勢を表してもいるのです。

 「無理を通しても何もいいものは生まれてきません。特に、自分以外の生命体の微生物、時間、そして環境に依存する発酵食作りの類は頑張ったから必ずうまくいくという保証のない作業です。だから〈頑張らない、でも、あきらめない〉。

 そしてしくじったときは〈いいじゃないのよ、失敗したって〉。しくじりを受け入れていたわるくらいの「ずーずーしい」心根をもちましょうよ」

 

 これはもはや、パン作りだけの話ではない。〈ありかた〉の話だ。

 抗えないものには抗わない。同時に、自分のなかから生み出すことにいそしむ。好奇心を旺盛にする。足りないものがあったら、嘆くかわりに、かわりのものを生み出す。そして、それを慈しみ、楽しむ。

 

 私は彼女の本を読んだら、とても自由にパンが作れるようになった。レシピにある通りの粉が揃わなくても、実験気分で作ってみる。水分を気分で増やしてみたりする。よくこねる場合とよくこねない場合、どちらも試してみる。

 書いてみたら当たり前だが、以前はこういうことができなかった。ルールにがんじがらめで、してはいけないことだらけだったから。「食パンはこの粉が最適です」と書かれていたら、それ以外の粉ではもう絶対作れなかった。他の粉がどんなふうに最適でないのか、試してみるかという気持ちが持てなかった。

がんじがらめな自分に気づくことができるのは、縛りが解けたあとなのだ。

 作ってみる。試してみる。失敗して、なにかに気づく。それを補おうとまた作る。たまに新しいことを思いつく。試してみる。成功して喜び、失敗してまた考えて、発見して、やり直す。そういう過程すべてが楽しいのだと、あらためて教わった。

 

自分の生きているおおきな世界を感じなおす

 林さんの生き方は、彼女が北海道生まれだということにも関係しているようです。

 長い長い長い冬とともに、彼女は成長してきた。

 「万物が陰に入る季節が冬。(中略)ことせいて活動したくても、しようのない現実と、それでも動じずにもくもくと日常を生きる北国の生活者たち。(中略)ただもくもくと時間の流れに身を添わせ、次の季節が来てくれることを信じてまつことが血肉となるものです」

 

 目に見えないミクロの菌の世界から、日常の私たちの世界、そして空や大地や雪の、大きな果てしない世界。彼女の言葉を読んでいると、自分のいる場所が新鮮に見えてきます。壮大で深くて、無限。ああ、自分はこんなところで生きているんだなと、なんとも不思議な新しい感覚に満たされるのです。

 

 林さんは、残念ながら2010年に急逝されました。けれど、林さんがたくさんの著書で伝えてきたこの深くて大きな物語は、今も日々、この世界で静かに発酵して、増殖を続けています。