独楽ログ〜こまログ〜

50代、女性、日本人、がひとりで毎日楽しくすごす方法を検証、実践、そして記録。

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快眠の方法

覚醒との闘い

 やはり今日も眠れなかった。無理やり4時半に起きたので、ずーっと目の奥が重い。基本的な栄養が足りないのかな?と、以前飲んでいたけどやめたマルチミネラル&ビタミン亜鉛強化、というやつを注文してみた。でもたぶんたいして効かないだろう。なぜならば、以前(ていうか1か月前)飲んで抜群に効いていたノニも、今は効果ないからである。

⇧飲んだ翌日から、だるさが吹き飛び、夜中目が覚めなくなった魔法のジュース。…というのも今は昔のお話。

 

 最近では怒りがわいてきた。この間も夜中に目が覚めて、その後しばらく眠れず何度も寝返りを打ち、あげく、がばっと起きて、「ふざけるな!」と思った。「眠れないってどういうことだよ! 運動もしてる。栄養もとってる。朝もがんばって起きてる。暴飲暴食はしないし、規則正しい生活もしてるし、ろくなことがなくても前向きに生きようとがんばってる! 大枚はたいてノニも買った! なのになんで眠れないわけ!?」

 …とひとしきり怒って、もちろんますます眠れなくなった。当然かもしれない。横では、目を閉じた瞬間にノンレム睡眠が得られる奇跡の夫が穏やかに寝息を立てている。これがますます怒りを募らせる。

 同時に、「眠れなくて怒るっていうのは、新しいな」とも思った。今まで眠れなくて困ったことは何度もあったが、怒ったことはなかったなあ、と。そしてさらに同時に、「これはもうあかん」とも思った。眠りに対して必要なのは一にも二にもリラックス。なのに、私ときたら怒っているのである。これはもうあかんではないのだろうか。実際、布団に入って小さいライトを消すその瞬間、最近思うのは「ちっ。どうせ今日も眠れないんだろうよ」というやけっぱちというか、ふてくされた気分である。

「ハウス・オブ・カード」から天啓

 こんなんなってしまったら、二度と安眠は得られないのではないだろうか。眠りについて考えれば考えるほど、眠れなくなる、これは真理なのだ。でも最近の私は、寝る数時間前から、「ああ、今日も…」などと暗くなっている。そして寝る直前はやさぐれている。そして夜中には、怒っている! なんという負のスパイラル。

 絶望的な気分でドラマ「ハウス・オブ・カード シーズン3」を観ていた。そしたら、大統領に作家が、夜中に呼び出される、というシーンになった。

 

大統領「起こしたか?」

作家「平気です。どのみち眠りは浅い」

 

 このセリフがささった。脚本家もまさかこのセリフが一日本人女性の胸に刺さるとは想像もしていないと思うが…。でも、刺さったのだ。

 えーとつまり、「調子悪くて当たり前」ならぬ「眠れなくて当たり前」もアリなのだ、と認識したのである。「ああ、腰に持病があってね」「アレルギー性鼻炎なの」「疲れると胃にくるんだよね」…という、「人がしょうがないものとしてつきあっている、持病の数々」として、不眠も扱えばいいのかもしれない。「治ったらありがたいけど、治らないからこれが普通として生きている」という状態。「眠れないとなにもかも台無し」という考えを捨てるのだ。眠れないということをデフォルトにして、全てを組み立て直すのだ。

 これはつまり、眠りについてこだわらない、すなわち

 眠りを諦める

  ということなのだ。

 そんなことできるだろうか…。でもあのドラマの中の作家は諦めていた。いともあっさりと。あくびしてるところも見たことないし。

 翻って考えてみれば、行き詰ったときの最終的な解決方法は、「諦める」しかないんだよなあ。問題はいかに「前向きに」諦めるか、である。

 

 

dacyu餃子部の餃子

 セラピーとしてのジャム作りを終え、すこしやる気が出たらしく、昨日は餃子を作ってみた。もちろん皮からだ。餃子の皮を手作りすると、段違いでおいしいものができる。それは知っているのだけど、過去数回チャレンジしたときの大変さを思うと、なかなかめったには手をつけることができないお題でもある。

 しかし今回は、まず前から行きたいと思っていた人気の餃子店に行こうと決め、電話して予約がとれず、しかし餃子気分だけは盛り上がったままなので、夫に「作らなくていいから餃子を買ってきてくれ」と言われ、わかった、と買いにでかけている最中に、あれ?作ればいんじゃないの?とふとやる気が舞い降りた。

 それで翌日の日曜、1日すべて費やすつもりで作ることにした。テキストはダンチュウの餃子特集。

 

ここで「いわゆる餃子作りでやらなければいけない、とされていることは、本当に必要なのか?」という検証がされていて、結果、やらなければいけないと定められたもの(ほとんどがそうだった。しなくていいことはなかった)をまとめた、“究極においしい餃子”のレシピが載っていた。

 

いわく、

●野菜は塩もみするか、茹でるかして水分を抜く。

●肉は、まず肉だけで、ミキサーで白くなるまで徹底的にこねる。

●肉は複数の部位があるといい。

●肉と野菜は同量。

●餡は3時間寝かせてから使う。

●皮は必ずひだを作って閉じる。

●熱々のフライパンに入れる。

●差し湯は必ず熱湯で。

 

 がルールである(いくつかオプションはあるものの)。それぞれみんな、「なぜ必要なのか」が詳細に実験、検証&結論づけ、がされていておもしろい。ここ数年のダンチュウは実験モードで、とてもおもしろいのだ。

 これを忠実に守って餡を作る。しかし皮のレシピがない。さらに数年前の、愛用していた別のダンチュウを探したが見つからない。仕方ないのでネットで検索して、

 

薄力粉100g

強力粉100g、

塩少々、

熱湯100g

 

 の配合で作ってみる。こねて、こちらも数時間寝かせる。

 

ちなみに餡のレシピは

 

キャベツ 130g

パクチー(ダンチュウはニラだったが) 20g

バラ肉 90g

豚ロース肉 60g

塩 少々

 

醤油 小さじ1  

胡椒 少々

ごま油 小さじ1/2

砂糖 小さじ1/2

 

 

昔は半日かけて生地を作ってた、たしか 

 過去、ものっすごく苦戦した記憶があるので朝っぱらから仕込み、何時間でも格闘しようという覚悟だった。確か、皮を小さい円にのばして包む、が大変だった気がする。打ち粉をしても、できた皮と皮がくっついて一体化してしまうのだ。市販の皮みたいに紙のようにさらっとしていないので、伸ばすのも包むのもものすごく大変。気がついたら真っ暗になってた、という記憶があるので、それを大量に仕込んでいたのではないだろうか。

 だが今回は、寝かせた皮を伸ばして小分けにして、円形に伸ばす、という最大の難関が1時間かそこらで終わってしまった。まったく扱いやすい生地で、なんの手間もかからなかった。なぜ? 

⇧きれいには作れない。ぶきっちょだから。

 

⇧きれいには作れない。ぶきっちょだから。

 

 たぶん、昔のレシピは水が多かったのだろう。今回は粉の半分というかなり少なめの量で、だからべたつくこともなく、簡単にできた。そのネットのレシピでは、「どんなに水が少なそう、と感じても、決して増やしてはいけません。べちゃついて扱えなくなります」と書いてあった。つまりそういうことなのだろう。粉の半分の水、なら簡単にできるのだ。しかしたぶん……味を考えるともう少し多いほうがいいと思う。ダンチュウに載っていた高田馬場「餃子荘ムロ」のレシピは水と粉が1:1だった!

 実際、できたものは、市販の皮よりはおいしかったけど、もっとおいしくなれたはず、という感じがした。

 餡はおいしかったけれど、調味料もごくわずか、にんにくも生姜もいれないレシピだったので、濃いタレでないと味がしない。ダンチュウではポン酢と大根おろしを一押ししていた。

 

⇧焼く。左端の物体は、餡がややあまったので、ライスペーパーにアボカドとともに入れて包み、焼いてひっくり返したら破れて中身が出てしまった、というシロモノ。

⇧醤油と青唐辛子酢で食べたらなかなか。

 

 思ったほど大変でなかったのと、「最上、最高」の出来ではなかったので、いまいち達成感は薄かったが、まあでも、「次は水分増やして皮を作ってみよう」という課題もできたし、なにより「餃子を食べたい」という人のために「皮から手作りした」というひと仕事感はある。私もまだまだ誰かの役に立つことができるのだ…。