独楽ログ〜こまログ〜

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スペイン旅行記 その15〜バルセロナ2日め そして、旅行って、なんだっけ?

まずは早々に予定変更

 たいして寝てないわりにはわりと元気に支度をして(←いつもはすぐに疲れてしまうので、そんな自分に驚く。やはりこの1年、毎日パワーヨガをして毎日走ってた成果なのだろうか)、さあ、出発。8時前にグエル公園に無料で入って、8時半に出てタクシーで9時までにサグラダ・ファミリアへ、という計画はやめにする。遠回りでもグエル公園は明日にしよう。

  確かにグエル公園サグラダファミリアはわりと近くにあり、ひとつぽつんと郊外にあるグエル公園に行くのは、サグラダの前に行くのが最も効率がよいのだけど、サグラダの予約時間9時に追い立てられるのもつらいし、8時15分日の出と言われていて、8時前に公園について、いったいどんな状況なのかもわからない、真っ暗だったらどうするの?ということで。

 

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⇧ホテルの部屋から。8時半くらいでまだこんな。天気が悪いわけではなく、夜が明けていないのです。

「今度こそ歩きすぎない、詰め込みすぎない旅行を」

 とは、夫にさんざん言われてきたこと。どういうわけか、私は旅行に出ると1日20kmくらい歩いてしまう。乗り物が好きではないというのも大きいのだけど、ひたすら歩いて、そして歩く速度で街を眺めていると、なんだか街がわかったような気になる。気になるだけなのだろうけど…。そして、観れるものは全部観たい、という欲深な性格も災いして、それら各場所に歩いて行って、文字通り脚が棒になってしまう。

 それにつきあう夫は、必ず旅のはじめに身体に故障が出る。靴ずれ。捻挫。筋肉痛。そしてギックリ腰。日本にいて数年前にかかったきりのぎっくり腰に、よりによってパリでなるとは。もちろん、その後の予定にたくさん支障が出た。あそこも行けない、ここにいれるのは少しだけ、そもそも今日は俺、もう部屋にいるわ…etc。しかたなく私はひとりでまた延々と歩いたのだが。

 

 ひとりで歩き回るのは全く苦ではないので、構わないといえば構わないけれど、それにしても、毎朝「今日はどう? 何点?(どのくらい痛いのか点数で聞いていた) どのくらいだったら動けそう?」と聞き、出かけてからもずっと気遣いっぱなしで、本当は行きたかった場所も数々諦める…というのはなかなかつらいものがあります。

 あげく、パリの「とらや」前で待ち合わせしたら、ずぼらな私は15分遅刻して、腰の痛い彼を街なかに立たせっぱなしにして、「ひどすぎる」とえらい怒られたこともつらい思い出です。怒られながら視界に入ってきた夜の凱旋門が、ナポレオンの哀しい物語なんかと合わさって、すごいやりきれなく見えた。

 

ホテルで漫画読む日があってもいい?のか?

「注意が足りないからじゃない?」。

 やっときたハレの日の旅行で毎回故障が起きるなんて、なにか行いがいけないのだと思い、ことあるごとに嫌味を言って自制猛省を促していた私に、あるとき突然、夫が反論してきた。「違うと思う。だいたい旅行初日からあんだけ歩かされていたら、そりゃ身体もおかしくなるに決まってる」

 あ、そうなの?

 私のせいなのか…と、びっくり。言われてみれば、そうかもしれない。いつぞやのニューヨークでは、毎日20km歩いて、夕方にはもう疲労困憊でバタンキュー、ナイトライフというものが完全になかった。ニューヨークなのに。素敵なディナーも、ジャズやソウルを聴きにいくこともなかった。いくら日本で9時に寝て4時半に起きる生活をしているからといって、これはないだろう。

「中日とか、作らないの? 俺、仕事もしたいよ、たまってるから。そもそも旅行はくつろぐためのものなんだから、部屋にいてiPadで漫画読んでたっていいんだ。夜だけちょこっと外に出て美味しいもの食べる、とかいう日だってあってもいいだろう」

 

 そうか、旅にでたからといって、フルに活動しまくらなければいけないわけでもないのか…。旅行ってなんだろう?という基本的な疑問がわく。数日しかない。もう二度と来ないだろう。だから1分1秒でも惜しんで、外に出て動かねば。「観たことないもの、観てみたいものは全部観なければ」という強迫観念に終われるばかりが旅ではないということなのか。

 タフな友人の旅行スタイルもまた思い出す。言葉のわからない国のレストランでは、目をつぶってメニューを指して注文、おいしければよかったな、まずかったら、ま、こんなもんか。終わり。できるかぎりおいしいものが食べれるように念入りに下調べ、なんてしない。

 つまりはこれは、どれだけ欲深いか、という、ただ単にそれだけの話なのだが…。欲望こそが人間を突き動かす、大事なエンジン。でもエンジンが回転しすぎて煙吹いてて、あげく壊れるんでは、元も子もないわけで。これは旅行にかぎらずすべてに言えることなのだが…。

 

いいかげんに生きてきたくせに、がん宣告されたら急変するな、だって!

 この間、元ソニー・ミュージックの社長(であり、あの丸山ワクチンの開発者のご子息!)、丸山茂雄さんのがんエッセイ「往生際~“いいかげんな人生”との折り合いのつけ方」をネット上で数ページ読む機会があって、そこに書かれていた言葉を思い出す。

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「生き方も、折り合いのつけ方も、まあ適当、でいいんじゃないかな。しかも、そんなにまじめに生きてきたようにも見えないのに、最後になってまじめな顔して人生に折り合いをつけようとしたり、がんと闘ったりする人が周りにいるから、おれとしても納得できないんだよ」

 

  なかなか目からウロコの発言で、すぐに探して本を買ってしまった(じっくり読んだらまたいろいろ新たな発見があったのだが、それはまた次回…)。もちろん、この人は「生来の能天気」であり、「どこでもすぐ眠れる」たちであり、入院先ではたとえステージ4の末期がんでも、必ず「一番元気な患者さん」賞をもらうような、つまりうちの夫と同じで、へたれな人間とは別世界に住む人でとうてい真似なぞはできないのだが、それでも、この人の言葉は、耳を傾ける価値があると思う(いろんな人の話に耳を傾けすぎなのでは、という意見もあるのだが、それは来週考える)。

 ここで大事なのは「生きることに欲をかきすぎない」こと。自分の旅行っぷりを振り返ると、この言葉がいたくしみる。育てなければいけない子供がいるとかなら生への強い執着もいたしかたないだろうが、誰にもあてにされていない46 歳(←歳をとりました)なら、「いい意味で諦めた気楽な人生」を送るべきなのだ、本当は…。

 ああ、それにしてもあがくところと諦めるところのバランスが本当に難しい。

 

 

 …とまあ、そんな思考過程を経て、今度の旅は「やりすぎない」がテーマになったのだった。

 グエル公園、今朝は諦めよう。明日遠回りして行けばいい。

 

理想的な日程の組み方

 …が、やりすぎないためには、日程に余裕がなければいけない。与えられた日程のなかでやりすぎないのが肝心では?との声もあり、それはその通りなのだけど、もし日程も選べるなら、「ちょうどいいと思える日数プラス1日」が、本当にちょうどいい、というのも数回の旅行で痛感したことだ。「そんなにいなくてもいいかもな?」くらいが、滞在中に全くあせることなくのんびりできて、なおかつ部屋で漫画を読む(!! 私はしないけど…)ことすらできていい。

 バルセロナ3泊、夜に着いて早朝出るから実質まるまる2日、というのは、ちょっとタイトだった。それというのも「バルセロナは観るべきものがコンパクトにまとまってるから1日あればじゅうぶん」というネットの言葉を鵜呑みにしてしまったからなのだが…。日程を組んだあと、いざ観たいところを挙げてみたら、しまったと思ったが後の祭りであった…。

 

 おまけ。

 丸山さんの話、おもしろいのでもう少し引用。あちこち省略してます。 

がんに関していうと、いちばん大事なのは「人生との折り合いのつけ方」っていうところだと思うね。たとえば、男の子だと「東大に行って官僚になって、日本のために働きましょう」とか「物理学者になって。科学の進歩に貢献しましょう」とか「プロ野球選手になって、やがてはメジャーリーガーに」なんていう夢を持って、なんとなく人生をスタートするわけじゃない、ふつうは。で、だんだん「そうはいかないよな」っていうのに気づくわけだよね。ほとんどの人は「自分のできることは限られてるよな」ってんで、どんどん目標値を下げているわけで。やがて「そんなこと考えてなくてもいいんだ」っていうのがわかってくる。そしてそれが人としての成長だという、すごく不思議な関係でしょ。みんなわりと口に出さないで、生き方のハードル下げてるよね。

 で、その下げたところで納得してきてるわけだからね。「おれの能力もこんなもんかあ。もっと努力したほうがよかったかもしんないけど、遊びたくて勉強もしなかったし、酒ものみたかったし」とかね(笑)。そうすると「まあ、だからこそ楽しかったし、こんなとこかな」ってのでいいじゃない。

 まあほとんどの人はそんなふうに、なんとなく目標値下げては納得しながら、そこそこいいかげんに生きてきたのに、死ぬ間際になると急に、ものすごく真剣に生き続けようとするじゃない。なにも最後になって急に満点の人生にもっていく必要はないでしょ。

 最後になって急に、「病気を克服して長生きする」なんて理想を掲げて、あらゆる医療方法を試そうとするよね、みんな。入試直前に急に家庭教師を呼んで、それもふたりも3人も呼んで、無理に詰め込んでいい点取って合格しようっていうのに近いだろ。

 だから「そんな無理しなさんな」ってことだよね。