独楽ログ〜こまログ〜

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フィッシュマンズのライブでゆりかもめとお台場と和解する

フィッシュマンズ ライブ@Zepp ダイバーシティ 10月24日

ゆりかもめからの眺め

 もう二度とスタンディングのライブハウスとか行かないんだろうなあ、とぼんやり思っていたが、夫がチケットを勝手に取っていたため、行くことに。20年前に猛烈に聴いていたフィッシュマンズ。ボーカルの佐藤くんが死んでしまって、ショックで以来ほとんど聴けなかった。数年前に映画も公開されたけど、つらくて観る気になれなかった。

が、ゲストボーカルを迎えてライブもしてるらしいと聞いてはいた。今回は7年ぶりのツアーだそうだ。「誰がうたうの?」と夫に聞くと、「原田郁子永積タカシUA」というので、「それじゃあ文句は言えないね…」と行く気になる。

 

 場所はお台場。これまた昔、仕事でよく行っていて、本当に苦手な場所である。パニック障害&閉所恐怖がいちばんひどかったときで、なにしろゆりかもめ(しかなかった、当時)に乗るのが怖くて怖くて。息を止めて乗ってた気がする(だから具合悪くなる)。ようやく着いてみると、今度は人工的な土地によくわからないゲームセンター? ショッピングビル? 的なものばかりが建ち、フジテレビは威圧的だし、なんだここは…しんどすぎると苦手意識を高めていた。もう二度と行かないだろうとこれまた思っていたけれど、行くことになった。未来は予想できない。

 りんかい線で行ってもいいのだが、直前にいた場所が新橋だったので、ゆりかもめが便利すぎるので乗ってみた。そしたら目の前に海と船の光景が広がって、あれ? なんだおもしろいじゃないか…と、初めて景色を堪能した。羽田空港モノレールと雰囲気が似ていて、あっちの印象がよいせいかつられてこっちも楽しい。まるでこれから旅行に行くみたいだ。そうか、昔の自分とは違うんだなあとしみじみ実感。年取って悪いことばかりでもない。ちなみに車内は外国人旅行者だらけであった。

 暗くなってから行動したくなかったので何時間も前に来てしまい、ヒルトンホテルでお茶をする。ディナー前の閑散タイム、目の前に海とレインボーブリッジを眺めつつ、作業。

観光客と並んで写真をたくさん撮る

 いよいよ暗くなってからは、夜景を眺める。これも以前はしなかった。「夜景なんてどーでもいいっす」と思ってた…。ほんとうにいろいろ余裕がなかったのだろう。でも今は素直に「きれいだなー」とか思って写真を何枚も撮っている。私はゆりかもめとお台場と和解したのだ。もしくは、十数年前の自分はもう完全にどこかに行ってしまったか。

 …で、いよいよ始まったライブはなんと3時間。スタンディングだったらさぞきつかったと思うが、なんと二階席でシートありだった。夫、偉い。「二階席も立つのかな…」と怯えていたけど、多くは我々と同じ白髪交じりの人々で(でも若い人もいたのだが)、誰も立たない。よかった。なので思いっきり堪能した。フィッシュマンズはメロディ、詞、歌が極上なのはもちろん、音がむちゃくちゃに気持ちいいので、ライブで聴くのは最高である。ゲストボーカルたちは佐藤くんの不在を補ってあまりあるうたいっぷりであった。UAは笑っちゃうほどUAすぎて、ほぼ自分の歌にしていた。これが歌手ってやつか! 永積タカシの「Night Clusing」も派手さはないものの、なにげにほぼ自分の歌にしていて、もうこれは他の人うたえないかも? 原田郁子のオートチューンを効かせた「Smilin' Day, Summer Holiday」は数日後、突然脳裏に歌唱が蘇る後発性アレルギーような効きめ。そしてドラムの欣ちゃんの歌は後半、佐藤くんが降りてきてた気がする。アンコールではさらにシークレットゲストも登場。

natalie.mu

 

 山下達郎が以前ラジオで「コンサートに行くと一緒にうたいたいのですが、だめでしょうか」というお便りに「だめです。絶対にだめです。お客さんはあなたの歌を聴きに来たのではありません」とか言っていて、そうか、そうだよね…とショックを受けたので、会場での歌唱を必死にこらえていたのだが、後半タガがぶっ飛んで絶唱。なんなんだ、この楽曲の色褪せなさは。最近フィッシュマンズが世界中で大人気だという理由がよくわかる。これは、こんな音楽は、なかなか生まれるもんじゃない。

 一緒にうたっていたら、ようやく彼が死んでしまったことを受け入れられるようになったなあと思った。曲を聴いて痛みを感じなくなった。…が、その何十分かのち、ライブの後半に「あー彼は死んでしまったんだな」と再び強く実感もした。「サトちゃんの曲は生きています!(大意)」という欣ちゃんの叫びを聴いて、ほんとそうだなあ永遠に残るよなと思っていたら、そして佐藤くんはいない、という事実がどーんと降りてきたのだ。消えてしまった。もうどこにもいない。たぶんこのライブも観てない。観てると思いたいけど、観てない。悲しいといえば悲しいし絶望といえば絶望だが、それで涙がこみあげて…というのとはまた違う不思議な感覚だった。

 帰り、恐れていた満員電車もどうにか回避(混んでたけど)、いつも9時には寝るので11時に都会をさまようのはしんどかったけど、あまりにもいいライブだったので幸福感のほうが勝った。

 音楽、映画、本、アート。カルチャーは人生を豊かにする。暗いことばかりの人生後半戦の助けになってくれる。この音楽に心底救われているのは事実なのだ。

 うちの親はほとんどカルチャーの喜びを知らない。80近くなって映画を観る楽しみに目覚めたけど、それまでほとんど生活の実務以外の喜びを知らなかったと思うし、これからも知らないだろう。本はよく読んでたが、そもそも読んだはしから全部忘れて、何度も同じ本を買ってくるミステリーばかりなので、彼女の精神に深く影響していることはなさそうだ。映画を観る喜びを知る前の彼女の頭のなかは日々の経済と医療の帳尻合わせ、あとはテレビのワイドショーで埋まっていた。実際の生活にはなにも影響与えないけど、気持ちを潤し、ときには変えてもくれるカルチャーというものをほとんど知らないで生きてきたのだ。そうすると現実がキツくてたまらないときのよすががないってことで、辛いだろうなと勝手に同情してしまう。

 戦後生まれの我々はほとんどみんな、カルチャーを楽しむこと、救われること、教えられること、が当たり前で、それで人生を豊かにしてもらっているけど、でもそのぶん…なのかどうか、いつまでも若者気分である。40になっても50になっても十代の頃に聴いていた音楽に懐メロとは違う文脈で感動できてしまう。最近の人は結婚もせず子供も持たず、だから十代の頃の自分と地続きで大人になれていない人が多いとよく言われるけど、豊かなカルチャーのせいもあるんじゃないか。音楽や映画や本があれば、誰かと無理して結婚して子育てしなくても楽しく生きれる。「あの娘とふたりぼっち〜♪」などという若者の歌に、自分も含めくたびれた肌で白髪頭の人々が大勢感じ入ったりしている姿は異様だなと思いつつ、そんなことも考えた。どっちがいいとか悪いとか、そういう話ではないのだが。ちゃんと大人になったけどまだ若いとき好きだった音楽にフレッシュに感動してます、という人もいるだろうし。

 ともあれ、このライブで私の最近の日々がめちゃめちゃ潤ったことは事実である。

 と、書いた今日は文化の日だった。

natalie.mu

 

 去年、「自分はもう二度と車は運転しないだろう。危険だし怖いし」と思っていたのを覆して、地方日帰り旅行をおっかなびっくりレンタカーで回ったのだが、それと同じ、二度と行かないであろうと思っていたお台場のライブハウスで3時間過ごしてしまった。予測って、あてにならないもんだ。

こなログ

10月27日(金)

晴れ

23℃

やや暑いけど、気持ちいいなあ。毎晩一度も目が覚めず深く眠れてうれしい。

 

チーズ&バジルサンド

先日作ったバジルペーストが活躍

 手抜きもいいところなのだが、チーズとバジルペーストで。バジルペーストは蓋をするように上部にオイルをかぶせると長持ちする。