更年期は「調子悪くて当たり前」
電池が切れていました。
何もする気になれない…。
そのうち回復するだろうと思っていたけれど、いつまでたってもだるさが続き、きわめつけはいつも行くお気に入りの書店で、いつも味わうような楽しさが全く味わえず、なんだか不快な情報だけを得て、暗い気持ちで帰ってきたこと。
もう外にはなんにも楽しいことはないのである、といつも思ってるけど、さらに強く思って、外出して気晴らしだとか、なにかおいしいもの、おもしろおかしいことを発見するとか、そういう期待はとりあえず持たないことにした。やはり家のなかで、さらに言えば自分の中から、おもしろおかしいことを見つけて回復するしかないのである。
そもそもよく眠れないというのが不調の原因。眠くて布団に入るのに、本を閉じて灯りを消すと、全然眠れない。眠っても、2,3時間で起きる。起きたら、またしばらく眠れない。やっと眠りにつくと、また2時間くらいで目が覚める。それはだいたい起きるべき時間の1時間くらい前で、今起きてもなあ…と思ってうとうとしていると目覚ましが鳴り、そのときはものすっごく眠くて、とんでもなくしんどい思いをして起きる。なんとか起きても、そのまま1日、ずーっと眠い。
この睡眠障害をあの手この手で克服して、ブログに書こうと考えていたのだけれど、ちっとも克服できないので、記事にもできない。
「なにもかもがめんどくさい」
この状態はまさにこの一言で言い表すことができる。なにもかもがめんどくさくなる病気なのかな?と疑って、調べてみたことがあるほどだ。結果、とくに目新しい情報は得られなかった。更年期の女性はよくこうなるという。「家事をするのがやっと。すぐにソファに倒れ込んでしまう」。よーくわかる。つまり、更年期障害ということか。
昔、近田春夫とビブラストーンというバンドが「調子悪くてあたりまえ」という曲を作って、「うわあ、すごい」と感動してたけど、今こそほんと、「調子悪くて当たり前」な日々である。
回復方法その1 ただ漫画を読む
こうなると、まず「そのまま流れに従う」というやり方がある。ソファに寝そべって、なにもせず、ひたすらに漫画を読む、というやつである。これは1日なら有効だ。それまで、自分で作ったルールをせっせと守って暮らしていたなら、突然なにも守らない日を作ると結構効く。1日寝てるんだか起きてるんだか、みたいな生活をしていても、夜になるとさらにまた眠れたりする。で、翌朝いつもの起床時間にさっぱり目が覚めたりもする。漫画が良作であれば、気力もわく。
でもこれは2日以降は効かない。ただただ怠惰が怠惰を呼び、あげくに怠惰のために疲れたりする。あれだけおもしろいと思っていた漫画さえ、読むのがかったるくなってきたりする。自己嫌悪が押し寄せ、体中がだる痛くなり、虚しさが倍増する。だから1日以上はやってはいけない、と私は思っている。
けれど、「何もする気になれない」のが1日で回復することはほとんどなく、一度なったらしばらく続く。そしたら、もう、無理やり動いてやる気を掘り起こすしかない。なにかを始めさえすれば、だいたいはそのうち身体が動いてきて、暗い気持ちも遠のき、やってよかったなあ、と思えたりもする。脳科学の本でも必ず書いてある。「行動を起こさないとやる気はわいてこない」というあれだ。
回復方法その2 有益なことをする
掃除機をかける。ヨガをする。洗濯をする、植木を植え替える…「やるべきこと」「やろうと思っていたこと」「やりたいとかつて思っていたこと」を思い出し、優先順位をつけてひとつひとつ片付けていく。
⇧とりあえず、貧弱な鉢に入ったままちっとも成長しなかった観葉植物を大きな鉢に植え替えてみた。数ヶ月後にはこの鉢いっぱいに育つはず…。
大事なのは、「確実に有益なこと」であること。つまり、私の場合は、ベランダの枯葉を片付ける、はいいけど、パンを大量に焼く、とかは避けたほうがいい。パンを大量に焼く。それは楽しい。でも、焼いたはいいけど、食べる人はほとんどいないという状況だとしたら? 自分は今、炭水化物をなるべく避けていて、家族は夫ひとりしかいなく、配りまくる近所の友人もいない…となると、台所にどーんと置かれた大量のパンやお菓子は、より強い気鬱の原因になりうる。「なにしてんだか…」となってしまうのである。それは憂さ晴らしのやけ食いとか、衝動買い、ゲームに埋没する、に近いものがある。やったあと後悔すること、やってもいいことがないこと、は絶対に避けるべきなのだ。それはさらに私を不幸にする。
「やってよかった」「ひとつタスクが減った」「やればできるのだ」ということを、無理やりやるのが大事だ。終えたあとの達成感が回復につながる。
掃除はそりゃあ効く
掃除はとても有効だ。もともと掃除、好きでもないし得意でもないので、家のなかにはつねに「気になる場所」がある。そこを、とりあえず一箇所だけ、きれいにする。小さい範囲に限定すれば、掃除が苦手な人間でもこなせる。小さい範囲ならすぐ終わって、すぐいい気分になれる。掃除と整理整頓は頭と身体の両方を使うし、なにしろ終えたあとの爽快感がすさまじいものがあるので、「気が滅入ったら掃除しよう」というのはひとつの救いになっている。ただ「やろう」と決心するまでが遠いのだけど…。掃除嫌いだから…。床の雑巾がけとか、かなり効くのだけど、なにしろやり始めるまでの闘いが大変だ。つまり、効く作業ほど、やるまでの葛藤がつらい。ま、そういうものか。
でも一箇所片付けたら、「じゃあ明日はあっちを、あさってはこっちを」と芋づる式にやる気がわいてきれいになっていくので、これはとてもいいと思う。
とはいえ、なにしろ苦手なので、掃除と整理整頓についてここで書くべきような知恵だの発見だの工夫だのはなにもない…。
心に効く二大保存食
保存食作りというのもよくやる手だ。パンを大量に焼いても始末に困ってかえって哀しくなるが、保存食は保存できるので無駄にならない。あと、だいたい黙々と鍋につきそってる、みたいな作業が多いので、心頭滅却?なんだかそんな気持ちになるのである。一つの作業をずーっとやる、という作業はとくにいい気がする。黙々と床を磨く、黙々とカチコチになった植木鉢の土を掘り返す。黙々と字を書く。黙々と走る。そして黙々と鍋をかき回す。
料理部門ではふたつある。「心に効く二大保存食」と私が勝手に決めているもの、それはジャム作りと飴色玉ねぎ作りである。
今回はジャムにした。春から初夏にかけてはジャムの季節なので忙しいのだ。数々の柑橘類、いちご、アメリカンチェリー、プラム、梅、杏…常日頃スーパーの値段と質を見比べて、「いまだ!」というとき、つまり一番安くていちばんものが良いとき(だと信じたとき。よく見誤る)に大量に買い込んで煮る。よく「ジャムってあまらせちゃって困る」という人がいるけれど、私の場合、毎朝ヨーグルトとグラノーラを食べるので、必需品だ。だからどれだけ大量に作っても、困ることはない。無駄にもならない。大量に作って、ちびちびと、えんえんと、1年かけて毎朝食べるのである。
素材の果物はスーパーだけでなく、ときにはネット通販で4kg5kgと買い込んだりする。今はニューサマーオレンジが旬で、楽天で安かったので思い切って4kg買ってみた。それがおととい届いたので、この気鬱なときこそ仕込もうではないか、と無理やりやる気を出してみたのである。
⇧無農薬だから見かけは悪い。
ニューサマーオレンジの賭け
ニューサマーオレンジはグレープフルーツみたいに少し苦くて甘い。果肉がぷるんとジューシーでゼリーのようでとてもおいしい。以前これとレモンとドライアプリコットをかけ合わせてジャムを作ったら、予想外においしかったので、今度は4kgと大量に買ってみた。ここは初めて買う店で、賭けであった。でもいつも店のメルマガを読んでいて、すごく丁寧に無農薬栽培をがんばっている様子、毎年いろんな柑橘がそれはもうおいしそうに育っている様子がひしひしと伝わってきたので、安心して思い切って大量購入してみたわけである。
そして、賭けには負けた。
ここのところ、不要なものを間違えて買ったり、期待はずれだったりと、いろいろとついていなかったのだけど、案の定、ニューサマーオレンジは失敗だった。かなりの数がパサパサだった。しかも、ものすごく皮がぶあつくて、むくと実がびっくりするほど小さくなってしまう。なんだこりゃ…。スイカの皮か…。
あれほど熱く描かれたサイトの文章や写真はなんだったのか? あんなに丁寧にがんばって作っても、こんなふうになってしまうこともある、ということなのだろうか? 柑橘は皮をむくまで中がわからないから、本当に賭けだ。だから「検品不足だ」と店の人を責めることもできないし、もうほんと、運を天に任せるしかないのだが…。こんなとき強く思うのは、「人はどれだけ、“俺はこれだけがんばってる”と思っても、空回りしてしまうものである」ということである。「自分で思ってるほど、結果は伴っていないものである」ということである。
偉そうに、誇り高く、自分の仕事について語る人たちの多くが、「かなりテキトー」な仕事をしていたりする。こっち側は確かに完璧だけど、あっち側はぼろぼろ、なんてことも多い。自分も含めて、そういう人をたくさん見てきた。だいたいは悪気はない。本人的にはなにも矛盾はない。ただ単に「見えてない」だけなのだ。ある種の死角というか。人は完璧ではない。適度に自分に甘く、誇りなどもある程度持っていたほうが人生楽しく過ごせるから、みんながみんな自分に最高に厳格である必要もないのだが。
そんなことをあれこれ思いながら、自分の人生も振り返る。…なんかせつない。
いろいろ思いつつ作業開始
あーあ。パサパサの柑橘って、ほんとうに気が滅入るよなあ…とぶつくさ言いながら、もくもくと皮をむき、種を取り出し(これがまたえらい量で、果肉のほとんどが種なのでは?と思ったり…)、小房にわけてボウルに放り込んでいく。皮もざくざく刻んで鍋に入れる。すべてがパサパサではないから、この人たちになんとかがんばってもらって、最終的においしいジャムになってくれ…とほとんど祈りながら作業する。
今回、ニュサマーオレンジのジャムを作ろうと思ったもうひとつの理由は、この柑橘に限っては、「皮のゆでこぼしがいらない」という情報を得たからである。柑橘はあくが強いから、普通は茹でこぼしを3回し、さらに一晩水につけなければいけない。もちろん、すごくめんどくさい。それが、不要だというのだ! えー!? ほんとに!? 驚いた私は、作ってみたくてたまらなくなって注文したのだけれど、よく考えたらその情報も、この店から得たものであった…。急激に店への信用が落ちたので、鍋に入れた生の皮を見つめながら、「ほんとに大丈夫なのかな…」ととても心配になる。店の人の言葉としても載っていたが、レビューにも載っていたことなどを思い出す。「茹でこぼしがいらないので本当に楽です」。その言葉を信じるしかない。
お供はEテレ「100分で名著」
私はお菓子やパンを作るときは、録画しておいたEテレ「100分で名著」という番組を聞きながら(位置的に、台所からテレビ画面はよく見えない)作業する。古今東西の名著と呼ばれる作品を、先生に解説してもらいながら、伊集院光とNHK女子アナと共に読み解いていきましょう、という番組である。画面を観なくてもいいから、作業中のBGMとして最適なのだ。名著をテレビでさくっと解説、という番組を観てるというのは恥ずかしいのだが、しかし私はこの番組がかなり好きで、もう何年もこれを聴きながらお菓子を作ってきた。この日は三木清の「人生論ノート」だった。
「幸福と幸福感は違うのです」
などという、難しい言葉を聞き、戦時中に思想を貫いて投獄され、終戦したにも関わらず、釈放されずに獄死、というすさまじい彼の人生に感銘を受けつつ、4kgのニューサマーオレンジの種をとり身をほぐし皮を刻み、計量をしてその半分の砂糖を投入していく。三木清の回を3回観て、そのあと「三国志」の回に移った。1本25分だから×4本で2時間。
加熱開始
⇧やっと第一段階終了。今回も味にこくを出すためにドライアプリコットを入れた。酸っぱいのが好きなのでレモンも入れた。砂糖をまぶしたら、自然に溶けるまで数時間放置。砂糖の浸透圧で果物の水分が出て、その水分で砂糖が溶けるのをしっかり待つのが大切。一晩おいてみる。
⇧溶けた。
翌日、「美味しくなりますように…」と必死で祈りながら、加熱開始。皮や身が透き通って、とろん、とするまで煮詰める。糖度計はめんどくさいから出さなかった。ジャムはフレッシュなおいしさを大切にするために、強火で短時間でさっと煮るべし、とどこにでも書いてあるのだけど、あんまりさらさらしていると、やっぱり実際食べるときに、「なんか違う」と思ってしまうので、ある程度は煮詰めたい。4kgの果物+その半量の砂糖、だと、どんなに強火でもかなり時間がかかる。焦げるので絶えずゴムベラでかき回していなければならない。アクもひかなければならない。なので、鍋から離れることはできない。だいたい「100分で名著」を聴いているか、または本を持ってきて読みながらかき混ぜる。
しかし、このジャム、全然アクが出ない…なぜだろう? “ニューサマーオレンジは茹でこぼしをしなくていい”はやはり正しいのだろうか。正しくあってくれ…。
煮たあとにまたひと仕事
⇧40分後。身や皮が透き通っている。正直、やや煮すぎ…。ということに、瓶に詰めるころ、気づく。この見極めが難しい。
煮上がってから、またひと仕事待っている。私は柑橘は果汁を絞らず、房ごと使うので、今回はすべて房も皮もざっくりとだけ切って煮る。そして煮上がったらミキサーにかける、という手順。これから熱い鍋の中のものを、ミキサーにうつしてかけなければいけない。小さいミキサーにかけてはボウルにあけ、かけてはあけを何度も繰り返す。面倒だ…。ものすごく面倒だ…。でも面倒であるほどセラピーとしてはよい。こういう「しちめんどくさい」作業を、心を決め、腰をすえてやることで、荒立ってふわふわと落ち着かなかった心が凪いでくるのである。「ああ、めんどくせえ」と言いながら作業する。言いながらすると、なんかめんどくささが減る気がする…。
ミキサーにかけたものを味見をしたら、祈りが届いておいしかった! よかったあ~よかったよ~!と声に出して喜び、しかしもう少し酸味が欲しいので、レモンを2つ追加。
そして、鍋に戻して殺菌のために再加熱。ジャム状になったものを沸かすと、マグマのように噴出して非常に危険だ。ここまで来るとさすがに嫌になってくるが、あと一息なのでこらえる。殺菌した瓶をずらりと並べて、詰める。
完成!アプリコットを入れたからニューサマーオレンジの鮮やかな黄色とはちょっと違う色になったけれど、きれいである。瓶に詰められたジャムは本当にきれい! 達成感を味わう。あとはこのやたらとでかい銅鍋を洗えば作業終了。
がんばったらツキがやってきた
一生懸命ジャムを煮ていたら、いいことがあった。ずっと前に応募して忘れていた、キュレル現品プレゼントが当たったらしい!
↑なにやら立派な箱に入って届いた。もう、やたらとうれしい。箱も立派だからさ再利用しよう、などと思っていたら、“この箱を詰め替えパック入れなどに使ってください”とか書いてある…。ああ、もう日本人って…。