独楽ログ〜こまログ〜

50代、女性、日本人、がひとりで毎日楽しくすごす方法を検証、実践、そして記録。

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仕事と人生は、そんなにつらいものなのか?

昨日まであったもの

 毎日窓から眺めていた大木が切られてしまって味気ない風景になり、毎日ブログを読んでいた小林麻央さんが亡くなってしまい、喪失感に押しつぶされそうな最近です。とくに先週は、まる一週間かけてこの木を切るチェーンソーの騒音を聞かされ続けていて、「これはまずい」と危機感を覚えるほど滅入ってしまった。

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 “昨日まであったもの、ひと”が消えてしまうということは、思った以上にしんどいものです。麻央さんなんて、知り合いでもなんでもないのだが。しかしあの人のタフでクールな闘病ブログが好きでした。どんなときも自分を茶化す余裕のある文章を読むのが好きでした。

 

ご冥福をお祈りします。

 

 一生懸命やるほど不毛

 ここ最近の不調が、久々にした仕事によるものだとは薄々気づいていたのだけど、気づかないようにしていた。だがついに気づいてしまった。簡単にいうと、「不本意な仕事を一生懸命して、しかし土台が不本意だから一生懸命やればやるほど不毛感に襲われる」という仕事で、わかりやすく言うと…“有罪だと知っている人間の弁護をして、勝訴する”みたいな感じでしょうか。もちろんこれは大げさなたとえで、違法なことはしてない。ただ不本意なだけ、なのですが。

 できることは全部やって、かなり心体尽くして作ったけど、そもそも「こんなもの作るのはおかしい」などと思っているものだったので、出来上がって世に出ているのを見ると、情けなくて打ちのめされてしまった。それが心にどーんとのしかかっていて立ち直れず、掃除をしたりお出かけしたりいろいろしてみたけど、なかなか割り切れずに時間がだらだらとたち、季節も移動しようとしている。

 そんな鬱々とした日々を過ごしていたら、ダメ押しのようにいろいろなものがなくなってしまったわけである。銀杏は刈られ、麻央さんは天国に行ってしまった。

 物事は常に動いていて、生まれたり消えたりしているのだと、当たり前に割り切れるようになると、こういうことも普通に受け止められるのだろうな。

 

 木を切り倒すチェーンソーを聞きながら、「作業員たちも、こんなに立派な木を切るなんて、つらいなあ」と思っているのではないだろうか、と考えていた。きっと近所の人たちなんかが、恨みがましい顔で作業を眺めたり、“なんてことするんだ”なんて怒ってきたりする人もいただろう。しかし、彼らが切ることを決めたわけではないことはみんな知っている。彼らは、それが仕事だからやっているだけだ。

 麻央さんを亡くした海老蔵さんを24時間追い回しているマスコミも、全員特ダネに血湧き肉躍らせて奔走しているわけでもないだろう。最愛の人を亡くした人に聞くべきこと、撮るべき写真なんてそうそうあるはずもなく、「ほんとはこんなことしたくないんだけどなあ」と気が塞ぐ思いで張り込んでいる人たちも多いのではないだろうか(そうでもないのかな?)。

 仕事って、理不尽で当然なのだろうか? 仕事を懸命にやる、ということは正しくて美しい。でもその仕事そのものが不毛で無意味で有害なものだとしたら? 

 このテーマ、まったく答え出てないのに、吐き出しモードで書いてしまっているので、ただ問いかけてるだけ、の記事になってしまってすみません。

 

「嫌なことしんどいことも多いけど、でも最終的に好きなんですよね」といえるようならよいけど、「そこに仕事があるからがむしゃらにやってるけど、ふと冷静になって考えると、この仕事、かなり無意味だし、なんなら有害では?と思う」とか「なんかやればやるほどなにかが削られていく気がする」という類の仕事だと、人生がきつい。だって、仕事ってその人生の大半を使ってするものだから。

 人々がどれくらいの割合で「なんだかんだいって好きな仕事」をしているのか「やるほどに心がやさぐれていく仕事」をしているのかは、わからないが、もしかして後者の割合が結構高いのかなあ、と思う。

 

みんな怒鳴れる人を探している 

 なぜならば、最近「怒ってる人」がすごく多いなあ、と日々実感するからである。カフェに通勤していたときは、朝夕の通気電車で、「ものすごくイライラしている人」をたくさん見た。イライラのあまり体当たりされたこともあって、泣きそうになったこともある。舌打ちする人、わざと進路をふさぐ人、露骨に嫌な顔をする人、がたくさんいて、みんなそんなにおもしろくない毎日を送っているのか?と思った。

 夫の体験だが、ついこないだも、マンションの管理人さんと掃除のおじさんが、うっかり停めてはいけない場所に駐車したリフォーム業者を、鬼のような形相で怒鳴りつけていて驚いたという。その管理人さんも掃除のおじさんも、日頃穏やかでいい人でよく働く、なにも問題ない感じの人たちだっただけに、その豹変ぶりに唖然。「そうか、ほんとはすごく怒ってたのか」と衝撃だったとか。

 

 と、そんな話をしていたら、ニュースでは秘書を罵倒して話題の豊田議員の事件。たとえ東大でてハーバード出て国会議員になっても、怒鳴りつけられる人がいればとことん怒鳴ってやろうと、噴火寸前で待機している人もたくさんいるのだ。もちろん、私もしょっちゅう腹を立てているから、普段なんとか正常な大人のふりをして生きたいと思えば思うほど、内側にいろいろたまっていくという状況はとてもよくわかる。

 

 で、結局、

 

「仕事って、そんなにつらいのか?」

「人生って、怒らないではいられないほどしんどいのか?」

 

 というところにいきつく。夫は

「みんな、いろいろ求めすぎなんじゃないの?」と言う。

 うちの夫はわりと特殊な人で、人生にいっさいなにも期待せず、なにも欲しがらず、いますぐ死んでもOK!と言える人なので、「こんなはずじゃない」「なんで毎日こんななんだ」と怒りを抱えて通勤している人たちの気持ちがわからないのだろう。私は凡人なのでよくわかる。怒っている人、イライラしている人は、「欲しいものが手に入らない」からイライラしているんだろうなあ、と共感をこめて推測する。

 

 これは1950年~1980年の終わりまで、右肩上がりの数十年を送ってきた世代が今、中高年だからというのも大きいのではないだろうか。世の中の景気は毎年よくなって、お父さんの給料は毎年上がって、生活を快適にする家電が次々に出て、気がつけば自分の国は世界第二位の経済大国…というあの時代。思春期には「大人になったらいい会社入ってばんばん稼ごう!」と、バラ色の人生計画を立てていた世代だ。その人たちが今、四十代五十代六十代になっている。いろいろと夢破れて自分の人生の先が見えてきて、体力も落ちて鬱っぽいというのに、世間のほうまで下落傾向ときて、もう日本に明るい未来はない。まさかこんな時代がくるなんて。夢のリッチな年金生活は? 自動的に部長になれるはずだよね? etc. …だから、みんなイライラして不安なのではないか。

 今の十代二十代が中高年になったら、また違うのではないだろうか。

 

 先に書いたように結論はない。今、私がはっきり答えを出せることは、人々が最高にイライラしている場所はとことん避けよう、つまり朝のラッシュ時には電車に乗らないということである。朝早く乗らなければいけないなら、始発に乗ってラッシュを避ける。もしくは、乗るべき時間の3本前の電車に乗って、“走らないですむ”状況を作る。あとは、お金が入っても「根本的に納得いかない仕事」は、あとで大きくしっぺ返しがくる、と認識すること。なんとか「最終的には好きなんだよね、仕事」といえるものを、今からでも探そうではないか、ということである。