独楽ログ〜こまログ〜

50代、女性、日本人、がひとりで毎日楽しくすごす方法を検証、実践、そして記録。

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今日が最後の日

今日は最後の晴れの日、らしい

 不調つづく。

眠れない、起きてもだるい、とぶつぶつ言いつつ、ギックリ腰は回復に向かっていたので、パワーヨガやランニングを再開していたのだが、昨日突然悪化。寝てても痛いという状況ではごはんを作るのがやっとである。「調子悪くて当たり前」とどれだけ呟いても、諦めはつくけれど痛みは去らない。

 

 しかし、外を見渡せば、現在一年のうちでも最も美しく、気持ちよい季節なのであった。「関東地方、明日は梅雨前の貴重な晴れになるかもしれません」などと気象予報士が言ったりしていて、ああ、この最高に素晴らしい季節が去っていく、と焦る。ランニングにも最適なのは、このときと、あとは初秋くらいしかないのに…。

 

⇧我が家からの眺め。この大きな木にどれだけ助けられてることか…。しかし借景なので、誰かがこの木を奪わないことを日々祈ってもいる。

 

新緑大好き

 新緑が、実際どれくらい私の気力回復に役立っているかは不明だけれど、なにが好きかと聞かれたら、「新緑です」ときっぱり答えたい。それくらい生まれたばかりの、水もしたたるような美しい葉っぱたちが好きである。五月になり、すごい勢いで増殖する木々や葉に囲まれると、目が、頭が、細胞全部がじゃぶじゃぶ洗われてる気がする。

 この時期は、部屋からぼーっと木々を眺め、ランニングも毎日する。毎日走ると結構膝が痛いし、実際腰も再悪化したけれど、それでも「調子悪ければ走らず歩けばいい」と思いながら、外に出てしまう。この乾いた空気と風、つやつやの新緑は、本当に期間限定、今しか味わえない。

 子供の頃から「無精たらしい」「怠け者」とさんざん言われ、とにかくできるだけ楽したいと思って生きてきた典型的な駄目人間が、よくもここまで変わったものである。変わったけど、その塩梅がわからず、だから年がら年中、運動しては腰だの首だのを痛めては寝込んでいるのだけど。

 

 掃除だの保存食作りだのと違って、新緑を浴びたからといって、じゃあ実際自分にどれだけ益があるのかはよくわからない。公園に行ったから即やる気が出るってもんでもないし、新しいアイディアがわくわけでもないし…。ただ「あー気持ちいいなあ」と思うだけだ。それでも、最近、低空飛行な日々のなかで、新緑はわずかな希望であることは事実。新緑を眺めて「小さく喜ぶ」を積み重ねて、なんとか気力をつないでいる、というのが実情なのかもしれない。

  例えば、毎朝の楽しみ、アボカド栽培。水につけて1か月、ようやく根が出た。

いったん根が出たら、毎日目に見えるほどぐんぐん成長する。ほかの2つはいっこうに根が出る気配がない。そんな簡単に発芽するもんでもないのかも。3つ用意してよかった。しかしこのあと、どうしたらいいのだろう? 調べないとわからない…。

 

 昨年はがんがん成長していたのに、今年ぱたっと活動休止してしまった、名前もわからない和風な植物。よくみたら根が露出してる。土もかっちんこっちん。慌てて植え替えする。去年育ったぶんだけ、根がものすごく成長して、鉢いっぱいにまわり、硬化してしまった。うっそ…と言いながらなんとか鉢から取り出し、根をカットし(まさに大手術、とこういう植え替えをするときいつも思う)、別の鉢に植え替える。

 

 やる気がやる気を呼んで、テンションが少しあがったので、ランニングの帰りに野菜の苗を買う。

 

 

 鉢底石や、鉢底石のかわりにつかっていた炭をぐらぐら煮て煮沸消毒し、あいていた大きなプランターにまとめて植える。花屋さんが「まとめて植えていいですよ」って言うから…。ほんとかしら。

 

 パクチー、バジル、大葉、そしてゴーヤ。しょっちゅう食べたいけど買うと結構高いし、中途半端に量が多い、というハーブと、最近妙においしいと思うゴーヤ。

 

 部屋のウンベラータも生え変わりの時期。

 次々と葉が黄色くなって落ち始めた。これは昨年3月にいただいたものなのだが、6月になったら、次々落葉して、ついにあと2枚、ほぼ丸坊主になってしまった。ものすごく心配した。「やっぱりなにも育てられない人間なのか…」とまで思い詰めたのだけど、しばらくしたら今度は驚くほどの勢いで新芽が出てきて、真夏にはもらったときの倍くらいの大きさにまで繁り、置く場所を変えなくてはならないほどだった。

 うちには子供がいないので、こうやって、「めきめきと成長するもの」が家のなかにいるっていうのは、なかなかの興奮剤になる。人付きあい苦手だから、口をきかない植物がお友達または家族としてはちょうどいいのかも…と、ホップ酵母に対して思うことと同じことを、また思う。

 

 このときまめに使ってた栄養剤「メネデール」が効いたのだと思って、以来この薬を信奉している。

 

 さあ、これで楽しみができた。毎日、成長ぶりを眺めてわくわくしようではないか。

ランニングコースもグリーンルートで

 いろいろと園芸作業をして、夕方には公園に走りに行く。この家に越して4年なのだが、コンクリートジャングルな住宅街や環七などを走って、「なんかもっと走りたくなるような場所はないのか…」と長いことウロウロし続けて、昨年ようやく「爽快ルート」を発見、設定できた。まあ要するに、緑の多い、車の少ない(音楽聴いて走るので危ない)ルート、ということである。

 

⇧近所の病院の公園を抜け…。

 

住宅街も抜けて公園にたどり着く。

この季節はあまりの緑の豊かさに、はーっと毎回軽く感動する。

 

 

 この日は、三味線(?)をひき、踊りの練習をする人たちとか、犬と絵になる風情で座っているおじさん、などがいた。

⇧犬、かわいい

 

 以前にも、アコーディオンをひくおばさんと、詩(か絵本か?)を朗読するおばさんの二人組などがいたなあ。あれは驚いた…。あとは、豚…子豚じゃなくて、成豚…を、ひもにつないで散歩させてる外人とかもいたな。

 

 …という具合に、わりと公園には事件(?)が多くて、実はエキサイティングな場所である。

 

25回めから本領発揮のケンドリック・ラマー 

 今のBGMは出たばかりのケンドリック・ラマーの新作。

 

 ヒップホップのビートは、走るのに最適である。早すぎず遅すぎず。麻薬的なループが延々と繰り返されているのを聞きながら足を運んでいると、たしかに今セロトニンが出てるはず、とはっきり確信するような、なんというのだろう“快感のリズム”が体内をめぐっていることを感じるのだ。

 ケンドリック・ラマーの音楽は、初めて聞くときよりも10回めのほうがよく感じて、ま、これは普通なのだけど、さらに30回めのほうがなおよく聞こえる、という、なんか恐ろしいものである。普通は、「聴けば聴くほどいいなあ」と思っても、さすがに20回も繰り返せば、慣れてくるし飽きてくるし、興奮も覚める。しかし彼の場合は、25回めくらいからが本領発揮なのである。

 新鮮さは完全に消滅したあとにさらに聴くと、あれ?これ、こんな曲だったのか…と、新しい地平が見えてくる。洗練されていると思っていた曲が野蛮に感じたり、ただしゃべってるだけのように聞こえたラップに、いつのまにか、もういっかい繰り返さずにいられないほど中毒させられていたり。決してポップではないのだけど、中毒性は限りなく高い。何風なのかと説明もしずらい。ジャジーにも聞こえるし、ウエッサイぽくも聞こえるし、ソウルフルでもあるし…。今までのヒップホップの流儀をぜんぶ取り込んで、でも確実に新しい聞き応え。

 ⇧数年前に出たアルバム、『To Pimp a Butterfly』は、今でも愛聴している。凄まじい持続力である。

 流行り音楽を追うのも、体力いるんだよなあと知って驚いたのは数年前。わざわざ努力しないと、昔の曲ばっか聴いてしまう。ほんと、なんでもなかったことが、突然すっごくめんどくさい力仕事に思えるのが加齢ってやつなのだ。

 

 さて、最後の「梅雨前の貴重な晴れの日曜日」を大切にしなければ。

 

おまけ

 ランニングの締めの楽しみはスーパー三徳に行くこと。しかし、最近棚がからっぽなんだよな…。熱烈に募集していたアルバイト募集のチラシも消えてしまったし、もしかして閉店してしまうのでは、それを店員に聞けばいいのか、HPでお問い合わせればいいのか、なんも聞かないのがいいのか…というのが私の最新の悩みである。