11月25日
15℃
雨
さむ…。
フライ・パン・オムレツ
パンがはじっこしか残っていないので、いつものようにフライ・パン。今日は卵を多くしてオムレツっぽくしようと思ったが、角切りにしたパン、ミニトマト、ピーマン、エリンギ、ミートソース、チーズという大量の具に対して卵は2個しか使っていないのでオムレツとして成形するのにはかなり無理があった。わかっていたけど、卵3個にしちゃうとふたりで食べるとしてもおなかいっぱいすぎると思い、決断。
あおってひっくり返すのは怖かったので台所の流しで行う。どうにかこうにか返したけれど、出来上がりはご覧の通り。まあいいか。こういうものだと思えば。
味は、すこぶるおいしかった。やはりミートソースが効いている。チーズを卵液にとかし切らず、まず鍋底にあてて焼いたのもよかったような…気がする。
読んだ本
『自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術』下園壮太 朝日新聞出版
したこと
前日のミルフィーユのためのディプロマットクリーム(カスタード+生クリーム)が残っていたので、シュークリームを焼く。
これも苦手なお菓子のひとつだったのだが、これまでの失敗体験+いろいろ本を読み漁ったあげく、
●牛乳はしっかり沸騰させ、
●粉を加えてひとつにまとめたとき、鍋底に膜が張ったらすぐ次の工程にうつり、
●卵を加えたあとの生地の見極めは、いかにも「ふくらみそう」かどうかで判断し、
●とにかく生地が冷めないうちにオーブンに押し込む
ということだと結論づけた。
いかにも「ふくらみそう」な感じというのは、卵を入れすぎてだらーりとしてしまったら形が保てず流れてっちゃいそうだし、硬すぎると「伸びる」感じがない。ということで、その中間を目指す、ということ。この生地の見極めはどの本にも「生地を木べらですくって落とすと、三角の形になる」と書いてある。でも、あるていど柔らかくても、歩い程度硬くても、三角にはなるんだよね…。
だから「これでいいのか」がわからず、いつまでもじたばたと混ぜたりいじったりして、そのうちに生地が冷めてしまい、いまいち抜群に膨らまない、という結果になってた気がする。シュークリームって、時間との勝負菓子なのだ。
「いかにも膨らみそうな感じ」はもちろん、お菓子作りに慣れていなければ初回でその感覚は掴めないのだけど、何回か作ればわかる。
「お菓子はレシピに忠実に作る」という鉄則を呪いのように信じてきて、今まで必死に「言われた通り」に「だけ」作ることを目指し、だから各本でときどき全然違うことを言ってたりするとかなり混乱していたのだが、お菓子だって料理と同じじゃないか、とようやく気づいた。
「こんなに火入れたら肉硬くなりそう」「こんなに焼いたら野菜は縮んじゃうよね?」
「れんこんは硬いから時間差つけて長めにソテーしようか」
みたいな「感じ」で判断するのが大事だ、ということである。
そんなの、ちょっとまともな頭を持っていればわかるでしょ?という意見は、そのまま受け止めます。その通りです。しかし私にはわからなかった……。だからこういう人生を歩んでいる。
しかし、あるときから「感じ」が大事なんだと気づき、おかげで「バターの適正なゆるみ具合」とか「クッキーの火入れ具合」とか、ようやく自分で判断できるようになりました。
それができれば、お菓子のレシピだって料理みたいに自由にいじれる。
当たり前っちゃあ当たり前なんですけど…。
死ぬ前に気づいてよかったな。
こちらも最初のレシピは160℃で焼け、とあって、あれ?そんな低かったかな?と思いつつ指示通りに焼いたら、膨らんだけど、感触が柔らかい。慌てて昔使ってたオーボン・ヴュータンの河田さんのレシピを見直すと200℃でがっつり焼き、焼き上がりはかっちんこっちんだ、という記述を発見、焼き直した。
口にふくむとがりっというパイのような食べ応え。これこれ。私の好みはこれです。
昔はこれで焼いてた。しかし最初から200℃で焼くと、上にのせたアーモンドダイスが焦げまくる、というのが悩みでもあった。160℃でこんなにきれいにふくらむなら、後半だけ200℃にしてカチカチにすればいいのだ、と学習。