独楽ログ〜こまログ〜

50代、女性、日本人、がひとりで毎日楽しくすごす方法を検証、実践、そして記録。

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8月のこなログ 前編

夏バテと夏痩せと筋トレ

 というわけで酷暑続く。7月後半のときにも「え…まだ1ヶ月以上夏があるの…」と思ったけど、8月にもさらに強く思う。「こっから1ヶ月か2ヶ月…」。アトピーもひどくていつも顔が真っ赤だし(チークを入れる場所だからちょうどいいのか? いやよくない)、寝れないしで、まあ、ひどい。しかし筋トレをしてからは壮絶な食欲不振はなくなった。そのぶん全然痩せなくなったけど…。

 というか、もう体重測るのやめた。ついに。筋トレをしたらお尻があがり、そのぶん太ももが細くなり…というか、お尻の一部が太ももになってたんだな、今思うと。それでたいていのボトムがすんなりはけるようになったのである。変な体型だったのでウエストはがばがばなのにお尻〜太ももがぱつぱつ、ということが多く、安心して履けるボトムが少なかったのが最大の悩みだった。それが首や肩の痛みを治すために通っていた接骨院でトレーニングを受け、片脚スクワットを始めたらお尻があがった。お尻があがったの、人生初めて。そしたら太もももきつくなくなった。なるほどね〜! お尻が下がって太ももになってたんだ! と驚き、真面目にトレーニングを続け、区のジムにも行き始めてダンベル片脚スクワットもはじめたら、ますます上がった。

 で、同時に好きなように食べてもいて、当然ながらおなかまわりがだんだん余計な肉がつき始めてきたのだが、もうダイエットをするのにつくづく疲れた。もう我慢する気力がない。明らかな脂肪は無視し、計測もしていないのだが、肉がついてもボトムはするっとはける程度におさまっている。「じゃあいんじゃないの?」と思った。「洋服が似合わない」「履けるボトムが少ない」がダイエットする理由だったのだから、とりあえず履けてるからもういい。

 

 我慢するって、本当に脳エネルギーを使う。十代後半から五十代始めまで、いやもう本当に我慢していた。食べたい、食べちゃだめ、の繰り返し。それでうまく我慢できたとしても、頭の中は食べ物でいっぱいなので、そして思う通りに痩せないので達成感は微塵もない。しかも私は料理好きなもんで、食べちゃダメ、となると「なら食べてもいいものはなんだろう」とローカロリーメニューの開発に夢中になってしまい、つまり結局食べ物のことばかり考えてしまうのである。そうやって思考を食欲に乗っ取られていると、飢餓本能が発動して身体は絶対に脂肪を落とさないのだそうだ。体感として、それはそうだろうなと思う。忙しさや病気で食べないとするっと痩せるけど、食欲と闘いながらダイエットしても本当に、全っ然痩せなかった。

 お金がないと、お金がないこと、やりくりすることで脳エネルギーを使い切ってしまい、新しいことをするなど他のことを考えつけないらしい。確かに自分も食べ物やお金、その他考えても仕方ないことばかり考えて、それ以外のことを何もできてなかったなと思う。思えば虚しい若者だった。

 歳を取ったら、物欲と食欲が俄然なくなり、欲望と戦う時間が減ったらきもちに余裕ができた。トラブルが起きると、以前は悲嘆してパニックって絶望して対処に無茶苦茶エネルギー使ってたけど、今はうんざりしつつも、「まあたいしたことではないし」とか「一個一個処理すればいい」などと思える。それで自分は、どんなことも実際以上にシリアスに、面倒に考えがちなんだなということにも気づいた。「面倒だけどたいしたことではない」と思うようにしてみたら、本当にたいしたことなかった、ということが起きた。まあ、こういう傾向は要はADHDのものらしいのだが。

 とにかく頭の中を乗っ取られやすい。なにかにこだわり出すと、それだけになる。それがいい結果になることもあるだろうが、自分の場合はよくないことの方が多かった。嫌なことが起きたりすると、延々と脳内再生し続けて鬱の一歩手前まで行ってしまうのだ。「あ、頭、乗っ取られてる」と自覚できたのは去年(遅!)。でも自覚できただけで、なんか人生変わった。それぐらい大きな発見だった。

 今年は目に見えて老いを実感することが多いので哀しくなるが、悪いことばかりではない。今の脳には余白があると思う。

 ちなみに、下半身太りを矯正する方法とか良い姿勢を手に入れる方法とか、20年以上本と雑誌を読んで真面目にあれこれ実践してきたけど、なにも得られなかった。そしたら町の接骨院の運動・姿勢指導で矯正できた。これもなかなかの衝撃だった。

 いろんな雑誌や本に書いてある「美しい姿勢の基本はかかと重心(かかとに体重を載せる)」という説の正反対のことを先生は言う。「膝は軽く曲げて、気持ち、つま先に体重を乗せるんです。で、前のめりになりそうなところを腹筋で支えて直立を保つんです」。「え?」と思ったけど、そのルールでやってたら腰痛・四十肩も改善し、しかもお尻が上がったのだから、自分にはこっちがあってるのだろう。私が二十代三十代ついでに四十代の努力は全て無駄だった、と‥。

…と、妙に長い語りになってしまった。以下、こな日記。

8月1日

ハムサンド

ハム、ちょっと贅沢に3枚くらい!

8月3日(日)

しらすトースト1

すごいテキトーな載せ方。暑くて死んでたから‥

8月4日(月)

ベーコンチーズトースト

なんでテーブルで撮ってないんだろう??

真夜中の『映像の世紀バタフライ・エフェクト

 とにかくこの夏は不眠との戦いだった。それに尽きる。

 眠れん。ぜんっぜん眠れん! 9時にベッドに入ってうとうとして10半は11時にはっ! と起きて、そこからもうだめ。1時に起き、2時に起き…3時にようやく眠って4時にアラームが鳴る。やっと寝たのに! と思うが、4時ジャストにオンライン英会話の予約をとらないといけないので、起きないわけにはいかない。どうにか予約をとったあと(とれないことも多い。争奪戦なので)また寝床に戻るのだけど眠れるわけもなく。しかし眠い。眠れないけど、眠くてたまらないので、本来の起床時間だけど起きたくない。いやもうとにかく暑いし! クーラーつけてもホットフラッシュで暑いし、つけすぎると寒くてだるいし、「健康の基本はよく寝てよく出す」「よく寝ればだいたいの困難は乗り越えられる」と信じている自分としてはなかなかの地獄であった…。

 

 更年期障害が始まったばかりの頃、数年前。ホットフラッシュで突然大量の汗で夜中に飛び起きて眠れなくなって、めちゃくちゃ驚いて「これはなに? 病気なの?」とちょっと中途覚醒したくらいで大慌てしていたのだけど、そこはさすがに通り過ぎて、起きたらとりあえず元気だし、もういい、眠れなくても、眠れたら寝ればいい、とマインドチェンジ。さらに本当は眼精疲労がすごいので目を使いたくはないのだが、寝れずに寝床に居続けるのはよくない、ということでたまっているテレビの録画や映画を観ることにした。

NHKの『映像の世紀バタフライエフェクト』。観てない録画がたまっていた。いつもけっこう衝撃を食らうので生半可には観れないのよね…。このシリーズのおおもと、『映像の二十世紀』を最初にヒストリーチャンネルで観たときの衝撃ときたら。タイトルの意味は、「起きた出来事を映像でおさめることができた初めての世紀、それが二十世紀」ということ。世界の出来事を映像で解説する。世界大恐慌ベトナム戦争アウシュビッツアメリカの赤狩り公民権運動、第一次世界大戦第二次世界大戦、その戦後etc. 歴史で習ったはずのことばかりなのに「まじで? こんなこと起きてたの?」という、自分の無知ぶりにも衝撃を受けて二重の打撃。それまでとにかく小説、映画、漫画とフィクション命みたいんなところがあったので、ここで語られてることすべてが「事実」ということに打ちのめされたんだなあ、今思うと。(事実は切り取り方で変わる、というヤツはとりあえずわきにおいておく)。そしてそれらをすべて映像で観るということの衝撃は何倍にもなる。文章でもなく写真でもなく動画。

 この夏は特殊技術でモノクロしかない第二次世界大戦頃の映像をカラー化して、ヒトラーの時代を振り返ってたけど、あれもすごかった…。動画ってだけで迫力が違うのに、さらに色がつくといきなり現実感が増す。モノクロだとどうしても「過去のこと」「歴史のこと」と遠くなるが、カラーになると「ついこないだまで生きてた人、出来事」になっちゃう。カラーのヒトラー………生々しい。(↓写真、上から二番目)

 

とくに夢中になってみた回。
どれもいちおう知識として知ってたけど、詳細は知らなかった。

 本物の戦争、死体の山、銃撃戦…。今の世界もしっちゃかめっちゃかだなあと思うが、世界は昔からしっちゃかめっちゃかだったんだ、と改めて。

なかでも私的に最もすごかった回

 私は80年代に十代だったので、映画『ラスト・エンペラー』はもちろん観た。映画館で観た。で、彼の人生がすごいから、ということで本が話題になっていたのも知っている。が、映画はまあまあ面白かったけど(今観ると違うのか?)、すぐに忘れてしまったので本まで深堀ろうとはしなかったんだよね……しておけばよかった。いや、あのときしてもここまで衝撃は受けなかったんだろう。

 で、今回この映像の世紀で改めて本物の溥儀を観たわけだけど、彼を演じたジョン・ローン、男前すぎるでしょ、とまず憤慨。あんなにハンサムじゃこの人の悲劇は描けない。奥さんも、『ツイン・ピークス』にも出ていた激美女だったけど、あんなにきれいな人じゃあ、”なにもできないから結局阿片中毒になって崩壊していく”という壮絶な過程は描けないのでは? リアルさが皆無。

 幼少の頃に勝手に皇帝にさせられて、勝手に退位させられて、自由もなにもない人生のなか、じゃあどうしたかというと、贅沢をするために紫禁城にあった宝物を片っ端から売っていたという、まずこの誇りもかけらもない生き方がすごいし、そこから「皇帝」の名が欲しいためだけに満洲国皇帝になり、いいように操られ、そして終戦後、日本側の人間=戦争犯罪人として刑務所へ。そこで徹底的に思想改造させられ(国家的実験だったらしい)、反省の日々。そして大病に襲われ……。二転三転、とただただ運命に翻弄され、そして自分の力ではなにひとつ逆転できないまま、結局、転向して忠誠を誓った国に見捨てられて果てる。とてつもなく悲しい人生である。 

 この悲しい人生の主が、実際はジョン・ローンとは似ても似つかないモヤシのような貧相なルックスだと動画で見せられたのがこの「ラスト・エンペラー 溥儀 財宝と流転の人生」の回だった。何度も書くけど、動画の威力はすごい。「この人が…」という事実の重み。本人が動いて、歴史を作っている場が観られるのだ。俳優ではないし演技もない、と言い聞かせつつ観る。やっぱり自分、映画観すぎなんだろうな。いつも「でもこの人は俳優だし話はフィクションだし」という頭で見てるから、そうじゃない映像というものに慣れてないのだ。

 ………というような歴史スペクタルを熱帯夜、「眠れない…」と言いながら観ている夏だった。なかなかない体験なので2025年の夏は、と覚えていそう。

 

8月5日(火)

挽肉カレートースト

前日の昼ごはん、挽肉カレーを載せた

8月6日(水)


タマリンドスーププレート

 タマリンドを入れた酸っぱいスープ(つまりラッサむに野菜と肉を入れた)とチーズトースト。これも前日の昼ごはん。

 

8月7日(木)

なんだろなーロデヴ?

多分、高加水で作って、失敗したんだろうな。

ハムチーズプレート

まあでも焼きたてだから味は美味しい

8月8日(金)

『よくわかる神仏と人物のフシギ』展@静嘉堂文庫、丸の内

夏休みの子供用展覧会なのかな?

 毎週行く丸の内にあるのに一度も行ったことがなかった静嘉堂文庫。明治安田ビルにあるんだね。そしてこの明治安田ビルの豪勢さに改めて驚く。生命保険会社ってのは‥と怒りをたぎらせる一市民。

ビルもすごいけど、美術館もかなりすごかった
金ピカゴージャス。

 日本絵画の「見方」を懇切丁寧に、そして平易に教えてくれるという。

目玉はこの聖徳太子絵伝。
聖徳太子のレジェンドエピソードを一枚にまとめた

で、ここに各エピソードの解説。

これは普通に大人向けに解説しているが、

中の展示はこんなふうに無茶苦茶平易に教えてくれる!

 なので、どの絵も「へー!」「そうなんだ!」ばかりで社会科見学に来た子供のような気持ちに。大変面白かった。‥いや、自分は社会科見学に出かけて好奇心いっぱいに目を輝かす、とかいう子供ではなかった、そういえば…。

 二十代三十代を虚しく過ごした、とか書いたけど、十代も虚しかったな。団体行動が嫌いだったから「めんどくさい」となにも目に入れてなかった。なんか突然、三十過ぎてから、周囲を見回すようになったのだ。なんでだか今でもわからない。突然、急に、好奇心というものが生まれた。「あっ、私、生まれ変わったかも!」と思ったことは覚えている。で、周囲に「あたし、生まれ変わったよ!」と言って回ったけど、みんなキョトンとしてあまり反応してくれなかった。何しろはっきりした理由はなにもないんんだから、それも当然なのだが…。でもそれ以来、今まで素通りしてたもの全て、「これって面白いのかな?」と立ち止まって見てみるようになった。そしたら、世の中がいきなり面白くなったのだ。

 

曜変天目茶碗のグッズがすごい

 静嘉堂文庫美術館といえば、国宝「曜変天目」の茶碗。焼成中にナニカが起こって出た紋様のことだ。

 

これがその茶碗。美術館よりお借りしました

曜変天目(稲葉天目)
南宋時代(12~13世紀)

曜変天目は建窯の黒釉茶碗で斑紋の周囲に青色を主とする光彩があらわれたものをいう。本来、「曜変」は「窯変」を意味し、しだいに輝きを意味する「曜」の字が当てられるようになった。完全な形で現存するものは、国内に伝存する3点のみ。

静嘉堂文庫美術館HPより

 

 ということである。で、これを元にグッズを作るのだが、

シャツ、スカーフ、ポーチ‥となにを作ってもインパクトあるものができてしまう

帽子はひと技きかせて(?)、表側は黒。裏に曜変天目。チラッと折って好きな分量を見せることができる…。

ちょっと怖いような…。下にはネックレスもある。これはアリか。

 自分語りがすぎて長すぎるので、本日はここまで。続く。