独楽ログ〜こまログ〜

50代、女性、日本人、がひとりで毎日楽しくすごす方法を検証、実践、そして記録。

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なにも書いてないレシピと、なんでも書いてあるレシピ

レシピにはほとんどなにも書いてない

 

 お菓子の本って、なにも書いてないんだ。

 …と、強く強く思ったのは、本気でお菓子を作り始めて、しばらくたったあと。初めて作って大成功、というわけにはなかなかいかず、どんなレシピでも大概それなりに試行錯誤が必要だった。何度作ってもうまくいかず、その原因がわからず、そしてレシピ本にはその手がかりになるようなことは何も書いてない、ということがたくさんあった。どうしてこの生地はこんなにもろもろするんだろう。これじゃボール状に丸められない。どうしてこの生地はこんなに液状化するの? これじゃ絶対膨らまないに決まってる。オーブンから取り出すのはすごく膨らんだとき? 膨らんだあと? 溶かしバターを入れると絶対分離するけど、いいのかな? …等々。

 ひとつのお菓子を上手に作るためには、それこそ10も20もコツがあって----それらは製菓の基本のこともあるし、その菓子だけに限ったコツのこともある----、全部きちんと守ってようやくパーフェクトに出来上がる。でも、そのコツのほとんどはレシピには書いてない。あらゆる製菓本を読み込んで、ググって、ようやくコツらしきものを会得して、なんとかうまくできるようになる、ということを繰り返して思ったのは、冒頭の言葉だった。

「お菓子のレシピには、なにも書いてない。そう思って取り組むべきなのだ」。

 

いっぱい書いてあると、誰も読まない

  最初の頃は、「なんも書いてないやんか!」と腹を立てていたのだが、だんだん理解を示すようになった。

 昔、女性誌で料理ページを担当していたのだが、その最初の仕事のとき。張り切って、基本のレシピのほか、料理家の先生に聞いた話を箇条書きの「コツ」にまとめて担当編集に送った。もちろん、全部入るとは思っていなかったけど、少しでもたくさんコツを入れてあげたい、だって、これを知っていれば確実に成功率が上がるから、と思って。鍋は直径18cm以上が作りやすい、だとか、えびは下処理のあと、きっちりペーパーで水分を取っておくこと、とか、ブロッコリーは茹でると水分が房にたまるから、蒸したほうがいいとか、そんなこと。「どこかページのすみにでも、入れられませんか?」と添えて送ったのだが、結果は1個も採用されなかった。理由は「いろいろ書いてあると読者は読む気をなくし、作る気も起こさないから」だった。

 そうかー。そうなのねー。そういうものなのねー。私はとっても驚いた。コツなんかいいから、読みやすくして。そしたら作るから。という人が主流だったのだ。

 この経験がけっこう忘れられなくて、だから、世の中のお菓子本のほとんどが、すっかすかであることについては、あきらめた。いっぱい詰まってると作る気にならないんだからしょうがない、と。上手に作れる秘密はどんなことでも聞きたい、というような人間は少数派なのだと。

 

1から10まで全部教えてほしい

 

 なので、長い間私は、疑問にぶつかるとイライラしながらまずググり、それから分厚いパティシェ用の製菓本から家庭用のお菓子本までかたっぱしから、大型書店で立ち読み、もしくは大枚はたいて買って読み漁り、私の知りたいことの答えがどこかに書いてないか探し続けた。

 そして、その答えのひとつがこの本だった。「ケーキ この人、この店の定番」。ひとりのシェフが、ひとつの菓子について、徹底的に語りながら、レシピを開陳する。どうしてこんな作り方になったのか、どんな味を目指しているのか、これをやるとどんな差が出るのか、手の動かし方、OKサインの出すタイミング、焼き加減の見極め方。もうすべて、徹底的に書いてある。聞き手も相当製菓に詳しい方のようで(だって柴田書店だもんね)、その菓子が、レシピが、通常とはどう違うのか、なにが一番の特徴なのか等しっかり書き込んである。

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 しかもひとつのアイテムを、いろんなシェフ(店)が作り比べる(別に競ってるわけではないが)構成になっているので、プリンならプリン、シュークリームならシュークリームで、それぞれのレシピを熟読することで、シェフの好みはもちろん、そのアイテム自体の本質も見えてきやすい。

 例えば、ガトーショコラなら、メレンゲをどのくらいまで泡立てると、軽いけど食べごたえも残る味わいになるのか。壊れやすいメレンゲを、上手に混ぜ込む手つきはどんなものなのか。使うチョコレートを、あえて主流のダークではなくスイートにしているのはなぜなのか、そして、そもそもそのシェフは、ガトーショコラをどんなお菓子だととらえていて、どんな味わいを目指しているのかetc。どのシェフも微に入り細に渡り語り尽くしてくれて、もうありがたいったらありゃしない。何度も何度も、「なるほどね~!」と言いながら読み返した。そして作った。すべての行程になぜそうするのか、の理由が書いてあるから、「なぜこんな手間を?」と疑問に思いながら作業する、というよくある出来事も起こらない。「こんな本がもっとあればいいのになあ」とよく思ったものだ。

 私の理想のレシピ本は、たぶんこれなのだと思う。本格的なシェフの豪華本もこれに負けないくらい細かく書いてあって、それらも愛読させてもらっているのだが、この本は、聞き手がいて、そのシェフだけでなく、たくさんのシェフ、そしてお菓子の全体を見渡しながら原稿を書いているという点で抜きん出ていると思う(だいたいのレシピ本は、シェフのひとり語りになっている)。今までにない視点がたくさんあるのだ。

 

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⇧パティスリータダシヤナギのレシピでつくったガトーショコラ。これ以上なくシンプルで、よけいな味のしない極上のガトーショコラだと思う。生クリームがやや泡立てすぎなのは残念…。

生地といちごとクリームの一体化って?

 例えば「ア・ポワン」(閉店!)のフレジェ。聞き手は「生クリームとイチゴ、ジェノワーズが口のなかで溶けるように一緒になり、後口がいい」と評して、「生クリームがかなり多く仕込まれているのに、くどさがないのが不思議だ」と書いている。その秘密は、日本の製菓業界では定番の、乳脂肪40%台の生クリームではなく、35%を使っているからだ、とシェフは明かす。しかし35%ではさらさらしすぎて保型性がないので、粉末ゼラチンの一種をほんのすこし加えて硬さを出しているのだとか。同時に濃厚さもほしいから、上にのせるクリームは47%を使っている。

 しかも、このあとには、聞き手の感心した「一体感」を作り出すための、驚くべき技まで披露してくれている。なんと、ジェノワーズ(スポンジ生地)にいちごとクリームをはさんだ後、-2℃の鮮度保持庫に入れ時間をおき、いちごとクリームから適度に離水させることで、生地と一体化するという!

 どうして私がこんなに驚いているのかというと、それまで私は、クリームや果物から水が出る“離水”は製菓にとって、味を水っぽく、薄くするだけの「悪」だと信じていたから。ロールケーキやショートケーキが、作って半日〜1日くらいたったほうがなじんでおいしい、というのをわかっていたけど、そのためにわざわざ鮮度保管庫に入れて離水させる、というのはやっぱり驚きだ。そうか、そもそも「なじんでおいしい」というのは、あれは離水のなせる技なのかあ、としみじみ納得。いや、ほんと、勉強になります。製菓学校や製菓業界ではあたりまえのことなのかな?

 話はそれたが、とにかくこの本は、(例えば)ショートケーキとはどういうお菓子なのか? どう作るべきなのか? シェフはその定番についてどう考えているのか? 聞き手を立てることで、ひとり語りでは語りきれないものが引き出せていると思う。

 

バイブルよさらば?

  そして、この本をこんなにも愛読しつつも、でも、同時に、自分は卒業なのかもなあ、とも思い始めている。「すべてを教えてくれる本を探す」というやり方が、そもそも間違ってたのかも?と近頃つくづく思うからだ。

 レシピにはなにも書いてない。だから素人は、作る→失敗する→再挑戦を数回繰り返し、それでもだめなら自分で新しいやり方の仮説をたてる→再挑戦をするしかない。それをやってこそ、自分の手でいろんな発見ができるし、新しい味にも出会える。

 でも、私は頭が悪かったから、自分で仮説をたててがんがん試作する、ということができなかった。料理ならまだしも、お菓子って、絶対言われた通りに作らないといけないという強い思い込みがあった。たとえどこにも指示がなくても。だから、「生地がもろもろしすぎていて、ボール状に固められない」と困っていたクッキーは、「もろもろしなくなって、握りやすくなるまでこねればいい」というごく簡単な答えに辿りつくのに、なんと7年もかかった。

 長い間、困りながらこのクッキーを作り続けていて(すごくおいしいのだ、小嶋ルミさんの「ピーカンボール」)、ある日フードプロセッサーをいつもより長くかけすぎて、気づいた。生地がしっとりして、つながって、簡単にボール状になる。つまり私は、「さくさく感を出すだめにこねすぎは絶対にNG」というクッキー界の掟を守りすぎていたのである。プロセッサーを回して、生地とバターと砂糖が混ざり、サラサラしている状態でもうやめ。とにかくサラサラしてないと駄目。それを頑なに守っていたので、そりゃ団子にはできないですよね。「もうちょっと回してみてもいいのでは?」ということすら、全く思いつかなかったのである。うーん。

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⇧ピーカンボール。粉糖にゲランドの塩を混ぜてあまじょっぱくしたら、さらにおいしくなった。 誰にあげても喜ばれる鉄板メニュー。

 

 そもそも最初に作ったのが小嶋ルミさんの本で、選んだ理由が、「指示がめちゃくちゃ細かい。手軽には作れない。でもすっごくおいしい」と評判だったから。気合をいれて、面倒なこと山ほどして、すっごくおいしいお菓子を作りたい、と思ったのだ。当時は15年くらい続けていたフリーランスのライターの仕事も、好きで住んでいたはずの東京M市にも、心底飽きていた。なにか新しいことがしたかったのだろう。

 やりがいのある大仕事がしたかった。だから、指示が細ければ細かいほど、ありがたかった。なにもかも、全て書いてあるのだと思いこんでいた。書いてあることはきっちりやりますから、おいしいのできてくださいね、という感じだった。実際、小嶋さんの本は普通のレシピ本の3倍くらい情報量がある。それでも、作ってみると、「それでこれはどうなってるの? どうしたらいいの?」ということがたくさんでてきた。そうなるともうお手上げだ。

 そのときに、失敗したっていいや、と、思いついたことなんでもやってみるという精神があればぐんぐん上達したのだろうが、当時の私は「指示通り」という概念に縛られていたから、独自のやり方を追求する気なんてさらさらなかった。ただただ、「どうして?」と思いながら本の通りに何度も作り、毎回同じトラブルにぶちあたり、迷いのあるお菓子を焼いていただけ。その合間、片っ端から製菓本をあさって、答えを探していた。どんぴしゃな答えが見つかるときもあったし、全然ないこともあった。

 

べつに「お墨付き」の味にならなくてもいい

  私は1年半前に鬱がなおった。視力がよくなったような気分の今では、このバイブルはいったんしまってもいいのかもなと思っている。いや、またプリン作ろうと思ってるからしまわないけど、こればかり崇めなくてもいいのかなと。

  今だからこそ、昔の自分が本当に応用のきかない、いろんなことにがんじがらめだったことがよくわかる。まさしく鬱病の典型だった。融通がきかなくて、深刻で、だからオプション(選択肢)を作ることを許さない。すべてに行き渡ったレシピがないと、菓子のひとつも作れない自分。このありがたい本も、そんな私を助けてはくれるが、成長はさせてくれない。

 何度作っても失敗してしまうなら、思いつきで、どんどんいろんなやり方を試して食べて、発見すればいいのである。そして自分の好きな味を作っていけばいいのである。べつに「お墨付き」のお菓子を作らなくてもいいのだ。まずくてもいいから、新しい味を作って、それを面白がってみよう。そしてそれが美味しくなるように(これ大事)、仮説をたてて何度も作って、試行錯誤しよう。そういう姿勢が、たぶん私には必要。

 そんなふうに向かえるようになれば、例えば「プリン作りたいな。ああでもあのレシピでは生クリームがいるんだった。ないか。じゃ、やめ」なんて思わなくなる。「ためしに牛乳だけで作ってみるか」ってなる。

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 ⇧で、作ってみた。生クリームを入れず、そのぶん牛乳で補って。味が薄くなるだろうなあと覚悟してたけど、ならなかった。なぜ? 生クリームなくても全っ然!おいしい。しかも、いつも指定通りに焼いてもしゃばしゃばで固まらず、時間と温度に苦労していたのだが、この日ついにベストタイム&温度を発見。それは140度(うちのオーブンはミーレです)で25分プラス!余熱10分、だった。なんのことはない、タイマー鳴っても手が離せず、10分放置していたら、今まででいちばんなめらかな出来になったというだけのことなのだが。

後半戦は、「当たり前のこと」をひとつひとつ確認

 答えは自分以外の誰か、偉い人が知っていると思っていた。昔は。そんで、答えはひとつしかないとも思っていた。無自覚だったけど。自分で、自分なりの答えを作ってみようと思えなかった。こういう姿勢は、製菓だけでなく当然、すべてに及ぶ。私は仕事の仕方、選びかた、家事の仕方、健康法、旦那や友達とのつきあいかた、そして人生の捉え方まで、ぜんぶ、どこかに正しい答えがあって、それをただ探していた。ひたすらに。同時に、自分独自の思いつきは、くだらなくてしょうもないことだとも思っていた。

 私は今、一時的に仕事をしていなくて、これからどうするか2つ3つ、選択肢があるのだが、正直言って、どちらを選んでいいかわからない。毎日考えてるけど、わからない。誰か、物事をなんでもきっぱり言い切る人に「そんなの決まってるでしょ」と断言してほしい、と心の底から思う。毎日思ってる。でも誰もしてくれない。好きにしていいのだ、と思うと、気が滅入る。

 

 でもまあ、自分の答えは自分で作れば?と思えただけ、進歩なのかもしれない。こんなことは当たり前のことだ。「モノが見えてる人」には十代からわかっていることだろう。でも私は「見えてない人」だから、中高年とか言われる年になってようやくわかった。恥ずかしながら。

「人生には試してやってみる、ということができない。なぜならば人生は一回きりだから」という一文があったのは、M・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」(正確な引用じゃなくてすみません)。試して、失敗する可能性も高い。でもそんなのしょうがないのだ、だってやり直しはできず、人生はいつも初挑戦で、お菓子みたいに何度も作ることはできない。それならば、失敗を敗残者の烙印ではなく、「単なる経験のひとつ」と思うしかない。そのほうが楽しい。

 年をとると、「世間でよく言われてること」がしみじみ、「ほんとだなあ~」と思うものなのだが、これもそのひとつだ。「病気になると健康のありがたみがわかるよね」とか「年をとると日々があっという間に過ぎるね」とか「枯れても紅葉して美しいなんて、葉っぱって偉いね」とか「天気がいいと気分がいいね」とか「人生は一回きりだね」とか、そんな「当たり前」で「昔から言われ続けてること」。未熟者の私は近頃、こういう「当たり前なこと」をひとつひとつ、おなかの底から確認していくことが、人生後半戦のテーマなのかしら、と思ったりしている。確認して、そして、ごくありきたりで、それなりに充実感も感じられる一生だったな、と思いながら死んでいくのだろう。