独楽ログ〜こまログ〜

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【つくってみた】エーグルドゥースのタルト・オ・フレーズ

 エーグル・ドゥースのこの本を買ったのはずーっと前だけど、パーツを作るときに参考にはしていてもパウンドケーキ数種以外、完成品を作ったことはほとんどなかった。

右下のタルトがタルト・オ・フレーズの見本品だ

でも去年、「なんか面倒くさいものが作りたい」とむらむらして、いちごタルトとか、と思ったのだが、ちょうどいちごの季節が終わったばかりで、「では来年」。

 そして1年が経った。例によって思い出しつつずるずる延期していたのだが、今年は特にいちごがいつまでも店頭にあるので、背中を押された気がしてついに決心した。実行だ! 実は2週間前に冷凍フランボワーズは買っておいた。

 完成品はこれである。

見本と比べると厳しいが…まあ、ヨシ! おいしそう!

 ちょうどこの本の表紙にあるこれが見本。ハードル上げると楽しく作れないので「食べれればいい」までぐぐっと下げてスタート。

 

 基本手順は

①シュクレ生地を作り、型にはめる

②3種のクリーム、ダマンド(アーモンドクリーム)、パティシェール(カスタードクリーム)、シャンティ(ホイップクリーム)を用意し、組み合わせて2種のクリーム=ディプロマット(ダマンド×パティシエール)とディプロマット(パティシエール×シャンティ)を作る。

③いちごとフランボワーズのジュレを作る

④①にダマンド×パティシのクリーム、ジュレを詰め、焼く。

⑤生のいちごをデコレーションし、上にたっぷりのジュレをかける。

⑥クロッカンを周縁に散らし、粉糖をまぶす。

 

 このタルトの(私的な)肝はクリームを3種類用意し2種のクリームを作る、ということである。タルトにつめるクリーム、ダマンドなのかフランジパーヌなのか、というのはいつも悩んでいることで、後者が明らかにおいしいのだけど、なにしろクリームを2種用意するのが面倒で、最近はいつも前者だった。クリーム・パティシエールは冷凍もできず保ちも悪いので事前に作っておくとかできないが、寝かせる必要があるので半日以上は前に作っておかなければいけない、というややこしいものだし。

 しかしエーグル・ドゥースでは2種のクリームを詰めるのはもちろん、その上にディプロマットまでのせるという…さすが。

 

各素材の準備

まずはベリーのソースを作る

 次の(私的)ポイントはベリーソースを作ってタルトにつめる&生いちごにかける、ということ。タルトに載せるフルーツは生だけだとうまく味がつながらないので、生と火を通したもの両方使うというのは私が勝手に決めていたルールのひとつだった。たとえばブルーベリーにタルトにクリームとともに生ブルーベリーもつめて焼く。するとブルーベリーに火が入って味が濃くなる。焼き上がった台の上に生ブルーベリーを載せる、というようなことをしていた。やっぱりタルトと生果物って、あいだになにか仲介役が必要だよね? このソースはいちごとフランボワーズというのもポイントだ。いちごだけだと甘さが勝ちすぎ酸味が足りない! 杏とフランボワーズは洋菓子の陰の主役。

タルト型をはめる。生地は冷凍してあったのでラッキー

 次はタルト型を作る。こうやってしみじみ写真に撮ってみると、下手くそだなあ! まあしょうがない。次回からがんばる。

ダマンド(上)とパティシエール(下)、2種のクリームを混ぜてフランジパーヌをつくる

 ダマンドは冷凍してあったので、今度はクリーム・パティシエールを作る。卵黄と(エーグルドゥースは卵黄だけ!)砂糖を混ぜて、鍋に入れて牛乳を加えて煮る。あれだけ面倒だと思っていたが、ものの10分でできてしまった…しかも、足りない気がして増量して作り直し、なんてことまでしたのに、あっという間に終わった…。あれほど面倒がっていたのはなんだったのか。

焼成

フランジパーヌをつめ、まんなかにベリーソースをおく

さらにフランジパーヌでふたをして(うまくできてないけど)、焼く

焼けた。170℃で40分くらい

 いつもはタルトは絶対、台だけで空焼きするのだがここはレシピ通りに。生の生地の型にクリームをつめて共焼きする。タルト台のさくっと感を守るために空焼き、と信じていたのだが、共焼きでもなんだかさっくりしてる…。しかし問題は、共焼きにするとクリーム等詰め物でぱんぱんになるので、焼いてる間に生地がめいっぱい膨張して型からはずれないということ。焼き上がったのを見てそういうことがおきるのだと思い出した。持ってみたらずっしりと重い。これは…はずれなさそうだなあ…。

 

 四苦八苦の末、多少ぼろぼろしながらもはずした。ふー。今度は上にディプロマットクリームを塗る。上にのせるいちごの接着剤の役目も果たすのだろう、なのでたっぷり盛る。こっちのクリームを下と変えるってのがなあ…すごいなあ…思いつかなかった。タルトの中のクリームや焼いてあり、上のクリームはフレッシュということである。

 このあたりなぜか写真がないけど、必死だったのだろう。ほんと、作りながら工程を撮るってみんなやってるけど本当に面倒だ。みんなすごい。

 ディプロマットクリームの上に冷ましてから切ったいちごをのせ、ソースをたっぷりかけ、周囲にはクロッカン…のはずなのだが自家製グラノーラですませた…かりかりしてるからいいっしょ、ということで…を周りにかざり、そこに粉糖をかけて出来上がり!

 冒頭と同じ写真をもう一度!

 いちごをランダムに切ってランダムに積み上げるのが難しかった。これは器用さとセンスの両方がいる。でもまあ、いい。ソースをかけたり粉糖をふったりすると、色のせいでなんだかおいしそうだ。

切ってみた。やはり無理矢理型からはずした台がもろもろと…

 実食。

 うまい…めっちゃくちゃうまい。すごいじゃないか自分。クリームを数種用意した意味はあった。ソースをわざわざ作った買いもあった。いちご感が濃厚このうえない。そこにフランボワーズの酸味も。

 そしてさらに感動したのが、ベリーソースには自家製いちごジャムを使ったのだが、これが黒胡椒入りだったのでタルトにも混入した。そしてそれがえらいおいしかった。寺井シェフにも教えてあげたい(!)。甘いソースにぴりっと辛味。最高だ。

 これを作ったのは連休中だったのだが、おやすみの間のおやつが豪華になってよかった。

 

 感想。

「面倒なことしてみる」運動、結構いい。やってみると「あれ? たいしたことない」とだいたい思えるからである。お菓子だけでなくご飯作りでも、「あれがあるといいなあ…でも面倒だからいいや」というのが俄然減った。なんというか、「面倒なこと」の定義が、この日以来変わったのである。すごいことである。

 なぜなら「加齢とは面倒になること」だと日頃から定義しているからだ。昨日まで面倒じゃなかったことがどうにもだるくなる。意義も感じなくなる。それは人生が縮んでいく警報。私はもともとがものすごく面倒がりなので、つねにこの意識と戦ってきた。「面倒だ…やりたくない…でもやらなきゃ…やりたくもある…」という葛藤のすえ、どうにか意思の力で行動を起こし、「やってよかった。ていうか、たいしたことなかった」となる。ほとんど毎日これの繰り返しといってもいい。「やってみればやる気が出る。やってみるとよかったと思う」というのは経験上知っているのだが、だからといって始まりの「だるさ」は消えない。それどころか年々、行動を起こすまでの時間が長くなっていた。

 多趣味で独身を謳歌している人が、四十代を超えると突然それらがつまらなくなる、ということがあるらしい。「一生ひとりでもいい。だって楽しみがたくさんあるから」と思っていたのに、いきなり土台の楽しみが消滅してしまうのというのだ。これも加齢による「面倒がり」が加速するせいではないか。

 

 体力の問題に加え、「そんなことしてなんになる?」という猛烈な虚無感もある。今回のタルト・オ・フレーズなんて、ほんと「そんな面倒なことをお金かけてして、なんなの?」という話である。私にお菓子を配りまくれる人柄とご近所さんがいたら全然違うのだけど、いないので手の込んだお菓子を作るってかなり虚無なんである。私と同様に虚無と怠惰に満ちた友人は「こんなパンが焼けてすごいなーって思うけど…でも…こんなこと言うのアレだけど、買えばいいのにって正直思ったりもする…」と本音をもらしていた。まあつまり、そういうことだ。パンを焼き始めた時は田舎に住んでいて、パン屋がないというのが原動力だったのだが、今は都心に住んでいるし、最近のパンブームのおかげでうまいパンはいくらでも手に入る。だから私がわざわざなにか事を起こす必要なんてないのだ。大体は買える。「でも作りたいから」という意欲だけに支えられている。

 こういうことばかり考えていると、展覧会に行くと同じような気持ちに襲われる。巨大な、材料集めから造作、展示、保管までとてつもなく手がかかりそうな作品を見たりすると「この作家は”こんなものを作ってなんなんだ?”という虚無に襲われなかったのだろうか?」と。それを克服できた人だけが芸術家になれるのだなあ、とか。

 が、そういう虚無を少し乗り越えつつあると思う、最近。「そんなことして?」という根源的・でかすぎる問いはおいといて、「面倒くさい」を克服しつつあるのだ。だいたいの「面倒くさい」の半分は体力だが、残り半分は気力だから、やる気さえあれば体力のなさはカバーできる。今回、その「やる気」で体力減少をカバーしつつある。ここ数ヶ月ロールケーキとかマカロンとか面倒系をよく作って準備運動をしていたのだが、今回のタルトが決め手になった。3種のクリームを作るのもソースを作るのも「別にそんな面倒じゃない」という地点に達した。よくわからないが、自分のなかにいつもあった暗い虚無が、消えてないけど小さくなった。求めるのは成果ではなく、「作る過程をどこまで楽しめるか」。これができれば「そんなことしてなんになる」とはならない。

 でもなんでだろう、どうして? もしかしたら、いろいろ諦めたからかも。諦めてなかったから「なにか有意義なことしなければ。手の込んだお菓子なんか作ってる場合じゃない」と思ってたと思うから。「なにも有意義なことはできない」と腹をくくったから、こういう贅沢な作業を楽しめるようになったんだろうな、たぶん。