独楽ログ〜こまログ〜

50代、女性、日本人、がひとりで毎日楽しくすごす方法を検証、実践、そして記録。

MENU

こなログ フライ・パン、ラタトゥイユプレート

7月1日(金)

晴れ

37℃

フライ・パン

肉卵野菜、そしてパン。まんべんなく栄養ある

7月2日(土)

晴れ

35℃

 

ラタトゥイユプレート

プレートっていうか、あるもののせただけだが…

 9月までこの暑さで、自分はもつのだろうか…と心配しつつ灼熱で7月になった。夜はどうにかクーラーなしで眠れるのでかなり助かっているが、母親には「え? クーラーつけないで寝てるの?」と驚かれる。うちは節電騒ぎになる前から設定温度は28℃だし、かなりのクーラー弱者なのだ。それ以下だと寒い。冷える。

 昔の夫はさらに寒がりで、クーラーをつける私を蔑むように見ていた。自分がつねに悪いのでは、と思い込みのある原罪体質の自分は、「すぐにクーラーをつけたがる怠惰でだらしない人間」というイメージのもと、「すいません」と謝りつつ、しかし耐えられずにつけたり、でも「昼はつけない。夕方5時すぎたらつけていい」とか、今思うと信じられない謎ルールを自分に課してがんばっていたりした。「我慢は美徳」という日本人思考にどっぷりつかっていた。こんなだめな自分は、我慢を重ねれば改良される、と思っていた。ま、10年前でもここまで暑くなかった気はするし、クーラーはつけたらつけたでだるくなる、というデメリットもあるので耐えていたのだが。

 月日は流れ、夫も年老い、ある年から突然「暑い。耐えられない」とクーラーを普通に使うようになった。私のほうが耐性があるほどになってしまい、これなら大丈夫、とこちらが必死に耐えていると「え? クーラーつけようよ。暑いじゃん」と言われ、そこにはそこはかとなく「なんでこんなに暑いのに我慢してんだよ?」というニュアンスが漂っていた。そのとき大げさでなく、私は自分がどのように世界を認識しているのか、知ったのである。それは夫という、私よりほとんどすべてにおいて優れている人が私のゴールポストであり、そしてそのゴールは知らぬうちに簡単に動かされていたのだ、ということだ。そのときから私は私の好きに生きるように決めたのだった…というのはもちろん大げさなのだけど、自分の感覚にいちいち罪悪感は感じなくていい、と思うようになった。暑いものは暑いし、寒いものは寒いのだ。他の人がどうあれ。そして、その感覚はだいたいみな違うものだから、だから人と共同生活するのは難しいんだよなあ。たくさん部屋があって、自分の好きに調温できるのなら問題ないけど、寝室や居間がひとつだとそういうわけにはいかない。

 しかし運良く、ふたりの快適温度がだいぶ近くなってきたので、なんとか仲良くやっているのですが。うーん、結婚生活は綱渡りだなあ。