12月15日(木)
晴れ
13℃
クラムチャウダーと
発酵餃子、そして発見
皮から作る餃子。種を前日に仕込み、朝イチで生地を仕込んで寝かす、というなかなか下準備が大変な作業。それから生地作って包んで焼く…一大事業だ。しかしいつのにか、以前のように夫にヘルプを求めず、さくさくと昼ごはんまでに作れるようになっている。進歩だ。まずパンと同じノリで水分多目生地生地を仕込むのをやめ、おかげでできた生地同士がくっつく悲劇も起きない。形も、下手くそなので「丸く作る気」はもともとなく、いつもひどい有様だったが、だんだんきれいにできるようになってきた。テレビで見た中国の名人の動きなどを思い出して綿棒と手を動かしたら、なるほど丸くなる…。しかし最初から「丸く作るぞ!」とか意気込まないから、多少うまくなっただけでものすごくいいことがあった気がしてお得である。
うまくならなくていい、と思うとうまくなる
発達障害の問題に取り組む人がTwitterで「発達障害の人はなにか目指したり鍛錬しちゃだめ。うまくいかなくてへこむから。なにも目指さず淡々と過ごしてると、昔欲しくてしょうがなかったものがふいに手に入ったりする。そういう毎日を過ごそう」と言っていて、なるほどですね、だった。
私もなにも目指さなくなるとうまくできてた。ということがすごく多いからだ。昔、製パンについてもブログでそういうこと書いてた気がする。今日食べるパンを焼く、なにか気づいたら試してみるかーというだけでやってたらいつのまにか結構うまくなってた。あるとき友人にあげたら「えっ、これ作ったの?」と驚かれて、あ、そうか、けっこうこれはすごい出来なのかとこっちも驚いた。
いったん欲望を捨てる、のが大事。
年初の誓いとかもたてちゃだめ、だって。どうせ挫折して傷つくから。毎日無事過ごそう、くらいでいい、それで過ごせたらほめてあげればいい、って。
餃子の実験と発見
で、餃子に戻るのだが、今回はなんと、生地にホップ酵母を入れてみた。知る限り餃子を発酵生地で作るって聞いたことないので、みんなやるはずなのに広まってないってことはたいしていいことないんだろうな、とは思っていたが…。
まあ結論から言うと、たいした違いはなかった。酵母をマフィンなどのお菓子生地に入れると明らかに「あっ、パンっぽい」というふくらみ、食感なのだが、この餃子に関しては多少生地がふかっとする程度で、味にはほとんど差がない。もっと温度あげてふくらませて作れば違うのだろうが、酵母入れたけど極力発酵させないように、という不思議なやり方をしてせいかも。ピザみたいになりすぎても困るなあ、と思っていたのだ。まあ、次回はもうしない。と思う。
「焼けた、写真撮ろう」ということで、焼き目を見せるように餃子をひっくり返すと、ここで事件が起きる。あまりにもフライパンが熱々すぎて、火から降ろしても接地した面が焼けてしまうのだ。餃子の底以外の皮がどんどん焼けていく。そうすると明らかに違う味になる。手作り餃子は皮が厚いのがよくて、そしてそれは底だけがかりかり、上・側面は蒸した状態でふんわり、このダブルの食感を味わえるのが魅力なのであって、あっちもこっちも硬い、かりかり、だと違うんだよな…。
などという発見を話し合いながら食べ進む。餃子に大根おろし、というポピュラーになってもおかしくないけど誰もやってない組み合わせもやってみる。夫の胃腸が心配なので大根おろし、なるべく出すようにしているのだ。
これも全然期待してなかったが、おいしかった。すごく。毎回おろしてもいいなと思うほど。
料理はどれだけしても常に修行で常に発見がある。楽しい。まあそれらの喜びもすべて「おなかがすく」という健康体があってこそなのだが。つらいことがあるとすぐに食欲がなくなるので、おなかがすくことのありがたみを知ってるつもり。(と言いつつ、ダイエットも諦めてないので、空腹を恨むこともあるが)。