独楽ログ〜こまログ〜

50代、女性、日本人、がひとりで毎日楽しくすごす方法を検証、実践、そして記録。

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こなログ 餃子

4月29日

19℃

餃子の学びふたたび

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最初は順調だったのだが

 いつも餃子を作るときは数日前から準備が必要になる。前日に生地も種も仕込んでおきたいし、なにしろ疲れるから前々から気合を入れておかないといけないから。

 が、この日は昼ごはんをなににしようと考えていて、米も麺もなんだか飽きた、と思ったときに手作り餃子のあの生地を酢醤油で食べたい衝動がむらむらとわいて、まだそのとき朝五時くらいだったので、勢いで実行したのである。幸い冷蔵庫にはにんにく、しょうが、さらにはニラもあるし、冷凍庫には豚肉と海老(少量)があった。野菜は小松菜を蒸して絞っていれよう、それでニラじょうゆで食べてみよう、いやニラじょうゆは副菜の冷奴にかけるか…等々。

 粉の配分でいつも悩む。片栗粉入れようかどうしようかとか。でも今回は小麦粉オンリー、キタノカオリと特宝笠を半分ずつでいくことにする。水は粉の半分で…と思ったのだが間がさして30m多く入れてしまった。多加水=おいしいというパンの法則にとりつかれているから。生地をこねたあと、豚肉を包丁で叩いて、海老を解凍し、野菜、調味料を合わせた種を作ってこれも寝かす。

  数時間後、面倒がる前にさっさとやるのだと奮起した。すごい勢いで分割し、伸ばした。すると昼前に終えられた。すごく疲れたので20分、ソファに横になった。さあて、包むかあ、と起き上がり、再び台所に立った。そしたら…そしたら…あんなに手粉をたくさん振ったのに、皮はひとかたまりの生地に戻っていたのである…。

 

 やってしまった。15年前、初めて手作り餃子を作ったときに犯した過ちが、再び。あれから何年もたち、何回も作ったので、もういいだろう好きにやっても、と油断したのである。多加水パンをいつも作っているという自負もあったと思う。

 しかし、皮はまた再びひとつの大きな玉になっている。絶望してひとしきりヒステリーを起こしたあと、能天気にテレビを観ていた夫を呼びつけて、種を包ませた。私が伸ばし、彼が包む、で作業を半減させたのだ。二度皮をこねてつくったことで、より皮がこねられておいしくなったはず、と信じることで怒りをまぎらわせながら、再び伸ばして伸ばして、伸ばす。そして焼く。

 

餃子、できた

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午後2時、ようやく完成

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焼き色は抜群だ! 食べ終わる直前に撮影

 

 お昼のメニューは

 大根と新たまねぎとトマトの中華スープ

 もやしと海苔のナムル

 冷奴のニラじょうゆ

 それから

 豚と海老の餃子

 

 やっと、ついに、ようやく! 食べます!

 と、口を開けたらスカイプが鳴った。2時からオンライン英会話の予約していたのだ……完全に忘れていた…あまりのタイミングにただただ苦笑。彼女にひとしきり、餃子の作り方、失敗の理由、などを話し、生地を伸ばす=flatten、丸く包む=make it round、具をつめる=stuffingなどの言い回しを学ぶ。翌日、別の先生にも同じことを話す。同じことを二度話すと、復習になってちょうどよいのだ。初回でパニックになりながら言い回しや単語を探って必死にしゃべる→いくつかの後悔がある。次回、誰かに同じことを話す→すらすら出てくる。というサイクルで脳にしっかり刻まれる感覚があるのだ。いろいろ得るもののあった突然の餃子デーであった。

  

結論

 とてもおいしい餃子だったけれど、やー、やっぱり多加水の餃子はおいしいわ、というほどのことはなかった。そのわりに犠牲にするものが多すぎる。それでも加水したいなら、皮ができたそばから具を包むべし。…と最初は思ったのだが、それを粉を振ったバットに並べて一晩とかおくと、今度はバットに激しくくっついてしまうことが発覚。どんなに粉を振っても全部吸ってしまうのである。厄介すぎる。結論。水分は粉の半分でいい。