独楽ログ〜こまログ〜

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スペイン旅行記 その17〜ガウディの人生と建物、そして社交好きな「肘ゾーン」の人々

ガウディを訪ねてバルセロナ散策

 カタルーニャ広場まで歩いてバルセロナカードを受取り、カサ・バトリョへ。そこそこ並んでいる…。うーん。15分だか20分だか…いやもっとか? という程度なのだけど、寒いから結構つらい。数ユーロ値引きのためにVELTRAで買ったファストパスつきのチケットをキャンセルしたことをやや後悔しつつ、じーっと待つ。ちなみにこれはカサ・ミラも同様。オフシーズンでも、それなりに混むのだね…。

 

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⇧カサバトリョ。人が並んでいる…。

 

 ランチは1時すぎに。しかし。

 ランチはレストラン「Embat」で。1時くらいだったけど、店はがらがらで誰もいない。でもバルセロナ強力サイト「バルセロナウォーカー」の管理人が、18回も通ってる安心の店らしいので、飛び込む。

 

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 ラビオリ、たら、スパニッシュライス(ていうかリゾット)。どれも抜群においしい。お姉さんも英語全くできないけど、一生懸命説明してくれる。

  

  2時すぎると、ぞくぞくとお客さんがやってくる。両隣の人たちが、アーティチョークのスープだの、ステーキだの頼んでいて、ああ、あんなだったのか…あれでもよかったなあ、としてもしょうがない後悔が。店もとたんに活気づき、地元の人たちが次々とやってくるこの店が、とても愛されていることを知る。デザイン会社勤務風のトラッドでおしゃれなおじさん。秘書と部長?風の上品な初老のおじさんと、やや若いおばさんふたりの3人組…などなど、みんないかにも近所から来た感じ。さっきの不安になるほどの閑古鳥ムードは完全に消えた。

 

 そう、スペインのランチタイムは2時から。お楽しみはこれから、なのだ。この決定的な時間のずれが、哀しい。食べ物や人々や景色、スペイン語の響きにデザイン感覚など、どれもとても気に入ったスペインだが、朝はほとんど食べない、10時に軽食、2時からランチ、ディナーは8時から…という生活サイクルが、4時半に起きて9時前に寝る、朝ごはんこそがっつり食べたいという私のリズムと、どうにもまったく噛み合わない! そもそも朝っぱらからやってる店、というのがすごく少ない。哀しい。まあ、日本でだって噛み合ってないでしょ?と言われそうだけど…。起床消灯時間を言うと、半分の人は呆れたように感心し、半分の人はひく。

 

夜こそが楽しい、のか?

 でもこんな私も、生来、ものすごい低血圧で血圧が三桁いったことはなく、子供の頃は1分でも寝ていたくて、布団にしがみついていた。大人になってからもフリーランス稼業のせいもあって、平気で午前中寝ていました。早起きできる人ってすごい…と尊敬していたものです。せめて10時には起きたい、とか。しかし、変わったのです。私は本当に、よく変わる人間なのだ。「変節」と罵られてもおかしくないほど、20代の自分と今の自分は違う。それがいいことなのかどうかはわからない。でも友達は減ります。確実に。話が合わなくなっちゃうから………。

 

 早起きは楽しいので気に入っているのだけど、旅行すると不利な点を痛感します。「こんな時間に寝て起きていたら、なにも楽しめない」。

 だいたい朝は全然夜明けが来ないし、みんな夜に命かけてる。

 ニューヨークもパリもバルセロナも(ま、これくらいですけど…世界中まわってるわけではないので…)、どこでもすべて感じたのは、夜明けの遅さと、人々の社交好きっぷり。夜のレストランやバーの盛り上がりは、本当に楽しそうでうらやましい。夕暮れになると、薄暗い店内にキャンドルやらなんやらがほんのり灯りが灯り(あっちのレストランって、闇鍋!?というほどの暗さ。それがすごくいい)、夜になるとそれらの店はほぼすべてぎゅうぎゅうに満席になり、ものすごい喧騒におおわれる。笑い声がさざめき、しゃべり声がうずまき、グラスの音、食器の音、BGM(とも思えないほど音量大の店も多い)…まあそれはにぎやかで、それは楽しそうなのだ。

 

ここで鹿島先生登場

「ヨーロッパ人でも地中海系の人たちはパーソナルスペースが近い」というのはどこに書いてあったのかな? 鹿島茂さんの著書かな?

 

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↑そうだった。「パリ五段活用」鹿島茂 中公文庫 パリを熱狂的に愛する鹿島さんの愛と知識が怒涛のようになだれこんでくる、快感の一冊。

 

 ヨーロッパと一口にいっても、フランス、スペイン、イタリア、ギリシャといった地中海沿岸のカトリック・ラテンの国々と、イギリス、ドイツ、オランダなどのプロテスタント・ゲルマンの国々では、さまざまな面で、その行動様式がまったくといっていいほど異なっていることは、ピーター・コレットが「ヨーロッパ人の奇妙なしぐさ」(草思社)で指摘したとおりだが、酒を飲むということについても、この二つのグループは際立った対照を示している。

 まず、前者がワイン文化圏であるのに対して、後者はビール文化圏である。

 また、前者がレストランないしは家庭で料理と一緒にワインを飲むのに対して、後者は、ビヤホールやパブといったビール専門の酒場で、軽いおつまみだけを助けにビールを飲む。

 さらに、だれとどうやって飲むかというと、前者はごく親しい人(あるいは親しくなりたい人)と一緒にテーブルを囲んで同じビンのワインをみんなで飲むが、後者はあくまで個人の資格で、バーテンダーにビールを一杯ずつ注文し、それから、常連の不特定多数の人たちと雑談を交わしながら飲むのが普通である。

 

 これにはあくまで例外もあるし、ひとりの人間が、2つの飲み方をすることもある、と断った上で、話をすすめ、ピーター・コレットならプロクセミクス・ゾーン(対人関係の距離の取り方)の違いから、これを説明するだろう、と仮定する。

 

 プロクセミス・ゾーンの南北的な相違とは、たとえば次のようなものである。

 人と人が立ったり座ったりして話をするとき、地中海沿岸の人々は肘と肘で触れ合えるほどの距離すなわち「肘ゾーン」で相手に接するのを好み、視線も相手の目をまともに凝視する「多視ゾーン」に属する。身振り手振りもおおげさで、おしゃべり好きである。いっぽう、北ヨーロッパ人は腕をいっぱいに伸ばしたとき、指先でかろうじて触れ合える程の「少視ゾーン」の文化圏に入る。身振り手振りは少なく、儀礼的な無関心を装う。ワインの飲み方とビールの飲み方のちがいもここからある程度は演繹できる。

 すなわち、「肘ゾーン」で相手に接し、相手の目をまともに凝視して、身振り手振りを交えて何時間もおしゃべりしなければ気が済まない地中海沿岸の人たちが、一緒に酒を飲むとしたら、それは必然的に「一つ」のテーブルを四、五人で囲んで「一本」のビンの酒をわかちあって飲む形態を取らざるをえないが、この場合、ビールはいかにもふさわしくない。なぜかといえば、十九世の後半にビン・ビールが登場する以前には、ビールはすべて樽詰めであり、樽をテーブルの真ん中に置くわけにはいかなかったからだ。第一、ビールでは消化が早すぎて、何時間ものおしゃべりにはむかない。

 これに対し、コルク栓の発見によってビン詰めが早くから可能になったワインは、パンやチーズ、肉との相性の良さから食中酒としての地位を確保したことで、「一つ」のテーブルの真ん中に置かれる「一本」のビンという主役を演ずることができるようになった。パンはキリストの肉であり、ワインはその血であるとしたカトリックの教養も味方した。

 だが、他人とは「指先ゾーン」でしか接しようとせず、寡黙を好む北ヨーロッパの人たちにとって、樽からジョッキにわけたビールというのは、相手との距離を保つにはなかなかピッタリとした飲み物だった。というのは、ビールジョッキは、レストランのテーブルで人と肘を突き合わせて飲むには、そのサイズからしていかにも不向きなものだが、パブのカウンターや立ち飲みテーブルで、当たりさわりのない日常会話を交わすためのバリアーとしてはちょうどよい大きさである。また、ビールの消化に要する時間も短くて、濃密な人間関係を生むには至らない。それにジョッキを持っていれば、おおげさな身振り手振りも必然的にできなくなる。視線の直接の交錯も、ジョッキのビールを眺めていれば避けられる。要するに、ジョッキのビールは、彼らの望む淡い人間関係に最適な飲み物だったのである。(ところどころ中略あり)

 

  いや、長い引用ですね。これでもあちこち省略したのです。ブログに、いわゆる「本」の文章を引用しようとすると、そのまだるっこしさに驚く。コンパクトに書けば、この本1/3になるのでは?と思いながら引用していた。しかし、私は決して「本」の文章が嫌いではない、というか好きなので、あえて引用した。そして今後も時勢に逆らって、まだるっこしく、美しく楽しい文章をどんどん読み続けたいと思う。ちなみにこの「パリ五段活用」では、「ヨーロッパ人の飲み方」論が、さらに深く掘り下げられています。おもしろいです。

 

  えーとなんだっけ。それで、とにかくパリやニューヨーク(あれ?これアメリカだけど…)やバルセロナでの社交好きっぷりと夜の賑わいは、孤独な日本人女性の胸をうつほどのインパクトを持っているのです。 

 とにかくどこのビストロ、レストランも本当にテーブルが小さい。「こんなにいいものを出して結構な値段をとるのに、どうしてこんなゲーム盤のようなテーブルなのか? ひどい」と、とあるNYのフレンチビストロでぷりぷりしたこともあったけれど、その後パリに行ったら、どこもそんな店ばかりで、そうか、あの店がごうつくばりだったのではなく、そういうものなのだ、と知った。高い店(もちろん超高級レストランはのぞく)でも安い店でも、ぎっしりテーブルを入れて、ぎっしり人を入れて、わいわいやるものなのだ。

 そんな小さなテーブルを囲んで、人々は猛烈にしゃべりまくっている。身振り手振りも大きく、声も大きい。とにかく喋り続けている。なにをそんなに話すことがあるのだろう…?と思うほど、熱く語り続けている。しかも、これが夜に限ったことではなく、朝もそうだった。朝は寝ているスペイン人はおいといても、たとえば早起きのニューヨークでは朝食の場所が充実していて、カフェだのデリだので平日の朝7時とかに熱く語っている人々、というのもよく見た。社交が好きなんだなあ~というのを、本当に実感する。人付き合いしない、しかも酒飲めないって、彼らには人生を捨てているも同然なのかもしれない、と、賑わう夜のレストランを外から眺めながら思う。

 人付き合いがあんまりおもしろくないから、そしてお金もないから、自分のなかから楽しいことを生み出して回転させなければいけない、とここ数年強く思っている私ですが、こんな風景をみるとやっぱり寂しい。「社交が楽しい! 人間大好き! おしゃべりしてこそエネルギーがわく」という人になれるならばなりたかったなあ。

 

 が、ここで友人の「フランス人の20代なかばの知り合い」、の話を思い出す(ちっとも旅行に話が戻らない!)。

「彼女の日常は、平日は絶対残業せず、6時すぎに帰宅してシャワーを浴びて着替えて化粧して、3軒、ときには4軒のバーをはしごすること、だったよ。どの店も1時間くらいいて、知り合いに声かけて、飲んで、すぐ次の店に行くの。それを毎日やってるの。20代とはいえ、すごいエネルギーよね」

 こんな話を聞くと、まあ、そんなにいいもんではないのかなあ、蚊帳の外から眺めるからよく見えるだけなのかなあ、とも思ったりしますが。

 

午後も散策は続く

 そんなことを考えながらランチを終え、カサ・ミラも見学し、バスに乗ってみたりもしながら、夕方に予約したピカソ美術館を目指して旧市街に向かいます。

 

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↑「カサ・バトリョ」はランチ前。

 

というか、写真を選んでいたら、どちらがカサバトリョでどちらがカサミラなのか、わからなくなってしまいました…。居間や寝室などすべて当時のままにしつらえてあり、一昔まえのバルセロナのお金持ちの生活がまざまざと想像できてとても楽しい、のはたぶんカサミラ。

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↑この居間で家族で夕食とか…いいなあ、と妄想。

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⇧でもこの暖炉はカサバトリョだったような…。

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⇧これはどっちかなあ。 

 

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⇧なにをみてもおもしろい…。

 

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↑ランチ後、カサ・ミラへ。人の並び具合はこんな感じです。

 

ここに住んでたら気持ちや性格にもなにかしら影響するんだろうなあ。オーディオガイドで「ガウディの家に住むことは深海に住む感覚に似ています」と言ってたような、ないような。本当にそんな感じ。

 

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↑日本で雑誌の写真を見ていたときは、「どうしても本物が観たい。でも数々の建物を見てまわったら、たぶんおなかいっぱいになりそう」とも思っていたけれど、実物は写真よりもアクがすくなかった。胃もたれしなかった。「簡素」とはかけ離れた装飾の数々だったのに、トゥーマッチには決してならない。

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 ⇧バスにも乗り…。おじいちゃん、かわいい。

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↑お茶飲んだり。

「ガウディって市電にはねられて死んだんだね」などと話し合いながら散策は続く。「サグラダ・ファミリアが資金調達できなくなってきて、途中から私財を投げ打って建築を続けたって。だからはねられたときは当初、ホームレスだと思われるほどみすぼらしい身なりだったんだって」。

「うーむ」