独楽ログ〜こまログ〜

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NYのごはんはファーストフードがいい①〜それでも楽しむニューヨーク

 

それでも、まだ、ニューヨークは楽しいのだろうか?

 

↑最初の宿、ウォール街にて。なんというか、とてもNYな街角。

 

 バーニーズニューヨークが倒産しディーン&デルーカが閉店して、店舗も住宅も家賃が高騰し、いまのニューヨークはミドルクラスが住める場所ではなくなったらしい。「セックスアンドザシティ」を繰り返し観ながら必死に通い、高級ホテルだのレストランだの洋服だのと散財してアドレナリンを出し尽くすような90年代のニューヨーク旅行。あれから世界は911を、ITバブルを、リーマン・ショックを、そして東日本震災を経て、個人的には仕事を辞めたり田舎に引っ込んだり、また東京に戻ってきて、しかし決してバリバリとは働いていない、友人はほぼ消滅…という今では、もうそんな旅はありえない。

 そもそもホームレスの数は倍増しているし、人気の店はほとんど東京に支店を出しているし、なによりも30年間デフレが続く国の人間にとっては、あの街の物価は高すぎる。だいいち、洋服にも高級ホテルにもレストランにも興味がなくなったし、映画は日本で観ればいい。ヒップホップのFMラジオ「HOT97」もiPhoneで聴ける。英語がしゃべりたければオンライン英会話がある。ブロードウェイにはもとから興味がない。

 …というわけで、かつてバブル時代を過ごした、今はつつましい40代後半女性にとってはかなり魅力が薄れてしまったニューヨーク。2018年、11回めの訪米で、「もう、いいいかも」と一度は見限ったのだが、なぜか思い出すと行きたくなる、とはどういうことなのだろう。

 旅雑誌『TRANSIT』2018年、41号ニューヨーク特集で、とあるニューヨーカーはこの街を「愛と憎しみ」の対象だ、と言っていた。「20代の頃は別れたほうがいいとわかっているのに離れられないモラハラ彼氏みたいに思ってたんだけど(笑)」。

 私の場合もたぶん同じなのだろう。もういいや、とうそぶきつつも、JFKからのタクシーで橋を渡りマンハッタンに入るときの興奮は、記憶のなかでまだまだ健在だ。ちなみにこの彼女は現在(年齢不明。三十代なかば?)、どうにかこうにかこの場所で居心地の良い場所を作ることに成功しているという。「ものすごく精神的に疲れる街だし、稼がないと暮らしていけないから、休むことが贅沢そのものになってしまうけれど」。

 私の場合はただの旅行者なので、話はもっと全然簡単だ。それでも行きたいなら、行って後悔したくないなら、できるだけお金を使わず、ここでしかできないことを見つければいい。

「お金を使わない」とは、$1でも安いものを、という意味ではなく、日本の感覚で妥当だと思う価格で食べたり遊んだりすることである。もしそれが価格としては安くなくても、「まあこれならこれくらいかかるよね」と自分で納得できるものであるなら、喜んで払おうと思う。ただ、「こんなものがこんなにするのか…」という溜息はなるべくつきたくない。だって、ニューヨークはもはや自分の初めての場所ではないのだ。たびたび来ている街で、たびたび不条理(と思える)な支出を重ねていると、なんでまた、こんな遠くにまできてこんなに虚しい散財をしているのだろうと気分が落ちてしょうがない。

 …というわけで、これまでの旅を振り帰って反省や検討を重ねし、万が一、次行くことがあったらこれをしよう、これなら次もまたやりたい。そういう超個人的厳選情報をまとめてみた。

 なので、タイトルは「それでも楽しむニューヨーク」。

 こんな特殊な旅行案内が自分以外の誰かの役に立つとも思えないのだが、もし役に立ったらうれしいなと思います。

 

  ちなみに、2年ぶりくらいにブログを書いてます。ごぶさたしております。

 

NYではファーストフード一択でいい、という結論

まずは物価高と戦わなければ

 そういうわけで、お金の話ばかりで申し訳ないのだが、やはりこの街の物価とどうつきあうか、がリピーターにとって最大の難問である。この十年、行けば行くほど物価があがってて、毎回驚かなければいけなかった。日本では約三十年、モノの値段がほとんどあがっていないのに、あの街ではインフレざんまいなのだから、当然といえば当然なのだが。

 この町ではちょっとしたカフェで食べるちょっとしたパスタが24ドルくらいする。庶民的なレストランで軽く昼食を、というのがチップなどをいれると70ドル、80ドルになる。朝ごはんはグリニッジ・ヴィレッジの「ブヴェッテ」で食べて50ドル、高すぎると夫が怒って喧嘩になった。これが2014年の話。

 10日以上滞在して外食をしていると、お金に羽が生えたように飛んでいくので、本当にげんなりする。低圧のスムージーが$12とか。勘弁してほしい。日頃から「私はこれにこの値段を払っていいのだろうか」と厳しく見極めつつ生活している身としては、食事をするたびにものすごく疲弊する。「海外旅行というものは、自国より物価の安い国に行って思う存分お金を使うことである」とか書いていた人がいたけれど、ここで食事をするたびにその言葉を思い出す。そうなのかもしれない。

 

 

 2015年に行ったブヴェッテの朝食。こういうオープンサンド2皿、搾りたてオレンジジュース1杯、コーヒーとカフェオレ、で約$50。ちなみに載っているお皿のサイズはコーヒーカップのソーサーとほぼ同じ…。確かに、すごーくおいしかったのだが…。

 

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 こちらは2018年に行ったコーシャー料理で有名なラス&ドーターズ(Russ and Daughters)のYUM KIPPERED(焼きサーモン)プレートとMATZO BALL(マッツォボール)というスープ。薬局をイメージした店内は妙に落ち着くし、たっぷりした身のサーモンは充実感がある。しかしこれで$18+$10…。ドリンクつけるなら、プラスコーヒー$3(これは安いけど),紅茶は$5。とても良い食事だったけど、日本感覚だと、どう考えても質と価格が見合ってなくてつらい…。

サンフランシスコに次いで飯がうまい街、と言われているけれど

 そして、NYのごはんはだいたいあまりおいしくない。普通〜やや高いくらいの気軽なレストランで“大当たり”に出会えることはほぼない。「塩をあんまり使わないからパンチがないのだ」と聞いたことがあるけど、そんな感じ。味がキマっていない。ふだんエスニック料理ばかり食べているから、こちらの舌がばかになっているのかもしれないが、スパイシーさもない。なので、なんとか少しでも当たり飯に出会うべく、事前に毎回トリップアドバイザーやYelpを穴が開くほど読みこむのだが、これも今ひとつである。

 食べログなら、複数のレビューをじっくり吟味するとだいたいどんな店でどんな味なのか察しがつく。食べログの点数そのものはあまり信用していないのだが、レビューを読み込めば、いろんなことがわかる。「おいしい」「まずい」という主観だけでなく、具体的に「味の傾向」がわかる。日本人のレストランレビューには、「どんな店なのか、どんな味なのか。僕がきっちり伝えなければ」という、現場レポートへの真摯な責任感を感じる。できるだけ客観的に、読んだ人がまざまざと味が想像できるように書かれている。甘いのかしょっぱいのか酸っぱいのか辛いのか。濃いのか薄いのか。有名店の同メニューとの比較や、「自分は●●のカレーでも辛く感じるたちなので」「ふだんからあっさり好みなので」等、レビュアー自身の味覚も書く。とにかく具体的だ。だからレビュー数本読めば、ほぼ正確に店の味を把握できる。

 そういう情報を、外国のレビューでは得られないのだ。日本の食べレポのように自己表現を兼ねていないし、だから「より詳しい、有意義なレビューを」という志もない。そもそも英語だと微妙なニュアンスが伝わりにくいということもある。

 だいたいは頼んだ皿、それがおいしかったかまずかったか、あとはスタッフがこんなことをしてくれた、という体験で終わる。「超おいしい」「雰囲気最高♡」「マッシュルームピザは絶対!」…等々。さらに、外国人(と一括りにしてしまうのも乱暴ですが)は、総じて日本人より優しく、甘い。日本人のように重箱の隅をつつかずおおらかなので、ホテルでもレストランでも、実に簡単に「満点」をあげる。そもそも味覚だってきっとだいぶ違う。

 日本人は厳しくアラを探し、指摘する。……だからこんなに卑屈で暗い国になってんじゃんか…という重大なマイナス面もあるのだが、こと信頼できる食レビューに関していうと、やはりあてになるのは日本人のもの、となってしまうのだ。

 

旅の後半、思い切って方向転換した

 そういわけで旅の後半、方向転換した。どうせたいしておいしくないならすっごく安い店にしよう。店を探すときはトリップアドバイザーで“ファーストフード・廉価”で、アジア料理とアラブ料理に絞って検索する。イタリアンアメリカンフレンチの類に飽きていたのと、旅の前半で大当たりだったのが屋台の上海クレープやハラル料理の店だったから、あっち系のほうが当たりが多そう、という理由で。

 Yelpをやめてトリップアドバイザーにしたのは、レビュアーの年齢層が高く、信頼性が高いから。

 

 そして結果、正解だった。「これは当たりだ」と膝を打った食べ物は、すべて屋台かファーストフードだった。こういうことが起きるのが、この街の懐の深さだ。

 ちなみにここではファーストフードとは、セルフサービスの店、と定義している。自分でトレイを持ってショーケースの前であれこれ注文し、自分で席に運ぶ、という提供スタイルのこと。それぞれ食材や調理法にこだわりを持っている店も多く、ファーストフード=粗悪、では全然ない。

 

 大江千里の『ブルックリンでジャズを耕す』に、“こっちの人はサンドイッチをどれだけ自分好みにカスタマイズするかをすごく大事にしている”というようなことが書いてあったけど、中になにを挟むか、トッピングは何にするのかを、お仕着せでなく自分で決めるスタイルが多い。よって、より自分の食べたいものを食べたいように、食べられる。

 

 もちろんプラスチックトレー、プラスチックカトラリー(これは店による)、テーブルはあんまりきれいじゃないことが多いから自分でふかなきゃいけないときだってある。だが、1.3~1.5人前で我々日本人中年夫婦の腹は十分に満たされるので、レストランのように無理して二人前頼まなくてもいいし、チップも不要だし(カウンターにチップ入れがあるところもある。任意)、通し営業だし、オーダーのときに量も加減できるので残さずにすみ(もっと、というとどんどん追加してくれる。料金は同じ)、野菜はたっぷり食べられるし…と、わりに…いや、ものすごくいいことずくめなのである。

「これからはファーストフードでしか食べない。ファーストフードか、もしくは超高級レストランかのエクストリーム方式でいく」と決意した。

 次回から、おいしかったお店を紹介します。