独楽ログ〜こまログ〜

50代、女性、日本人、がひとりで毎日楽しくすごす方法を検証、実践、そして記録。

MENU

こなログ ツナ香菜プレート

4月12日(水)

25℃

晴れ

 

夏日。暑い…。

 

ツナ香菜プレート

パンの気泡がいい感じ

dancyu』に載っていた、ツナと香菜のペースト。いちおう分量通りに作ったつもりだが、どう考えもペーストというよりサラダになった。両者を合わせておろしにんにくを入れる。魔が差して唐辛子酢を入れてしまった。おいしい。最近新しい副菜を開発するのに凝っていて、これもそのひとつ。

 

 我が家に新しい家具が来て、それを機に猛烈に片付けをしている。物入れのものをとにかく捨てる捨てる捨てる…。捨てつつ、新しい配置を考えるのがなかなか大変だ。基本、片付け下手。それをどうにか克服しようと十数年苦闘している感じである。

 片付けては、すぐにぐちゃぐちゃになる→放置→だいぶたってからまた片付け。というサイクルを繰り返していて、つまり片付けた状態が維持できないのである。もっと論理的に片付けなければ。と、ようやく初老が近くなって気づいた。

 前回からの学習は、「使いたいものがすぐ出てこなけれな意味ない」であった。”あのへんにある”のはわかっても、取り出すのに2アクション以上あるともうないも同然である。で、使わないと”あるはず…”という記憶すら怪しくなってくる。なので、とにかく

 しょっちゅう使うものは、さっと取り出せるようにすることが大事。そしてずいぶん溜め込んだ料理本。これもすぐ取り出せないと使わないのだ。なのでデスクの脇の本棚をまず空にして、そこにおさめる。午前中作業しているとき「お昼なににしようかな…」と考え、そのときすぐに料理本を手に取れるようにしたのである。そして「もう全て学んで身体に染み込んだ」と思った料理本は思い切って処分。

有元葉子さんの本はサバイブしている傾向あり

 とにかく「使わないけど捨てられない思い出系」と「しょっちゅう使いたい系」を明確にわけてしまう、ということを今回徹底した。で、前者は取り出しにくい奥へ。これも、”本当に取り出しやすい状態”はなんなのか見極めが必要だと気づいた。同じ場所に置いてあっても、中身の見えないかごなんかに入れてあると、途端に取り出しにくくなる。かごを使うなら浅いもの、メタルなどのスカスカで中が見えるものがよい。例えそこにあると分かっていても、深い、中の見えない箱などに入れてしまうと、もうその人は存在しなくなってしまうのだ。

 でも、片付けって本当に体力と頭の両方を使う。いろいろ衰えがきてる自分にはかなりハードな作業だ。とにかく「少しずつやればいい」と励ます。「ここだけ、この棚だけ片付けよう」と小さく小さくエリアをわけて、疲れたら&飽きたらすぐ休憩。回復したらまたちょっとやる。性格的に自分を追い詰められないので、「ちょっとやればいいのだ」というのが励ましになるのである。ほっておくと倉庫部屋、洗面所の棚、クローゼット、本棚、と”やれそう”なところがどんどん湧いてきて、「そんなにできるわけない」とめまいがするので、「そんなにやらなくていい」と言い聞かせる。

 今回は洗面所の化粧品や洗面道具系で挫折しかかった。とにかく細かいものが多すぎるのと、それをどう整頓したらいいのか全くわからなかったのである。休んでも全然やる気が復活してこなかったので、思い切って「何をどこにどう置くかは後日考えよう。とにかく今は不要なものを捨てて、スペースを作るのだ」と決めた。そしたら楽になってどんどん仕事が進んだ。あれから一週間以上経っているけど、どこに何をどう置くかは決まっておらず、がらんとした棚があるのみ…。

 ともかく、自分の性質を熟知してコントロールする。これが大事らしい。私はとにかく「これは大変だ」と物事が大きく目の前にそびえると、とたんに「無理」となってしまうので、あえて大きく全体を見ないようにする。「少しずつ。嫌ならやめればいい」を自分を騙す。それを繰り返して、気がついたら、1週間後には全部きれいになってる。そういう感じである。

 これはランニングのときと同じ。まっすぐ続く道の先を見てはいけない。「こんなに走るの…? 無理」となるので、できるだけ足元だけ見て、今、右脚を前に出すことだけ考える。そうすると気がつくと数キロ走り終えてた、となるわけである。こういうこと、十代二十代からちゃんとやってれば、私も整った人生が送れてただろうなあと思う。