独楽ログ〜こまログ〜

50代、女性、日本人、がひとりで毎日楽しくすごす方法を検証、実践、そして記録。

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自分で熱を生み出そう

どんどん冷えていく!

  白湯に目覚めた。真夏以外、毎朝、いちばん最初に白湯をからだにいれる。ものの本には、あまり熱すぎないほうがよい、とあるのだけれど、私はあえて80℃。ひとくち飲むと、すぐさま熱がつたわる。まさに「五臓六腑にしみわたる」のだ。内蔵全体がじわーっと温まって、これがあまりにも気持ちいいので、くせになってしまった。

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 白湯の味はいつも違う。あるときはとびきり甘く、おいしく感じるし、あるときはなんだか虚しい味がする。それは私の体調を表していると思うのだが、具体的に自分の体調がどうなると、白湯の味がどう変わるのかはわからない。ただ、白湯がおいしいときは、いい調子なのだ、と勝手に思っている。単に喉がかわいているかいないか、だけのような気もするが。

 そもそも、朝に野菜ジュースを作って飲んで、ヨーグルトを食べて、まあコーヒーも飲むけれど、コーヒーって熱湯でいれないからそこまで保温効果はなく、体が冷えてその後の活動のやる気がなくなってしょうがないので、白湯を飲むことにした。飲んだ瞬間に体の一番奥が暖かくなり、目も覚めて活力がわくので、これはすごいと思って続けている。

 なにしろ、なにもないのがいい。カロリーもない、糖分もない、色素もない、カフェインもない。摂取過剰の心配がない。厳密にいうと、やっぱり飲み過ぎはよくないと、これもものの本に書いてあるのだけど、でもまあ、いいでしょ、飲みたいだけ飲んでも、と勝手に解釈している。唯一、むくむ心配はあるのだが、それは他の飲み物でも一緒だし、今は朝で、自分はこれからヨガもするしランニングもするし、お風呂にも入るのだから、排出されるよね、とこれまた勝手に解釈している。

 

首が寒い、という言葉を知る

  とにかく体が冷えてしょうがないのだ。40歳をすぎると。どういう理屈なのだろう、熱を保持する力が弱っていることなのか。

 首が寒い、などという感覚も、この数年で始めて知った。真夏以外はほぼタートルを着ている。たまに襟ぐりのあいたものを着てしまうと、首元がこころもとなく、みじめで、気持ちもかなりやられる。年をとったら首が寒いってどういうこと?と思っていたけれど、首が寒いというよりは、肌が露出しているところはすべて寒く感じるということなのではないか。よく考えたら他の部分は顔と手以外全部、なにかしら布で覆っている。さすがにまだ、顔が寒いとは思ったことがないが…。

 おばちゃんって、どうしてストールを巻きたがるんだろうと不思議に思っていたけど、あれは体型隠しとかおしゃれとか以前に、実用なのだ。

年をとると、熱が生み出しにくくなる、そういうことなのだろう。

 

腹巻きも必須

  夜も、腹巻きがないと眠れない。普通にTシャツやパジャマを着ているだけでは、たとえ何枚重ね着しようとも、おなか周辺がスカスカする。ものすごく頼りない。不安になる、と言ってもいい。

 薄くて密着感抜群、なおかつ保温力もあり、黒で、できうる限りスタイリッシュ(!)な腹巻き(ホワイトマックスという会社のもの)を見つけて以来、完全に自分と一体化した、と言っていいほど身につけてきた。友人にもすすめ、母親にも買ってあげた。

 そのすすめた友人は、つけた翌朝、早速連絡してきた。

「おなかまわりに一枚、布が密着しているだけで、どうしてこんなに安らかな気持ちになるのだろう」

 そうそう、そうなのだ。腹巻きは心安らぐアイテムなのだ。

 

二の腕が寒い、それはつまり…

  さらに44歳になったら、夏にやたらと二の腕が冷えた。二の腕が寒いってどういうこと?でも最初は気のせいかと思って無視していた。だって二の腕が寒いって、変だし。でも、どうにもはっきりと寒い。気がつくと両腕で二の腕を抱きしめている。これはやっぱり冷えているんだな、と思って、ググっててみたら、二の腕や太ももが寒いのは、冷えのなかでも最もたちの悪い、体の奥の奥が冷えているということです、とか出てきた。複数出てきた。たぶん、本当なのだろう。

 十年くらい前に、体を冷やしすぎて重度の椎間板ヘルニアをやって寝込んで以来、冷えには気をつけていた。だから腹巻きをしたり、五本指ソックスをはいたり、冷たいものは避ける、湯船にはしっかりとつかる等、それなりに努力はしていたのだが、それらの努力をけちらす勢いで私は冷えているらしい。

 なので、朝、白湯を飲むことにした。そしたら、おなかがぐーんと温まって、すこぶる気持ちいいので、癖になってしまったというわけである。なんでもすぐ癖になるのだ。

 新しい道具や食材や方法がいらない、というところがいい。ただお湯を沸かすだけ。手持ち(?)のもので、こんなに心地よくなれるのだから、素晴らしいではないか。

 

自分で自分を温めることができれば

  冷えは、ダイレクトにメンタルと繋がってると思う。寒いと感じるときのあのみじめで寂しい、頼りない感じ。本当はできることもできなくなってしまうような、人を弱くするなにかがある。冷えないように予防すること、さらに、自分で熱を生み出すことができれば、理想だ。

 実はこの1か月半くらい、右足の小指を骨折して走れなかった。16年走ってきて、こんなに走らなかったのは初めてだった。1か月半後、おそるおそる走ってみたら、もうびっくりするくらい心肺機能が衰えていて、とんでもなくつらかった。あー、そうだ、走るのって、つらいんだ。だからみんな走らないんだ、と改めてビギナーの気持ちを思い出した。

 肺だけでなく、喉もつまって苦しいんだよな、おなかも痛くて、下半身が重くて、ひきずるようにしか動けないんだよね、ああ…よくもここまで衰えたもんだよなあ…といろいろ考えながら、えっちらおっちら脚を動かしていたのだけど、そのうち、体が温まってきた。それはいつものことだが、違うのは、足全体(脚ではなく)がほかほか~っとしてきたことだ。

 足の指、足の裏、足の表(?)。足全部がなにか、発熱体のようにあったかい。地面を踏みしめるたびに、またほわっと熱が生まれるのがわかる。そしてその熱がふくらはぎをつたって全身にまわっていってることも、実感できる。うわー、なんだろう? これはすごい! 気持ちいい! 久しぶりのランニングでヒイヒイ言いながらも、どんどん元気になる気がする! 自分の体の新しい感覚に感動した。

 残念ながら1週間もしたら、この足発熱の感覚は薄れてしまったのだが、でもまだしっかり覚えている。ほっかほかの私の足。

 自分で熱が生み出せるというのはすなわち喜びだ。冷えは、心を弱くする。逆に、熱は心を勇気づける。さらに、自分で生み出した熱は、呼び水のように、その人の活力をあとからあとから生み出し続ける。

 あの感覚には、鬱を吹き飛ばすエネルギーがあると思う。

 自分のなかから、手持ちのもので、熱や喜びを生み出すのは、私の残りの人生の目標である。保温下着とかカイロとかエアコンではなく、誰かからの賞賛や愛情、新しい買い物や、別世界を体験できる旅先ではなく(いや、もちろんそれもいいけど)、自分の内部から熱と喜びを自家発電できたら、最強だ。だって、失う恐怖に怯えなくていい。

 どうやって自分からなにかを生み出していいかわからないなら、とりあえず体が暖かくなるよう、動いてみる。自分で生んだ熱というのは、暖かいだけでなく、心地よくもあるのだ。

 体が暖まるとやる気が出る。動く前は思いもつかなかったことを、ちょっくらやってみようか?なんて思いついたりする。

 だからやっぱり、気分良く暮らすには、絶対運動したほうがいいんだよな、といつも思う結論にたどりついた。今日も寒いけど、がんばって走ろう。お風呂を沸かして、出かけよう。