3月16日
晴れ
23℃
クレソンピザトースト
花粉舞う春のため、眠りが浅く、日中ははなばかりかんでいる。目もかゆい。なのでやる気が出ないので、トーストも適当だ。いつもと同じ、のりピザトーストなのだが、日曜に届いた岡山のクレソンが大量にあるのでチーズの下にたくさん入れてみた。結果は…えーと、可もなく不可もなく。普通においしいピザトーストでした。
映画
『愛のコリーダ』(1976)
町山智浩の本『トラウマ恋愛映画入門』に出てくる映画、観てないものを観ようキャンペーンがスタート。だいたいがデマンドでは観れないのでツタヤでレンタルしたのだが、この『愛のコリーダ』だけはNetflixにあった。
「問題作」としか知らなかったのだが、これって「日本初の本格ハードコアポルノ」だったのね…。松田英子は素人好きの大島渚のもくろみ通り、芝居は下手なんだが、目が暗くてすごい。対して藤竜也はものすごい、うまい。愛情溢れてる感じが定の凶行をしっかり納得させる。
町山さんは「究極の愛ってのは、これなんじゃないか」と言っていて、そうなの?そうなのか?とぐるぐる考え続ける。「相手を全部受け入れること」が究極の愛であり、しかしたいてい人は自我を通そうとするから結婚は長続きしないのだ、というようなことなのだが…。ここに出てくる吉蔵は、とにかく定の言うことすべてを受け入れる、これこそ愛だ、と。
うーむ。わからない。難しい。
それよりも、この阿部定の人生が気になってしょうがない。子供の頃は美人で親にちやほやされ(しかし四歳まで母親の乳が出ず、他人に預けられていた)、そのうち不良になり料亭勤めを始めるのだが、問題を起こしてはくび→転職、を繰り返して最後は女郎屋に行きつき。事件後もかなり長く生きる。坂口安吾などの作家や文化人たちは「ファム・ファタール」として崇めたそうな。最後は失踪。
うーむ。「なにかを積み上げていく」ということとはまるで違う人生である。むしろ破壊を繰り返しているという意味で緩慢な自殺に近い。そしてこういう人生は別に珍しいものではない。人間はより良くなろうとするばかりではない、ということなのだが。書いててうまくまとまらない。うーむ。