独楽ログ〜こまログ〜

50代、女性、日本人、がひとりで毎日楽しくすごす方法を検証、実践、そして記録。

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気がついたら16年走ってた 2

怠け者がなぜ16年も走り続けているのか、の話の続きです。

 

走ることが快感になる

 痩せなくても走るのは、走ったあとのお風呂が癖になってしまったからです。最近は夕方5~6時頃に走ることが多いのですが、汗をたっぷりかいて、へろへろになって、ああ今日もがんばって生きたな。しかも走ったしな。やるべきことやったんだ!という達成感をもって温かいお風呂に入るのはかなり気持ちいいです。やみつきになります。これを何日かやると、走らない日、汗もかかず息も切らさず入浴することが罪悪のような、激しい物足りなさを感じるようになります。

 そして、走ることが習慣になると、数日走らないでいると、身体がむずむずしてきます。身体のあちこちが固められたような不快さが生れてきて、いますぐ、うおー!と外に飛び出していきたくなります。この感覚を持てれば、三日坊主なんてことにはならなくなります。

 

リズムにのる快楽

 だいたい1.5km~2kmすぎると身体がゆっくりと軽くなってきます。そうすると、ランニングハイの一種なのか、苦しくない、という状態になります。自分のなかで“いち、に、いち、に”とランのリズムができあがって、そこにただのっかって脚を出してるだけ、という状態になる。大袈裟にいうとベルトコンベアに乗ってるようなオートマティック感。無理して身体を動かしている感覚がなくなるのです。

 いち、に、いち、に、というこのリズムがどうにも心地いい。私はいつもiPodで音楽を聴きながら走るので、なおさらこのリズムに乗って身体が動くことが快感になります。だいたいヒップホップかR&Bを聴いていますが、適度にゆるいビートのヒップホップは、とくにランニングに効果的です。同じループをえんえんと繰り返すのがとてもランニング的なのです。好きな曲の旬(好きな曲でも、そのときに気分や聴いた回数によって、とびきり好きなときと、トーンダウンしちゃうとき、ありますよね?)に当たると、もう最高です。ものすごい快楽物質が脳から出てるのがわかります。

 リズム運動は脳からセロトニンを出すから云々、ってよく言いますが、それは本当にそうなんだなと体感でわかる。心がどんどん静かに、穏やかになっていく。リズムに乗ることは、たぶん人間の根源的な快楽なのです。

 爆発的に心が穏やかになる

 いろんな人が言うことですが、やっぱり走るのは精神安定に爆発的に効果があると思います。----ただし、私の走り方では、という注釈がつきますが。

 走っているときの、“急いでもしょうがない、脚を右、左、とただ出して、一歩だけ先に進むことしかできないんだから”という感覚、あれが、ランだけでなく自分の生活全般によい意味での諦めを与えてるような気がするのです。日常の様々な不都合事も、まあしゃあないわ、と思えてきます。

 だから、速く走ろうと思ってはだめなのです。速くなくていい、ずっと走れるペース、つらくないペースを探すのだ、という感じでしょうか。

 …とはいえ、どんなに走り慣れていても、毎回走り始めの1kmはつらい。しんどい。めんどくさい。全身が重くてかちこちで、自分のすべてが“いまは走るべきではない”と訴えてる気がする。そういうときに、今から走るコース全体を思うと、本当に気が滅入ります。とてもじゃないけど走り切れる気がしない。

 だからこのときは、もう足下しか見ないようにします。山登りの人が、目の前だけみろ!と言うのと同じです。下を見ると恐い。上を見るとゴールの遠さにうんざりする。だから目の前だけ見ろ。そうすると乗り切れます。人は近視になることも大事なんですよね。゛今、ここ″だけを考えるというのは禅や瞑想、マインドフルネスの基本だし。

 私はさらに、「いつやめてもいい。いつ帰ってもいいんだ」と唱えます。これを唱えて、真下の足下をみつめ、脚を片脚を前に出すことだけを考える。すると、いつのまにか1kmすぎ2kmすぎ…あれ、きょうもいつも通り走れたね、となるのです、不思議と。

 

 この「いつやめてもいい」と唱えるのも、自分にとっては大きなポイントです。人によっては逆に「絶対にやめない」と追い込むことがエネルギーを出すのに効果的だったりするでしょう。たぶんそういう人のほうが多いし、なんなら社会的にも成功しそうな気がしますが…。へたれの私は、自分を追い込まないことが、自分の最大のパフォーマンスを出す秘訣らしい、とごく最近気づいたので、唱えます。

 

 いつやめてもいい、だからもう少し走ってみれば?