いつ発症するのか!?
「数々の人々が店を辞めていったよ」
と、かつてちょこっとパン屋でバイトしてたときに、焼き担当の女の子が言っていた。なんの話かというと、小麦アレルギーの話。
「パン屋で働くと結構な数の人が小麦アレルギーになっちゃうんだよね」
子供の頃からアトピー性皮膚炎、アレルギー性結膜炎&鼻炎、たまにぜんそく、と闘い続けている、自他共認めるアレルギー人間なのだが、小麦アレルギーについてはほとんど考えたことがなかったので、驚いた。パン屋に務めると、少なくない人間が小麦アレルギーになってしまう……衝撃。それじゃあ、あたしなんて真っ先に…。
と、思っていた数年後。この間もせっせとパンをこねお菓子を焼いてきたのだけど、あるときから、パンを仕込むと、猛烈に首がかゆくなり、くしゃみがとまらなくなった。
「来た…ついに来た」。
いつかパンとお菓子の店が開きたいと考えていたので、小麦アレルギーになったらその計画は白紙、と怯えていたけれど、ついに宣告されてしまった。パンを仕込むたびに、これではたまったものではない、というかゆみとくしゃみが出る。仕方がないから、マスクをして、タートルネックを着るか、スカーフを首元に巻いて、調理用極薄手袋をして仕込むことにした。いちおうこれでしのげるので、計画は白紙なわけではないが、でも基本的にアレルギーって、原因物質に触れれば触れるほどひどくなる。店など始めて、大量に小麦粉とたわむれたら、猛烈に悪化するかもしれない…どうしたらいいんだ…そしたら小麦を使わない定食屋に変えようか?
などと思いつつ、数年。最近は、キタノカオリで食パンばかり焼いていたのだけど、「そういえば、この粉のときはくしゃみでないなあ」と思っていた。
田舎のパン屋さんが小麦アレルギーについて教えてくれた
で、そんなときにこの本を読んだ。
「腐る経済」 渡邉格著 講談社
副題は“田舎のパン屋がみつけた”。自力で見つけた麹菌でパンを焼いて田舎で売ってる著者が考える、理想的な経済の回し方を提案しつつ、彼自身の生き方を綴った本である。前々から読みたかったのだけど、古本で安くなるまで待ってたら、ずいぶん時間が立ってしまった。なにしろ大人気で、ちっとも安くならなかったのだ。…と、改めて書き出すと、自分のみみっちさに驚く。定価と古本の値段の差って、数百円だから…。
私の狭量さはおいといて、とにかく人気なだけあって、すごくおもしろい本だった。30歳くらいまで完全な負け犬人生を歩み、一念発起してパン屋を始めたと思ったら、麹菌まで、普通の店のようにどこかから仕入れるのでなく自力で作りたいと、カビを生やして食べてみて(!)…という命がけの実験して理想の菌を見つける…という過程もすごくパワフルだし、グローバル社会になって、食材が世界中の思惑でどんどん値上がりしてしまうことに対抗すること、重労働の代表のようなパン屋を営みつつ、インプットしなければアウトプットできないと、週に2日完全に休むし、冬は1か月の長期休養までとる、そのうえで家族を養うためにはどう店を経営し、働けばいいのかを考えるというワーキングスタイルなど、どれも目が覚めるような驚き。自分で自分の道を切り開く、というのはこういうことかと思わされて、これはあと何度も読み直したいから売ることはできないな、という一冊だった。
そのなかの、衝撃のひとつが小麦アレルギーについて書いたくだり。何軒かのパン屋で修行した彼は、ハナをすすっているときに同僚に“ようやくパン職人っぽくなってきましたね”と言われたという。手つきがプロっぽくなったのかと思ったが、違った。
鼻すすってるじゃないですか。パン職人の職業病なんです」
「どういう意味?」
「小麦アレルギーだと思いますよ。僕は鼻より手のほうがひどいですけどね」
Sくんは、あかぎれでカサカサになった手を僕の目の前に差し出した。
驚き①。小麦アレルギーになっても辞めず、アレルギーのままパンを作っている人たちがいっぱいいること。そしてそれが当たり前のほど、パン職人のほとんどは小麦アレルギーにかかってしまうということ。
最初に聞いたのが「アレルギーなって辞めてった数々の同僚たち」の話だったせいもあって、アレルギー=廃業だと思っていたので、まず私はここで驚いた。そうか、辞めなくてもいいのか……。
とはいえ、だから万歳、という問題でもない。実際、アレルギーってのは、つらいんですよ…。子供の頃からこれに悩まされてきた私は、体中の断続的かゆみが、そしてそれによるひっかき傷、ずっと通らない鼻、出続けるくしゃみ鼻水などが、どれだけ集中力とやる気を奪うか知っているだけに、「情熱さえあればアレルギーでもよい」とは即断できない…。
ていうかそれって、小麦アレルギーじゃなくて…
で、驚きは続く。その②。
「でも、小麦アレルギーの本当の原因は小麦じゃないっていう見方もあるんですよ。ワタナベさんは、輸入小麦のポストハーベスト農薬って知ってます?」
日本でも流通している小麦粉の90%近くは輸入品で、輸入小麦には、船便で出荷する前に殺虫剤が振りかけられている。(中略)
収穫後の作物に農薬を振り撒くことは、日本国内では危険だとして禁じられている。ところが、これがなぜか輸入品に関しては当てはまらない。船便で出荷されてから日本に届くまでの約2週間、小麦は、船の上で殺虫剤とともに波に揺られているのだ。(中略)
「国や製粉会社は、小麦から検出されている農薬は基準値を下回っているし、小麦粉を加工して食べる分にはまったく問題ないって言うんですけどね。僕の知ってるパン職人は、だいたい鼻か肌かやられてますし、ワタナベさんの鼻や僕の手も、残留農薬のせいなんじゃないですか」
これだけでもがーん!と声が出てしまうほど驚いたのだが、まだ終わりじゃなかった。
僕の最後の修行先、「ルヴァン」というパン屋では、国産小麦だけでパンを作っていた。そこで働きはじめてしばらく、気がつけば、僕の鼻の調子がすっかりよくなっていた。
残留農薬! なんということだ……。思えば、むかーし「美味しんぼ」にはまっていたとき、ごくごく最初のほうで、あれだけ山岡がポストハーベスト(収穫後の殺虫剤散布)の危険性について憤っていたではないか。「ポストハーベスト! 恐ろしい!」とたしかぞっとしたはずなのだが、長い間適当に生きていたら、外国産のレモンやオレンジを買わなければいいのだ、という、ただそれだけしか私の頭には残っていなかったのである…。というか、ポストハーベスト食品は、オレンジなどのように必ずでかでかと「農薬散布してます」と書いてあるのだと思っていた。輸入小麦の袋にそんなものは書いていない。
この話が異様に説得力を持っていたのは、この本を読む前から「キタノカオリ(国産)」をいじってるときはくしゃみが出ない、ということと、「ラ・トラディション・フランセーズ(仏産)」をいじってるときは激しく出る、という事実にぼんやり気づいていたからだ。なんということだー。残留農薬なのか? そうなのか!? いくら国が安全、と言ってたって、実際こんなに首がかゆいんだから、なんかあるってことでしょうが! もちろん、一個人が「そうなのかもしれない」と推測しているだけなんですが。
これはショックです。なぜならば、ラ・トラディション・フランセーズという粉は、これで1本記事を書いたくらい、おいしくてお気に入りだったからである。ていうか、ラ・トラにかぎらず、例えば菓子用の「エクリチュール」とか石臼挽きの「グリストミル」とか、外国産には「これでなければ」と思い込ませる独特のおいしさがあるんだよなあ……。ああ、あれらを全部諦めなければいけないのか。
幸いなことに、「キタノカオリ」や「スローブレッドクラシック」など、国産にも「これがいい!」と思いつめる粉があるけれど、でもなあ…だからといって、あれら輸入小麦すべてを諦めるのはつらい…。
この問題は簡単には解決しないけれど、長年?と思っいたことに、ひとつ理由が見えてきたということで、ある意味すっきりはした。このさきどうしようかは、まあゆっくり考えよう…。
「腐る経済」おもしろいです。帯にある通り、“これからの生き方を探る、すべての人へ”というフレーズが、まさに。これからの生き方を探ってる時間はもうない46歳にすら、かなり響きました。