2泊3日で熊本へ
コロナ前の2019年から「次は新緑の阿蘇・熊本へ」と思い続けて3年、ようやく実現しました。去年も行きかけたのだけど、熊本城が閉鎖されていたので断念。もう行けないのかも、とか、新緑じゃなくて秋でいいか、とかいろいろ障害がありつつも、どうにか実行できた。
もともと「新緑に阿蘇山へドライブ行きたい」が最初にあり、その次に「熊本城見たい」、さらに「坂口恭平美術館行きたい」「あっ、東京で観れなかった和田誠展やってる!」「なんか温泉もいいよ?」となって、おまけに九州・北海道でしか交換できないクレジットカードnimocaのポイントをANAマイルに替えたい、など目的はどんどん増えていった。
初日はなんと雨だったので、阿蘇ドライブを3日めに変更、空港からレンタカーで市内へ行き、和田誠展へ。
圧倒的仕事量を、4歳から(!)緻密に追っていくという凄まじい構成だった。ちゃんと4歳や6歳のときの絵が残ってるのもすごいし、1年ごとになにしたかが確認できる。そんで毎年すっごい描いてるし作ってる。
その仕事は和田誠というアーティストを体現しているだけでなく、昭和という時代も体現していた。
例えば、これ。↓
『ゴールデン洋画劇場』のオープニング、あれも和田さんなのかー! えっ、『窓ぎわのトットちゃん』も!? 瞬間、怒涛のように押し寄せる昭和・子供時代の記憶。家のテレビで『未知との遭遇』を観る自分、書店に積み上げられた『トットちゃん』にむらがる人々…。おおおお…。すごい。あれもこれもみんな和田さんが…。この衝撃がどの年にも現れるのである。2月にみうらじゅん展を観たときは「昭和を裏から支えていたなあ」と思ったけど、和田誠は表からどーんと支えていた。有名なタバコ『ハイライト』のパッケージデザインから村上春樹の小説・翻訳作品の表紙と装丁、あの絵本にこのCMにこのブランドロゴ…。なんと松田のマヨネーズのあの鶏も! 次から次へと見覚えのある仕事が繰り出されてきて、こう思わない人はいないのでは。もちろん、平成になってものすごい仕事してるので、うーん、じゃあ「戦後日本を支えた」かな。
和田さん(愛妻がいつもこう呼んでいたのでつい「さん」づけにしてしまう)の仕事がここまで昭和を支えたのは、彼が無類の映画好きで、エンタメ全般に造詣が深かったから、というのも大きい。イラストやエッセイで海外の名作映画・俳優・ミュージシャンを紹介し、舞台をプロデュースし、映画も監督した。この人のおかげで日本のエンタメはずいぶん質をあげたと思う。
このほか、制作現場を録画したムービーまであり、もうこれでこの旅行を終えてもいいほど充実した内容だった。
熊本で観れてよかった。実は新宿にでかけたとき、ものすごい行列していて諦めたのだ。その後も「今日は空いてるかも」とチェックしていたのだが、ついに空いている日はないまま終了してしまった。なので熊本旅行のタイミングでこの展覧会がやってることを知ったときの感動といったら。いやーツイてたなあ。よかったなあ。
新宿オペラシティでのものすごい行列を見たとき、失礼ながら「えっ、ここまで人気が?」と驚いていたのだが、こうやって業績を一気に見ると、「そりゃそうか」とあっさり納得してしまった。昭和〜平成を生きてきた人の誰の人生にも、和田誠の絵は深く深く刻まれている。
夜ごはんは懐石
グーグルで探して(いや、ほんとに便利になった…)、夜ご飯は「草喰 常」で。京都のあの店とは関係なさそうであるし、草以外にも肉も魚も出てくるのだが。
あまりのレベルの高さにびっくり。どれもこれもめちゃくちゃ美しくて、おいしい。青梗菜の味噌汁とか、甘夏窯に入れた白味噌グラタンとか、食べたことのないものもたくさん。数万円だして高級料理を食べる、ということをこの十年、放棄した我々だが、そんなことしなくても世の中にはまだまだ驚くほどおいしいものがあるんだなあ〜としみじみしてしまった。
熊本の繁華街を歩いてホテルへ帰る。この繁華街がなんか居心地よくて、熊本ってちょっと住んでみたいかもと思った夜であった。