冬の、晴れた立山連峰を見に行く旅、2日め
これが見たいとこ全部盛りにした徒歩ルートだ!
第一目標は、富山湾越しに立山連峰が見れる雨晴(あまはらし)海岸(F)に行き、海沿いを走る氷見線に乗ること。

wikiよりお借りしました
あと、最近気になっている北前廻船のことを知るために廻船問屋住宅を見る(B)こと、
ここいらの代表的偉人、大伴家持のことも知りたいので万葉歴史館にも行く(C)こと、
さらに神社好きとしては越中国一宮 気多神社(D)も気になる……。
盛り込みすぎのようだが、これでも高岡市内見物を泣く泣く削ったのだ。これは今も惜しかったと思う……。しかし氷見線がそう本数がないのと、中年の体力を考えるとこれが限界だった。ともあれ、このルート、伏木駅から雨晴海岸まで、往路は歩いた。いや、どうしても歩きたかったわけでもないのだが、タクシーもバスも電車もそうそう見つからなかったのだ……。
…あ、この前段階として、
あいの風とやま鉄道・富山駅
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へ行く、というのがあるのですが。
まずは宿から富山駅へ

ルートを決めて元気よく出発したものの、天気はいまいち。晴れるような晴れないような…という煮え切らない空。時々かーっと陽が刺すたびに「ああっ、晴れた!」と騒いだりがっかりしたり。ストレスフルな旅である。やはり問答無用に数日太陽マークが出てるような日でないとだめだな。「あっ、いける?」程度ではだめなのだ。

なんて渋い車体なのだ…
しかし来てしまったので行くしかない。高岡から氷見線に乗り換える。子供の頃に見たような電車が現れて驚いた。

そして伏木駅到着。駅も、駅の周辺も、だーれもおらず静寂に包まれていた。静かすぎる。来たのは間違いだったのか? 伏木も廻船問屋も、ただただわたしのなかの思いつきで、わたしのなかだけでブームが来ているだけで、世間的にはそうでもないようだ、と知る。
そう、どうして突然廻船問屋に興味がわいたかというと、富山の郷土本を読んでたからなのだが、かつて富山とか能登とか日本海側の港湾都市は商業船が出入りしてめちゃ栄えていた、という教科書で習ったことを今更しみじみ実感したからである。日本地図の上下をひっくり返すと、見事に富山湾や日本海が世界(つまり韓国とかロシア)に向かって玄関的位置にあることがわかり、これを環日本海地図、とか言うらしいのだが(ちょっとあやふやだが)、そうなるともう「裏」日本、なんてとてもじゃないが言えない。で、その昔栄華を誇った跡を見てみたいなーと思ったのだ。
しかし天気も悪ければ運も悪かった。さみし〜い駅に降り立ってふと不安になったと同時に、財布を忘れたことに気づく。出かける前「俺財布持たないよ?」と確認され、「いいよ、あたし持ってくから」と受け合ったにもかかわらず(ここまではパスモでこれてしまった)。現金もキャッシュカードもない、100円すらない、という事態になり、どどどどどどーすんの!? となったのだが、彼が唯一持っていたクレジットカードを使い、農協のATMでお金を工面して乗り切る。ものすごく怒られた。
それでなくても前日、宿を朝食なしで予約してしまい、「なんかわかんないけど安かった♪」と浮かれていた理由も判明し、慌てて朝食をつけた、という経緯があったので、もうまじで離婚か、というほど空気が凍った。さらに言うと、実は前回の大阪旅行でも同じ失敗をしていた。一休、楽天トラベル、JTB、日本旅行、そしてホテル公式サイト。あらゆる旅行会社、あらゆる旅行プランを検討しすぎて、だんだん朦朧としてきて目当てのプランを予約しそこねる、ということがよく起きるのである。前回めちゃくちゃ反省したのにまたやってしまった。どれだけ呆れられても返す言葉がない。
「誰もいないぜ」
「………だね……」
1月の富山は寒い。暗い気持ちのまま資料館へ向かう。誰もいない寒空の下、見知らぬ町で夫は口をきいてくれない。この空気は本当に応えた。帰りたくなった。ADHD気味なので人生がうっかりミスの連続で構成されており、なんかやらかすたびに死にたくなっていた。そのうちこの「うっかり」で夫を殺してしまいそうだ、という悪い予感が常にある。夫が絵に描いたようなスーパー几帳面で自分にも他人にも厳しい、というのが事態をさらに悪くしてもいる。が、中年になってまで自分を責め続けるのもつらくなり、「もうミスして自己嫌悪になるのやめよう。仕方ないのだ。すぐに忘れて次行こう」という態度で行くことにしたのだが、さすがにこのときは鬼のような自己嫌悪。
高岡市伏木北前船資料館

伏木港で船を持ち、大いに栄えていた秋元家の住宅が廻船問屋資料館となっている。

スタッフのおじいさんが親切に案内してくれる。



いやー、盛り上がってたんだろうなあ。町も港も人もすごい活気だったんだろうなあ。今はだーれもいない静寂の町なので、もうなんだか想像するだけで眩しい。

で、ここからがメイン。

急角度なのはもちろん、ミシミシと恐ろしい音がし、先ごろの地震なども思い起こし、結構危険なのかも、と冷や汗をかきながら昇る。

ここは望楼と言って、伏木の廻船問屋特有の設備なのだが、たかーいところに見晴らし窓を作って、船が帰ってくるのを確認したんだそうな。漁師たちが帰ってきたら盛大に祝わなければならない、そうすると準備にも時間かかる。できるだけ早くいつ帰るのか知る必要がある、ということで。なるほど。

この望楼昇りがかなり激しかったので、ワーとか怖いー、とか言い募っているうちに、夫婦はようやく通常モードに戻れた。ふー。

次の目的、高岡万葉歴史館へ、また誰もいない道を歩く。


あ、また和船が! 北前船?

なんで万葉を推しているのかというと、万葉集の立役者、大伴家持がこの地に赴任していたからだ。
かつて、高岡市の伏木の地には、奈良時代に越中国(現在の富山県)の国府が置かれていました。この国府に、わが国最古の歌集『万葉集』の代表的歌人である大伴家持が国守として赴任してきたのは天平18年(746)29歳の時でした。家持は越中の地に5年間滞在しました。そして美しい自然のなかで数多くの優れた歌を詠み、万葉集に残しています。(「富山観光なび」より)

ここもほとんど人がおらず。しかし静かで気持ちよい。陽も出てきたし!
すごい映像体験も独占できた。

次は越中国一宮 気多神社へ
またも静かな住宅街を抜け、てくてく。20〜30分くらいだろうか。寒い寒いといいつつ、1月の富山としてはかなり暖かいらしい。翌週、猛烈に雪が降ってたが……。

なので、高台。どうにか立山連峰が見れる!


地元の人はみんな、それぞれの山の名をすぐ言えるのかなあ? 剣岳はすぐわかるがそれ以外を瞬時に見分けるまで鍛錬がいるような気がする。
雨晴海岸へ!
で、いよいよ雨晴海岸へ。もうすでに結構疲れていて、ここから40分くらい歩くって……つらいんですけど。しかし交通手段は徒歩しかない。歩くしかない。山を降り、高校を抜け、トンネルを抜け……。





この道の駅にきたら、突然観光客が出現。しかも大量に。驚いた。ほとんどが中国か韓国の方々。そうだよね、近いもんね。彼の国ではこの辺は観光地として有名なんだろうか。氷見ぶりとか食べたりするのかな。ここでようやく休憩。国吉りんごジュースというものを飲んで、めちゃくちゃ美味しかったのだが(ようやくありつけた水分だったからか)、高岡市は国吉りんごという名物りんごの産地らしい。富山のりんごかー。なんだか意外。
で、道の駅の目の前が雨晴海岸。ようやく到着した!
ここです。
しかし天気は、時々晴れ、みたいな煮え切らない感じで…。

じーっと向こうを見つめていた夫が、「あ、そうか」と呟く。
「ここだけ晴れててもダメなんや。あっち(立山連峰現地)も晴れてないと」。
がーん。
そらそうか…。そうだよね!
ここで絶景は諦めた。あとは知らない土地を楽しむしかない。


帰りは最後の目的、氷見線に乗る。観光客でぎゅうづめで、窓の外も見えず…。写真も撮れず…。

至る所にある「絶景」パネル。とにかくこの眺めが最大の観光資源なのだ。でもおかげで私のような天気に失敗した観光客を慰めてくれる。
まだ富山県庁があった
諦めたつもりだが、富山市内はまあまあ晴れ、の予報を見て、どうにかならないのかなーとモヤモヤしながら富山に戻る。時刻は午後3時頃。ホテルへ向かって歩きながら、ふと都庁は無料の展望台があることを思い出し、こんなに絶景を売りにしている富山だってやってるんじゃないかと思った。そしてふと見ると、目の前に県庁が。「ねえ、なんかあるんじゃないの?」と入ってみたら、ありました! 無料の展望台が!


…と言いたいところだが、実は写真を見て驚いていた。「山が写ってる! こんなに見えてたの?」つまり、私は目が悪い。そしてメガネをすることに全く思い至らず、持っていたのにかけなかった。そして「ああ、やっぱりあんまり見えないね」と結論…。後日写真を見て驚く。何をやっているんだか…なんのためにメガネ持ち歩いているんだ…。
まあいいけどね。展望台にいた地元の人がおしゃべりで親切な人で、「あんたら、車で来たの? あ、違うの。車ならね、県庁の駐車場、ただだから。使いな」的な情報をたくさん教えてくれた。「今年は雪がないね〜全然ないよ」と腹立たしそうにも言っていた。やっぱり雪は降らないとだめなのね。降ったら大変そうだけど(事実、この翌週、全てのものが埋まるほど降っていた)。
ともかく、これにて絶景旅行は終わり。もう一回来ないとダメだ、と強く誓った。高岡市観光もできなかったし、冠水公園も行けなかった。とにかく見るところがたくさんあるのが富山なのである。
最終日も盛りだくさん
翌朝はまずチェックアウト前に宿から数分のところにある、日本刀の美術館、秋水美術館へ行き。


なにしろ美意識の塊みたいな美しい美術館だった。驚き。この美しい刀が、人を斬ると真っ赤になるんだなあと想像したらかなり怖かった。
チェックアウト後は内部が郷土史博物館となっている富山城へも行き。「説明パネルばっかりでつまらない」というレビューがあったのだが、事前に富山歴史本を読んで、でもただ史実を並べられてもなー。いまいち頭に入らないなー、と思っていた身には復習することでぼんやりしていた知識の点と点がつながり、「ああ、そういえば書いてあった」とか「そうかここで前田利家がね…」などとすんなり理解できて、とても有意義だった。勉強って、やっぱり二度三度、いろんな角度からやらないとダメなんだよな。


人形が伝票がわり(だったと思う)
岩瀬浜にもいく
廻船問屋研究の一環。路面電車に乗って北上していくと、終点、岩瀬浜に着く。ここもかつては栄えた湊の一つ。しかしやはりここも人はいなかった…。


「馬場家」住宅を見学。「森家」は被災してクローズ中。馬場家もちょうど消防士がいっぱい集まって物々しく点検していた。


富を成した人にはそれなりの責務があるんだろうなあ、と責務のない人間が想像する。



富山駅帰還

さて、ようやく東京に帰ります。目的は果たせなかったが、楽しい旅だった。富山、おすすめです。そういやNYタイムズのおすすめ旅行地に選ばれていたっけ。