…という報告です。
今日はいい日だったなあ! などと久しく思わなくなったので、これは相当スペシャルなことなのです。
もちろん、たいした出来事があったわけではない。
たいしたこと起きてないけど、「なんかいい日だったな〜」とこみあげてきて、こんなことまだ思うんだなあ、これは記録に残しておかないと! と思った。
いつも書いてるけど、人生の後半戦はどんよりしているのが当たり前で、突然いい仕事が舞い込んできたり(私はフリーで働いていた)、楽しい遊びの誘いがあったり、町で偶然大好きな人と会ってそのままお茶をしたり、不意に誰かから褒められたり、ずっと欲しかったものをプレゼントしてもらったり…ような”外発的ないいこと”はまず起きない。かわりに気の滅入るしらせや原因不明のだるさや痛み、不安はよく来る。鏡を見ると老いた自分がいる。なにかしたいと思った瞬間に「や、この歳じゃ無理か」と思って落ち込む。これを「まあそういうもんか、年なんだし」と受け流し、代わりに内発的な小さな喜びを見つけて無理矢理にでも楽しくなる、というのがここ十年の習いである。なので、外から吉報やラッキーがやってきて「いやあ、いい日だったなあ」という気持ちが自然と湧き上がってるくるってのは、ほんと珍しい。ブログに書いてしまうくらい。
まず快眠
で、なにがどうよかったのかというと、まずよく眠れた。
更年期障害と夏の暑さでまともに眠れなくなって数ヶ月。ホルモン剤を貼って寝てたけど、医者と喧嘩して「やめてやる!」と春先にやめて、そこからホットフラッシュがぶり返して、「ああどうせなら冬にやめるんだった」と後悔してたけどもう遅く。毎晩「あっつい!」と飛び起きて、それが一晩に2,3回あるので一晩ぐっすり寝るってのがもう憧れの域になってしまっていた(何度も書いてますねすみません)。
それが、ようやく、本当にようやく涼しくなってきて、そのあといろんな要素がうまくからみあい(前の日にやや睡眠不足、昼寝してない、運動してる、気が高ぶってないetc)、とうとうぐっすり眠れた。当然寝起きも清々しく、最近いつもの時間朝4時に起きれてなかったのだけど、この日はすぱっとベッドから出た。
ごはんがおいしかった
次。昼ごはんが美味しかった。
元気いっぱいで家事と仕事をして、昼ご飯を作り、それがとてもおいしかった。ご飯があまりおいしくない、ということはたびたびある。4回に1回くらい、「うーん今日はだめだね」ということがあり、そうなると本当に気が滅入る。なぜそこまで? と理性では思うのだが、落ち込みが止まらない。最近はいろいろ自分を許すようにしているので、めんどくさいときはパスタ(野菜とタンパク質入)一品でいい、まずくてもいいそういう日もある、なんなら作らなくてもいい、などとと言い聞かせているのだが、それでも実際まずいと「あああああ」と落ちていく。別においしかったからといってお金が稼げるわけでもないし、表彰もされない。まあ夫は喜ぶが、要するに「おいしかったね!」とふたりで言い合う、ただそれだけのことだ…。
とにかく、ご飯が美味しく作れると、その日1日だいぶいい気分で過ごせるのは確か。この日は新しい味を見つけてさらによかった。白だし(ずるだと思って使ってなかったが使うと無茶苦茶便利。ここも許すことにした)にみりんを加えただし汁に、冷蔵庫にあったミニトマトとパプリカを入れて煮て、さらに余っていたアオサを入れて片栗粉でとろみをつけて、くずし豆腐にかけたのだが、このだしが、トマトとパプリカの旨みがむちゃくちゃ出ていて最高だった。なんだこれは、という衝撃な美味しさだった。”野菜のだし”って最近のテーマなので…つまり、たんぱく質に頼らない旨味をいかに出すか…そのなかでこれはなかなかの成果である。緑と赤と黄色の色合いもきれい。
もう一つ、長いもとれんこんのバターソテーも新メニュー。最近、バターをもっと調味料として使おう運動があって、そのひとつ。味つけはレモン塩で、これがまた爽やかでよかった。長いもは簡単に焼き色がついて香ばしくなるので、”焼き”の良さがとくに活きる。醤油を垂らしてもよかったけど、今日はレモン塩のみで。
で、メインはマグロ丼。どれもこれもおいしかったなあ…。
これはおまけで、その前の日のもの。今井亮さんのレシピで、夏からずっとPCに保存してあったのを、ついに作った。不器用なので春巻き系はいつもとんでもない姿になってしまうが、これはわりとまともにできた! そしてかなり美味しかった! エビをゴロゴロに切って、惜しみなく入れたからだと思う。そして油もケチらずにたっぷり入れて揚げたから、不器用でも上手に揚げられた。口に入れるとぱり、ざく、の音がして最高。
テストに受かった
この春からドルを稼ぐためにアメリカの会社でリモートワークをしている。詳細は話してはいけないことになっているのでぼやかすけど、なにしろ人数多いし、指示が英語で複雑、わからないことを質問することすらままならず、そのまままま何本か仕事をするたびに全然上手く出来ず。成績悪いとクビになるので、何度も「こりゃダメだ」と思ってきたのだけど、「でもまあまだ多少望みはあるから」と自分からはやめず、仕事がある時は頑張ってきて数ヶ月。こないだ海外旅行行ってたら(登録国以外では仕事もログインもできない、旅行申請のやり方も発掘できなかった)、あやうく排除されそうになり、どうにかログインしてみたものの、全くプロジェクトについていけなくなってしまっていた。掲示板でみんなが話してることがちんぷんかんぷん。
ああ、いよいよこれまでか…! が、「でも自分から辞めることはない。ルールが毎日のように変わるんだから、もしかしたら状況が好転するかも」としがみついていたら、運営本部が突然「みなさんの出来が悪すぎるからテストする」と言い出して、ヒーヒー言いながら受験(もちろん無給)。 ”時間かけてもいいからクォリティあげてください”とのことだったので、1時間で終わらせるべきテストを半日かけてこなしたら、夜中に「成績優秀者と認定されました」と連絡が! いやもう嬉しくて嬉しくて、文字通り小躍りしてしまった。
「テスト」なんて受けない、この年では。代わりに人生のテスト、大なり小なりを受けては落ち、みたいな経験ばっかなので、「今回もまた落ちて自己嫌悪で落ち込むんだろうな」と予想していた。時間かけただけあってテスト直後は妙な手応えがあり、「これは!」とハイになっていたのだけど、だんだん「いや、あそこはああすべきだった」「あれを見逃していた」と失敗が次々脳裏にわいてきてうなだれていた。それがこの日の真夜中に覆されたのである! 例によって夜中に何度も目が覚め、眠れないからしょうがないのでスマホを見ていたら、合格の連絡が入っていた。真夜中の吉報。なかなかないでしょ。真夜中の知らせっつったら、だいたいろくでもないでしょ。しかしこの日は違ったのだ。
「まだあるんだなあ、こんなに喜ぶこと!」としみじみ思った。諦めなくてよかった。
念願の(に似た)ブーツが安く買えた
THE ROWという高級ブランドの厚底ブーツが大人気、という話を聞いて、ふーん。と思っていた。なにしろ22万とかありえないので、完全ひとごとだった。が、とあるファッショニスタ(って、もう言わないか? おしゃれな人のこと)のツイッターで、このブーツが「適度に厚底、かつほぼフラットなのでヒールが苦手でも履き続けられ、かつ脚長効果。さらにフロントジッパーなので脱ぎ履きがめちゃくちゃ楽」だと知って、俄然欲しくなった。ブーツ、大好きなのに脱ぎ履きがつらすぎて諦めていたのである。さらにふだんめちゃくちゃ歩くのでヒール靴も無理。もう一生スニーカーなんだと思っていた。それでこの記述にぶつかり、「フロントジッパー! こんな回答があったのか。これってもしかして求めていたブーツ?」と。
…が、もちろんそ値段のブーツは買えない。中古でも17万くらいする。でもあまりにも人気だから、各ブランドがそっくりなブーツをいろいろ出していた。なかでもジル・サンダーのものはかわいいし、定価は同じくらいだけど輸入ブランドサイト(BUYMAとか)では7〜10万くらいで売っている。でもまだ高い。しかも通販はサイズ問題がある。ジル・サンダーのサイズ40でいいのか? わたしはとてつもなく足が大きいので、最近流行りの”なんだか足が大きく見える靴”だと本当にミッキーマウスになってしまう。が、ジルのそれはちょっとそんな感じもある。ヒールも、THE ROWに比べたら低いのでは? なによりも海外から取り寄せた挙げ句サイズが合わない、ということにならないか? …というあたりで9月中旬から悩み続けていた。散々調査した結果、サイズは40で大丈夫だろう、となった。が、それでも思いきれずそのまま旅行に行ってしまった。旅行先の都会のモールなんかで売ってないかな? という期待もあった。でも旅行前に買わなかったらもう買えないだろうなという予感を抱きつつ。
そして帰国したら底値の58000円(+関税)がなぜか7万とかになっていた…たぶん秋になってシーズン到来ってことで上げたのだろう………。悔しくて買う気が失せ、再値下げを待ち、しかしほぼ諦めつつ毎日いろんなサイトを眺めていた、そのとき。そこにカンペールのブーツが現れたのである。
適度な厚底、ほぼフラットなヒール、フロントジッパー、の条件のほかに大事なのが足首あたりがきゅっとしまってそのままふくらはぎに向かうというスリムな形。ごついブーツなら過去にたくさんはいてきたので、それとは違う「脚がきれいに見える」のも今回のブーツの魅力だったのだが、どうもカンペールはそれも満たしているらしい。なにより東京駅にショップがあるので履いてみることができる。
すぐに新丸ビルに駆けつけた。そして履いて、2分で購入を決めた。一瞬、「でも12月にはセールになるはず」と思ったが、それまで待てないと思ったのと、「このサイズですとなくなっちゃうかもしれませんねえ」という常套のセールス文句を真に受けて即決。
正直、ジッパー部分の革のよれとか気になるし、他のお高いブーツと比べたら破格に安いぶん高級感も薄れる(とはいえ、全然安い買い物ではない)。が、ハイブランドの高級感など自分には似合わないし、とにかく想定より全然安く買えるし、しかも去年買ったここのスニーカーがあまりにも履き心地がよくて「これ以外履きたくない」と思わせるものだったので、このブランドを信頼してもいる。
なによりも履いたときの「俄然、脚がきれいに見えた」という衝撃がすごくて…。もう何年もスニーカーばっかり履いてたから? とにかく靴を履いて「あれ! 脚が長い! かっこいい!」なんて思ったのは久しぶりというかいや、初めてかも。単に「ヒールの高い靴をはいて脚長に」とは違う感動だからだ。これは足首からふくらはぎにかけてシュッとした形のせいなのでは、と思っているのだがどうなのだろう。
これも結局最初の話に戻るのだけど、服などを着て「うわあ似合う」という衝撃も、もうないと思っていた。なにしろ逆のことばかり起きてたので。履いた瞬間に「いい!」と思えるものがまだあるなんて…ということで、これは定価で買うべき、と結論。
夫が交流してきた
この日は土曜日だったのだけど、午後いっぱい、夫はマンションの理事会+懇親会に出席していた。逃げ続けてきた理事にとうとうなったのが今年はじめ。自由参加なのでほとんど理事しか出てこない草刈りにはわたしも参加してたのだけど、懇親会はつらすぎる、と思ってパスしてしまった。夫はわたしよりさらにひどいコミュ障なのだが、腹をくくったらしくたびたびある会議も草刈りも真面目に出て偉い。だが、なんとなく理事会で結構楽しくやってるらしく、帰ってくると「あの人はこんなことしてるんだって」「今日は漫画の話したよ」などと、いろいろ教えてくれる。
この日の懇親会は庭でバーベキューをしたらしいのだが、完全参加は理事たちだけだけど、通りすがりにいろんな住民がちょっと話し込んでいったりしたらしく、かなり楽しかったらしい。「あの人は有名なピアニストなんだって」「前はこんな仕事してたらしい」とおもしろい話が次から次へと出たという。
都会で人付き合いを避けてると本当に孤独になる。挨拶するのがせいぜいだ。我ら夫婦はこのままでは本当に孤独老人まっしぐらなので、日々不安を覚えていたところ。かといっていきなり友人作りに励むこともできず…。それどころか、最近では「店員と口をききたくない」などと言ってドラッグストアにも行ってくれないのである。やばいでしょう。そんな状況なので、楽しかった〜と言って懇親会から帰ってきた夫を見て、ものすごく安堵した。まだ交流する筋肉はあるのだ。で、懇親会、途中で立ち寄ってお話して帰る、が許されるらしいのでそれなら私も参加したいと思った。これも「いいこと」のひとつ。
なにごとも筋肉が必要、というのも近頃身にしみて思う。人づきあい、家事、お出かけ、お金を使うこと、なにかを欲することetc. なんでも日頃やりつけてないと、あっという間にその筋肉が衰える。
…というわけで、いい日の報告でした。長文ご精読ありがとうございます。
しかし「書いて残しておこう!」と思った興奮は2日で薄れ、いざ書いてみたら「なにがよかったんだっけ?」と思って日記を見返さないと書けなかった…。興奮も感動も儚いなあ。