独楽ログ〜こまログ〜

50代、女性、日本人、がひとりで毎日楽しくすごす方法を検証、実践、そして記録。

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スペイン旅行記その3 〜今度こそ宿を決めよう、そして泥水を浴びることについて

Airbnbでの基本フィルター

 

 贅沢は求めないのですが、どんな家でもいいわけではもちろんなく、いつもAirbnbで部屋を探すときはフィルターをかけます。私の第一条件は、まず、スーパーホストであること。

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Airbnbの宿泊先検索画面。場所と日時を指定すると、この画面が現れます。いろいろな条件を指定することができますが、なにはともあれスーパーホストにチェック。安心安全なんてくそくらえ、おもしろい人に出会いたい、という人はもちろんチェックをはずします。

 

 

 スーパーホストがいいのは、とにかく客を迎え入れ慣れていてほしい、という意味からです。世界中のあらゆるところから、常識の違う見知らぬ人を自宅に笑顔で招きいれることに慣れている人。つまり、懐の広い人をぜひ、という、なんか勝手なリクエストです。同じ意味で、レビューの数は最低20くらいは欲しい。これくらい経験していれば、そうそうささいなことで驚いたり怒ったりはしないよね、と…。

 

 そして、さらに勝手な希望は、レビューの星評価がパーフェクトな人。連絡の確実さ、清潔さ、ロケーション等、4~5くらいの項目に分かれていて、それぞれ5段階評価なのだけど、この星もすべてパーフェクトな人を求めます。とくに清潔さとか、日本人の清潔さとその他外国人の清潔さって、レベルが違うなあ…とよく外国で思うので、どれだけレビューに「very clean」と書いてあっても、鵜呑みにしちゃいかん。ほぼすべてのレビュアーが、「absolutely clean !!」とうなっている家主さんを探し、とくに清潔さの項目で少しでも星が欠けている家は、残念ながら除外します。やはり宿は豪華でなくても清潔ではあってほしい………。

 

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↑このお宅はすごいレビュー数ですね。そしてすべて5つ星。145組のお客さんみんながパーフェクトと評価しているというのはちょっと驚異的。

 

キョンキョンは言う 

…と一生懸命書きながら、こういうところがだめなのね、と思ったりしたりして。昔、キョンキョン小泉今日子)がアフリカ旅行したときの話。「テントのホテルで、シャワーが泥水で、もう笑っちゃってがんがん浴びて真っ黒になった」(大意)とか言っていて、キョンキョンはいつも常人離れした発言をするけど、このときも深く深く感心したのを覚えてる。もう20年くらい前だけど。「こういう心持ちで生きてると、楽しいだろうなあ。かっこいいなあ」。

 

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⇧中学生のとき買って、死ぬほど見返し、読み倒した革命的写真集『小泉記念館』。人間魚拓だの、力士に抱っこされてるだのの写真も強烈にかわいかったけど、インタビューが正直で冴えてて、本当にかっこよかった。右は、その数年後に買った『人生らしいね』。なんとオリーブの本、だった、今見たら。その文字も経年劣化で消えかけてるけど…。うう、歴史…。

 

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⇧当時二十代はじめだと思うが(いや19とかか?)、その言葉ひとつひとつが、すごくフツーで深かった『人生らしいね』。当時の私は、「なんかかっこいいことを言っている」と思うだけで、共感はできなかった。よくわかんなくて。でも今読んだら、見事にすんなり入ってきた。キョンキョン、すごいね。達観しているというか別次元というか。この本でも、旅行に出て、がんがんトラブルに遭いたいとつぶやいています。

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⇧ふふふ。ついでに自慢。キョンキョンは、20年以上やっていたライター人生で、自分でブツを持参してサインをお願いした、唯一の人です。サインって、なに?と今まで意義を感じたことなかったけど、今こうしてみると、恥をしのんでお願いしてよかったなあ、としみじみ。

 

また激しく脱線してしまった。

 

 吟味に吟味を重ねた結果…

 …とはいえ、泥水を浴びるわけにもいかんでしょう。

 再び、我に返って宿探し続行。レビューもじっくり読み込みます。とはいえ、英語と日本語しか読めないけど…。ああらゆる口コミ情報の基本は、レビューをじっくり読むこと。だと私は思う。

  同じ星5つでも、レビューを読み込まなければ、その商品が本当によいのかはわからない。気の抜けたビールのような薄いお世辞を書いて5つ星つけている人もいれば、どれだけその商品を使い倒しているか、熱く語って星5つつけている人もいる。競合品をいくつも試した末にこのレビューを書いているのか、はたまた初めて買ったものなのか。さらに、レビュアーの目的が自分とかけ離れていたら、星5つでも私には無意味だし。なので何本も熟読しなければいけない。何本も読むと、その商品の全体像も見えてくる。英語だとニュアンスがいまひとつ伝わらなくて、“アツさ”を判断するのも難しいのだが。

  滞在者がほぼ100%満足していることのほかには、プライベートバス、できればバスタブつき、キッチン使用可能、洗濯機あり、などが条件としてあげられる。使用言語はもちろん英語。それでも、部屋の説明をスペイン語で書いている方などは、たとえ「使用言語 スペイン語 英語」とあっても、「これが読めない人は来ないでね」という意味なのだと判断して、パス。

  キッチン使用可と言うのは、別に料理がしたいわけではなく、夜中にお茶飲みたい、と思ったらお湯わかしにいきたいな、という意味です。で、出先で買った冷蔵もの…チーズとかヨーグルトとか惣菜とか…を冷蔵庫に気軽に入れたいなとか。あと、バターやチーズをお土産に買う可能性が高いので持参した保冷剤を冷凍庫で凍らさせてほしい。

 さらに言うと、キッチン&冷蔵庫まで旅人に開放するような人は、まごうかたなきオープンマインドの持ち主だろう、という期待も含まれています。「この部屋使ってね。でもこことこことことは立入禁止ね。あ、ここもね」と言われてしまうと、なかなかくつろげないですよね…。もちろん宿主さんの部屋を見せてくれ、とは言いませんが…。わがまますぎ?

 

 そしてさらに重要なのは、水回り。バス・トイレが専用であると、たとえ見知らぬ人の家でも、気楽さ居心地のよさは格段にあがると思う。そしてこれが難しいのだが…できればバスタブが……欲しい…。10km20km平気で歩く旅行中の私(なぜ?)。必ずやぼろぼろになる。そして季節は冬。シャワーオンリーは寒い! お湯ためて浸かりたい! しかし欧米の家でバスタブついている家って……すごく少ないのですよね。いざとなったら妥協しよう、前回同様、アウトドア保冷バッグに何重かにしたビニール袋をいれ、そこにお湯をそそいで足湯をすればいい(←すっごく効果的でよかったです。シャワー後で足は清潔だし、ビニール3枚くらい重ねてるから汚くない、と思っているのですが…)と思いつつ、ひたすらに浴槽のある部屋を探し続けること数時間×数日。数日やってると、本当にうんざりしてくる。ここを問わなければもっと全然早く見つけられるのだが…。

 

 最後に、わくわくする部屋、というのもはずせない。豪華さや贅沢さは求めないけれど、「なんか居心地よさそう」という感覚は欲しい。自分の直感が信用できないと前回書いたけれども、私はこと部屋および住居に関してだけは、わりと勘が働く。家を借りるときも買うときも、部屋を借りるときも、決めるべき部屋が現れると「ここだ!」とひらめき、そしていままで、だいたいそれは実際、良い部屋だった。なので、ここだけは迷いはない。

 

 以上の条件をもとに、バルセロナで1部屋、マドリッドで1部屋、「これは」という部屋を見つけた。ほんとにこんな素敵な部屋と条件で、1泊1万円以下なのかな? と半信半疑で、メールでコンタクト。そしたら。

 

 断られてしまった!! 

  注文つけすぎ? いや、それは伝わってないはず…。でも、どちらも1月中旬のスケジュールは空いていた。だが、バルセロナの男性は「その時期、ロンドンに行ってしまうんだ。ごめんね」と書いてきて、マドリッドの女性は「そんなに先のことはわからない」と……。そうね、そうだよね。これはまさに個人宿ならではの断り方、と妙に納得してしまった。今までのAirbub体験はたった2回。でもどちらも、瞬速で「大歓迎だよ!」と返事をくれていたから、うっかりそういうものかと思っていたのでした。  

 なのでまた検討再開。うー、なんかもう、目と頭が痛んできて、どうでもよくなってきた…。もう部屋見るの、嫌。ていうか、2人に断られるなんて、悲しすぎる。やっぱりこの旅、不吉なのかなあ……?

  だが結局、粘ったおかげで、マドリッドでは前以上に素晴らしい部屋にめぐりあえました。「アートに囲まれた部屋」と銘打つだけあって、アンティークな雰囲気のこれぞヨーロッパ、なアパートメントに、趣味のよい絵画や調度品が点在し、もうめっちゃくちゃ素敵。プライベートバスもバスタブもある! 心配なのは、2人まで滞在OKなのだけど、ゲストルームと称して写っている部屋のベッドが、どう見てもシングルなこと。もうひとつ部屋があるのかなあ? でもどう探してもそれはなさそうな…。

 ともかく、レビューにあった「私たち夫婦はここで快適な日々を過ごし…」という一文を信じて、大丈夫なのだろう、とここに申し込んだ。あともうひとつの心配事は、あまりにも家全体の趣味がよすぎて、この初老のやせた宿主の女性=マリアが、ちょっと怖く見えるというか…。私たち、この方のおメガネに叶うのかな?と。

 

 しかし、マリアは速攻で返事をくれた。「楽しみにしてるわ!」。ああ良かった、今度は大丈夫だ。どんなことでも、「拒否される」って、けっこうこたえるものですね。ああ、マリア、ありがとう。

 

エクスペディアに負けて

 そしてバルセロナはホテルにしてみました。航空券を買ったエクスペディアの連日のDM攻撃がすごくて、「航空券を買ったあなたには、ホテルも格安で提供!」という言葉につられてしまったのです。まあちょっと見てみようかなあ、という程度だったのですが、オフシーズンのバルセロナのホテルは、どこもかしこも割引だらけ。まあホテルの価格なんてあってないようなもので、元値としている価格もどこまで真実なのかはわからないのだけど、それにしても30~40%引きは当たり前、70%とか、あげくの果てはただ、とか。ただ、フリー。無料。これはよくある、航空券だけよりも、航空券+ホテルのほうが返って安いというわけのわからないシステムの一環なのでしょう。

 

 ホテル探しでも同じような基準で口コミを読みまくります。しかし価格は節約モードなので13000円以下。1万円以下でみつけられたらうれしいなあ。さすがにそれは無理?

 まずは「評価の高い順」に並べ替え、上から順に攻める。エクスペディアのレビューはすくないので、リンクしているTrip Adviserの膨大なレビューも読む。みんなが撮った膨大な写真もいちいちチェック。素人の、素人が散らかし、かつ笑顔で写ってるホテルの部屋の写真って、あまりにも現実的で夢がないけど、そのぶん真実がわかる。

 

 レビューを読み込んでみんな満足してるみたい、と思ったら、今度は部屋のディティールチェック。部屋の広さは25㎡以上。バスタブつき。交通至便。なにしろ言葉のわからない国なので、「どこいくにも便利」とみんなが言ってる場所がいい。できればティー&コーヒーセットつき(つまり電気ポットということ)。

 

 ここでもやはりバスタブ付き、をクリアするのに難儀するが、しばらくモニターを睨んでいたら、掘り出し物のようなホテルを発見。上記の条件をクリアして、でも「すごくおしゃれ」で「この値段でこれだけついてるのはすごい」とみんな絶賛している。「また泊まってもいい」。へー。難点は「おしゃれだけど、けっこうボロいのが目立つ」。「おしゃれだけど、いわゆる豪華ホテルではないので、フロントのあっさり感など、新婚旅行には不向きかも」。

 私は建物の古さは全く気にならないし、新婚でもないので、このデメリットは完全クリア。しかも価格は1泊7千円。うわー安い! すごい! air B&Bより安いかも価格だ。スペイン広場目の前で、万が一迷ってもすぐ帰れる。よし、バルセロナはこの「Bホテル」に決定。

⇧Bホテルのバスルーム。浴槽つきってだけで感激なのに、なんとシャワーはハンドシャワーだった! 変におしゃれなデザインだったけど。ありがたかった。

 

 それにしても、本当にホテルの価格ってわからない。バスタブつきのほか、25㎡以上という条件もなかなか難しかったのだが、1泊3万するようなホテルでも、部屋は20㎡とか、ざらにあるのだ。まあ、ゴージャスなロビーやレストランがついてるとか、なにかしら豪華なのだろうが、肝心の部屋が20㎡以下ではお話にならない。…と思うのは居住空間に妙にこだわる少数派の意見なのか? ホテルは寝に帰るだけなのだから、狭くてもいい、それよりもホテル全体が素敵かどうかが肝心、ということなのだろうか。でもさ、20㎡って、クィーンサイズのベッド1台だとしても、あとはスーツケース広げる場所にも困るような広さだよねえ…。一等地だから狭いのは我慢して、ってことだろうか。

 

 しかし、疲れきり、不安にさいなまされたまま予約ボタンをクリックした私は、やはり過ちを犯していたのでした。つづく。

スペイン旅行記その2 宿を決めよう〜1、そして人間の決断について

嫌な予感だらけの旅行計画って…

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バルセロナの宿、Bホテル。広い、快適、便利、安い、おまけにバスタブつき、と超おすすめです。

 

 手元が狂って夫婦ふたり旅行なのに、私だけビジネスクラス、という妙なことになってしまったが、とにかくこのキャンセル不可の格安航空券を買ってしまったのだから、なにがなんでも2か月後には旅立たなければならない。ふたりで20数万の航空券がキャンセル不可って、かなりのプレッシャーです。みなさん、絶対、旅行行ってるんでしょうか? いけなくなったー、って泣きながらキャンセルしたりしてるんでしょうか? それとも格安航空券を数ヶ月前には買わないのかな?

 

 ずいぶん早く決めた感がありますが、私はいつも10か月前とかに航空券買ったりするので、「突然、すごく遠いところへ行くことにした」感じで、もろもろ不安でした。1月って、なにかなかったっけ?とか、ほんとに行けるのかな?とか。クリックするとき、ほんとはやめといたほうがいいのに、無理やり押した感じです。そして予定外の大出費。はっきりいうと、「嫌な予感」しかなく、そんな旅行やめれば?という声も聞こえてきます。

 

日々衰える決断力

 最近つくづく思うのは「決める」ことの難しさ。

 40代に入ったら、急になにも決められなくなりました。それは「今日は休み。散歩に出かけて本屋とカフェに行こうか。いや、丸の内まで行って映画を観ようか。いや、上野であの展覧会か? 違う、家でたまっているスカパーの映画録画を観るほうが先?」とかいう、日常の決断が、全然できなくなってしまいました。どれも一長一短なのです。

 考えすぎてうんざりし、せっかくの休みの午前中がどんどん消費され、あげく「どこにも行かない」という結論。ほかにもランチにサンドイッチを食べるのかカレーを食べるのかとか、お菓子を作るのか保存料理を作るのかそれともヨガをするのか、とか。「なに? なんでなにも決められないの?」とぞっとしつつ、解決策はないまま40代も半分以上すぎている…。

  

 大きな決断についてもそう。つまり、これからどうやって生きていこうか、という決断も、全然できないのです。長年生きてきてようやく、「人生の正解はとくにない。自分で決めればいい」ということが骨身にしみてわかってきました。いろんな人が、それぞれの自説を唱えるけど、全部正解なんだなと。ぼろぼろになるまで働いたっていいし、のんびり暮らすことを優先したっていいし、他人とのつきあいを避けてひとり遊びに明け暮れてもいいし、大勢の人間と楽しくつきあうことを生きがいにしたっていい。周囲の反対を押し切って無理めのやりたいことを貫くもよし。己の領分をわきまえて、分相応に慎ましく生きるのも美しい。自分の心が定まっていれば、別に理屈はあとでついてくるし、覚悟のある人=定まってる人は、なにをやっても(と言い切ると語弊がありますが)それなりに正しい。

 それはようくわかったけれど、私にはいまいち覚悟というものがないらしく、それであの道もいいけど、この道も悪くない…とランチを選べないのと同様、ふらふらふらふらしてしまうのです。

 …なんか話がどんどん大きくなっていますが、このふらふら感はあらゆるところに作用していて、こんななので、直感も信用できないのです。ときどき訪れるこの「嫌な予感」も、従うべき正しい直観なのか、それとも単なるへたれ精神による無用の不安なのか、判断つかない。

 とくに、ここ十数年で、「感情に従うとだいたい間違う」という鉄則を発見してからは、とくに。「こんなにやりたいのだからやっていいのだろう」「こんなに食べたいのだから体が欲しているのだろう」「こんなにうんざりするのだからやめていいはず」…とかいう、“自分の強い感情”を信頼して決断すると、結果、だいたい間違っていた。あとでたいてい、後悔した。「あれはただあのとき、感情が暴走していただけだった。正しいことではなかった」と何度も痛感したものです。なので、「感情で動くな」というのも、近頃の鉄の掟のひとつです。

 

 でも、「感情で動かない」なら、いったい何を基準に動けばいいのか?

 

 若いときは、怖いものしらずだったから、いろんなことがびしっと明確に定まっていた。今思うと、“怖いものしらず”、ではなく、単なる“物知らず”だっただけなんだけど、そのぶん迷いはほとんどなかった。

 

 今回はとくにこの「嫌な予感」が強くて、航空券と宿を探し続けている数日間、ずっと重くのしかかっていました。「今は行くべきではないのかも?」と。感情的にも「すっごく行きたい」「今はやめとけ」がせめぎ合っていて、まるで判断つかない。

 ですが、結局決行することにしました。「これは単なるびびりであって、第六感ではない」と無理やり決断したのです。根拠はないです。「こんな不安に負けていてはどこにも行けないではないか」という理屈1本。気分としては目をつぶって飛び降りるような感じです。

 こんな無駄な格闘をしていたりするので、楽しいはずの旅行計画が、どんどん修行めいてくるのですよね…。あほか。まあ、こういう気分の上下も旅行の醍醐味の一部。と、無事旅行記を書いている今は、思えます。よかった。間違ってなかった。

 

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 ↑マドリッド、マヨール広場付近。ヨーロッパに来たなあ、という街角。通りに必ずこんなかわいいプレートがついている。だいたいは人の名前なんだけど、この二人組は…兄弟? …と思いつつ調べたら、bordadoresとは針仕事をする人、だそうで、絵のまんま…。そういう仕事の人がたくさんいる通りなの(だった)のね。

 

ようやく宿探し開始

 ようやく心を決めたので、宿を探します。航空券で贅沢したので、宿は節約しないと。というか、不思議なのは、昔は飛行機はビジネス、宿もできるだけ非日常的な豪華ホテル。全泊でなくてもいい。せめて1、2泊は、などと思っていたのですが、今は豪華ホテルに対する憧れが皆無になりました。リゾート地の「なにもしないバカンス」もほぼ興味なし。なので、宿は最低条件を叶えてもらえれば、あとは普通で…という穏やかな希望です。Airb&b大歓迎。ふだん、他人となるべく関わらないよう生きていて、ホテルのほうが全然気楽なのですが、「え、誰かの家のほうがおもしろいだろ?」という夫の発言に、そりゃまったくその通り、ということで、民泊の、しかも家主と同居で個室を借りるタイプに的を絞りました。

 知らない外人の家に泊まる。これもなかなか命がけで、いつも行く前に「殺されるかもなあ」と覚悟していきます。これは不安ではなく、気合いのようなもの。「そうなったらそれが私の運命なのね」と、心を決めます。また、個人の家にお邪魔するのだから、相手の気持ちを考えすぎて疲れきる可能性もあります(←人の顔色を伺う性格)。これならホテルのほうがよほど気楽だった、と後悔する可能性も高い。しかし、これもあえて決行です。

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↑このメーカーのヨーグルト、激うまでした。マドリッドの観光市場、サンミゲル市場にもあって、いろんなトッピングを用意していたけれど、プレーンでいい。プレーンがいい、という感じ。左のマンゴーソースが上に、ベリーソースが下に、というのもおいしかったけど、ちょっと甘いかな。無糖のナチュラルが真価を発揮するような気がする。

 

次回こそ、ほんとに宿探し篇。

 

スペイン旅行記〜その1 航空券を探す、そして人間の習性について

オフシーズンの激安チケットは、11月が買い…なのか?

 

 航空券と宿の手配が確定すると、旅行が始まります。これを確定しないことには、いつもの旅妄想と変わらない。今回は、わりと予定外に決まりました。なぜならば、あまりにも航空券が安かったからです。

 

 最初は、ANAバンクーバー、ホテルつき、3泊5日 5万円(←価格かなり曖昧。ただ、見たことない価格だったのは間違いない)とかいうのを見つけて、えー、となり、しかし、バンクーバーに全く興味がないんだよね…と夫に話したところ、「なにその値段。俺は知らない場所はどこでも歓迎だ。行こうぜ」と、話が急に現実化してきました。彼はどうも働き詰めでストレスがたまっていたようです。

 それで一度行く気になったのですが、バンクーバーというのがひっかかり…。かの地に罪はないのですが、(当時の私にとって)食べたいもの、見たいものが全然ない。しかも、調べてみると、旅行予定の1月は雨ばかり、との情報。在住者でさえ「とくに行くとこないんですよね」などと書いているし…。どんなに安くたって行けばお金は使うわけで、それならあれほど行きたいと願っていたスペイン、イタリア、モロッコになぜ行かない? となって、心機一転、航空券を真剣に探してみました。すると、

 
 アエロフロート 東京⇔バルセロナ 45,000円

 

 という衝撃価格発見。これが11月はじめ。その数日前まで、カタール空港で22時間かけていくスペイン、58,000円などという数字に驚いていたので、目を疑いました。しかもこちらはトランジット含めて17時間。どんどん底が下がっていく…。国内旅行より全然安い…。格安航空券業界というものを、それまであまり知らなかったので、こんなこと起こりうるのか…と認識を新たにしました。今、世界情勢…とくにヨーロッパが不安定というのも大きいのでしょう。もう海外旅行、とくに観光名所に行くのは、命がけの時代です。しかし、子供のいない私はなにも守るべきものがないので、こういう人間こそどんどん行くべきだろう、行きたい場所があるのなら、という感じです。

 

 スペインに行くときは初夏かな、だって地中海のある国だもんね、太陽がさぞ美しいだろう…などと考えていたのですが、それはみんなも同じことで、真冬には誰も行きたがらない。でも、だからこそ安い。エアも安ければ、宿も安い。観光名所もがらがら(のはず)。

 素晴らしい気候のなか、高いお金を出して、観光客にまみれて旅するのか、
 真冬、街歩きにも苦労するような寒さのなか、どこへ行ってもすいている、そして経費が格段に安くなる真冬に旅するのか。

 

 ここが悩みどころです。何を優先したいのかってことですが。私は、スペインだけでなく、しょっちゅう旅行したいので、かつ、人混みが大の苦手なので、後者を選びました。実際、旅行中(だけ)、スペイン人もびっくりの寒さに襲われたりもしたのですが、それでも、この値段で、この人混みのなさであちこち回れるなら、真冬で全然いいんじゃないか…と思っています。荷物は夏の倍になりますけどね…。

 

 ちなみに、格安じゃない、ANAだって、しょっちゅうバンクーバーのような掟破り価格を出しているのですね。ベトナム、ホテルつき、ビジネスクラス、3泊(約)10万円とか、どういうからくりか全くわからないけど、同条件でシンガポール86,000円とか。ビジネスクラスのホテルつきツアーがプレミアムエコノミーより安い、ってなんて逆転現象も日常茶飯事のようです。ニューヨーク ホテルつき 3泊5日(あれ?5泊だったかも?)ビジネスクラス198,000円とか。これは今でも行きたかったなあ…とため息が出ます。3泊だろうが5泊だろうが、まったくもってありえない価格だったから。延泊可だったしなあ…。

 そういう拾い物を見つけるために、航空券およびツアー情報というのは、1年中こまめに見てないとだめなのね、というのが今回の学習事項。エクスペディアやHISがやっている航空券サイト、SURPRISE、ANAJALから来るツアー紹介メルマガ、そして海外旅行マニアや陸マイラーブログ。このへんが主な情報源になりそうです。

そして、どうやら程度の考察ですが、11月というのは底値のようです。このあとは航空券は上がることはあっても下がることはありませんでした。※ 

 

アエロフロートアリタリアは、とにかく安い

 その後アリタリア航空 39,000円というのも見つけたのですが、正直、どちらの航空会社の印象も全然よくない。機内でしんどい思いしそうだなあ、いつもANAに乗ってる自分にはつらいだろうなあと懸念しつつ、今度は航空会社の口コミをチェック。エクスペディアや4トラベル、そして個人のブログ、と3重に調べます。そしたら、

 近頃のアエロフロートは抜群に評判がいい。

 という、また発見がありました。

「数十年前はアエロフロートといえば笑えるほどボロい機体、安い価格、共産圏ならではのサービス皆無の航空会社でしたが、今はまるで違うのです」

 という口コミをいくつも見ました。実際の搭乗記を読んでも、ぴかぴかのエアバスで、みんなご機嫌に旅行している。「この値段なら全く問題ない。全然いい」。

 しかも、ビジネスクラスだとフルコースの食事がついて、なかには機内食としては珍しい「陶器に入った温かいスープ」が出てくるという。個室感覚のスタッガードではないにせよ、スペースは十分だし、CAさんたちも完璧に近いサービスだとか。

 難点は、法律によりビールが出ないこと(私は下戸なので関係ない…)。そして、エコノミーは食事が終わるまで飲み物が出ない。荷物チェックのあと水を買って持ち込むか、食事前に一度だけ配られる飲み物を飲みきらずにとっておくこと、が大事なようです。食事中に水分が摂れなくて、みなさん結構苦労しています。

  あと、日本語対応の映画はごくわずからしいので、なにかしら暇つぶし対策も必要のよう。

 それでもおおむね口コミ評価は高く、それでこの価格はすごい。

 アリタリア航空の口コミも調べましたが、こちらは反対に一様にみんながっかりしていました。とくにビジネスに格安で乗ったある人は、「いくら安いからといって、ここの会社のビジネスに乗るのはまったく無意味」

と怒り心頭でした。サービスに怒っているのか、機材・設備もしくは食事に怒っているのか、いまいち文面からは判断できなかったのですが…。たぶん全部なのでしょうが。

 

 でも、アエロフロートはかなりいい。よし、これを予約して1月にスペイン行くか!と心を決めた(航空券を買わなければいつでもすぐ妄想で終えられる)。

 日にちは、出国、帰国はどちらも平日(週末は高くなる)で、美術館が休みの月曜は避けたくて、バルセロナの店のほとんどは日曜休みだが、マドリッドはそうでもない…などの条件を考慮し、1月のある火曜に出発し、火曜の夜遅くに到着、水、木とバルセロナで過ごし、金曜は移動日兼サラゴサ観光、土曜日曜でマドリッド観光、月曜の朝に帰る。という、今考えてもなかなか美しいスケジューリングができました。

 宿を先に決めるのか航空券が先なのか、というのも悩んだのですが、上記のスケジュールだと自然と日にちも限られ、かつ、宿やホテルは豊富にありそうな感じだったので、飛行機優先に。

 それで、いざ航空券をクリックしようとしたのですが、なかなか指が動かない。高評価の口コミを何度も見直していると、ときどき「すごくいい。でも席は狭い」というコメントがいくつか見られるからです。そりゃそうだろう。この値段なのだし。広いわけがない。エコノミーなのだし。でもこんな価格で地の果て、スペインに行けるのだから、御の字だよね。…と何度も自分に言い聞かせていたのですが、いざ購入ボタンをクリックする段階になって、まざまざと狭い機内に人がぎっしり、の光景が浮かんできて、思わず決心を翻してしまいました。

 

二人旅行なのに、ひとりだけビジネスクラス

 つまり、航空券は、エコノミーを1枚(←夫用)、ビジネスを1枚(←私用)というわけのわからない買い方をしてしまったのです。なぜならばビジネスクラスもエコノミー同様、激安だったから。といっても18万円ですが…。そして、夫は「たった10数時間いる場所のために、高いお金を出すのはばかばかしい。僕はエコノミーでいい。むしろエコノミーがいい」とかいう、快楽をいっさい求めない強靭な人なので、彼もビジネスにする、という案はありえなかった。

 こんな旅行、どう考えても変、と思いつつも、あー、もう私、あのエコノミーの狭い空間で、トランジットしながら17時間は無理…と、はっきり思ったのです。数時間前まで、これも修行の一貫。耐えればまた新しい自分に出会える、などと思っていたのですが、購入段階になって、すーっとその意欲が消えました。

 私は今後も、自分のいろいろな弱点を克服したい。進化をあきらめたくない。苦手なことにも挑戦しよう。…でも、飛行機の座席に関しては、もういい。ここはもう我慢したくない。楽な方に喜んで流れよう。

 もうなんともあっさりきっぱり、白旗を揚げてしまいました。別にお金に余裕があるわけではありません。資金は、「いつかまたニューヨークに行くために(←ニューヨーク好き)」と、長年紅茶の缶に貯め続けている500円玉貯金を使うことにしました。

 …なんなんでしょう。だめな人間ですね。本当、ビジネスクラスは私の最大の弱点です。高い洋服や高いソファへの欲望には打ち勝てても、ビジネスクラスは拒否できませんでした。狭くて恐ろしい飛行機という空間を、楽しい時間(…っつっても、閉所恐怖、不安症には変わらないわけで、いろいろとつらいのだけど)に変えてくれるビジネスクラス

「たった10数時間のためにこんなに払うなんてばかみたい」という意見はまったくもって正論だと思うのですが、もう戻れないです。今まで3度、ビジネスには乗りましたが、本当、一度乗ってしまうともう無理だ、と思います。このとき、始めて45歳という自分の年齢を前向きに使用しました。

「あたし、もういい歳だしさあ。そんなにこらえてエコノミーに乗らなくてもいんじゃね?」

 あのときは、この独り言が異様な説得力を持ってしまいました。「そうだ。そうだよね!もういい、もう我慢しなくていいよ!」。

 

人は生活レベルを下げることはできない

 しかし、後日夫に「一度くらいはビジネスに乗ってもいいのでは?」と詰問していたら、「一度乗ったら、もうエコノミーに戻れないと思うから嫌だ」と言われてしまいました。

 がーん。またも激しい正論!

 実際私、そのまんまだし!

「俺は快楽が嫌いなわけではない。ただ、一度快楽を味わってしまい、そこに執着するようになるのが嫌なのだ。だったら最初から知らないほうがよほどいい。実際、上司と新幹線のグリーン車に乗ると、次の出張でひとりで普通車に乗るとき、必ず“グリーン車がいいな”と思ってしまう」

 なんと……。私は、彼はてっきり、「快楽が楽しくない」特殊な人間だと思っていたのです。違いました。先々の不愉快を避けるため、律していただけだったのです。もう24年くらいつきあっているのですが、勘違いをしていました。

 衝撃を受ける私に、夫は追い討ちをかけるように以下のエピソードをたたみかけます。

 2ちゃんねるひろゆき氏は、莫大な富を得つつも、今もすごく質素に暮らしている。なぜならば「人は生活レベルを落とすということは、決してできないから」

…………。

  これは重大な問題になってきました。これは、「もう歳だからビジネスでいい」というのとは、なんか違う次元の話みたいです。でも問題が大きすぎて、どう整理していいのか、今の私にはわかりません。

 一生懸命懺悔を書いて、頭を使ったらとても疲れたので、宿決め篇はまた次回…。

 

↓ビジネスだと飲み物は陶器なんだよね…。しかもこんなかわいいチョコレートつき。味もかなりよかった。  

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※付記…ていうかいや、それは嘘です。すべてをブッキングした数日後、SURPRISE限定、カタール空港 スペイン行き ビジネスクラス158,000円 エコノミー49,000円とかいうのが出たんです、突然(いつでも突然なわけだけど)。結構身悶えして苦しんだのですが、そのニュースを聞いた数時間後に検索しても、もうそのチケットはどこにもなかった…。

瞬間完売ということ? 夢だったのかな? 今もよくわからないのですが、あれはくやしかったなあ…。しかしカタール空港だと飛行時間22時間。そんなに乗れないだろう? 自分? アエロフロートでよかったのだ、と何度も自分を説得しました。

 

 

スペイン旅行記 その0〜メンタル弱めの人間による、あまり役立たない海外旅行の前ふり

最初はレジャーなのに、だんだん修行とか試練にすりかわっていく…

 ブログをさぼっている間にスペイン旅行をしてきました。どうしてもマドリッドプラド美術館で見たい絵があり、でもスペインに行くのに、ガウディ見ないの?という思いももたげてきて、バルセロナマドリッドの行程です。さらに、この2つの間のちょうど中間にあるサラゴサという古都(なのかな?)にも立ち寄りました。

 

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↑空がとびきり美しかったサグラダファミリア訪問日。そのかわり、激寒の最高気温7℃…。

 

 10月に予約して、1月に決行。その間にどこに、どうやって、なにしにいくのかを、ひたすらネットや本をにらみながら検討、実行、キャンセル、そしてまた実行…を繰り返してスケジューリング。

 いつもそうなのですが、この準備段階が大変すぎて行く前にへとへとになり、PCの前にいるのもいいかげんうんざりして、あげく持ち前の不安症も出てきて、なんかもう行かなくてよくなってきた…とまでなり、しかし、そこを行かない訳にはいかないのでふんばり、がんばって(?)行ってきました。

 

閉所恐怖症の人間には、あらゆる乗り物が試練です

 そもそもへたれでびびり、かつ飛行機(というか、閉所恐怖なのでエレベータを含むあらゆる乗り物すべて)恐怖症の私には、言葉のわからない外国に、自分で一から計画して行く(夫も同行してるけど)というのは、最初はレジャーなのだけど、だいたい途中から試練というか修行にすり替わります。行ってる途中は、レジャーと試練のミックスになります。どの程度試練なのかというと、今回の旅は、スペインだったからなのか、運がよかったからなのか、食べ物系がことごとく大当たりで、カロリーいっさい気にせず好きに食べていましたが、帰国したら2kg痩せていました。…驚き。

 

 じゃあ添乗員つきのツアーにすれば?という感じですが、小さい頃から団体行動がなにより苦手なので、「集合」とか「解散」とか、もう絶対だめです。だいたい、行きたいとこしか行きたくないし、食べたいものが食べたいので、誰かにその選択をお願いすることはちょっと考えられない。

 

 そんなわけで、ここ数年、ほぼ年に1回、どこかへ旅行していますが、今までのところ、楽しい経験ができて、がんばって行ってよかったなあ!と思います。思い残すことも必ず出てきます。で、じゃあ次はこうしよう、となんか妙なやる気が出てきます。

そんなわけで、数ヶ月して旅の疲れが取れると、また行きたくなる…というサイクル。よし、もっと行ってもっとタフになろう、なんて思ったりするのです。次はもっとうまくできそうな気がする、とか思うのです。

 まあ、宇宙飛行士にでもなれそうなほどメンタル強い夫からすると、「は? 修行? なんの話?」とあしらわれるほど、私の挑戦及び冒険は、あまりにも私限定のささやかなもので、それを痛感するたび寂しい気持ちになるのですが、まあ、人はみんな違うよね、個人差っつうものが、と基本事項を唱えて乗り切ります。

 

ほとんど最後の欲望、「知らないとこが見たい」

 洋服、高級レストラン、リゾートホテルに、車、家具、食器、家電…等々、ほとんどあらゆるものへの激しい欲望が(ほぼ)消滅した40代なかばの今、強烈にあるのは、「見てない場所が見たい」というものです。「もう先がないから、今のうちに見ておかないと」と痛感します。誰かがエッセイで、年をとってくると、「ものが欲しいのではなく、体験が欲しくなる」と書いていたのですが、これは通常(?)の変移なのでしょうか。

 若いときは好奇心もろくにないだめ人間だったので、「知らない場所を知ったときの興奮」をほとんど経験していなかったのですが、ここ十年くらいは、その興奮がなにより楽しい。近所を散歩していても、新しいルートを発見すると、うわ!と思う。たぶん、2年前に鬱がなおったのも関係していると思う。「世界っていろいろとおもしろいんだ」と、最近本当につくづく思うからです。そして、世界の見え方は、こっちの気持ちひとつで全然違うんだ、と。

 日常が倦んでくると、外国旅行のサイトなど見て、うわー、行きたい行きたい、と思いをつのらせます。とくに最近は美術評論家の中野京子さんのエッセイ(すごーくおもしろい!)を片っ端から読んだせいで、「ヨーロッパの美術館は一通り回らなければ」という気持ちも強く、ああ、次はどこへ? いつ? と年がら年中思っているような状態。

 

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↑たぶん地元のお客さん用の、おつなバルセロナのカフェにて。おっさんたちの渋いこと、フロアのタイルが美しいこと! スペインでは愛らしいおっさんを山ほど見ました。

1回の旅行で10か月はいける

 そして、いざ旅行を決めてから、当日まではだいたい数ヶ月。その間にあれこれ----行くべき場所、食べるべき場所はもちろん、機内快適グッズとか、最良のガイドブックはどれなのかとか----調べて、手配して、キャンセルして(絶対、なんかしらキャンセルする…)、資料集めて読み込んで、想像して…へとへとになりながらも、充実した日々を送ります。

 で、旅行して、終えてからは、「なにもかも忘れちゃうから、なにもかも撮っておく」というモットーのもとに撮りまくった1000枚近くの写真を、何度も眺めて、反芻する。さらにかの国について勉強したり、見たことのある、でも以前とは全然違う目で見れるかの国を舞台にした映画を見直して、あ、これ、あそこだったのかー、なんて驚いたりする。

 …と、そんな具合で、一度旅行するとだいたい半年は楽しめるのですね。旅行先を決める前からも含めると、10か月くらいいけるかも。

 そして、行くと、自分のなかに新しい物語が生まれる。今回は、プラド美術館の絵をより面白く見るため、かなり真剣にスペインの歴史も学んだので、あれこれ読んだ知識+現地の体験が合わさって、長ーい長ーい大河小説を読み終わったかのような充実感。そして、かつての、「スペイン=ペドロ・アルモドバルと美食の国」程度だった頃の自分とは、もうなにもかも見え方が違う、ということを、日常のいたるところでひしひし感じて…なんともおもしろい。

 この記憶がいったいなんの役に立つのか、と聞かれると正直困るのだけど、なんというか自分の内部が新しいなにかで満たされた、すごくいい気分になります。

 うん、そうです。すごく自分の内部が瑞々しいような感じなのです。

 

 

過発酵のとき

食パンの一次が4倍に膨れてしまったとき

 

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 親戚にあげようと思ってキタノカオリ食パンを仕込んだ。すっごく寒い日だったので、いつも起きたときに3倍に膨らんでいるはずが、2倍にしかなっていない。ちょっと急いでいたので、オーブンの発酵モードに入れて1時間半。それからすっかり忘れていて、3時間後にはっ!と気付いたときは、4倍以上に膨らんでしまっていた。

あちゃー。過発酵。手を入れると風船みたいにしぼむ。ああーっ。やってしまった。

よりによって人にあげるものを作ってるときにこういういことが。

 で、いつもならこういうとき、くらーい気持ちで、でも二次発酵させて焼いて、いやーな気泡たっぷりの過発酵パンを作ってさらに暗くなる、のだが、なんか電気代使ってそれも嫌だな。もう捨てちまおうか。まずいものはどうやったってまずいしな。

 …と、考えたのだけど、うちの夫は、食べ物を無駄にすることを異様に嫌うので、ゴミ箱を開けたら彼の顔が浮かんできて、捨てるのはやめた。

 それで、ほとんど二次発酵のいらないチャバタにすることにした。なんかすっかりべちゃべちゃになって扱いづらくなっている生地に打ち粉をばんばんして、できるだけさわらないように、10分割。なぜそんなに小さくしたのか? よくわからない。そのまま濡れふきんをかけて、すぐにオーブン余熱。うちのオーブンは220°までだいたい15分なので、それが二次発酵時間。温度があがったら即入れる。

 やけくそで焼いたけど、案外まともなものができて、安堵…。おいしかった…。コンテチーズとコルニッションピクルスと食べたらおいしくて感激した。

安堵。そして発見。

あのまま無理やり2時間二次発酵させて食パン焼かなくて正解だった。過発酵のとき二次ほぼ不要のパンにすればいいのね。そういえば過発酵生地はピザにしてください、とか、どこかに書いてあったっけ。製パン基礎知識なのかもしれない。

 まあでも、ほんとに捨てなくて、無理やりまずい食パンにしなくて、よかったなあ。

 

映画「トランボ」

50年代アメリカで共産主義を貫く社会派映画…ではなくて

 

 信念を貫いた売れっ子脚本家の、見事な生き様----という言い方が、この映画を端的に表すのにふさわしいのだろうが、「トランボ」はそういう「清く正しく」「立派な」物語とは少し違う。実際、前半15分間、すでにハリウッドの売れっ子脚本家であり、共産主義を自認するトランボが、周囲の監督、俳優、配給会社のお偉方なんかに疎まれ、文句を言われつつ、活動している様なんかは、「あれー、私、ちょっと映画の選択間違えたかなあ」と正直…思ってしまった。立派な人が、体を張って立派な主義を貫き通すっていう社会派映画なのか、と。でも、途中から変わった。

 いや、これはそういう映画であることは間違いない。別に突然話ががらりと変わるわけではなく、最後まで彼は屈することなく、周囲と戦い続ける。そこに誤りはない。だけど、この作品は、“正しさ”を追求すること以上に、べらぼうにおもしろいのだった。本当に、これは目が覚めるほど、おもしろい映画だ。

 

 前半は、50年代アメリカを吹き荒れたレッドパージ赤狩り)のど真ん中で闘っていたトランボの厳しい日々が描かれる。心が折れそうな友を言葉たくみに----さすが名脚本家、本当に言葉たくみでまるで詐欺師のようだ----励まして運動にとどまらせたり、迫害してくるおばさんコラムニストと丁々発止やりあったり。ジョン・ウェインだって、まんまとやりこめてしまう。公聴会ではまた言葉たくみに、聴衆を煙に巻く。トランボが、ただ正しいだけでなく、めっちゃ頭が回る人なのだということを知りつつ……だが、結局、刑務所収監。なにも悪いことをしていない人が、集団の圧力によってさんざん酷い目に遭う、王道でストレスフルな展開。いかにトランボが頭よくても、結局権力には勝てないのか、とつらい気持ちになる。

 

結局権力と集団には勝てなかった。で?

 が、しかし、このあとがすごかった。勝負はここからだったのだ。

 ようやく刑務所からは出れたものの、社会の敵扱いされ、もちろんハリウッドからも干されている。妻ひとり子供3人をどうやって養えばいいのか? トランボはB級映画専門の製作会社に、仕事が欲しいと頼みにいく。「あんたは高すぎて雇えないよ」という社長(ジョン・グッドマンが怪演!)に、「あの映画の脚本にはいくら払ったんだ? あれと同じでいい」と、自らダンピングして仕事を得る。3日で書く、と言い切って帰り、実際書き上げてきて、それが傑作だった。社長が脚本を叩きつけて「ちくしょう、こいについ金を払え! なんだこいつは! 天才だ! よし、書け!どんどん書け! 全部買う!」

 いやもう、トランボも身をひくこの激賞の爽快なことといったら! 芸は身を助く。才能があるって、なんてかっこいいんだろう。これは勝手な想像だけど、長い間刑務所にいて、彼のなかの創作魂がもうぱんぱんに膨れていたのだろう。すごい勢いでタイプしてたもんな。で、以降、彼はB級作品を書いて書いて書きまくる。注文が追いつかないし、同じく赤仲間で仕事にあぶれた脚本家たちもたくさんいたから、彼らも巻き込んで、書きまくる。もちろん、名前は偽名。トランボが書いているということは絶対にばれてはいけないから、発送だの電話受付だの等マネジメント業務は家族がやる。妻も娘も息子も総動員、フル稼働だ。風呂で書くのが好きだったらしいトランボは、浴槽に台を渡してテーブルにして、タイプライターと酒、タバコを装備して、昼も夜も書きまくる。眠たくなったらアンフェタミンを酒でぶちこむ。「くだらない作品を生活のために書くなんて冗談じゃない」という病気持ちの仲間も説得して、書きまくる。その脚本の手直しだってばんばんする。

 

 そうなのだ、ここがすごいのだ。志を曲げたくない。それを貫いたからこそ、彼は超一流の座から引きずり降ろされ、刑務所に行った。だが、その後、彼は志は変えずに、戦い方を変えたのだ。共産主義者の最大の変節は、保身のために仲間の名を非米活動委員会に売る(証言する)ことだ。実際、エドワード・G・ロビンソンなんかも最後の最後までがんばってたのに、結局仕事を干されるのが怖くて、仲間を売ってしまう。その罪悪感があまりにつらくて、逆ギレして「俺は悪くない」とヒステリックに言い募るしかない。……つらい。「あんたは名前を変えれば仕事ができる。でも俺は顔で仕事してるんだ。隠れることはできないんだ」と必死に言い訳というか逆ギレしている姿は本当に痛々しかった。まあ確かにそうかもな、と少し思ったりもして…。

 

勝ち方にはいろいろあるらしい

 閑話休題

 とにかく、トランボは、志は曲げず、ただ、新しい戦い方を作り上げた。「こんなくだらない映画のための脚本は書きたくない」という、そんな類の志は簡単に捨てた。もともと持ってなかったのかも。でも、仲間を売ったり、自分が間違っていたと認めたり、かつての敵に頭を下げたりはしなかった。ただ、めちゃくちゃおもしろい脚本を書いて、自動的にハリウッドが自分を欲せざるを得ないような状況を、作り上げたのだ。

 最初からそこまで考えていたわけではないだろう。最初はただ、一家を露頭に迷わせないために、がむしゃらにある仕事をやっただけだろう。でも、どんなに予算がなくても、社長の要求がくだらなくても、おそらく彼は最大限楽しんで物語を書いたのだろう。だから、よくある展開のように、腐ったりしなかった。生活のためにやりたくないことをやりすぎて魂をすり減らしたりしなかった。だからこそ、そんな暴力的なスケジュールでの脚本書きのなかでも、ときどきとびきりの傑作ができてしまい、「おまえの名前で持ち込んでくれ」と友人に渡したりすることができたのだろう。ちなみにこの脚本は「ローマの休日」。

 

集まってくる人たちだって、どうしたって魅力的

 トランボの強靭な体力(酒とタバコとアンフェタミンをあんなにがんがんやって、心身ともに元気で働き続けてるって………)と精神力で生み出された脚本は、だんだんハリウッドの心ある----いい映画が作りたいという心----人々を、引き寄せていく。周囲の圧力も意に介さず、すべてひとりで決めてトランボに仕事を依頼しに来たカーク・ダグラスの男前なこと! 別のトランボ自身が出るドキュメンタリー映画で、おじいちゃんになった彼は「自分がしたことで誇れる数少ないことは、トランボに脚本を頼んだことだね」と言っていた。「この脚本を映画にしたいんだ。300ページある。だが1行もおもしろくない。なんとかしてくれ」と、ばさっと投げる。しびれたなあ。

 同じく突然家にあらわれて脚本を依頼し、出来上るまでここで待つ、という、明らかにおかしな人、オットー・プレミンジャー監督。激しいオーストリア訛りの英語で「まだかね? まだできないのかね? ここはおもしろくないから書き直しなさい、さあ」などと言い続けて、さすがのトランボもたじたじだったが、この映画はポール・ニューマンの「栄光への脱出」だった。これも結局名作だった。オットー・プレミンジャーは、革新的なことをしたことで有名な人らしく、だからこそ、異端者扱いだったトランボに脚本を依頼できたのだろう。しかし、この押しかけ居候シーンは何度見ても笑える。

 あの爽快なB級映画会社の社長だって、トランボを離さなかった。非米活動委員会が「トランボを使うな」と圧力をかけにきたのを、なんとバット1本で追い返してしまう。それがあんまり怖かったから、もう二度と脅されなかった。この凄まじい社長の暴れっぷりも、もう一度見たいシーンのひとつだ。彼には志もくそもない。あんなにおもしろい脚本を超絶スピードで書いてくるトランボを使わないなんて、考えられないというだけだった。たぶん。そこが爽快。

 そうやってだんだんハリウッド全体がどうしてもトランボが欲しい!という状況になっていく。この過程のエキサイティングなことといったら。結局、体力、気力、そして才能と、「持てる人」による「すごい話」なのねえ、ということになってもおかしくないのだが、そうはならず、観てる人だれもが一緒に達成感や爽快感を味わえるのがこの作品のすごいところではないだろうか。それで見終わって、みんなが思うのだ。「そうか、戦い方はひとつじゃないんだ」と。「よし、新しい攻め方を考えてみるか」と。

 

志をどこに持つのか?という問題

 ちなみに私は、やっつけ仕事のなかでの「心から書きたいと思って温めていた」作品「黒い牡牛」について話し合っているシーンも好きです。B級映画会社の副社長に「まあ、どうせたいした作品じゃない」などとさらりと言われたとき。「あ、失礼」と横目で付け加えられて、トランボは「いやいいんだ、たいした作品じゃない」とひょうひょうと同意。このすっとぼけた雰囲気は、トランボというか、俳優のブライアン・クランストン自身の持ち味だと思うのだが、どうなんでしょうかね? トランボもそんな人だったのかしら。でもこの生き方を見てると、そうなのかもな、とも思うが。

 ともあれ、こんなふうに俳優の魅力と役の魅力が渾然一体となっているのも、この映画の素晴らしいところ。この人だから、ここまで演じられたのだろうなあと思う。そして、「たいした作品」であることよりも「くそおもしろい作品」がいいだろ? というエンターテイナー魂が、この映画には充満していて、それがこの爽快感の理由なのだとも思う。

自家製ジンジャーエールを飲んでばかりいると、生姜煮ができすぎる その2

その1を書いてからずいぶん時がたってしまったのですが…。

さて、この生姜煮をどうするか、です。

 

そりゃまずはカレーで。

 生姜煮の大量消費、まず思い付くのは、カレーに入れることです。これを入れるとカレーの味が数段あがります。5,6人分のカレーなら、大さじ1,2の世界ではなく、にぎりこぶし1,くらい入れても大丈夫です。でも一度、あまりに処理を急ぐあまり、にぎりこぶし2くらい入れたら、甘くなりすぎて取り返しがつかないことがありました。なので、くれぐれも入れ過ぎには注意です。

 

押上のカレーの名店「すぱいすかふぇ」のチキンマリネのレシピを基本に、レシピにはないこの生姜煮をどかっと入れて作るのが好きです。

 

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 ⇧カレーライスのソースというよりも、おかずの素のような感じ。ごはんはもちろん、茹で野菜にかけて、パンにのせて。なんでも使えます。

 

【おおざっぱな材料と作り方】

1油にマスタードシードを入れて温め、はじけてきたらみじんぎりにしたたまねぎを入れ、アメ色~もしくはややアメ色まで炒め、

2おろしたしょうがとにんにくを入れ(このしょうがは生です)、みじん切りにした生姜煮も入れ、ターメリックとカイエンペッパーを入れて香りを立たせ、

31cm角程度に細かく切った鶏肉(ももか胸)を入れ、炒め、

4大さじ1~3のシャンパンビネガー(もしくは、好みの酢)も加えて肉に火が通るまで炒める。

 

初めて作ったとき、あまりにもおいしくて驚いた一品です。

 

 その他のカレーでも、味がぼんやりして困ってるとき、この生姜煮をみじん切り(もしくはミキサーでペーストにしたもの)を大さじ2くらい入れると、途端にびしっと決まります。

 

とにかく大量に使いたいときは生姜味噌

 カレーに入れすぎて失敗した反省から、より確実に、大量に、消費できる生姜味噌を考えました。これは「夫壁」も超えた逸品です。“夫壁を超える”とは、生姜煮をはやく消費したいあまり、あらゆるものに入れすぎて、すっかり生姜煮嫌いになってしまった彼をもすんなり「おいしい!」と通過させた、という意味です。味噌と豆板醤で生姜のきつさを覆い隠し、生姜のうまみだけを残した感じです。

 

【おおざっぱな材料と作り方】

味噌(自家製)…生姜煮の半分

白味噌…味噌の1/3

P県豆板醤…小さじ1~大さじ1

酒…全体にまわる程度

酢…全体にまわる程度

メープルシロップ(または砂糖)…小さじ1~大さじ1

 

その他お好みで、隠し味的に。

醤油、塩など。

上の材料を全部入れて、ひたひたより少ない程度の酒を回し入れて、消毒する気持ちでことこと煮ます。アルコールも水分も完全に飛んだなあ、というくらいで完成。

 分量は全部適当です。そのときどきで味を見ながら調整していけばいいと思います。なので、最初は少なめから入れてってください。メープルシロップは甘みづけのほかに、うまみづけの意味もあります。なので、砂糖にする場合は入れなくてもいいかもしれません。なにせ生姜煮が甘いので。

 

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↑で、これが出来上がり。味のイメージとしては、田楽味噌の大人版といった感じでしょうか。揚げた茄子やゆでたこんにゃく、ふかした大根にのせたらおいしいだろうな、という濃い味系。冷蔵庫で軽く3週間はもちます。たぶん、もっともちますが…。

 

いくらでもおいしくなる生姜味噌アレンジ

 とはいえ、原型のままだと少々味がきついのも事実。これをやわらげ、もっとおいしくするために、いろいろ加えてみました。

 

+いろいろきのこ

数種類のきのことひとかけらのにんにくをフードプロセッサーで細かくして、塩をふって水分を出し切るまで炒めます。このままパスタにからめても激うま(ほんとに。肉もチーズもいらない)なのですが、今回は生姜味噌を加えます。まんま肉味噌のようなごはんのお供のできあがり。これは………本当においしいです。

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そのほか、+れんこん、もちろん、+肉もいけます。全部いっしょに入れてもまた複雑な味わいになっておいしい。ごはんにも合いますが、茹でたキャベツやもやし、冷奴に合わせても、「とまらないおかず」ができます。

 

+ナッツもいける

これもまた、こりこりした食感が生まれてよし。私はいちばん好きなナッツ、ピーカンナッツを使います。もちろんくるみでもおいしいはず。

 

 

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花巻を作ったので、はさんでみた。自家製肉まん。自分ちで肉まんを作ったことがうれしくて、実際以上においしく感じました。ちなみにこれは、+きのこ、肉、れんこん、の豪華バージョン。

 

 

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⇧ちなみに使った調味料はこちら。この味噌が大成功したのは、おいしい調味料をおしげもなく使ったからかも、という気もします。とくにP県豆板醤(ぴーしぇんとうばんじゃん)。中国のP県でだけ作られているのだそうな。その昔、料理家の先生が絶賛していて、毎年大晦日、横浜中華街に瓶(かめ)で買いに行くのだと行ってました。普通の豆板醤とは比べ物にならないほどおいしいから、と。

 で、私も中華街で見つけてひと瓶(びん)で買ってみたところ、たしかにめちゃくちゃおいしかったので、以来10年くらい愛用しています。これ使うと、もう普通の豆板醤に戻れない。すっごく辛くて、でもやわらかいうまみがある。中華街か、通販で買っています。

 そしてこの白みそも隠し味として超優秀。塩みと甘み、そしてうまみの3つを加えてくれるので、なにか物足りない、というときにはこれをほんのすこし加えると俄然、味がさえるのです。なかでもこの石野の懐石白味噌はかなりおいしいと思います。味噌汁にも、必ずほんのすこし白味噌を。さらに、ケークサレやパウンドケーキにもちょっと入れます。

 考えてみればどちらも発酵食品。菌のちからの偉大さを感じます。

 

 

生姜煮×豆鼓×にんにくもすごい。とくにゴーヤと相性よし。

 

 生姜煮、豆鼓、にんにくを細かく刻んで、ごま油で香りが出るまで火を通す。この3つ揃えも汎用性高いです。麻婆豆腐や野菜炒めにも強力に作用します。スープの土台にもよし。これとひき肉を炒めて酸辣湯にしたりします。

 でも、なかでもゴーヤとの相性が抜群です。透き通って、苦みが抜けるまでしっかり火を通したゴーヤが、この甘辛くうまみ濃い三者とよく反応するのです。豚肉も加えておいしそうな焼き色つけて炒め、最後、しっかり水切りした木綿豆腐を大きく割っていれ、かつおぶしをふって、ゴーヤチャンプルー風。もちろん、卵もいれたいですね!

 写真は…ゴーヤの季節になったらアップします…

 

【おおざっぱな材料と作り方】2人ぶん

 

1 生姜煮大さじ1、にんにくひとかけ、トウチ大さじ1をすべてみじん切りにしてごま油で炒め、香りをたてる。

2 薄切りにしたゴーヤ1本を入れ、ごく軽く塩をふり、弱火でじっくり、ゴーヤが透けるまで炒める。1の野菜が焦げないよう、火加減注意。ゴーヤの苦さが好き、という方はもっと浅い火通りでOK。

3 酒と醤油で下味をつけた豚肉(薄切りか切り落とし)100~180gを2に加えて、炒める。

4 水切りした木綿豆腐をちぎって入れ、軽く火を通し、溶き卵を回しいれる。醤油も加えて調味する。皿に盛り、かつをぶしをかけて完成。

 

そしてマサラティーもつくれる

 生姜煮で作るドリンクはジンジャーエールだけじゃありません。出がらしでもおいしい飲み物ができます。生姜煮を紅茶とミルクとスパイスで煮出して、濃厚で刺激的なマサラティーのできあがり。生姜煮の甘味があるので、砂糖は不要。吹きこぼれ防止&おいしさを絞り出すために、とろ火でのーんびり煮出すのがこつです。

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【大ざっぱな材料と作り方】 2人ぶん

1鍋に大さじ2~3くらいの生姜煮、大さじ1の紅茶葉、牛乳400~500mlを入れて弱火にかける。そのままごく弱火で20分煮出す。

 

ショートブレッドに入れても美味

粉とたっぷりの上質なバター、砂糖、そして生姜煮でおいしいおやつも。いつも作るショートブレッドの生地に、細かく刻んだ生姜煮を加えました。これもうまいです。甘い生姜煮を加えるのだから、とプレーンのレシピの砂糖を減らしたらいまいちでした。砂糖は減らさないほうがよいみたいです。

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まだまだあるので、なにか発見したら追記します。

注意するのは一点だけ、なんにでも合うから、といれすぎると嫌われます!