独楽ログ〜こまログ〜

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スペイン旅行記 その29 Airbnbの限界を見た!

風呂は一日の禊

 …マドリードはつめこまない。と、決意したわりには、最後のソフィア芸術センターではすべてを素通りしてしまったほど疲れてしまった。自己コントロールというのは本当に難しい。

 しかしまあ、それもすべて終えて、意外にもおいしかったアメリカ料理を食べ、さあ、暖かいお風呂に入って寝ましょう、という段階に、それは起きた。

 

 我々の部屋には小さなプライベートバスがついていて、念願のバスタブはもちろん、ジェットバスまでついているというすごいバスルームだった。

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⇧なんかうまいことバスルームの全景を撮った写真がみつからず…。

 

 私はくじいた足を日々悪化させている夫のために、たまには先に入りなさいよ、と思いやりを見せて、バスタブに湯をためてあげた。そろそろいいかも、と声をかけて、彼が、ありがとうと言ってバスルームに消えて2分後。

「うわっ、なんだこりゃ!」

 バスタブにたまっていたのは、湯ではなく水だった。全裸になって思いっきり足を突っ込んだら真水だったので、思わず声をあげたらしい。う、かわいそう。そして、ここからまた、ひと騒動。

 

 どういうわけか、お湯が出ないのであった………。

 たしかにこのお風呂は、温度調節が難しいなと感じてはいた。突然ぬるくなったり熱くなったり、お湯がちょろちょろでたり、その逆だったりしたからだ。しかし、ある程度お湯が出て、よしオッケー、ということで浴槽にためたのだが、どうもその後すぐに水になってしまったらしい。

 カランではなくシャワーで出せばいいのではないか、カランを思い切りひねればいいのではないか、いや半分くらいがいいのではないか、等、様々に試したが、水のまま。台所にある給湯器(なんかあちこち扉をあけて探し出した)を夫が見に行き、「どうも作動してないらしい。この赤いランプがつくはずだけど、ついてないから。たぶん、もともと調子があんまりよくないのだろう」という。私は、「こういうときって、しばらくストップするべきだと思う」と言うと、夫は「いや、俺はずっと出しっぱなしにしておけば、なおると思う」とまるで反対のことを言う。いつもはすぐ言い負かされるのだけど、このときは、納得できなかった。私の野生の勘が、「しばらく休ませるべきだ」と警報を送っていたのである。しかし夫も譲らず、水を止めない。

 結局、諦めて私たちは顔と歯だけ洗って寝た。

 夫は疲れていると、平気で風呂に入らず寝てしまう人間だが、私にとってどうも風呂というものは禊のようなものらしく、風呂に入らずにベッドに入る、ということがまず考えられないし、実際そうやって寝ると、不快でたまらず、体が硬直して眠れない。まあ、メンタルが弱いってことなのだが。しかもこのときは真冬。さあ、あの素敵なお風呂で温まろう!と意気込んでいただけに、水しかでないというこの事態は相当ショックだった。裸になって真水につかった夫もつらかったろう。

 しかし、湯が出るのを待っている間、顔も洗い歯も磨きおえていたので、「もうだめだ。湯は出ない」と見切りをつけたあと、パジャマに着替えた。そして、心を鬼にして、「私は汚くない」と唱えて、布団に入った。

「まあ、湯船につかってる途中で水にならなかったのは不幸中の幸いだった」とつぶやいて布団をかぶると、夫が「おっ、前向きだね!」とちょっと驚いて笑った。

 そう、いつもだったらこのような状況で、私はただ泣いたりわめいたり落胆するのみ、の人間だったのである。「わあああー。こんなに疲れて寒いのに、お風呂に入れないー。わああああー。なんでー。どうしてー」と朝までわめきかねない、そんな未熟な人間であった…。しかし、いつのまにやら成長していたらしい(?)! 頭を切り替える、という新しい作戦を思いついたのである。「私は汚くない」「明日になったら湯は出る可能性もある」と唱えて寝てしまうのが、今、最も自分を楽に、幸せにする道なのだと、気づいたのである。そして実際、眠れた。自分でも驚いた。これは…なかなか成長である!

民泊、ここが限界点か

 自分の成長をかいま見た、という喜ばしいことがあったものの、疲れ切った一日の終わりに風呂に入れないというのは、つらいことにはかわりない。この事件で、私はつくづくと「ああー。これがAirbnbの限界かあ」と感じたのである。つまり、あの状況----夜遅く、風呂が壊れたとき----で、簡単に文句が言えないのである…。

いや、もちろん、言おうと思えば言える。言う権利はある。言うのが普通だし、大方の人は言うかもしれない。でも、私は、「ここでマリアを起こせない(寝てたかどうかもわからないが)」と思った。ついさっき、あの大量の洗濯をしてもらったということもあるし、そもそもマリアに言ったところで、あの給湯器がすぐに直るとも思えなかったのだ。「これがホテルなら……これがホテルだったら即、部屋を替えてもらうのに……」と思った。何度も思った。しかし、ここは普通の人の家。お金を払ってるとはいえ、できるだけつらい思いはしたくないし、させたくない。すると、クレームはよほどのことがないかぎり引っ込めてしまうのだ。「Airbnbだとこういうことがあるのだなあ。ホストがいい人であればあるほど、“悪くて言い出せない”ということが…」。

 なにもかもホテルより素晴らしい、と心底信じていたAirbnb。その限界を、この日見たのである…。

 そんな大げさな話でもないのですが。

 ただこういうとき思うのは、クレーム天国&お客様は神様ですの国、日本で暮らしていると、「多少の不便は我慢すれば?」という、ごく常識的なことを忘れてしまいがちなのだ、ということである。それがたとえ商売上のことであったとしても。

 まあ、ホテルに止まっててお湯が出なかったら、たぶん100%部屋を替えてもらおうとは思うけど、そうでもない、我慢しようと思えば我慢できることを、「なってない」とか「仕事はちゃんとしてもらわないと」的な感覚で、あれこれ追求するのは考えものだなあ、などと思ったりする。日本人は重箱のすみをつついて完璧を追求するからこそ、誰もが驚くおもてなしをできるのだし、敗戦後、猛スピードで経済成長できたのだとも思うけれど、自分にも他人にも完璧を求めすぎて、だからみんなすっかりぎすぎすしてしまった、という側面もあると思う。

 だからなにが言いたいのかというと、たしかにこれがAirbnbの、民泊の限界点ではあるのだけれど、だからといってホテルに舞い戻るのではなく、これもまたよし、旅の思い出にはいいネタでしょ、という心構えでいきたいものですね、というお話です。

 ちなみに、朝起きたら、がんばった私にご褒美をくれるかのように湯が出た。すっごくありがたかったです。