独楽ログ〜こまログ〜

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熊本旅行 2022 その2 熊本城

(2022年5月13日 改訂)

いざ熊本城へ

旅行初日、小雨の熊本城

 初日の夕方、小雨のなかちょっと観に行ったのだけど、翌日は朝から本格的に出かける。初日、街なかからちらりと見えた姿が美しくて、素晴らしい…と期待を高めていたが、その高いハードルにも負けず、やはり素晴らしかった。

 

 遠くまでのびる美しい石垣。森のような新緑の覆い。遠くに、近くに見える本丸。さらに遠くに、街を囲む山並み。復興の様子。そしてまだ残る震災の傷跡。そういうものがすべてないまぜになって、圧倒される。いや、なにしろ美しい城なのだ。

 しかし私は大学の卒業旅行でここに来ていたはずなのだが。同級生たちの実家をめぐるツアー、という名目で、熊本出身の友達の家にみんなで押しかけた。そのときのことはぼんやり覚えているのだが、熊本城や熊本の町並みについてまるで覚えていない…。ひどい。そういう大学生だった、ということだなあ。そのときすでにフリーライター業をしていて、師匠から言いつけられた仕事が終わらないまま旅行にタスクを持ち込んでいて、たしかそれで苦しんでいた気がする。ちなみにそのタスクはインタビューのテープ起こしで、そのギャラはもらってない。こういうことは覚えている……。

 そして当時から美を解する友人から「あたし、熊本城大好きなのってあのとき強く訴えたけど、ろくな反応がなくてさみしかった」などと後年言われて、「いや、あの頃の自分には熊本城の良さを理解する能力はなかったよ。すみません」と言ったけど、まあ、そういうことだったのだ。今やっとわかりました。熊本城、素晴らしい。

 熊本出身の、同級生にもはがきを書こうかと考えている。「熊本って、いいね、すごくいい街だね。街のまんなかにあんなお城があるし、どこ歩いてもなんだか気分がいいし、市電もかわいいし、そして食べ物がすごくおいしい。移住したくなった」。

 しかし彼女とは年賀状だけのやりとりで、もう二十年くらい会ってない…。こないだTwitterで「何年も会ってない友人から連絡が来たら、だいたいそれはマルチか宗教の勧誘だから注意」と読んで、たまには連絡を…とか考えていた私は「がーん、そんなふうに思われちゃうのか!」と驚いたので躊躇している。来年の年賀状に「行ったよ! 素敵なところだって、いまようやくわかった!」と書けばいいのだけど、でもそうすると今、猛烈に高まっている「熊本、いいなあ!」の気分はだいぶトーンダウンしているわけで、それもなんだかさみしいし。こうやって考えている間に出しそびれる、というのがいつものパターンである…。

 

石垣と城、

新緑と

遠くの山並みと

震災のあと

 震災で崩れた石垣を、どのようにして修復しているかという記事が朝日新聞にあり、それを熟読してのぞんだ。落ちた石がどこにあったものなのかを、詳しく分析して組み直す。ジグソーパズルである。すごい緻密な作業で驚く。この修復の最中を見れたのはかなり貴重な経験だったのかも。

 

↓朝日の記事は有料なので、こちらのリンクを貼ります。これもすごかった。

sekokan-navi.jp

 

 そして余談だけれど、この熊本城の石と緑で私と夫がなにを思い出したかというと、フォレ・ロマーノ、ローマの遺跡なのであった。

こういう感じ

 熊本城を見てフォレ・ロマーノを思い出すとはなあ…人間長生きするもんや、と感慨にふける。

そしてお城のなかへ

お城のシルエットがくまもんに似てる気がする

 そして、入場料を払ってお城のなかへ。内部は「熊本城博物館」という感じで、下の階から順に歴史が追えるように展示がいろいろされていて、本気で見たらたっぷり半日はつぶれる、という充実ぶり。なんというか、外の柵とか歩道とかまで含めてすごくお金がかかっている。大事にされてるなあ、とひしひし感じる。

圧巻の模型とか

天守閣からのながめもいいし、

瓦も美しいのだった

 城のなかをずんずん昇るうちに閉所恐怖に襲われ、「息苦しい! 出してくれ!」とぱにくったのだが、どうにか乗り切り、天守閣までたどり着く。途中でやめないでよかった…と思う眺めだった。しかしなんだろうね、あの閉所恐怖症。「狭い」「窓がない」と、意識してなくてもなるんだなあ。ちょっと衝撃。だってこれまでは、意識するからなるんだ、たとえば誰かとおしゃべりに夢中だったり、展示を見るのに集中していたらそういうことは起こらない、すべては「気のせい」と思っていたのである。しかし、こういう「無意識のうちに苦しくなる」ことがおこると、その説は取り下げなければならない。まあ、なんにせよ乗り越えられてよかった。

 実は旅行初日、空港までのバスに乗ったときもパニックが起こっていた。密閉感の強いリムジンバス、満席、後方席、ということで。「どうしよう。どこでおろしてもらおうか。高速に乗る前におろしてもらわないと」と汗がいっぱい出たけれど、途中でふと「いや、これは数分すればおさまるのだ」ということに気づき、そしたらだんだん呼吸が楽になった。ぱにくってる最中に「数分でおさまる」ことに思い至るって、これは革命的にすごいことです。これに気づけさえすれば、大丈夫なのだ。そしてこのとき、初めてそれを体験した。

 

 パニック障害、広場恐怖の人のなかには「誰かについててもらえばだいじょうぶ」という人がいるらしいが、私にはそれはあてはまらない。夫が隣りにいても「でもこの人は今、私を外に出してくれないでしょ? 走ってるバスや電車を止める権力ないよね」と思ってるので、家族がいようがいなかろうが、関係ないのである。むしろよけい絶望感が増す。そういうわけで、バスの通路をはさんで隣に座っていた彼にはいっさい助けを求めず、ひとりで、ウウ、怖い…とこらえていて、羽田に着いたあと「あたし、さっきぱにくってた」と告白した。すると「知ってた」と! えっ、知っててあの態度? まじで? ていうか完全無視してたよね!? 「いや。かわいそうにって思ってたぜ」。えーっ。すごい。なんという対応。そういう人だとは知ってたけど。まあ、たしかにあそこで「どうした、大丈夫か」とか言われてもなんの役にも立たないんだけどさ…。

 

目の前にある熊本美術館分館。お城の石垣を意識?

加藤清正公の銅像とお花

セイショコは喜んでるのか…

 初日の夜。熊本城とともに人々に愛されている加藤清正公の銅像。花と緑の博覧会なので、めちゃくちゃ飾られている。飾られすぎ、と言ってもいい。セイショコ(清正公をこう呼ぶのだそうな!)はどう思っているのだろうか。