独楽ログ〜こまログ〜

50代、女性、日本人、がひとりで毎日楽しくすごす方法を検証、実践、そして記録。

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書評〜『脳を鍛えるには運動しかない』

鬱病にもパニックにも認知症にも運動、運動、運動がきく!

 

 この600ページくらいあるぶあつい本は、運動するとどれだけ脳からいろんな物質がでて幸福になるか、健康になるか、ということが、これでもか、という膨大な事例とともに紹介されていて、非常に元気が出る本です。

 私は、自分がなんのためにこれをしているのか、ということを理屈でわかっていないとやる気がでないタイプなので、この本のように、脚を動かすと心臓からはこんな物質がでて、それが血管に伝わって脳にいたると、こんな物質に変化して、それが気分の落ち込みを減らし…云々と詳細に説明されると、本当にやる気が出ます。

 認知症にも鬱病にもパニック障害にも、それぞれ運動が効く。そして、それらの病を抱えた人がどんな状況で困っていて、こんな運動をしたら、あんな変化が起きたよ、という詳細な紹介をしてくれ、説得力抜群。とくに、筆者のお母さんのお話は忘れがたい。

 言いたいことはひとつ----脳を鍛えるには運動しかない----なので、最初の100ページくらいで飽きちゃうのではないかと思っていたのですが、意外に全部読めてしまいました。図書館は予約が50人とかだし、古本でも高いし、そもそも定価が2200円だし…と長い間買うのをためらっていました。ネット上の本書のまとめ記事やレビューを読んで、なるほどなるほど、これでいいか、と思っていたのですが、実際読んだら、読んでよかった!と思った。まとめからこぼれおちる具体的な例、がいちいちおもしろいのです。要約なんてだめだな、自分で読まなくちゃ、と、当たり前のことを改めて思ったりもして、なかなか収穫の多い本でありました。

 ちなみに、きれいにきれいに読んでヤフオクで売ったら、買った価格(中古)より高く売れた…なにからなにまでありがたい本でした。

 

気がついたら16年走ってた! 1

 なぜ走るのか

 学生時代は、体育の授業はさぼれるだけさぼっているような、だるいとかめんどくさいが口癖の、よくいる怠惰な若者の典型。それが29歳になって、なぜ突然走り出すようになったのか。そしてなぜそれが16年後も続いているのか。いまもって謎です。でもここで昔を思い起こすことで、その謎を解明してみようかと思います。

 孤独を好むので、レースとか出ません。記録も気にしません。タイムも縮めません。距離も…あ、距離は多少気にします。いつか10km走りたいと思いつつ、いつも5kmで終ります。たまに元気な時期になると、6~7kmまで伸びますが、いつもその先に行けず、気がつくと5kmに逆戻り。真夏とか、やる気ないとか、そんな時期になると3.5kmくらいまで落ちちゃいます。

 しかし、なにしろ大事なのは「走り続けること」なので、どんどん自分を許して短くします。元気になったら、またたくさん走ればいいのです。「走り続けること」以外にはできるだけノーストレスにすることで、なんとか、この怠惰な人間が16年間走ってこれたのかな、と今書いてて思いました。

 

 週4~5日(週3日だっていい)走ること、できるだけ気持ちよく走ること。大事なのはそれだけです。ここまでなにも目指してないランニングって珍しいかもしれませんが、まあ、こんな人もいるんだという参考案件として。どうしたら速く走れる? どうしたらフルマラソンまで到達できる?とかいう方の要望には全くこたえられないですが、どうしたら続けられる?と悩む人の参考にはなるかもしれないです。なるといいな。

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⇧ランニンググッズ。日本人ならアシックス、となんとなく思っていて、シューズはいつもアシックス。最近ヤフオクで新品を落札したばかり。オークションで靴を買うのは相当ギャンブルですが、今回はサイズも履き心地も満点でした。GT2000 NEW YORKだった…と思うのだけど、不明。

冬のランに欠かせない手袋は、アンダーアーマー。手首にポケットがついていて、鍵や小銭が入れられる。便利!

iPodも必需品。もう10年以上前に買ったけど、買って数年後、不良品の可能性が、とかいっていきなり新品が送られてきた。感動したなあ、あれ。イヤホンはBOSE。ニューヨークのJFK空港で自販機で購入。たしか5000円くらいだった。1ドル77円だったから…。以来使い倒してコードはぼろぼろ。絆創膏でごまかしてるけど、もう新調しないといけないんだろうな。

 

 じゃあなぜ走るのか?

  

 で、走る話に戻ります。

 なにも目指していないと言いながら、本当になにも目指してないわけないです。走るといいことがあるから、走ります。

 私のランの目的は、体重増加防止と老化防止、心の沈静化、そしてその日の快眠、快適度をあげるため、などが目的です。

 体重については、本当は減量が目的だったのですが、なんだか世間で言われてるようにはちっとも痩せなかったので----私は10年前「Tarzan」を穴があくほど読んで、これだけ走れば絶対に痩せるという一文を信じて ほぼ毎日10km近く走り続けましたが、結局理想体重までは痩せなかったです-----、今はどちらかというと、日々ついてくる脂肪をなんとか振り落とすため、というのが真の目的になってしまっています。本当、哀しい事実ですが、走ればどんどん痩せる、というのは…哀しいですが、嘘でした。私の場合。

 

もちろん、走るのをやめたら、どんどん太るとは思います。さらに哀しい。

 

 老化防止という意味も大きいです。肉体の、そして脳の老化防止。40歳すぎると、びっくりするぐらい衰えるのです、とくに脳が。

 覚えられないし、忘れるし、集中できない。姪っ子と神経衰弱やったら完敗して、母親に「まあ…あんなに記憶力よかったのに」と呟かれたときはかなりこたえました。

 俳優の名前を思い出せなくて、思い出そうとするあまり(ググらないのです、意地でも)目の前の映画に集中できなくて夫に呆れられることもたびたびだし、その映画も、好きで観ているはずなのにすぐにべつのこと考えて筋がわからなくなったり。あれをやりはじめたら、これがきになる、と心がつねに浮ついている。

 もちろん、今やろうと思ったことが瞬時に消えてしまう、電話番号その他番号系をほんの5秒間も、覚えていられない…。

 脳細胞がどんどん死んでいってる、という恐怖。

これを少しでも振り払うために走っているのです。

 走る目的は、次回につづく。

 

 

柿は唐辛子でいただく

柿は野菜と思うことにした

 柿って、特別好きと思ったことないのですが、唐辛子と塩をつけて食べると、ものすごくおいしいと知って、最近凝っています。有本葉子さんがどこかの本で書いていた食べ方です。柿の持っている甘さが、唐辛子と塩によって、すごくありがたくなるというか…新しい美味しさです。

そういえば、春菊と柿をあえて、ビネガードレッシングで食べるのも、一時好きだった。どうも生の春菊は、翌日湿疹ができるらしいと気づいて、食べなくなってしまったのですが、あれもおいしかったな。ルッコラで作ればいいのか。柿はおかずとして食べるのがいい、というのがここのところの結論です。

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 有本さんの本には、ときどき「!」とうなるアイディアやレシピが載っています。「へえ〜」ではなくて、「う!」という衝撃。この間は、「私は洗濯はしません。ほぼすべてクリーニングに出します。洋服をいつまでもきれいに保つためには、これしかありません(大意)」とかいうくだりを読んで、びっくり。こんなこと言う人、聞いたことありません。そして私は当時、どうしたらお気に入りの服をしょっちゅう着ながら、いつまでも古びずに保てるのだろう?とよく考えていたので、衝撃はなおさら大きかったのです。

「やっぱりそうか! 洗えば洗うほど痛むのだ。それは宿命なのだ」と、認識を新たにしました。もちろん、自分にはすべての衣類をクリーニングに出すなんて考えられないけど、こういうことを思いついて実行して、それを(非難を浴びる可能性も高いだろうに)本に書くっていうことが、オリジナルでかっこいいです。

 

えーと、それで、柿。

中が真っ黒な柿は、甘い証なのだとか。タンニンらしいです。

パワーヨガをいっそ毎日してみたら2

そして毎日やったら!

 そんなこんなで週1でだらだらやっていたパワーヨガを、毎日やることにした。問答無用でやることに決めた。

そしたら。

そしたら! 

なんだか爆発的な爽快感がやってきたのである。

 始めて2週間くらいが、すごかった。朝はすかっと眼が覚める。起きたときから、猫背気味の背筋がぐーんと伸びている。勝手に伸びている。それをさらに意識的に伸ばすと、うわー、と声を出すほど気持ちがいい。身長、伸びてるかもな、と本気で思った。階段がかるがるとあがれる。スキップしたいほど足腰が軽い。顔が上を向く。心が澄んでいる。頭が冴えている。本当に、すれ違うひと全てにこの快感を訴えたいほど気持ちよかった。

 

 ………が。

 残念ながら、この衝撃は一時的なものだった。人はどんなことにでも慣れてしまうのである…。次第に、いつものように寝起きはつらく背中はまるまり、低気圧がくると気分が滅入った。寝覚めも、いつものようにだるい。

 

 

それでも、気のせいではない

 それでも、ヨガの効果が幻だったわけではない。効果が消えたわけではない。効果に慣れてしまったのだ。しかし、あの一瞬のハイ状態のときに、毎日ヨガをすることが習慣にしてしまったおかげで、今ではほとんど苦もなく朝、マットを敷いている自分がいる。

 鏡にうつった姿は、明らかにしまった。体重は変わらないけれど、前はきつかったセーターの袖も、普通に入るようになった。階段を上がるのも、もうつらくない。なにもかも面倒くさい、という気持ちにもほとんど襲われなくなった。効果が消えたわけではない。効果に慣れてしまっただけで、ちゃんと身体は以前より進歩しているのだ。誰かに言って回りたいほど元気ではなくなったけど、以前よりは確実に上向きではある。三歩進んで二歩下がる、である。

 

目に見える成果

 うれしいのは、まったくできなかった開脚が少しずつできていること。開脚することは完全に諦めていたので、できる範囲でいいや、とそこになにも注力していなかったのだが、毎日ヨガを始めて半年後、お尻の下に敷く薄い座布団が不要になっていることに気づいた。以前は、あまりにも腰が反らなくて(私は後屈型体型なのです)、お尻の下になにかはさまないとほんのわずかな開脚もままならなかったのだ。だが、ある日、なくてもそれなりに開くことに気づいた。そしてゆっくりゆっくり、開脚し続けている。同時に確実に前屈できるようにもなっている。

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 さらに、昔は「完全にありえな」かった曲芸のようなレベル3にも手を出してみた。「できることだけやればいい」と、ブライアンの口癖を唱えながら。それでも、翌日全身が痛くなるほどハードだった。え?え? ええええ!?とあまりのハードさに驚いた。真夏に始めたのでとんでもなく汗をかいた。

 しかしこれもなんどもやれば、少しずつできるようになる。本当に、ヒトって、なんにでも慣れる! ひーひー言いながら、5回に一回程度の頻度でやったのだが(ほかはレベル2)やはり10回程度やったら、驚くこともなく、ごく当たり前にできるようになった。毎回少しずつできるようになるので、やるのが楽しみなくらいである。

 

できて一番うれしかったのは、この「カラス」のポーズ。

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最初は修行僧しかできないでしょ、これ、と思っていたのだが、「案外するっと、ある日突然できるようになる」というネットで探し当てた言葉を信じてトライしていたら、本当にある日突然できるようになった。いつも左ひじに先に脚をのせて失敗していたのだが、右ひじから最初にのせたら、すんなり乗ったのだ。なんでだろう? 右ききだからか? 不思議だな。こんなことで半日はうれしい。

 しかし、まだ自分はひじに両脚をのせてつま先をくっつける、という段階まで。本当は、ここからさらに頭を浮かせてポーズは完成するのだが、これができるようになるのは少し先だろう。

 いまでもレベル3のポーズでお手本通りできるのは半分くらいだ。一部は誰にも見せられないほどひどい姿でしかできないポーズもある。それでも、自分なりにポーズをとり、それが安定すると、快感はちゃんと訪れてくれるのである。できないことに引けめを感じることはないのだ。

 

まだよくなる、という希望

 物事が前に進んでいる、という実感。45歳にもなると、これこそが一番大事かもと思う。だって、本来はもう人生後半をすぎていて、なにもかも下降していくことが当たり前なのだ。肉体は衰え、頭は悪くなり、終末にむかってゆっくりと進んでいっている。そういうことを日々思い知らされるなかで、まだちゃんと向上しているものがある、向上させることができる、ということ、これは大きな支えなのである。

 だから私は、毎日ヨガをするのです。

パワーヨガをいっそ毎日してみたら1

 

パワーヨガをしたらリフレもスパもいらなくなった

 

 ヨガもいいけれどすこし物足りなくて、もっとがっつり運動して、がっつり痩せるようなことがしたい、と思っていたらパワーヨガが流行ってきた。2006年頃の話。あれから10年くらい続けている。ラン同様、その続いた理由を考えてみた。

  最初はスポーツクラブのパワーヨガクラスをとっていた。息があがるような、やや必死でやってる感がほどよくて気に入っていたのだが、スポーツクラブのない田舎に引っ越すことになった。それで自分でやろうとDVDを探したのが、ブライアン・ケストとの出会い 。

 

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 ブライアン・ケストさんがどれだけアメリカのパワーヨガ界で偉いのか、などの情報はいっさいないまま、数あるパワーヨガDVDのなかからこれを選んだのは、アマゾンレビューが大量で、かつ内容がアツかったから。「とにかくきつい」「内容が充実しすぎ」「やりごたえある」といった感嘆の声が山のようにあって、いったいどんだけすごいのか、猛烈に好奇心がかきたてられた。。50~60分のレッスンがレベル違いで3つ収録されて実売2000円程度という破格のコストパフォーマンスもよかった。

 

この快感は、はじめて

 実際、初級のレベル1からもう、かなりきつかった。これで初級かあ!と驚くほど、次から次へとスピーディにいろんなポーズをとらされる。やり終ると、全身がふにゃふにゃになって、文字通り心と身体の両方がほぐれた。意識がとろーんとして、でも眠気とも違う不思議な浮遊感覚に包まれる。これは新しい快感だ、と思った。こういう気持ちよさは味わったことがない。

 

 昔から慢性肩凝り&首凝りの私は、それまであらゆるタイプのボディケアに通っていた。整体、アロママッサージ、ゲルマニウム温浴岩盤浴にタイ式マッサージetc、お金のつづくかぎり。しかし、どれをやっても、施術が終って思うのは、ああ、これで数千円消えてしまった、という虚しさだった。

 確かに気持ちよかった。でも気持ちいいのは身体をさすられているその瞬間であって、終ってしまったら快感はあとかたもない。相変らず自分の肩は凝っているし、首もがちがちで目も痛い。問題はなにひとつ解決していない。しかも財布が軽くなっている。

 このような虚しさがパワーヨガにはない。ただただ、ゆるゆるとした未体験の心地よさがあった。やっぱり快感を得るためには、寝ているだけじゃだめなんだな。

 

 ほどなくブライアンのパワーヨガが大のお気に入りになった。数ヶ月でレベル2にも挑戦するようになった。レベル2は1よりさらに気持ちいい。片脚立ちで両手をひろげるなど、バランスポーズが多く、このバランスをとるという動作は、よく「心の安定をはかる」と言われるが、どうも快感を伴うらしいのだ。体中の筋という筋が伸びてる気がする。

たとえば、「ジェット機のバランス」ポーズ。

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 股関節、脇の下、そして背筋。すべてをぐーっと伸ばすと、なんともいえない気持ちよさがある。ふだんよほど縮んでいるということなのかもしれない。

 

で、ここから…

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 ⇧この流れのバランスポーズは相当気持ちいい。バランスをとることの効能は、実はまだしっかり解明されていないとジョン・J・レイティ「脳を鍛えるには運動しかない」(名著!)に書いてあった。確かに体と脳にいいことが起きてるらしい、というところまではわかっているのだが…とかいう内容だったと思う。

 でも確かに、バランスをとって、それがしっかり安定したときに、鎮静作用をもたらすなにかが脳から出ているのは感じる。なんというか、心が太くなっていく感じ。それくらい、成功したバランスポーズというのは気持ちがいい。

 

 だが、さすがに超上級といわれるレベル3は一度やって以来、10年間手をつけなかった。だってもう、ひじに脚をのせるとか、修行僧みたいなポーズが入ってて、到底無理、という内容だったから。ひたすら2をやり続けた。

 

週1を8年くらい 

 理想は週3回。でも実際は週1回で、ちょっと仕事がたてこむと10日に一度。このときはきまって翌日の筋肉痛が激しかった。始めてから7年くらいはそんなペースだった。いつもやり終えると最高に気持ちよくて、ああー、次こそは2,3日後にやるぞ!と決意する。でも実際はしない。DVDを起動するのも、1時間の時間をとるのも正直億劫だった。これを週に3回もやれたら、ずいぶんいいことが起きるだろうに…とただ、思い続けていた。

 

 

最小のコストで身体がしまり、心が静かになった

 それが今年、変わった。

 毎日してみることにした。きっかけは、身体をしめたかったから。鏡を見ると、だらーんとした中年体型の自分がいて、これをどうにかしたかった。

 出かけようと決めて、化粧する。着替える。鏡でチェックする。すると、予定をキャンセルしたくなるほど、悲しい姿の自分がうつる。あちゃあ、自分ってこんなに老けちゃったの? 一時期は仕方ないと諦めていたのだが、いや、まだもうすこしやれることあるんじゃないの?と思い直した。そして思いついたのが、姿勢をよくする、シルエットを「締める」だった。

 ダイエットは年中無休でやっていて、もうやりすぎてどれだけ走っても痩せない。夕飯は食べないし、食事内容も炭水化物をやや控えて野菜たっぷりというダイエットメニューが基本で、正直、もう減らしようもない。

 残る手だてとしては、姿勢をよくし、筋肉を鍛えてたるんだ肉をしめるしかないのだ。パワーヨガならいますぐ家で、無料でできる。週1よりすこし増やしてみようかな。…と、同時にふと思った。

 今まであり得ない、と思っていたことをやってみたらどうなるのだろう? たとえば週3なんかじゃなくて、いっそ毎日やってみれば? 毎日やったらどうなるの? ちょっと無理、絶対無理と当然のように思い続けて来たが、実際は?

 やっぱりありえなかった、とすぐにやめてしまうか。もしくは、意外とできた、と続いたりするのか。それを試してみたくなった。

 

ただ「毎日やる」「朝やる」と決める

 

 ともかく、問答無用に毎日やってみることにした。「筋肉トレーニングには休息が必要だから毎日はだめ」とか「無理めのポーズが多いせいか、連日やると腰痛をひきおこす」とか「生理中は避けるべし」とか、さぼる理由はいくらでも出てくるのだが、そういうのはいっさい無視しようと決めた。時間も、午前中はやめに8時~9時に行うことにする。

 

 週1でやっていたときは、たいてい夕方の4時あたりだった。理由はそんなはやい時間からできないよ、と思っていたからなのだが、この時間にやるということは、4時までずーっと「今日はやらなきゃな」「もう2時だ、やらなきゃな」「いやでもあれやってから…」「あ、4時半になっちゃった、走りにいかなきゃ…でもその前にヨガしなきゃ…」などという不毛な自問自答を、半日していなくてはいけないということである。不毛なのだ。

 面倒なことはいちばん先にやる、これは快適な毎日の基本だ。なのに、どういうわけか「そんなはやい時間にやるなんてありえない」と、午前中のヨガを拒否していた。今思うとなんであんなに頑なだったのか、不明。

 

 元気なうちに元気なことを

 

 朝やることにしただけで、始める前の面倒な気分は激減した。しかも、さっさとやってしまうと、「とりあえずひとつ、やるべきことは果たした」達成感で満たされる。なんでも気の持ちようなんだな、と当たり前のことをしみじみ思う。「朝やる」と決めてしまえば、朝やることが、当たり前になるのだ。 

  こういう“今までと違うこと”をやるにはエネルギーがいる。元気がないときにはそんなこと絶対にできない。でも、一年に数回元気なときというのがある。いろいろなことがうまくいき、身体が軽く、夜も眠れる。背筋も伸びてる。なんだかいろいろがんばってみようかという気にもなる。そういうときにがつんと、新しいことをやるのがこつだ。そして元気の勢いを借りて、それを習慣にしてしまうまでやること。数日か、1週間か。習慣になれば、元気はなくなっても、なんとか継続することができる。

それでいざやってみたら…つづく。

パン種作りなんで二の次よ、というひとによる、パン作りの本 その2

自分の体感とセンスで作られた価値観

 とまあ、そんなラフな調子で本は進むのですが、でもパンの作り方指導は決してラフではありません。生地の扱い方、様子の味方、判断の仕方、発酵のしくみ等、丁寧なところは限りなく丁寧に書いてくれています。これまでこんこんと、繊細に、パン作りを行ってきたんだなということが、言葉の端々から伝わります。

 

 私は林さんの、このバランス感覚がとても好きです。味噌から麹からパンまで、そして挙句の果てには七輪やかまどまで(!!)なんでも手作りしつつ、カンパーニュに一割ほど配合されたライ麦を「健康的」とありがたがる風潮を嗤う。甘い菓子パンを、「体に悪いから」と砂糖を減らした中途半端な配合で作りたがることにも疑問を呈する。手作りだからおいしい、という説にも「まずいものはまずいのです」と異を唱える。

 林さんの主義主張は、頭でっかちなものでも、借り物でもなく、自分の体感とそしてセンス(…としか言えないですよね、この好き嫌いの絶妙な感覚)に基づいている。

 

発酵が失敗した。そのとき!

 

 センスといえば、林さんの感覚に胸打たれた、すごいエピソードがあります。

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 これは別の著書「和 発酵食づくり」にある話。あるとき、例によってなにかを発酵させていました。そしてそれはなにかの加減で失敗したらしく、ちょっと妙な匂いを発しだしました。

で、どうしたか。

 そのまま観察のために放置したのです。変な匂いは強まり、そのうちとんでもない異臭になり、蛆虫がわき………それで、いったいどうなるの? 彼女は最後の最後まで観察し続けたのです。一体、最終的になにになるかは、読んでのお楽しみ。すごかったです。

 普通は、発酵食が変な匂いがした時点で、わあああ、と言って処分します。それ以外、考えられない。汚いもの、危険なものができてしまった!と顔をしかめながら消去するでしょう。私はします。

 このままいってなにがあるのか? なにができるのか? など考えたこともなかった。その発想に心底脱帽しました。

 こういうやり方…生き方があるのだ。

 そして、こうして生きるとたぶん、すごくおもしろい。

 

手作りは、自分をアピールするパフォーマンスではありません

 例えば彼女は、「手抜きの手作り」を否定します。一次発酵だけでパンを作れないことはない。時短で簡単にパン(的なもの)が焼ける。でもそれは明らかに味が劣る。そういうものを、「母の手作りよ」と家族に出すようなことを、とても嫌います。

 

「手作りとは自分をアピールするためのパフォーマンスではありません。慈しみ育みたいがために行うものです」。

 

 これもまた、目が覚めるような言葉です。

 そして、それはつまり「作りたくない気持ちのときや、都合のつかないときは、無理に作らなくていい」という姿勢を表してもいるのです。

 「無理を通しても何もいいものは生まれてきません。特に、自分以外の生命体の微生物、時間、そして環境に依存する発酵食作りの類は頑張ったから必ずうまくいくという保証のない作業です。だから〈頑張らない、でも、あきらめない〉。

 そしてしくじったときは〈いいじゃないのよ、失敗したって〉。しくじりを受け入れていたわるくらいの「ずーずーしい」心根をもちましょうよ」

 

 これはもはや、パン作りだけの話ではない。〈ありかた〉の話だ。

 抗えないものには抗わない。同時に、自分のなかから生み出すことにいそしむ。好奇心を旺盛にする。足りないものがあったら、嘆くかわりに、かわりのものを生み出す。そして、それを慈しみ、楽しむ。

 

 私は彼女の本を読んだら、とても自由にパンが作れるようになった。レシピにある通りの粉が揃わなくても、実験気分で作ってみる。水分を気分で増やしてみたりする。よくこねる場合とよくこねない場合、どちらも試してみる。

 書いてみたら当たり前だが、以前はこういうことができなかった。ルールにがんじがらめで、してはいけないことだらけだったから。「食パンはこの粉が最適です」と書かれていたら、それ以外の粉ではもう絶対作れなかった。他の粉がどんなふうに最適でないのか、試してみるかという気持ちが持てなかった。

がんじがらめな自分に気づくことができるのは、縛りが解けたあとなのだ。

 作ってみる。試してみる。失敗して、なにかに気づく。それを補おうとまた作る。たまに新しいことを思いつく。試してみる。成功して喜び、失敗してまた考えて、発見して、やり直す。そういう過程すべてが楽しいのだと、あらためて教わった。

 

自分の生きているおおきな世界を感じなおす

 林さんの生き方は、彼女が北海道生まれだということにも関係しているようです。

 長い長い長い冬とともに、彼女は成長してきた。

 「万物が陰に入る季節が冬。(中略)ことせいて活動したくても、しようのない現実と、それでも動じずにもくもくと日常を生きる北国の生活者たち。(中略)ただもくもくと時間の流れに身を添わせ、次の季節が来てくれることを信じてまつことが血肉となるものです」

 

 目に見えないミクロの菌の世界から、日常の私たちの世界、そして空や大地や雪の、大きな果てしない世界。彼女の言葉を読んでいると、自分のいる場所が新鮮に見えてきます。壮大で深くて、無限。ああ、自分はこんなところで生きているんだなと、なんとも不思議な新しい感覚に満たされるのです。

 

 林さんは、残念ながら2010年に急逝されました。けれど、林さんがたくさんの著書で伝えてきたこの深くて大きな物語は、今も日々、この世界で静かに発酵して、増殖を続けています。

パン種なんて二の次よ、というひとによる、パン作りの本 その1

著者は我道をいく発酵食生活者

“若い頃はいろいろなものをぷくぷくと発酵させてはパン種にして、理科室での実験のようにパン作りを試みていました。どんなものでも、発酵させさえすれば、焼くとそれなりにパンになるものです”

 というワイルドなパン焼き人が、「ドイツには小麦粉と水だけでパン種を起こす人だっている」とたった一言の情報だけを頼りに、目分量で小麦粉と水を合わせては放置(発酵)、合わせては放置、を繰り返して1か月後、小麦発酵種を完成させてしまった。それで作ったパンは“ポンポコリン″にふくらんだので、「ものの試しで(そのパンから)ひと握りとりわけてパン生地材料に放り込み、パンを作って」みると、真っ白でふわふわの香りのよい、酸味も硬さもないパンができたのでした…。

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 林弘子さんのこのワイルドな、料理人とかブランジェリとかいうよりも科学者、いや科学者というよりは生活者、とでもいうパン作りの姿勢は衝撃でした。この本を読んで、もう2年くらいパンを作っているのに、たぶん自分はなにもわかっていない…という五里霧中な世界の霧がはれたのです。

 

 それまでの自分は、とにかくレシピにある通りに作っているだけで、たとえばなぜパンチを入れるのか、なぜ一次のあとはベンチタイムをとらなければいけないのか、食パンはよーくこねるのにバゲットはこねないのはなぜか、そういうパン生地の仕組みのすべてが、文字としては知っていても、体感的にあまりよくわかっていませんでした。

 だから失敗すると、なぜ失敗したのかわからないし、レシピのアレンジもできない。いちおうパンは焼いてるけど、パンという菌を増殖させて小麦粉をふくらます食べ物の根本がわかっていない、という感じでした。

 

 そんなときに読んだのが、この「小さな酵母パン教室へようこそ」。

 発行は自然食通信社というところだし、表紙の雰囲気などからも、まさにベジタリアンとか自然食の人向けの本で、自分には関係ないかも?と思ったのですが、とにかくパン作りに謎が多すぎて、なんでもいいから知識と情報が欲しい!と藁をもすがる気持ちで手に取ってみました。そしたら、これはいつも読んでいるパンレシピ本とはまるっきり違う次元の話なのかもしれない!と雷に打たれたのです。

 

パンの作り方というか、生き方の問題らしい

 そもそもこの方は18歳の頃からお母さんから教わって、漬物や梅干し、味噌や麹などを作る発酵職人だったようです。パン作りはその延長。「どんなものでも発酵させさえすれば、パンになる」っていう、この感覚、レシピ通りに1gの狂いないよう計量し、レシピ通りに作ることばかりに命をかけていた私のような人間には、本当に目からうろこでした。

 そうか、りんご酵母なのかレーズン酵母なのか、と悶々と悩んでたけど、食べ物って、なんでも発酵するんだ。で、それを水と粉に入れれば、膨らんで、それはすなわちパンなんだ。

 という具合に、パンの基本に目覚めさせられました。

 

 林さんはかなり率直な方です。几帳面に粉と水を継ぎ、でもうまく発酵させられず、それでも規定の時間通りに次の粉と水を継ぎ、永遠に発酵種が作れない人。そんな人に彼女は「てきとうに、いい加減に、気分次第で」あとは「ほったらかし」で、とアドバイスします。「そんな几帳面に種継ぎしていたら、生地も発酵する時間がもてないでしょうに」という意味です。でも、そういう人たちは、それでは腐ってしまいそうで恐い、と、かたくなに従わない。

 これを、林さんは「発酵食生活者」と「そうでない人」の違いだとばっさり言い切ります。パン作りの本のなかで、「パン種作りに無我夢中で没頭するより、日常の食作りに役立つ味噌や漬物を季節折々に仕込むほうが、はるかに生活に役立つし、パン種も起こしやすくなると思うのですが」などと言うのです!

 

 あまのじゃくの自分は、パン種作りに苦しんで買った本でこんな文章を読まされて、うわー、こんな人初めて。めっちゃくちゃおもしろい!と感動したのを覚えています。

ちなみに、上記の言葉は、味噌や漬物などを日々起こしていると、家のなかに様々な菌がすみつくので、パン種も簡単に起きるようになる、という意味です。 

 林先生はさらに続けます。「お味噌汁と漬物がある普段の食卓が、一番心安らぐのではないかしら。一番大事なものを作りましょうよ。パン種なんか、二の次よ…」。これを自ら主宰するパン教室で毎回つぶやくらしく、私のように、「どーーーーーしてもふくらまない」と青筋立てて教室にやってきた生徒たちは、がっかりして去っていくそうな。まあ、そりゃそうですね。その落胆ぶりが目に浮かぶ。

 

 でもおもしろい。だって、こんなことつぶやくこの方の教室はこの当時ですでに10年以上続いていたのです。著者いわく「物好き」な生徒さんたちがいれかわりたちかわり、通い続けたのです。

  林さんによると、なんでも自分で手作りする人は、だいたい同じようにパン種も自力で作り方を発見するそうです。そしてだいたいみんな、「ほっておいたらできちゃった」と笑うらしい。冷蔵庫に入れたことも忘れて、ある日、これなんだっけ?と袋のなかをのぞいてみたら、「プクーッと膨れていたのよ。ハハハハ!」。

こういう姿勢が発酵食品生活には必要なのだという。

発酵は「思うに任せない生命現象」だからです。

「発酵は、肩ひじ張らずがんばりすぎない時間の流れのなかで、静かに着実に進むものなのです」。

 

 がんばってもがんばっても、うまくいかないときはうまくいかない。そういうときは、他のもっと大きなものに目をむけて、息をふうっと楽にする。すると、

 

「今までの頑張りは頑張りではなく、独りよがりな思い上がりだったのだなあと、自分の思考の上滑りや、行動の空回りに気づくことってあるでしょう」

 

いわゆる、エッジのたったクープとか、ボコボコ&膜厚の気泡だとか、今、美しいとされているパンの姿とはちょっと違うかもしれない。でも、二の次にされたパン種の真実が、ここにある、と思いました。 

その2につづく!