独楽ログ〜こまログ〜

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スペイン旅行記その2 宿を決めよう〜1、そして人間の決断について

嫌な予感だらけの旅行計画って…

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バルセロナの宿、Bホテル。広い、快適、便利、安い、おまけにバスタブつき、と超おすすめです。

 

 手元が狂って夫婦ふたり旅行なのに、私だけビジネスクラス、という妙なことになってしまったが、とにかくこのキャンセル不可の格安航空券を買ってしまったのだから、なにがなんでも2か月後には旅立たなければならない。ふたりで20数万の航空券がキャンセル不可って、かなりのプレッシャーです。みなさん、絶対、旅行行ってるんでしょうか? いけなくなったー、って泣きながらキャンセルしたりしてるんでしょうか? それとも格安航空券を数ヶ月前には買わないのかな?

 

 ずいぶん早く決めた感がありますが、私はいつも10か月前とかに航空券買ったりするので、「突然、すごく遠いところへ行くことにした」感じで、もろもろ不安でした。1月って、なにかなかったっけ?とか、ほんとに行けるのかな?とか。クリックするとき、ほんとはやめといたほうがいいのに、無理やり押した感じです。そして予定外の大出費。はっきりいうと、「嫌な予感」しかなく、そんな旅行やめれば?という声も聞こえてきます。

 

日々衰える決断力

 最近つくづく思うのは「決める」ことの難しさ。

 40代に入ったら、急になにも決められなくなりました。それは「今日は休み。散歩に出かけて本屋とカフェに行こうか。いや、丸の内まで行って映画を観ようか。いや、上野であの展覧会か? 違う、家でたまっているスカパーの映画録画を観るほうが先?」とかいう、日常の決断が、全然できなくなってしまいました。どれも一長一短なのです。

 考えすぎてうんざりし、せっかくの休みの午前中がどんどん消費され、あげく「どこにも行かない」という結論。ほかにもランチにサンドイッチを食べるのかカレーを食べるのかとか、お菓子を作るのか保存料理を作るのかそれともヨガをするのか、とか。「なに? なんでなにも決められないの?」とぞっとしつつ、解決策はないまま40代も半分以上すぎている…。

  

 大きな決断についてもそう。つまり、これからどうやって生きていこうか、という決断も、全然できないのです。長年生きてきてようやく、「人生の正解はとくにない。自分で決めればいい」ということが骨身にしみてわかってきました。いろんな人が、それぞれの自説を唱えるけど、全部正解なんだなと。ぼろぼろになるまで働いたっていいし、のんびり暮らすことを優先したっていいし、他人とのつきあいを避けてひとり遊びに明け暮れてもいいし、大勢の人間と楽しくつきあうことを生きがいにしたっていい。周囲の反対を押し切って無理めのやりたいことを貫くもよし。己の領分をわきまえて、分相応に慎ましく生きるのも美しい。自分の心が定まっていれば、別に理屈はあとでついてくるし、覚悟のある人=定まってる人は、なにをやっても(と言い切ると語弊がありますが)それなりに正しい。

 それはようくわかったけれど、私にはいまいち覚悟というものがないらしく、それであの道もいいけど、この道も悪くない…とランチを選べないのと同様、ふらふらふらふらしてしまうのです。

 …なんか話がどんどん大きくなっていますが、このふらふら感はあらゆるところに作用していて、こんななので、直感も信用できないのです。ときどき訪れるこの「嫌な予感」も、従うべき正しい直観なのか、それとも単なるへたれ精神による無用の不安なのか、判断つかない。

 とくに、ここ十数年で、「感情に従うとだいたい間違う」という鉄則を発見してからは、とくに。「こんなにやりたいのだからやっていいのだろう」「こんなに食べたいのだから体が欲しているのだろう」「こんなにうんざりするのだからやめていいはず」…とかいう、“自分の強い感情”を信頼して決断すると、結果、だいたい間違っていた。あとでたいてい、後悔した。「あれはただあのとき、感情が暴走していただけだった。正しいことではなかった」と何度も痛感したものです。なので、「感情で動くな」というのも、近頃の鉄の掟のひとつです。

 

 でも、「感情で動かない」なら、いったい何を基準に動けばいいのか?

 

 若いときは、怖いものしらずだったから、いろんなことがびしっと明確に定まっていた。今思うと、“怖いものしらず”、ではなく、単なる“物知らず”だっただけなんだけど、そのぶん迷いはほとんどなかった。

 

 今回はとくにこの「嫌な予感」が強くて、航空券と宿を探し続けている数日間、ずっと重くのしかかっていました。「今は行くべきではないのかも?」と。感情的にも「すっごく行きたい」「今はやめとけ」がせめぎ合っていて、まるで判断つかない。

 ですが、結局決行することにしました。「これは単なるびびりであって、第六感ではない」と無理やり決断したのです。根拠はないです。「こんな不安に負けていてはどこにも行けないではないか」という理屈1本。気分としては目をつぶって飛び降りるような感じです。

 こんな無駄な格闘をしていたりするので、楽しいはずの旅行計画が、どんどん修行めいてくるのですよね…。あほか。まあ、こういう気分の上下も旅行の醍醐味の一部。と、無事旅行記を書いている今は、思えます。よかった。間違ってなかった。

 

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 ↑マドリッド、マヨール広場付近。ヨーロッパに来たなあ、という街角。通りに必ずこんなかわいいプレートがついている。だいたいは人の名前なんだけど、この二人組は…兄弟? …と思いつつ調べたら、bordadoresとは針仕事をする人、だそうで、絵のまんま…。そういう仕事の人がたくさんいる通りなの(だった)のね。

 

ようやく宿探し開始

 ようやく心を決めたので、宿を探します。航空券で贅沢したので、宿は節約しないと。というか、不思議なのは、昔は飛行機はビジネス、宿もできるだけ非日常的な豪華ホテル。全泊でなくてもいい。せめて1、2泊は、などと思っていたのですが、今は豪華ホテルに対する憧れが皆無になりました。リゾート地の「なにもしないバカンス」もほぼ興味なし。なので、宿は最低条件を叶えてもらえれば、あとは普通で…という穏やかな希望です。Airb&b大歓迎。ふだん、他人となるべく関わらないよう生きていて、ホテルのほうが全然気楽なのですが、「え、誰かの家のほうがおもしろいだろ?」という夫の発言に、そりゃまったくその通り、ということで、民泊の、しかも家主と同居で個室を借りるタイプに的を絞りました。

 知らない外人の家に泊まる。これもなかなか命がけで、いつも行く前に「殺されるかもなあ」と覚悟していきます。これは不安ではなく、気合いのようなもの。「そうなったらそれが私の運命なのね」と、心を決めます。また、個人の家にお邪魔するのだから、相手の気持ちを考えすぎて疲れきる可能性もあります(←人の顔色を伺う性格)。これならホテルのほうがよほど気楽だった、と後悔する可能性も高い。しかし、これもあえて決行です。

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↑このメーカーのヨーグルト、激うまでした。マドリッドの観光市場、サンミゲル市場にもあって、いろんなトッピングを用意していたけれど、プレーンでいい。プレーンがいい、という感じ。左のマンゴーソースが上に、ベリーソースが下に、というのもおいしかったけど、ちょっと甘いかな。無糖のナチュラルが真価を発揮するような気がする。

 

次回こそ、ほんとに宿探し篇。